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第十五話 「壊れていくもの」

第十六話の投稿は5/20(水)の深夜に行います。

よろしくお願いします。

「ごめんね。」

 ヘイランが少し困ったように笑った。


——道でも間違えたんやろうか。


——別に謝らんでも良いのに。


——ただ、ちょっと戻らなあかんとか、歩かなあかんとかその程度のことやのに。


 ヘイランが少し躊躇い気味に続ける。その言葉の音はやけに際立って悠の耳に響いた。

「死んでもらわないといけないみたいだ。」


「は?死ぬ?誰か殺さなきゃってこげえ——」

 悠の隣から聞こえた抗議の声が変なかみ方をした。


 ヘイランの手にはいつの間にか長剣が握られていた。その剣の銀色には赤色が混じっていた。


 悠は隣で変なかみ方をした男が気になったので目を向けた。

 ちょうどその時、ごどんと鈍い音を立ててそれは落ちて、転がった。赤い液体を垂れ流しながら、それは転がった。枯れた針葉樹の葉と緑の苔を巻き込みながら。

 やがて木々の根に引っかかったそれと悠は目が合った。相手は既にどこも見ていなかった。


——なんやあれ。人の、首?


——ああ、ろくろ首とかいうやつかな?首が飛ぶみたいなタイプのもおったはずよな。


 その時、鋭い痛みが耳に走る。


「——い!おいってば!この…動けよ!逃げなきゃ!」

 子どもの声が悠を現実に引き戻す。


——…あぁああ、死んだ。


——死んだ死んだ死んだぁあ!


 頭の中が真っ赤に染まる。熱が脳細胞を焼くように痛みが走る。目が、耳が熱い。触る余裕などないが切られてはないかと心配になる。


「走れ!ハル!」

 アメノが悠の耳を引っ張って必死に叫ぶ。


 悠はできるだけ全力で走った。しかし、なぜか足がいうことを聞かない。走りたいのに足がもつれるように上手く動かない。

 あの人の遺体をそこに残して逃げることが気に病まれた。しかし、それ以上に「そこにいてはまずい、逃げないといけない」という思考に堕ちた。


———


 悠はアメノと訳もわからないまま逃げ続け、森のどこかの小川の岩陰に逃げ込んだ。

 咄嗟のことで、しかも休憩なんてしていたから、荷物の一切合切を置いて来てしまった。唯一持っているのは水を入れた水筒だけだった。


「ぶはあ、…はあ、は、はあ。くぶっぶはあ。」

 荒れた呼吸を彼女に聞かれてはまずいと無理矢理に口を閉ざして息を止める。足元を絶えず流れる水の音に紛れて、呼吸を整えるように深呼吸をゆっくりとする。


 そうして、ようやく一言口から溢れた。

「な、なんで…。」


「知るわけないだろ。イカれ女め!あんなクソババアについて行くなんて間違ってたんだ!」

「ちっ、とりあえず森を出ようぜ。付き合ってらんないよ。」

 アメノは舌打ちしながらも、悠を見捨てて逃げて行かなかった。そのことにほんの少し冷静さを取り戻せて心の中で感謝した。


「カッシオは…。」


「…死んだよ。僕頭に乗ってたんだ。そしたらあいつの頭がぐらって…。」

 アメノはひどく不愉快そうに吐き捨てるように言った。


——また?また、なんもできへんうちに身内を死なせてもうた?


 悠の目には涙が溢れ出していた。

「ぼ、ぼぐはまた…うぐ、ふ、うう。」

 涙と鼻水で口の中が塩っぽい。全力で走ったせいで、口の中が鉄臭い。


「お、おい、な、泣くなよお。僕まで泣きたくなるだろ。僕だってまだ借りを返せて、なかったんだぞ。」

「何死んでんだよ、あのバカ…。」

「ほんと、人間てすぐ死にやがるんだから…。」


 悠は親友と言ってももはや過言ではないカッシオがその命を終えたことをどうしても信じたくなかった。

 あの、人好きで、お節介で無駄に器用で。

 酒好きで、ちょっと魚臭いカッシオが、死んだ。

 もう二度と、あのむにゃむにゃした声を聞くことはできないのだ。


 足元の水が冷たかったけれど、どうしてもそこから動く気にはなれなかった。


———


 ようやく顔を上げて辺りを見ると、すっかり暗くなっていた。

 顔を伏せて目を閉じ、うずくまっていたから、いつから夜になっていたのかわからない。


 ヘイランは追ってきてはいないのか、あるいは見逃してもらえたのか。とにかく、付近から聞こえる音はわずかな木々のざわめきと小川を流れる水音だけだった。


「すみません、取り乱しました…。」


「…やっと落ち着いたか?間抜け。ババアに見つかる前にさっさと逃げようぜ。」

 悠が顔を上げた時、アメノは岩場の上で見張るようにして座っていた。いつのまにか持ち出していた干し葡萄を齧りながら悠を待っていたようだった。


「方角とかは——」


「知るわけないだろ!無茶苦茶に走ったんだから!」


「ですね。ひとまず、来た方向の逆に行きましょうか。」

 悠は立ち上がって、岩場の影から周囲を見渡す。


 カルムニタイの森はやはり異質だった。昼はよく光を通す木の葉のせいで周囲は緑に染まっていたが、夜は足元の苔が薄青く光を帯びている。

 おかげで明かりがなくてもなんとか歩ける程度には足元が見える。しかし、足元が光るせいで相対的に腰より上が暗くて見えない。


——足元が光ってたら、ヘイランさんならこっちを見つけるかもしれへん。


——どないしたったらええねん。こんな、人殺しに追われるとか、どないしたら…。


「あのさあ、僕思うんだけど、川の近くをさ、歩く方がいいんじゃない?足音は消えるし、いずれはこの森出られるだろ?」


「…遭難した時とかはなんか、それは良くないって聞いたことありますけど、今は…ありかもですね。」

 疲れていてよく思い出せない知識より、アメノの提案に従う方が確かな気がして、小川の水の流れる方向へ歩き出した。


 川沿いはごつごつとした岩場と苔の生えた湿潤地帯の繰り返しで、思考が単調になってくる。足元を見て歩いているだけだと、考えないようにしたくてもカッシオのことを考えてしまう。

 この世界に来たとき、助けてくれたこと。ツァルの混ぜご飯の味を。トールと酒を飲みながら将棋みたいな卓上遊戯をする姿。滝壺に小舟を浮かべて釣りをしながら昼寝をする姿。

 そして、首だけになって生気を失った焦点の合わない目。


——考えたらあかん。今は逃げな。


 悠は頭を握った拳で叩く。頭から考えたくないことを追い出したくて。


ずるっ。

びしゃあ。


「おわあ!」

 悠は川辺に転がる大きな石を踏み、バランスを失った体が小川に落ちた。


「おい!何やってんだ、静かにしろよ!」


「すみません、気をつけ…!いつつ。」


「怪我でもしたか?気をつけろよお。」


「足を挫いたみたいです。ちょっと待ってもらっても?」


「はああ…もぅ、早くしてよお。」

 アメノはたててしまった大きな音のせいでヘイランが気づいたのではないかと不安そうに爪を噛む。


 暗くてよく見えないが、裾をめくって触れた足は熱を持っている。濡れているせいで血が出ているのかもよくわからない。ただ、足首を曲げようとしてみると、強い痛みが走る。


「あかん…痛い。」


「おぃい、大丈夫かよ。」


「いや、歩くのはいける…と思う。」


「だったら…ちょっと川から離れようぜ。あのクソ女にバレてるかもだし。」

「あ、そっちの窪んでるとこ行こうよ。」

 アメノに導かれて木のうろに体を隠す。


「どうです?ヘイランさんは気づいてそうですか?」


「ちっ、何がヘイラン”さん”だよ!ふん!気づいてないんじゃない!?いないもん!」

 アメノは舌打ちをしながら、木の葉を集めて悠に被せる。

「とりあえず今は休憩しようぜ。これ以上足引っ張られたらメイワクだからな!」


「すみません。文字通り足引っ張りながら歩くことになってしまいましたね。」


「うるさいよ。早く寝ろよ。」


 アメノを怒らせてばかりで申し訳ない気持ちと、足首の強い痛みの中、悠は意識が曖昧になっていく。

 意識を手放す寸前、木のうろから眺めていた光景にはなんだか見覚えがあった。周囲は暗くよく見えないが、小川の位置や生えている木の配置がなんだか——

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