第九話 「初仕事を終えて」
太陽が地平線から少しずつ顔を出し、朝を迎えようとしていた。
しかし、その日はそこに住む野鳥や虫たちにとっては少し珍しい、日の明かりではなく音によって朝を迎える事態になっていたに違いなかった。
山脈の麓、城下町の端のあたりに位置する検問所に、行商の馬車とは思えないような速度で突っ込んでくる者たちがいた。
人が三人と、よくよく見れば小さな羽虫みたいな妖もいる、何だかよくわからない集まりの一団だった。それぞれがそれぞれ別の出身地を思わせる。
検問所の、夜間の来訪者のために念を入れて宿直に詰めている役人の男は、おかしな一団が朝の早くから騒がしくやってきたことで、一日の先行きの悪さを伺わされ煩わしさを覚えていた。
「みなさん!着きましたよ!良かったです、何とか間に合いましたね!」
「お、おう、助かるよ…。あンがとな…。」
「はああー、やっと止まった……。うえっ、気持ち悪る。」
「ふわあ、着いたって?結構早かったな。」
「はああ、お前らは何者だ?行商人、で良いのか?」
役人の男が馬車を見てから、大きくため息をついて尋ねる。
「はい!そうです!おはようございます!」
「あっしかし、この方々は行商の方ではありません!配達人とのことです!」
ニコが馬車から降りて、役人の男に説明する。
「ああ、そういうことか。なら、全員仕事だな。荷物を簡単にあらためさせてもらうぞ。」
役人の男は、荷台に載っている穀物の箱、悠とカッシオの背嚢を軽く覗き見る。
「ま、大丈夫だろ。通って、…ん?ちょっと待て、配達人ということだが、手帳は無いのか?」
「ああ、いや、まだ見習いでさ、正式に契約してもらってなくて、これからなンだ。」
カッシオは少し面倒ごとの気配を感じて、焦って説明する。
「ほう?ご苦労さん。なら、身分証を出せ。」
役人の男はやはり煩わしいことになったと思いつつ、身分証の提示を求める。
「身分証?今まで何度か来たことあるけど、そんなの求められたこと無いぞ?」
カッシオは困惑の表情を浮かべて役人の男につめよる。
「ふん、おおかた納税の時とかだろ。そりゃあお前さんらの村の村長が代わって手続きしていただけだ。」
「つまり、持ってないんだな。じゃあまずは、このまま役場に連れて行くから、そこで作ってもらえ。」
「配達だけ先に済ませるとかは…。」
悠が駄目で元々と男に尋ねてみる。
「ダメに決まっているだろう。町内におかしな奴が入り込まないように検問があるのに、よく分からん奴を自由にさせられるわけがない。」
「あと、そこの妖も一緒に行くんだぞ。」
「あ、僕はこれ、あるんだけど…。」
アメノは自分の乗ってきた荷車から小さな肩掛け鞄のようなものを持ち出して、何やら首飾りのようなものを男に見せる。
「ああ、なんだ。おまえは持っているのか。なら通っていいぞ。」
「アメノは持っているのに僕らときたら…!」
「まあまあ、あなた方は親切な方々です!すぐに解放されますよ!荷物とアメノくんは任せてください!」
「すみませんが、よろしくお願いします。」
「なるべく早く終わらせるから、頼むよ。」
ニコはいつもと変わらない笑顔で悠とカッシオを見送る。しかし、悠にはその笑顔がなんだか遠くに見えた。
———
悠にとって、この世界に来てから初めて訪れる都市は驚きに満ちていた。
町の端に位置する検問所から役場までの道は、白と黒、灰色の石で敷き詰めた石畳の大通りだった。これまで歩いてきた土の道とは違う文明を意識させられる。
そこを通る者たちは大半が人と川下の村で会ったカラたちのように人に近い姿をしている妖ばかりだった。しかし、一部は獣から何か逸脱したような姿をしていた。特に目を惹かれたのはカラスに近い姿をした妖で、何やら言葉を交わしながら町の空を飛んでいる。
朝方だからだろうか。通りには食べ物の良い香りと、湿り気を帯びた生臭いような臭気のような、あるいはいい香りのようななんとも言えない匂いがした。
また、開店準備をしている通りに面した商店の中に、妖専門の食堂もあった。そこの軒下で食事している人の皿には、ほとんど立方体にしか見えないよくわからないものや、どろどろに溶けたねばねばしたものがのっていた。
「お腹、空きましたね?」
悠は食欲が刺激されているのに、食欲の湧かないそれらを見て言う。
カッシオは一瞬驚愕したような表情を浮かべた。
「……人向けの飯屋もちゃんとあるから、そっちで食おう、な?」
「…案外食ってみれば美味いんだがな。」
ぼそりと役人の男がつぶやく。
二人は顔を見合わせ、お互いに目配せし、何も聞かなかったことにした。
役場に着くと、役人の男は門の横にいる警備員に会釈をして二言、三言かわす。
そして、悠とカッシオの二人に向き直る。
「お前らのことを受付に、話を通してくる。そこで大人しく待っていろ。迷惑をかけるなよ。」
ぼんやりと男を待っている間、悠は役場の建物を眺めていた。建物は木造建築で、和に近いが洋風の意匠だった。そして、町の規模に合わせて増築を繰り返したのか、元の建物に覆い被さるように二階が作られていた。二階には広いベランダ、というよりもそこも玄関口らしいスペースがあった。
しばらくすると、男はぼんやりしている二人の元に役場の若い女性を連れて戻ってきた。
「あとは、この方に任せてある。」
それだけ言って、その場の同僚たちに会釈するとそそくさと持ち場に帰って行った。
「まずは、身元確認からです。行きましょうか。」
若い女性は門前の大きな入り口ではなく、建物の奥まった入り口の方へ歩いて行き、二人もその後をついて行く。
まるで悪いことでもしてしまったかのような扱いに悠はなんとなく居心地の悪さを覚えた。
———
役場の手続きというのはどこの世界も煩雑なものなのだろう。とても、時間がかかった。ただ、朝一番の始業前に役場に来れたことで、一番に処理してもらえたため、昼前には一度解放された。
一番の懸念だった悠は、記憶喪失の迷い人という処理になった。ただ、山の村からカッシオと一緒に来たことの証明が難しく、手続きに手間取った。しかし、ゴードン村長か、ボルドーが山の村での災害に関する報告をしていたらしく、悠の名前も見つかったことで事なきを得た。その名前は「サルカー」となっていたが。
——今までハルじゃなくて、サルって呼ばれてたんやろうか。誰が猿やねん!
身分証の発行は明日以降になるとのことで、代わりの書類だけ受け取って二人は役場を出た。
通りに出ると、門の脇の植え込みにアメノが座り込んでいた。
誰かからお菓子を恵んでもらったのだろうか。棒付きの飴を壁に立てかけて時々舐めていた。
「おう、待っててくれたのか。」
「あ?身分証も持たずに逮捕されたあほを誰が待つって?」
アメノが憎まれ口をたたく。
「ニコさんは?」
「仕事があるってさ。預かった荷物は宿に馬と一緒に預けるって。——その宿によう、案内して欲しかったらさー、なあ?」
アメノはにやにやとしながら、代価をせびってくる。
「ああ、その飴もそうやってニコさんに買わせたんですね。次は何が良いですか。」
「そーだなあ、…かりかり指がいい!」
「なンだそりゃ?お菓子の名前か?あンまり高くなけりゃ構わねえよ。」
そんなやりとりの後、二つ目のお菓子を手に入れてほくほくとしたアメノが宿まで二人を案内した。
宿は普通だった。宿の主人も普通の人で、二人の説明を聞き、「ああ、そのことか」と馬車と荷物の場所を教えてくれた。アメノはもう役目は済んだとばかりに、ふわふわと馬の背に降りて眠りについた。
回収した荷物を背負い、二人は「配達のローイン」へと向かう。届け先のハンドマンの住所を聞くためだ。
「配達のローイン」の場所はすでに悠が見つけていた。営業所らしき看板が大通りに面した場所に出ており、店の前で妖艶な白い髪の女性が掲示を眺めて立っていたからだった。こちらも宿同様、普通の建物だった。景観のためか、石造ではあったが。
「こんちは!配達のために届け先の住所を聞きたいンですけど。」
カッシオが建物の扉を開けて入りながら尋ねる。
カッシオの大声を聞いて、大きな背中が振り返る。その人も川下の村にいたトールマンと同じく、赤黒い顔をした筋骨隆々といった男性だった。
「そうですか、届け先は?」
悠が宛先が書かれた紙を背嚢から取り出して、カッシオの言葉を引き継ぐ。
「ハンドマンさんという方です。トールマンさんからの依頼です。」
「わたしです。ここで受け取ります。」
「あ、あなたなんですね。お誕生日おめでとうございます。」
「ひとつお伝えしないといけないのですが、その、酒瓶を一つ割ってしまいました。代わりのお酒は用意しましたので、どうかこちらでお許しください。」
悠の言葉を聞きながら、荷物の明細を眺めていたハンドマンが口を開く。
「ふむ、確かに。代わりの酒はいりません。荷物が壊れることや紛失は往々にしてありますから。いちいち配達人を責めていたら働き手がなくなるでしょう。だから、いりません。」
「ご苦労さまです。」
ハンドマンは終始、事務的な態度のままだった。
おかげで悠とカッシオの二人は目的を忘れて「ありがとうございました」とでも言って帰ってしまいそうになった。
「……手帳は?印はいらないのか?」
ハンドマンが、配達人であれば求めてくるものを求めてこない二人を見て促してくる。
「あ、ああ。そのことなンですが、俺たちは配達人として業務委託契約を結びたいと思って、るンです。」
「うん?やつからの手紙とは違うものも入っていると思えば…。ふむ、そうか。」
ハンドマンは飾り気のない封筒を取り出して開封して中身をあらためる。
「なるほどな。仕事の斡旋、か。——まずはじめに、今回の仕事だけでは、契約はできない。明日の朝にまた来なさい。配達人連中には話しておく。彼らから仕事をもらってくれ。」
ハンドマンはそれだけ言って、自分の仕事に戻って行く。彼の机の上で、こなさないといけない仕事がその存在を主張していた。
悠はもう少し質問をしたいことがあったが、邪魔しては悪いかと思い直し、カッシオに目配せして建物を出た。
一仕事終えたあとだが、思いがけず突然終わりを迎えたそれに、達成感のようなものは感じられなかった。
むしろ明日以降へ引き継がれた仕事の不安というしこりとなった。
行き場を失った二人の気持ちは、同じく行き場を失った酒瓶のように扱いに困るまま残った。




