第二章 第一話「旅立ち」
第二話の投稿は4/24(金)に行います。
どうぞよろしくお願いします。
妙に緑がかった、青というより碧い空の色の中に輝く太陽が草木の影を色濃く地面に焼き付けていた。外を歩けば、太陽の熱で服が暖められてじんわりと汗ばむ、そんな日だった。
悠とカッシオは川下の村への道中をぶらぶらと歩いていた。
川を船で下ることができれば話は早いが、先日の土砂崩れの影響で川沿いを、さらに川沿いの藪を避けて、大きく遠回りして川下の村に歩いて向かわないといけなかった。
——別の世界、別の村、人々、どんな感じなんやろう。
——いずれは旅行がてら村でようかなとは思ってたけどなあ。こんなにすぐに出るとはなあ。
悠は足元の丸くて綺麗な小石をひたすらに蹴って歩きながら、そんなことを考えていた。
***
「あなたたちにお願いしたいことがあるの。」
トリリシャは悠とカッシオに心底申し訳なさそうな顔で言う。
「手紙の件ですね。」
悠はピンときて、少し嬉しくなってしまう。
「なに、ニヤついてンだよ。」
「いや、お世話になった人の役に立てるんです。頼ってもらえて嬉しいってことですよ。」
悠が取り繕うように慌てて言う。
「…いいかしら?…あの人を、ニルスを探すのを手伝ってもらえないかしら。」
トリリシャが二人を眺めるようにしながら、続きを話し始める。
「もちろんですよ。その、ニルスさんはどこにいるんですか?」
「最後に来た手紙の送り元は、内容を見るに、ロンダート領のようなの。」
「ロンダート?何だか聞いたことのある名前ですね。」
「あら、ハル知っているの?別の世界から来たのなら、知らないかと思ったのだけれど。」
「いやぁ、そこの地名に聞き覚えがあるっていうだけなので…。どこら辺です?そのロンダート領って。」
「ここから南西の方角になるわね。ここはアシファラ連邦の端だけどロンダート領はちょうど逆の端になるわ。近道をしようとするなら、海を渡ることになる。ただ船賃がすごくかかるの…。」
悠は自分のいる国の名前を聞いたのはこれが初めてだった。
言葉がわからない悠にとって「ここはどこですか?」よりも「これは何ですか?」の方が大事なことだったから地名を聞いた事がなかった。そうして、なんとなくタイミングを逃して聞いてこなかった。
——ああ、ちゃんと国があるんやなあ。
「——ええと、アシファラ連邦を歩いて…歩いて?陸路で横断するってことですね。」
「歩くのは厳しいな。距離で言うなら——」
「何キロくらいですか?」
「おいやめろ!うわぁ、知識が生えてくる…。さ、3000キロくらいだ……。」
カッシオが顔をしかめながら答えてくれる。
「すみませんね、カッシオ。とってもわかりやすいです。」
悠は笑いそうになるのを堪えながら感謝する。
「て、ことは大阪から静岡?あるいは岡山くらい?が300キロくらいのはずだから、北海道から沖縄くらいまでありません?」
「聞いてます?カッシオ。」
カッシオは耳を塞ぎ、聞こえないようにそっぽを向いてしまっている。
悠はカッシオの肩を叩き、口をぱくぱくさせて「もうしない」と伝える。
「本当にカッシオってすごいですよね。万能翻訳機ですよ。」
「熟練した職人さんとか兵士の人には、そういった超自然的なことができるようになる人もいるらしいわよ。カッシオもそうなのかもしれないわね。」
「超能力!それもあり得そうです!強いていうならサイコメトラーでしょうか!!」
「てめぇ!わざとやってんだろ!」
カッシオが目を剥いて、悠の頭を軽く、しかし衝撃を与えるような叩き方をする。
「もういいだろ、くっちゃべるのは。まあ、なんだ。任せてくれ、トリリシャ。行ってくるよ。」
カッシオはトリリシャの方に向き直り、胸を叩いて言う。
「ええ、任せてください。遠出するのも楽しみです!」
悠もカッシオに続いて、にこやかに、安心してもらえるように笑って言う。
しかし、トリリシャの顔は晴れない。
「…ただ、あの人、ニルスは今傭兵をしているみたいなの。だから——」
「危ない地域にいる、ということですか?」
「ええ、たくさん人が……。だから帰れないって…。」
トリリシャの顔が恐ろしいものを見たかのようになる。
「そういうわけだから、頼んでおいてなんだけれど、断ってくれても構わないわ。あなたたちまで帰ってこれなくなるかもしれないし…。」
「なおのこと行ってやらねえとだろ。帰れねぇンだったら、手伝ってやらねえと、友だちじゃないだろ。」
「そ、そうです。一人では無理でも何人かで取り組めば大体のことは何とかなるはずです。」
「でも、お礼に返せるものもないし……。」
「…良いんです。頼ってください。僕はこの世界に来てあなた方に助けられました。それこそ命を助けられたと言っても過言ではありません。恩に報いたい。手伝わせてください。」
「ありがとう、本当に厚かましいのはわかっているんだけれど…。あの子たちのためにどうか、お願いします。」
トリリシャは両手を祈るように合わせ、深く頭を下げた。
悠はトリリシャの様子を見て、「頭を下げなくても良いのに」と思ったが、その真剣さに水をさすような気がして、何も言わずただ深く頷くことにした。
***
山の麓の拠点を出たのは、昨日の昼過ぎだった。
後ろを振り返れば、懐かしい山々が遠くに見えるが、目的地の川下の村は姿形も見えない。
道は川に沿って伸びているはずなのに、水音は遠い。
代わりに聞こえるのは、草を踏む音と、時折りどこかで跳ねる小さな生き物の気配だけだ。
「これから、夏、ですね?」
悠が確かめるように呟く。
「ン、今年も暑くなりそうだ。」
前を歩くカッシオの腰では、棒状のお金を入れた袋がぶら下がってゆらゆらと揺れている。
この世界の通貨は棒状のお金が使われているらしかった。カッシオに初めて見せてもらった時、麻雀の点棒を想起した。価値の低いものから、「シュ」「ヨー」「クン」というらしい。64進法などというややこしい数え方をする。「1クン=64ヨー=4096シュ」だそうだ。
悠は早々に覚えるのを諦めて、路銀はカッシオに任せることにした。
悠は歩きながら、川辺に生きる人々のことを思い浮かべていた。
山の麓の拠点に復興手伝いで来てくれていた、川下の村のキルケに聞いたところ、大河で素潜りの漁をして生計をたてている村とのことだった。
悠は日本では決して見ることのできなさそうな光景を瞼の裏に思い描きながら、自分がこれから目にする風景が、どんな色をしているのかを楽しみにしていた。
「そろそろだぞ、多分。あの大岩が見えたらすぐのはず。」
カッシオが顎でしゃくった先には、火山岩らしきぼこぼこと穴の空いた大岩が川の真ん中に突き刺さるようにそびえていた。
「あれ、火山岩ですか?」
「あ?さあな。知らねぇ。」
「あ!ほら、見えたぞ!あれが川下の村だ。」
カッシオが指で指し示す先には川の中洲の周りに乱雑に建てられた家々があった。川沿いにはガマの穂のような背の高い植物がたくさん生えていて、すぐそばまで来ないと見えない。
悠は今まで蹴っていた小石を草むらに蹴り込んで少し歩調を速めた。
「ついに川下の村ですね!みなさんどんなふうに生活しているんでしょうか?楽しみです!」
「そりゃ良かったな。とりあえず村で一泊して、次の村までの道を確認しねえとな。」
「宿があるんですか?」
「あるわきゃねぇだろ。と言っても、空き家とか蔵があるからな。誰かに金を渡して良さげなところで寝させてもらうンだよ。」
「まあ、この村にはアテがあるから大丈夫。手土産もあるしな。」
カッシオが背嚢を指さして笑う。
村まで近づいていくと、川沿いは綺麗に整地されており、中洲までは飛び石が置かれていた。
ただ、先日の土砂崩れの影響があるようで、流木がまだ少し引っかかって残っていた。
「川下の方も大変だったみたいだな。」
カッシオが眉を顰める。
すると、どこからか声が聞こえてきた。
「大変なんてもんじゃないよ。川の濁りがいつまでも取れないし、魚は引っ込んじまってさ。」
若い女性が川から顔を出していた。彼女は飛び石に腰を下ろして、結い上げられた長い髪の毛を下ろす。濡れた髪は青みがかった黒で、滴る水が陽光できらきらと光る。そして、やはり指の間には水かきのような薄い膜があった。
「久しぶり、カッシオ兄。どしたの、夏になる前に来るなんてさ。」
「久しぶり、カラ。ちょっと遠出しようと思ってな。とりあえず、一泊させてもらうぜ。ミズタは、仕事中だよな?」
「うん、兄ちゃんはまだ戻らないよ。うちはカッシオ兄も来たし、お昼にしよっかな。」
「そっちの人は?」
「悠だ。は・る・か、な。」
「よろしくお願いします。悠です。みんなにはハルって呼ばれることが多いです。」
「そ、よろしく。うちはカラだよ。」
カラは事務的に少し微笑み、挨拶を切り上げる。
カラはカッシオの腕を抱いて村へと引っ張る。
「ねぇー、カッシオ兄。遠出ってどこまで行くのさ。あと、今年は来るの早かったじゃん?うちの好きなアレ持ってきてくれた?」
「あぁ、あれな——」
カラはカッシオに好意があるのだろう。すごく距離が近い。悠は少し居心地の悪さを感じつつも、二人の後ろを着いていく。
——あんな可愛い子がカッシオのこと好きなんや。隅におけへんな、カッシオも。村ではあんな子のこと全然聞かへんかったけど。
悠たちはカラの家に案内されて歩いていく。カラの家は中洲の下流側だった。高床式という建築様式になるのだろうか。家は半分ほど川の上に建っており、家に上がらせてもらうと涼やかな川の音が聞こえてきた。
「夏は涼しげで良いですね。」
悠はにこにこと辺りを眺める。
「冬はちょっと寒いけどね。そんなに興味あるんだったら狭い村だけどさ、あとで案内したげよっか?」
カラは悠の様子を見て少し笑って言う。
「いや、悪いですよ!」
「カラはサボりたいだけだろ。それより地図が見たいンだ。」
「バレたか。まあ地図は後で用意したげるからさ、ご飯にしようよ。」
カラはさっと立ち上がって炊事場へ向かった。
「あ、お金…。」
悠がカラの背中に声をかけるが、聞こえなかったようでそのまま行ってしまった。
「こういうのは家長に渡すもンだからな、あとあと。」
カッシオが悠の心配にあっさりと返し、背嚢を再び担いで炊事場へ行ってしまった。
悠は「すっかり色々とタイミングを逃してしまったな」と思いつつ、二人の背中を眺めながら大人しく座っていることにした。
カッシオが背嚢から何やら干した果物らしきものを取り出して、カラは嬉しそうにきゃあきゃあ言っている。
すっかりこの世界に馴染んだつもりでいたけれど、まだまだ新参者なのだと思い知らされたような感じがして、悠は少し寂しく感じた。




