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間話 下 「トリリシャの記憶」

間話はこれで完結となります。

第二章 第一話の投稿は4/22(水)に行います。

よろしくお願いします。

 アイネが産まれてからの日々はとても大変だったけれど、とても楽しい思い出に溢れていた。


 生まれてすぐのアイネはあまり泣かなくて心配だった。だから、ニルスと一緒に川下の村まで連れて行ってお医者さんに診てもらったけれど、ただよく眠る穏やかな子だって言われて安心したこともあった。


 一歳を迎える冬の寒い日にはじめてお喋りした時は、家族みんなでお祝いをした。カッシオも向かいから聞きつけて来てくれて、「早いけど」と言いながら誕生日のお祝いに絵本を贈ってくれた。きっと安くはないのに。


 アイネはその後もすくすくと育ち、三歳を迎える頃にまた子どもを授かった。


 アイネはトリリシャのお腹が大きくなって来たのを見て目を丸くしていた。

「おかあさんのおなかすごくおおきいねえ。」


「この中にはねえ、赤ちゃんが入ってるの。」

「アイネちゃんはお姉ちゃんになるのよ。」


「ふうん?どんなこかなあ。たくさんあそべるといいね。」

 アイネは不思議そうな表情を浮かべて首をかしげていた。


———


 紫薫草の花が咲きはじめた頃、トリリシャは産気づいた。その時トリリシャはリオーネと調理場に立ち夕食の準備をしていた。


「あっ!つつっ、お母さん、産まれるみたい…!」


「あら、大変!——ちょっと!おとうさあん!産まれるって!」

 リオーネが窓の外に叫ぶと、畑仕事をしていたトールが慌てて走ってきた。


「産まれるだと!?待っておれ、すぐ婆さん連れてくるから!」

 トールはそれだけ言って、村の産婆を呼びに行った。道中大声で「孫がまた産まれるぞお!」と叫んでいて、痛いのに少し笑ってしまった。


 しばらくすると、産婆と、一緒にいたというミランダが駆けつけてくれた。ニルスはカッシオと一緒に山からのんびり帰ってくるところをトールが捕まえてきた。


「もうすぐ産まれるって!?」

 ニルスが嬉しそうな顔でトリリシャが横になるベッドの前に立つ。


「邪魔だよ!どきなっ!男どもは外で祈ってな!」

 ミランダの一喝でニルスとトール、カッシオは外に追い出されていた。


 その夜はとても長い夜だった。産婆の言う通りにいきんで、少し休んでを何度も、何度も繰り返した。辛かったけれど、赤ちゃんに早く会いたかったから頑張った。


 月が真上に来る頃、産婆がリオーネに告げた。

「この子は……。」


 リオーネの顔が真っ青になるのを見て、トリリシャは不安になった。

「ふ、ふう。ど…うしたの?お母さん。赤ちゃんに何か…?」


「だ、大丈夫よ。心配いらないわ。」

 リオーネは泣きそうになるのをぐっと堪えているのを隠しきれていなかった。


「ニルスを連れておいで。」

 産婆がミランダに呟くように伝え、彼女は小さく頷いた。


 ニルスが部屋に招き入れられるのを見た産婆は静かに二人に告げた。

「この子は…難しい子だ。逆さまに産まれてきちまってる。」

「あたしも頑張るけど、……覚悟が必要だよ。」


「そんな!なんとかならないのか?」

 ニルスが真っ青な顔になって産婆に詰め寄った。


「絶対だめってわけじゃあない!でも、ね。運命ってやつはあるんだよ…。」


「あ、あのね?おばあちゃん、わたし、わたしね?赤ちゃんに会えるのすごく楽しみだったの。アイネちゃんがお姉ちゃんになって二人が仲良く遊ぶの。きっとすごく幸せだわ。だから——」

「だから、わたしは死んじゃっても良いから、この子をわたしたちの家族にしてあげてください…!」


「馬鹿なことを言うんじゃあない!あんたはこれから二人の子どもの母親になるんだよ!死ぬなんて、そんな…。滅多なことを言うんじゃあないよ!」

 ミランダがトリリシャを叱りつけるように言うが、その目には涙があふれていた。


「うん、わかってる、わかってるけどね?ミランダねえさん。きっと、きっとお願いね?」


———


 その後のことはもうよく覚えていない。ただ、赤ちゃんの泣く声が聞こえてきたのと、窓の外の川の水面が明るく輝くのが見えた気がした。


 明け方に、ふと気づくとトリリシャは、自分の体が頼りない淡い光をふわふわと漂わせているのに気づいた。それを見て、「ああ、わたしはやっぱり死んじゃったのね」と思った。


「そうだ、赤ちゃんは!?」

 トリリシャが声を上げると、ベッドの横で俯いていたニルスが顔を上げて、「やはりそうなってしまったか」という顔をして答える。


「うん、産まれたよ。めでたいのと悲しいのが同時なんて、な。神様って本当にいんのかな?」

 ニルスが泣きながらトリリシャの手に触れようとする。しかし、その手と手が触れ合うことはもう二度と無いと確かめることしかできなかった。


「……。」

 ニルスは何も言わないまま、しばらく目を伏せていた。


———


 テオが生まれて一月ほど経った日の夜、食卓でニルスは出稼ぎに行くと言い出した。


 これまでの一家の家計はトールとニルスが主に、そしてトリリシャとリオーネも協力してなんとか賄えている状況だった。しかし、トリリシャは幽霊となり、リオーネが二人の元気盛りの子育てに専念しなければならなくなっていた。

 トールが蓄えを少しずつ崩すのを、ニルスは黙って見ていられなかったようだった。


「義父さん、義母さん、トリリシャ。聞いてくれ。俺は出稼ぎに行こうと思うんだ。義父さんは何も言わないで金を出してくれるけど、それじゃいつまでそれに甘え続けるんだって、俺は…。」

「だから、俺が外で稼いでさ、結局迷惑かけんのは変わんねえけど、義父さんと義母さんとトリリシャの三人で、あいつらを、アイネとテオを育ててやって欲しいんだ。」


「そんな…!それだとあなたが——」

 

 トールがトリリシャの言葉を遮りニルスに尋ねた。

「ニルス、お前はそれで良いのか?この子らはまだ幼い。きっとお前のことは忘れてしまうぞ?」


「構わ、…ふう、構わないさ。覚悟の上だ。馬鹿親父はどこぞをほっつき歩いてるからって、いずれ帰ってきたら殴ってやれって、そう言ってくれたらいい。」

「トリリシャ、ごめんな。ずっと一緒にいるって約束、破ることになって。」


「そんな、一番辛いのはあなた、…じゃない。」

 幽霊であるトリリシャの目に涙が流れることは無かったが、彼女の体の淡い光がそれを物語っていた。


「そんなことはないさ。俺はいずれ帰ってきたら、子どもたちを、抱きしめさせてくれるかはわかんねえけど、抱きしめられるだろ。君は…。」

「まあ、そんなに深刻ぶんなくって大丈夫。どかっと稼いでくりゃあ、一年くらいで帰ってこれるかもしれねえし。」


「おとうさん、どこかいくの?すぐかえってこられないの?」

 アイネが大人たちの不穏な様子を見て、不安げに尋ねた。


「んー、そうだなあ。アイネがお姉ちゃんになって、たくさんかしこくなって、お母さんみたいな美人になった頃には絶対に帰ってるさ。」


「よくわかんない…。はやくかえってきてね?」


「うん。できるだけ早く帰るよ。」


「子どもたちのことはわたしに任せてくれて大丈夫だけど、本当に行くの?ニルスさん。」


 リオーネが抱くテオをニルスが受け取りながら答えた。

「もう、決めたから。ありがとう義母さん。迷惑かけてごめん。」


 その日の夜が家族みんなで囲んだ最後の食卓となった。温かったスープが冷えきるまでみんながニルスとできるだけ会話をしようとした、そんな夜になった。


———


 次の日の朝、ニルスは朝早くに家を出た。「アイネとテオの顔を見ると先延ばしにしてしまいそうだから」と言って、子どもたちが目を覚ます前に出発した。


 花壇には紫薫草が満開に咲いていた。湿った土の匂いと爽やかな甘い匂いが立ち込める夏の朝のことだった。

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