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深淵からのぞいていたのは、あくまでも神でしたか?  作者: Yuzuki
第一章 「死者と共に暮らす村」
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第十九話 「最後の登山」

第二十話の投稿は4/10(金)に行います。

どうぞよろしくお願いします。

 夜明けの雨は昨夜ほどの激しさは無くなっていたが、あたりは水浸しで、普段歩いていた道には泥と折れた木が積み重なっていた。

 足を置けば膝まで泥に沈み、何かに捕まろうにも確かなものはなかった。

 しかし、進まないという選択肢はカッシオたちに残されていなかった。


「行くも地獄、戻るも地獄ですね。」

 悠は眉をしかめて目を細める。


「なら、進むしかあるまい。」

「人死にをあまり出さずに済んでいるが、それも今日までだろうからな。明日には我らの仲間が増えてしまいかねん。」

「わたしたちを誰かが見れば、死者の行軍という感じでしょうね。」


 村にいるすべての、といっても悠のよく知るトリリシャたちを除けば二、三人の老人の霊が同行していた。


 悠は、カッシオをちらりと見てから、誰に向けたとも知らない声で問いかけた。

「そういえば、昨夜サラビに襲われた時、死ぬかと思ったんですが——」


「気をつけろよ、ハル。お前は何というか少しひ弱だからな。」

 トールが悠の話に口を挟む。


「えぇ、気をつけます。その時思ったんですが、僕も死ねば幽霊になるんでしょうか?そもそも幽霊ってどういう状態なんですか?幽霊もいずれ消えてしまうなら、そのあとは死後の世界みたいなものに行くんですか?」


「なるかどうかはお前次第だろう。」

 悠の出自を知らないライエンは、悠の言いたいことを測りかねていた。


「幽霊が何かって言うと?死んだけれど寿命が残っていた人たちって答えでいい…かしら?」


「それは完全に命を落としたという状態ではないということですか?つまり、生きているとまでは言えないけれど、通常の死とは少し違う?」


「何が聞きたいんだ?よくわからないんだが。」


「えっと…龍も言っていた”気”とかいう謎の物の正体と幽霊って関係あるのかなって思ったんです。」

「龍は”気”を乱して体調を崩したと言っていました。そして、カッシオの体に馴染んだという”気”。そして幽霊。僕にはこの三つの謎の物の本質というか、分類というか、は同じ物なんじゃないかって思ったんです。」


「……同じ物…。生を象徴する”気”、生を拒む”気”、寿命の”残り”。」

 トールは目を伏せ考え込むように低く唸る。


「それがわかったところでやることは変わンねえだろ…。龍を殺すってことにはよ。」

 カッシオは後ろを振り返ることなく、足を進める。

 

「そう、ですね。気になっちゃって。足元が悪いんです。集中します。」


 悠の言葉を最後に沈黙が広がった。ぐちゃぐちゃという泥の音だけが響く。

 体力ばかり奪われて進むのが難しい道は悠とカッシオを肉体的にも、精神的にも追い詰め始めていた。


———


 どの程度まで進めたのだろうかと振り返り、山を見下ろす度にがっかりするのを何度か繰り返したころ、悠は違和感を覚えた。

「土砂崩れがあったのは、そうなんでしょうけど、草花が枯れてませんか?」


「うん?確かに枯れておる。冬どころか夏にも早いのに…。龍の気の影響か。」

 トールは眉をひそめる。


 トリリシャは自分の手を太陽にかざすようにして見る。

「気がここまで漏れて来ているなら、わたしたちもそろそろまずいかもしれませんわね。…そう、カッシオは大丈夫?」


「お、俺は大丈夫…!」

 自身の無事を伝えるカッシオの様子は、傍目にも無事には見えなかった。額からは汗を流し、顔が青くなっていた。


「カッシオ!大丈夫ですか?苦しいなら苦しいと——」

 悠がカッシオの肩を支える。


「早く行って終わらせねぇと…!」


「あと、いくらか登れば釣り小屋があっただろう。風穴が近いがこの前サラビはおらんかったと言うておったな。そこで休憩したらどうだ?」

 トールがいつもの調子ののんびりとした声を出すが、顔は険しく見えた。


「それが良いわね。無理しても失敗するだけだわ。」


「そうですね。休憩しましょう?カッシオ。龍のところまで背負ってなんて行けませんよ?面倒だから一人で歩いてくださいね。」


 カッシオはいつか自分が悠に言った台詞を聞いて、青い顔に少しだけ笑みがこぼれた。

「…あン時は…下りだったじゃねえか。」


 悠がカッシオの肩を支えながら、土砂が比較的に少ない岩場を登り切ると、カッシオの釣り小屋が崩れてぐしゃぐしゃになった物が散乱していた。

 また、この辺りに係留していたはずのカッシオの小舟は、流されてしまったらしくどこにも見当たらない。土石流に巻き込まれたのか、係留していた綱は途中で断ち切られていた。


「小屋がぐっちゃぐちゃに…。舟も流されちゃったみたいですね。綱だけ切れて残ってる…。」


「…川の側だからな。座るくらいなら十分だ。とりあえずわしが風穴を見てこよう。」

 ライエンがさっと風穴に向かう。


 しかし、ライエンは数分もしないうちに戻ってきた。

「——ダメだ!サラビどもがうじゃうじゃおる!」

「傷ついているからか、動きは鈍いがとても近づけん。ここもすぐに離れんとまずいかもしれんぞ…!」


「でも…!カッシオが…。」

 悠はカッシオの様子を伺うために目を向ける。


 カッシオは視線を落としたまま、唸るように言う。

「まだ、行けるさ。進もう。山頂に近ければ崩れてるところも少ねぇだろ。」


「ここから先はもうお喋りもやめたほうが良さそうね。いざとなればわたしか、お父さんが声をあげてサラビを誘導するわ。」

 トリリシャたち幽霊もそろそろ厳しさを感じているはずなのに、そんな気配を感じさせない声音だった。


「わしらが見ておるから、足元だけしっかり注意して進むがいいぞ。」

「お前たちに肩を貸すこともできんからの。何かあればすぐに知らせてやるさ。」

 老人たちも穏やかな声で励ますように言う。


「ありがとうございます。お願いします。」


———


 そこから、さらに二、三時間かけて岩場を登り進めようやく腰を落ち着ける場所までたどり着いた。


 道中はやや危ない場面もあった。サラビたちが土砂に埋まっていて、そこを踏んでしまったのだ。誰もが泥だと思っていたものが蠢きだした時は精神にくるものがあった。

 しかし、サラビも傷からか、はたまた漏れ出た気によるものか、衰弱しておりその場を離れれば追ってくることは無かった。


「サラビたちも流石に弱っていましたね。この無茶苦茶な足場の中で襲われればおしまいでした。」


「いっそのこと、龍を殺しに行かず放っておいても良いのではないか?」

 トールは背後の岩場の下を覗き見る。


 ライエンはトールの楽観視を諌めるように言う。

「だが、草木は枯れ、わしらも存在が薄らぐこの環境下だぞ。サラビがいなくなっても生者に影響が出始めるのも時間の問題だろう。ハルは、まだ何ともないのか?」


「気分は良くないですが、疲労か、気に当てられたものかはよくわからないです。寿命が減っていたら嫌ですね。」

「というか、そろそろ皆さんも危ないなら同行はここまでで結構ですよ?まだ、この世に留まるのには理由があるからなんでしょう?」


「留まる”理由”を失っては本末転倒だわ。だから一緒に行く。」

 トリリシャは同行の続行を申し出る。


「…でも、サラビもあの様子なら、ここから沼までに脅威はもう無さそうですし…。失敗したときは村人みんなで何とか山を下りないとです。また、幽霊の皆さんの力が必要なはずですから、ここまでで大丈夫です。ありがとうございます…!」


「そう、だな。わしらの役目はそうだ。あとは彼らに頼もう、トリリシャ。」

 ライエンは少し逡巡をしたが、同行を断念すべきだとトリリシャたちに告げた。


「でも、心配だわ。カッシオやハルに何かあったら……。」


「わしらには何もできん。所詮は死者だからな。彼らが危ない目にあっても見ているしかできんよ。」

「情ではなく、理屈で割り切らねばならん。辛いだろうがな。」


「大丈夫ですよ、トリリシャさん。僕らは死ぬつもりはありません。ねぇ、カッシオ。」

 悠は念を押すように、カッシオに言葉を投げる。


「…あぁ、そうだな。」


 トールはそんな話をしている中を割り込み、こともなげに全員に告げる。

「すまんが、わしは龍に尋ねたいことがある。わしらは行かんような話をしておったところだが、わしだけは同行するぞ。」


「大丈夫なんですか?近づいても。」


「死にたてだからな。すぐには消えんだろう。」

 トールは柔らかい表情をしているが、その目は誰とも合わせなかった。


「お父さん、本当に平気なの?」


「平気だ、と言いたいが何とも言えんなぁ。だが、あの子らにはジジイより母親が必要だ。わしはやらねばならんことをしに行くだけだよ。」

 トールは顔を上げて慈しむようにトリリシャを見る。


「何をするつもりかわからないけれど、きっと帰ってね?お願いよ?いなくなったら、お母さんになんて説明すればいいかわからないもの。」

 トリリシャは懇願するように言う。


「ああ。そろそろ行こうか、カッシオ、ハル。」

 トールはトリリシャの言葉に明確な返事をすることは避けた。


 悠は少し戸惑い、反応が遅れる。


 しかし、カッシオはすぐに言葉を返す。

「あぁ、休憩はもう十分だ。行こう。」

 カッシオが立ち上がる。


「きっとみんな無事に帰るのよ!わたしたちはここで待ってるから!」


 悠は何も言えなかったことに後々に後悔を覚えそうだと思った。しかし、結局何も言葉にすることは無かった。

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