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深淵からのぞいていたのは、あくまでも神でしたか?  作者: Yuzuki
第一章 「死者と共に暮らす村」
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第十六話 「対話」

第十七話の投稿は4/4(土)の深夜に行います。

どうぞよろしくお願いします。

 夜の匂いが濃くなる。湿り気を帯びた空気が肌にまとわりついてくる。

 それに伴うように、悠たちの息づかいは浅くなっていた。


「…ハル、カッシオ。始めるぞ…。」


 悠とゴードンが五メートル程度の枝を押し出していく。カッシオが枝の尻と頭を繋いでいき、枝の先端につけた釣り糸で操作する。


 悠たちの策は音を出さないように慎重に、しかし着実に進められていた。


 ずずずっ、ずずっ。

 小さな擦過音が夜気に溶ける。


 最初に繋いだ枝同士は繋ぐ糸が耐えきれずぷつりと切れた。押し込む枝は平らに見えた地面の小石に何度も引っかかり思うように進まない。

 枝も完全に真っ直ぐの棒ではない。思う方向に進んでくれない。

 息を殺し、額に汗を浮かべながら作業を進める。


 三人は工夫を重ね、慎重に角度を調整し——。

 やがてようやく、枝の先端が沼へと届いた。


「…はあぁ。では、”贈り物”を届けるとしよう。」

 枝の先端に取り付けた、釣り針を加工して作った輪に通しておいた釣り糸と”贈り物”を繋ぐ。大きな釣り竿を作った格好だ。


「ええ。」


「……よし、くくりつけたぞ。」


 三人は視線を交わし、微かに頷く。

 “贈り物”は夜の闇に飲み込まれるように滑り、静かに、音もなく沼に沈んでいった。


———何か、反応はあるだろうか?

 沼に落としただけでは気づかれない可能性もある。

 そもそも贈り物ではなく、漂着したゴミだと思われてしまうかもしれない。


 悠がぐるぐると頭の中で思考を巡らせる。

 しかし、どれほど耳を澄ませても、沼は黙したままだった。


「……無反応、ですね。最悪だ…。」

 悠が顔を顰めて頭を掻きむしる。


 誰も動けない。

 時間だけが、じわじわと積もっていく。


「……どうする?」


「……。」

 ゴードンは答えず、ただ沼を見ていた。


 やがて——


「…裏を返せば、サラビのように食欲にとらわれるようにして理を失っているわけではないということだろう。」


「でも、どうすンだよ…。行く…わけには——」


「…行くしかあるまいの。多少の刺激でさえ気づかぬほどなら、猛獣のように荒れ狂っているわけでもない。比較的安全と知れただけでも良しとしよう。」

 そう言いゴードンはゆっくりと立ち上がり、沼に向かって歩き出す。


「……ふ、くぅう。…すまん、親父。頼むよ。」

 カッシオは喉を絞るようにして、その背に声をかけた。


「任せておけ。」

 ゴードンは振り返らず、ただ一言を残し、沼へ向かう。


 悠の持つ松明の火が小さく揺れ、ぱちっ、と火のはぜる音がした。悠かカッシオか、どちらかの唾を飲み込む音が聞こえる。


「龍よ!!贈り物は受け取ってもらえただろうか!!願わくば話をさせてはもらえんだろうか!!」


 ゴードンの声が夜の闇を割くように、森の中で響きわたる。


「……。」


 沈黙が、ひどく長く感じられた。


——そのとき。

 大地が低く鳴動するような、重く湿った音が沼の底から響いた。

 山がみじろぎするかのような、そんな質量のある音。


 黒い水面が、ゆっくりと盛り上がる。

 水がその者のために、その場所を空けるかのようにして、龍の顔が現れた。

 

 その動きはあまりに緩慢で、感情を読み取ることは難しい。

 だが、その姿は荒ぶる怪物ではなく——むしろ、長い病に伏せた者のような、苦痛を帯びていた。


《…山に住む人らの長か。すまぬ、お主らには辛い思いをさせているであろうな。》


 声は確かに”音”だった。胸の奥に響くような重低音。

 その音からは、害意や威嚇の色はなく、ただ静かに疲れた響きがあった。


《”贈り物”には気づいておらなんだ。しかし、確かに受け取った。そこらにある者どももこちらに来るが良かろう。力は衰えているが、お主らを守る程度は造作もない。》

《そして——話し、であったな。まずは聞こう。》


 悠とカッシオは、恐る恐る木々の間から姿を見せ、沼の縁へ進む。ライエンとトールもチラリと顔を覗かせたが、やはり近づくことはできず、遠くで首を振った。


「カッシオ、大丈夫ですか?」


「あぁ、大丈夫。」


 そして、二人の到着を見届けたゴードンが再び口を開く。


「対話の機会をいただきありがたく存じます。話というのは……、サラビらの異変はなぜ起こったものか、あなた様が指示なさっているのであれば、その理由を。我々が求めることは、ただ元の平穏な山に戻ること——それだけです。」


《うむ、結論を言えば我の指示ではない。だが我に起因するものがあやつらを狂わせておる。》

《お主らは気づいておらぬようだが……、山に”異物”が入り込んだ。それが我の気を乱し、その乱れによる不調が、サラビらが理を失う原因となった。》


「”異物”……ですか。我らに何かできることはあるのでしょうか?」


《無い。我が解決するまで待て……と言いたいところだが、一つある。》

《そこの妙な男が我を殺せば元に戻ろう。》


 ゴードンとカッシオが悠を横目でちらりと見る。


「……!?」

 聞く体勢だった悠は声が出ず、必死に首を振って否定する。


《その者ではない。そちらの男だ。》


「……はっ?俺?」


《先ほど言った、”異物”がお主の体には馴染んでおるようだ。》


「俺は……その”異物”なンて知らねぇし、見たこともねぇンだが?何かの間違いだろう?」


《間違いではない。”異物”とは、この世のものではない、生命を拒絶する気だ。》

《それゆえに我の尽きぬ気と混じらず、食いつぶされ続けていた。だが、お主の体にはその気が上手く調和したようだ。》


「お、おぉ…。そうか。よくわかンねぇけど。」

 カッシオは不安げに自分の腕や顔を触ったりする。


「先ほど、あなた様はカッシオなら、その……、命を奪えると言っておりましたが……。」

 ゴードンが話の続きを促す。


《うむ、そこの男、カッシオであれば混じらぬはずの気を混ぜて、異変の原因である我を殺しきれるであろう。》

《自死できれば良いのだが……。我自身は生命力そのものと言える。死ぬということがまずできないのだ。》


「……それで、俺にあんたを殺せって言うのか……。」

 カッシオは顔をしかめ、低い声で唸るように言う。


「あのあの!命を奪わずに済ませることはできないのでしょうか?例えば龍様がその気で辛いのはわかるのですが、いずれその、…病気が治るような感じで……。」

 

《治ることはない。我の気とその気がぶつかり合う状況が未来永劫続くこととなろう。》


「…ですがっ!先ほど解決できるようなことをおっしゃって——」

 悠が食い下がる。


《自死の方法を探し、その気諸共に消滅するつもりだった。》


「お、俺は……。あんたを殺せ、ない。」

 拳を強く握り込む音がする。


「…生きるために殺すのは仕方ねぇよ。魚も獣もいい気はしねぇけど、食うためだ。」

「けど、あんたは話ができるし、俺が食うためでも、襲ってきたわけでもない奴を殺せるかよ……!」


「……無理だ。」

カッシオは吐き捨てるように言い、苦しげに額を押さえた。

「筋の通らねぇことは……できねぇ。そんな殺し方したら……俺の中の何かが壊れちまう……。」


《強制はせぬ。ただ一つの手であるだけだ。あとは好きに決めろ。時間があるならな。》


悠は震える声を押し殺しながら口を開いた。

「ひとまず……戻りましょう。ね?今ここで決める必要はありませんよ。他の方法も、きっと……探せますって。」


——しかし、見つからんかったらカッシオが嫌と言っても、やって貰わなければならん。


——何と言って説得すれば良いというのか……、頭の痛いことだ。


 ゴードンはそう思ったが、口にはしなかった。


 その後、ライエンとトールと合流し、一行は来た道を再び歩いて戻る。


 気づけば、山の端に陽光が再びかかり、金色の線を描いていた。

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