第十五話 「犠牲ではなく策を」
第十六話の投稿は4/2(木)に行います。
よろしくお願いします。
——村を出て数時間は経っているだろうか。
カッシオは山の端にかかる夕陽を見て焦っていた。出発する時刻は遅くなってしまっていたが、日が沈む頃には目的地へ着ける——そう踏んでいた。
しかし、迂闊だったのは、自分たちが連日の激動に疲弊しているということを見積もるのを忘れていたことだ。老齢のゴードンが平然と山を登れているのがむしろおかしい。
——どんな体力をしてンだこの爺さんは。
「カッシオ、そう焦るな。確かに夜に山に入るのは危険だろう。しかし、一番危ないやつは夜は村に行くはずなんだから、いつもと変わらぬ危険さだろう。」
トールが横目で彼を見ながら声をかける。
「はっ、笑えねぇよ、トールじいさん。」
それでも、カッシオの顔からは険が取れる。
「どうします?黒い沼まで休まず進みますか?いずれにせよ、今晩中の解決は難しいと思えば、無理に急がず夜は休むのも手かもしれませんよ。」
悠がゴードンを見やりながら、休息を提案する。
「トールの言う通りなら、川沿いを避ければ山を登り下りするサラビには出会わずに済ませられるしな。」
ライエンも生者の様子を見て、気づかう。
しかし、ゴードンは現実を淡々と見据える。
「あやつらが夜行性らしいというのは、ハルも言っておったな。だが、狂ってしまっている今、昼は出会わないとも、川沿いを避ければ安全とも言えんだろう。」
「もちろん、お主ら若者が老人のわしよりも疲れて動けんというなら休んでも良いぞ。」
全員がゴードンを気づかっていることを察して、彼はまだまだ元気であることを主張するように軽口を叩いてみせる。
「まあ、今のペースで進めるなら日が沈むのは変わらンだろうが、米が蒸し上がるより早くつけるだろうさ。」
「やめてくださいよ、そんなお腹が空きそうなこと言うの。……あぁダメだ。忘れようとしてたのに。」
悠が呻くように言う。
トールが二人の様子を見て、少し笑った。
「軽食だけ摂ったらどうだ?用意の良いカッシオのことだ。つまめるものくらいはあるんだろう?」
「まぁな。こないだ釣ったツァルを干して燻してみたやつを持ってきといたンだ。近くの狩小屋で飯だけ済ませるか。ちょっと見てくるぜ。」
そう言うなり、カッシオは茂みに消えた。
———
カッシオが安全確認で先行してから、数分で戻ってくる。特に問題はないとのことで、一行は彼の案内で狩小屋で小休止を取ることとなった。
「本当に器用なものだな、こういうものを作らせると。その道の職人か何かかと思うよ。」
ゴードンが干物を軽く炙ったものを食べながら、褒める。
「そういえば、聞きたかったんですけど、お二人は親子なんですか?カッシオが”親父”って呼んでましたよね。」
「いや、俺は捨て子なンだよ。で、ゴードンさんに拾ってもらったンだ。」
「何度も言うておるが、お前さんは”預けられた”のだ。捨てられてなどおらん。」
「でもよ、会いにきてくれたことねぇし、捨てるための方便だろ。ゴードンさんが俺の父親だよ。ただ、ボルドーが次の村長になるのが筋だし、ややこしいから村長の家系から外れたんだよ。」
「わしもボルドーも気にせんと言うとるんだが、変に意地っ張りなんだ、この男は。」
「昔は、親父親父と後ろをくっついて回っておったな。懐かしいもんだ。」
トールが懐かしむように目を細める。
「それなのに今は”ゴードンさん”だなんて他人行儀に呼んだりしてな。」
ライエンも、責めるでもなく口にする。
「あぁ、うるさいうるさい。家系から外れたンだから、親父って呼ぶのもおかしいだろ?俺がそうすべきだと思ったからそうするンだ。」
「ふふっ、カッシオはみんなに好かれてるんですね。」
悠が和やかに言う。
「もうそろそろ飯も食い終わって、元気出ただろ?これ以上暗くなる前に出発すンぞ!」
話をさっさと切り上げたいのが見え見えの態度で、立ち上がったカッシオは小屋を出る。
ゴードンはみんなと目線を交わし、やれやれというように首を振る。そして、一行はカッシオを追いかけるように黒い沼へ出発した。
———
日はすっかり落ちて、手に持つ松明が無ければ歩くことが難しくなった頃。
「そろそろだ。例の沼がある窪地の近くのはずだ。」
カッシオが周囲の景色に視線を向けながら告げる。
「体調はどうですか?」
悠の心配をよそに平気な顔をしてカッシオは答える。
「今はなんとも。疲れちゃあいるが、倒れるような感じはねぇな。」
「サラビがいるかどうか先行して見てこよう。トールは残って、周囲の警戒をしてくれるか?」
ライエンは深く息を吐き、沼の方向へ目を向ける。
「もちろんだ。ライエンも気をつけろ。幽霊にとってもあそこは危険だ。」
ライエンを見送り、ゴードンは近くの倒木に腰をかける。
「……龍に会って話せれば良いが、サラビがあの状態だ。そもそも話すらできんかもしれん。」
「だから、わし一人で向かう。話ができそうなら、呼ぶから初めは隠れておいてくれ。」
ゴードンは顔を伏せて言う。
「しかし、……。それだと、ゴードンさん……。」
悠は何と言えばいいかわからなかった。
全員で行くつもりだった。既に命を落とす覚悟も多少はできている。
ゴードンの言うことが最適解なのは理解できるし、そうすべきだと思う。しかし、ここで「お願いします」と言うことは「死んでください」と言うことと同義なのだと思ってしまった。
「ハル、お前も優しい子だな。良いんだ、それが村長の役割だ。」
ゴードンは優しく微笑む。
しかし、カッシオはあっけらかんとして言う。
「そうだな、それが正解ってやつなンだろう。でも、俺はそれでも反対するぜ。誰かが犠牲になるやり方が許せないっていうのはあんたが言い出したことだろ?」
「しかし、カッシオ、どうしろと言うんだ。危険かもしれないだけだ。何ごともなく会話できる可能性も——」
「悠、なンかいい策ってやつは無いか?誰も諦めなくて良い策は。」
「……難しいことを言いますね。僕に何を期待してるんです?そんなに頭良くも無いですよ。」
そう言いながらも、悠は眉間に皺を寄せて悩み始める。
「そうですね、龍が話せるかどうかを確かめるには——まず、近づくことができない。サラビたちにも気づかれないように静かに。……。」
「……贈り物を、沼に落として様子を見る、というのはどうでしょう?肉とかをそのまま放り込むとかではダメです。こちらの敬意が伝わる形の贈り物を沼に入れるんです。果物とか肉もですけど、花束とかの食べ物とは違うものも入れるんです。それの扱い方を見れば危険さがわかるかもしれません。」
ゴードンが感心したように唸る。
「雑に扱うようであれば、敵対の意思があるということか。でも、無反応の時はどうするんだ?」
「そのときは……、そのとき、です……。」
「そうか、まぁ仕方ねぇよな。で、その”贈り物”はどうやって沼まで運ぶンだ?」
「カッシオ、何かいい案は無いですか?」
「ぶはっ!それは考えなしかよ。」
カッシオは吹き出して笑いながら、腕を組む。
「そうだな、投げ入れるってのは敬意に欠けてると思われるかもしれねえから、そりに載せて斜面を滑らせるとか、か?」
「斜面から沼まで結構距離がありますよ。届かないんじゃないですか?」
「まぁなあ。静かに走って持っていって、急いで戻ってくる、くらいしかないんじゃないか?」
「カッシオが行けば倒れるかもしれませんし、それは僕らにも言えることでしょう。……ゔぅ〜ん。頭が痛くなってきました。」
「わしら幽霊が物に触れられれば、手助けできるかもしれんのになぁ。」
トールが無力さを嘆く。
「……そうか!確認なんですが、カッシオは今、釣り糸って持ってますか?」
悠がぱっと顔を上げてカッシオに尋ねる。
「ン?あるぞ、商売道具だからな。この鞄に入ってるし、ちょっと戻るけど、俺の小屋に行けば、作りかけのも合わせれば結構な量があるぞ。なンか思いついたか?」
「ええ!ちょっと、本当にできるか一緒に考えてもらいたいんですが——」
「——こんな方法はどうでしょう?」
「——なるほどな。それくらいの作業ならわしもできるし、カッシオなら相当に上手くやるだろう。よし、ライエンが戻ってきたら、二手に別れて材料集めと”贈り物”の用意をしよう。」
ゴードンが久々に明るく朗らかな顔をする。その顔を見てカッシオと悠も気持ちが上向くのを感じた。
一時間ほど経ったころ、ライエンが戻ってきた。
「沼の周りも見てきたが、サラビを数匹ほど見かけた。だが、木にかじりついたまま動く様子はなかったから、危険は無いだろう。」
「ありがとう、ライエン。実はお主が出た後に話があってな、集めたい物があるのだ。」
「ほう、何を集める?」
「お主とカッシオが食料、主に果物で良い。それからカッシオ、保存食が狩小屋にまだあればそれを取ってきてくれ。」
「それからわしとハル、そしてトールは枝を集めるとしよう。ハルの案を考えれば生木の方が都合がいいだろう。」
「わしらの方が調達は早いだろう。ここで作業しているから戻ってきてくれ。」
ゴードンがてきぱきと指示を出す。
「わかった、何をするかはカッシオに聞くとしよう。急ぐのだろう?」
ライエンは軽く頷き、カッシオと並ぶようにして茂みに消える。
「では、わしらも出発だな。」
トールは森の闇の奥を見通すように目を細める。
「探している枝ですが、つい先ほど通り過ぎたところに丁度良さそうなのがたくさんありましたからそこへ行きましょう。」
トールに着いていく形で悠たちもその場を後にした。
———
「戻ったぞ。これはなかなかの量だな。」
ライエンは目を丸くして、驚きの声を上げる。
「探してくるのは簡単でしたが、枝を落とすのが一番大変でしたよ……。どうやっても音が出る作業ですし。」
ハルはげっそりした顔で、深く息を吐く。
トールが警戒し、ゴードンが見守る中、悠は音を立てないように何度も生木の枝を落とした。森の奥は異様に静かで、枝を折る音だけが浮いて聞こえた。ぱきっと音が鳴った直後、どこかで草が擦れた気がして、手が止まった。
「ハルは、まだまだ体力がないのう。」
トールは少し笑って、からかうように言う。
「一緒に行ったのが、幽霊とおじいさんですからね!ほとんど僕が動かないとでしょう……。」
「ひとまず、沼の近くへこれらを持って移動しよう。」
ゴードンはそんな様子を気にすることもなく、歩き出して行ってしまう。
「……お疲れさん。」
カッシオが悠の肩をぽんと叩く。
———
黒い沼を眼下に捉えた瞬間、悠は全身が強張り、呼吸が荒くなる。夜闇に紛れて見えないと思われた沼は闇よりも暗くその存在感を振り撒いていた。
ゴードンが声を落として悠に話しかける。彼の額にも汗が浮かんでいた。
「ハル、わしらへ指示をしてくれるか?案の具体的な内容は、おまえさんが一番ようわかっとるだろうからな。」
「そう、ですね……。わかりました。では、ゴードンさんは”贈り物”を包んでもらえますか?」
「僕はカッシオの補助に着きます。集めた枝の加工を一緒にしましょう。僕が枝の端を削るので、反対を半分に割ってください。」
悠は考えながら慣れない指示を出す。
「わかった。」
「了解。」
「わしらはまた周りの警戒で良いな?」
トールはふわりと立ち上がり、ライエンと共にその場を去った。
「悠、あんまり削りすぎなくていいぜ。」
「こんな感じで、…良いですか?」
「…う〜ン、まぁ良いだろう。」
カッシオが出来映えに文句がありそうな顔をしながらも、良しとした。
「わしの方はもう終わったから、そちらを手伝うとしよう。」
「この加工が終わればいよいよですね。」
「上手く…いくでしょうか。」
悠が不安そうな声色で誰に向けたわけでもなく呟く。
「大丈夫だ、こういうのは八割がた成功すれば大成功なんだ。」
ゴードンが悠の目を見据えて答える。
「龍と対話ができる様子であれば良いな。敵対関係だと分かったときは……。」
ゴードンは続きを言うことはなかった。
「加工終わったぞ。あとは”贈り物”を届けるだけだ。」
カッシオがいよいよその時が来たことを告げる。
悠は口の中がからからに乾き、唇が歯茎に張り付くのを舌で無理やり剥がした。




