第十四話 「生き残るには」
第十五話の投稿は3/31(火)の深夜に行います。
よろしくお願いします。
その日、村を訪れる者がいたのなら、「ああ、廃村か。」とそう思ったことだろう。
村に灯りはなく、人の気配を感じさせるような音もなかった。
レネは、村の子どもたちや女性、年寄りの隠れる蔵からほど近い物置きで身を潜めていた。
暗がりの中、トリリシャの静かな声がレネの耳に届く。
「レネくん、仕方ないことだと思うけれど、そんなに緊張していてはいざという時、危ないわ。わたしがしっかり周りを見ているから落ち着いてね。」
「おばさん。すみません。俺、やっぱり怖がりの臆病な野郎だったみたいです。」
「もし、死んだらって考えちゃって。……食われて死ぬなんて、想像するだけで痛すぎて死にそうです。」
「君は死なないわ。カルロスさんも、村の誰も死なないわ。」
そうであって欲しいと思うし、そうなるように頑張るつもりではある。しかし、トリリシャの胸の奥の悪い想像は無くなることなく、そこに鎮座していた。
——川上のあの倉庫にボルドーさんはいるんだよな。
レネは闇の向こうに視線を投げる。
先ほどの配置と動きについての最終確認をしている時の彼はとても落ち着いていた。
村長の代理としての初仕事が、村の危機に対処するという重大な仕事で、酷い重圧に苦しみを感じているはずなのに、既に腹を括っているように見えた。
「俺も、ボルドーさんみたいに落ち着いていられたらいいんだけどな。」
レネの呟くように漏れた言葉にトリリシャは小さく微笑む。
「怖いのは悪いことじゃないわ。ボルドーさんも怖いはずよ。大人たちが落ち着いていられるのは、怖さとの付き合い方を知っているからよ。」
——そして、親父は。
レネの潜伏する位置より低い、村の中央あたりに時折ちらりと動く影が見える。
カルロスは自由に村の中を動いて、村人たちのいる蔵にサラビたちが近づかないように誘導する、危険で厄介な役を担っていた。
先程の集まりでは、彼は彼と組む猟師だった男の幽霊と軽口を交わして笑っていた。
「牧羊犬みてぇな仕事だよな…。」
「お前さんは犬って言うより熊だがな。」
あの二人は緊張しつつも、いつもの調子があった。
レネはそれが逆に頼もしく感じた。
——でも、自分は。
嫌な汗をかいた手のひらを握りしめる。心臓の音がうるさい。
「大丈夫よ。レネくんならやり遂げられるわ。頼もしい大人たちもいるんだから、上手くやろうなんて考えなくていいのよ。」
トリリシャの声は優しい。しかし、昼過ぎの打ち合わせでの彼女の様子を思えば、余裕なんて無いはずなのだ。
——気づかわせてしまったな。
そう思った時、レネは冷静さを取り戻せた。レネは自分のことばかりだったことを恥じて、トリリシャにできるだけいつもの調子で明るく言う。
「俺、大丈夫です。村のみんなを、家族を守りたいから。」
村の子どもたちは、全員、自分の兄弟だと思っている。彼らにとって、かっこいいお兄ちゃんでありたい。
やり取りの後、静寂が戻る。
同じ体勢を取り続けることによる痺れを誤魔化すように、何度目かの体を伸ばす動作をしていたとき——
ボルドーのいる山側の闇に、ふっ、と灯りがともる。
一瞬だけ。だが、それで十分だった。
——サラビ襲来の合図だ。
顔をあげてトリリシャの方を見る。目が合い、頷きあう。
……ッコーン、コーンコーンコン、コンコンコーン。
一分も経たないうちに、遠くで鐘の様な音が聞こえる。川下の方向へ誘導が始まった。
「わたしも、外に出て警戒を始めるわね。近くにあれらが来たら、声をかけにくるから。」
「わかりました。お願いします。」
川下への誘導が上手くいったようだ。
——次は村の中央で音がなる手筈だけれど、どう、か?
カンカンカンッ!カーンカーンカーン!
音が先ほどより近くから聞こえる。ボルドーが無事であれば川上への誘導が始まるはず——
音が———鳴らない。
どくどくと、心臓の激しい音が聞こえ始める。
ボルドーに何かあったということだ。しかし、確かめに行くことはできない。
悪い考えが頭をよぎるが、今は目の前のことに集中するべきだと思考を振り払う。
ボルドーが誘導できない以上、川下と村の中央、そして自分が誘導を続ける必要がある。
用意した、音を出すための鍋を持つ手が震える。
——鳴らして、いいのだろうか?
——今更だけど、音を鳴らすってサラビを、危険を自分のところに招き入れることじゃないか!
物置きの扉付近からトリリシャの声が飛ぶ。
「レネくん!」
「はいッ!」
ガンゴン、ガンゴン——ガン!
「それぐらいでいいはずよ!」
レネが手を止めるとサラビの這う音が微かに聞こえ始める。
……さぁぁー、ざざざざぁ。…い
次は村の中央か、父のカルロスが音を出してくれるはず。
カインカインカインカイーン!
サラビたちの這う音が遠ざかっていく。
上手くいったようだ。
ほっと安堵したのも束の間、ボルドーと組む老婆の幽霊が姿を見せる。
「おばあちゃん!何があったの!?ボルドーさんは無事?」
トリリシャが尋ねる。
「倉の中にサラビが入りおった!今、ボルドーが対処中じゃ!」
「助けは要らんと言うとったが、しばらく誘導はできん!」
「カルロスにも声をかけてきた!場合によっては倉へ向かわせるからな!頼んだぞ!」
それだけを早口で言い残し、老婆は闇の中へ急いで消えた。
「ボルドーさん、だ、大丈夫かな?」
「……きっと大丈夫よ。大丈夫——!」
レネの耳に再び、村の中央からの金属音が届く。
そして、外からトリリシャが告げる。
「レネくん、そろそろよ!」
「はい!鳴らしますね!」
ガンガンガン、ゴンッ!
「みんな動揺しているのかしら?さっきより音の間隔が短くなっているような……。」
そして、数十秒後に再び村の中央から音が鳴る。
「…やっぱり間隔が短くなっている。向こうも何かあったのかしら?」
ざざざッ!ドン!!
「いけないッ!レネくん!群れから逸れたやつよ!隠れて!」
《いたい いたい いたい》
《たべたい たべたい たべ》
《しにたい しにたい》
レネの耳に甲高く、聞き取りづらい声が割り込む。
《くるしい ぬま みず くるしい》
《いやだ いやだ いや たべ くるしい》
聞き慣れない声に意識を奪われたその瞬間。
「——レネくん!!レネ!!ダメッ!!」
耳のすぐそばでトリリシャの大きな声が弾けた。
我にかえったとき、サラビはもう目の前に居た。
サラビの息づかいが聞こえてくる。
月の光に照らされた光沢のある体、しかし深く傷ついている。目は白濁し何も見えていないようだ。
《いたい》
先ほどからの声は目の前にいる生き物の声だった。
サラビがレネに飛びかかる。
咄嗟に腕を前に出したが、間に合わない。
サラビの体がレネの胴体にぶつかり、目に火花が散る。
——喧嘩なんて比にならないな。
レネは手に持っている鍋を胸の上にいるサラビに、思いっきり叩きつける。
全く力は入らなかったが、どこかに当てられたようだ。
胸の上の重みが無くなり、すぐに立ち上がる。
《たべたいのにたべられない》
レネの胸にびちゃりとした冷たい感触。
——あいつのよだれか?スースーして気持ち悪い。
「すぐに!助けを呼んでくるから!死んじゃダメよ!」
トリリシャの声が遠ざかる。
再びサラビが飛びかかる。今度は足を狙っている。
理由はわからないが何となくそれが感じ取れた。
狙われた片足を上げる。しかし、サラビの牙が掠め、体勢が崩れる。
けれど、それでいい。倒れ込みながら、持ち上げた足でサラビの胴に乗りかかる。変な姿勢でも構わない。すぐに鍋を振り下ろした。狙いは頭。
頭を狙って何度も叩く。
《あたまがわれる いたい やめて》
《ひどい なんで おなかすいた かえりたい》
直接、耳の奥まで刺すように聞こえてくる声。
獣の唸りではない。言葉だ。それが何より怖い。
レネの手から持っていた鍋がすっぽ抜けて転がっていく。鍋だったものは形が崩れて、柄は取れかかっていた。
サラビは動きが鈍り、逃げようともがく。レネはその上から転がるように降りて壁にもたれかかる。壁に頭を押しつけ、ただ呼吸した。
——胸が熱い。なんなんだ。服がまとわりつくように肌に張り付いて、気持ち悪い。
呼吸が早くなり、血の気が引いていく。
「——生きてるか!小僧!」
「レネくん!」
くぐもったような声で自分を心配する声が聞こえる。
——助かったみたいだ。いきのこれた。
全身に張っていた神経の糸がほぐれるようにして、レネは意識を手放した。




