フラウス円形闘技場
立ち込める暗雲が頭上で渦を巻いている。
見上げる空の色は重く、鉛のようによどんでいる。
俺が足を踏み入れたひと気のないフラウス円形闘技場は、まるで巨大な廃墟に見えた。
吹き抜ける風が、まるでここで命を落とした数多の剣闘士たちの怨嗟の声のように、ううう、とこだましている。
俺は手にしていた木箱をアリーナの砂塵の上に置いた。
乾いた土が木箱の底とこすれ、かすかな音をたてる。
木箱の中におさめられた古びた鉄剣は遺物のようにそこにある。
「本当に役にたつのか……これ」
喉の奥から絶望的な笑いがこみ上げる。
エドルドに亡者をここに誘い込めと言ったはいいが。
無数の亡者どもを引き連れて、モンドに襲い掛かってこられると、俺なんかではひとたまりもない。
俺はその古びた剣を見つめた。
「ハァ……頼りにしてるぜ。呪具ちゃんよぉ」
その時、アリーナの静寂を切り裂く蹄のおとが、どこからともなく鳴り響く。
西側のアーチ門が轟音と共に押し開けられ、そこから砂煙をあげて影が躍り出る。
逃げ惑うように大馬でなだれ込んでくるのは、マントを翻す紋章師達だ。
彼らの手は魔術の光で染めあげられ、後方にその奔流を向けている。
「来たか!」
俺は剣の柄に手をかけて、半身でその光景を眺めた。
逃げ惑う紋章師の中の一人。エドルドの手にはサマル家の家紋が刻まれた旗が握られていた。
紋章師達が乗る大馬は荒々しく泡を吹きながら、足元にあるアリーナの砂を巻き上げて駆け巡る。
その紋章師達を追うように、入口からぬっと姿を現したのは異形の剣士。
モンドだ。
モンドは、アリーナに足を踏み入れると、まるでこの場にいる獲物を確認するかのようにゆっくりとその首を巡らせた。
巨大な木剣を引きずりながら、奴はかつての古巣をなつかしむように、天をあおいだ。
その瞬間、空を引き裂く雷鳴がアリーナに叩きつけられた。
足元の砂場から、粉塵が舞い上がるほどの衝撃波がアリーナ全体を包み込む。
それはまるで、これから始まる惨劇に捧げられたモンドの喜びの咆哮のようだった。
不思議なことに奴はひとりきりだった。
その気になれば無数の亡者を操り、あっという間にこの場を地獄に変えられるはずなのに。
そのモンドの姿をみた瞬間、俺の中に、ある確信めいたひらめきが生まれた。
「モンド……わかったぞ。お前さんの“望み”が……それが、お前さんの呪いを解くカギだ」
俺は全身にみなぎる不吉な熱を感じながら、錆びついた剣を握る。
スキル『呪具耐性』の発動だ。
天地万物 空海側転
天則守りて
我汝の 掟に従う
御身の血をやとひて 赦したまえ
俺は『カンダタの血吸いの剣』を手に、その剣身を鞘から抜き取った。
古びた剣の表面に浮かび上がったのは無数の呪印。
それは天に流れる雷光と呼応するかのように、禍々しく輝きだす。
俺の体の内側に、憎しみと明確な殺意が全身の痛みと共に流れ込んでくる。
全身の肌がキリキリと痛む。ぷつり、ぷつりとうす肌の裂ける音が俺の耳に届く。
その時、紋章師達を蹴散らしていたモンドが、ぐっとこちらに向き直った。
そして、一直線に突進してくる。奴の顔にある二つの穴のような暗い眼窩。
その闇の瞳の奥に見えたのは、深い絶望、抑えようのない激しい怒り、大切な何かを失った悲しみ、いや、そのすべて。
「来やがれ、モンド!」
俺はひざを深く落とし、足の指で大地を掴むように身構えた。
迫りくるモンドが振り上げた木剣は、俺が最初に見た時よりも、さらに大きくいびつな変貌を遂げていた。
『呪具融合』はここに来て凄まじい速さで進行していたのだ。
モンドの持つ木剣はその輪郭すら失いつつあった。もはや木剣と腕の境界線など存在しない。それは、モンドの動きに合わせて躍動する“木の腕”だった。
モンドが振り上げた木の腕はしなった。まるで鞭のように風を切り裂きながら俺の頭上へと振り下ろされる。
俺は一歩も引かなかった。
ただ俺の手にある『カンダタの血吸いの剣』に重心をあわせ、この身をゆだねる。
鉄と木が激突する。
再び雷鳴が鳴り響き、世界は白い光に包まれた。




