EP 8
「計算できてます?」〜村長客間の悪魔たち〜
ギィィ……と重い軋み音を立てて、村長公邸二階・応接客間の扉が完全に開け放たれた。
そこからぬらりと現れた顔ぶれを目にした瞬間、帝国内務省の特務監察官ベルガーの背筋に、氷水を直接流し込まれたかのような悪寒が走った。
「な、なんだ貴様らは……!? ここは帝国の公務執行の場であるぞ! 部外者が勝手に入ってくるでない!」
ベルガーが甲高い声を張り上げる。
だが、部屋へと足を踏み入れてきた者たちには、帝国の権威など微塵も通じていなかった。
先頭を切って入ってきたのは、小柄な猫人の男――ゴルド商会ポポロ村支店長、ニャングルだった。
口元に咥えた煙管から紫煙をくゆらせ、金唐草模様の羽織を揺らしながら、脇に抱えた特注の大型算盤を「ジャラリ」と鳴らす。
「へぇ……? 帝国の偉いお役人はんが、えらい豪快な数字をフカしとるやないですか。『金貨五百枚』ねぇ……? おいおいダンナ、そんなハッタリ、うちの店先でやったらツケの利息で身ぐるみ剥がされるで?」
「ヒッ、ご、ゴルド商会の支店長……!?」
ベルガーの顔がわずかに引き攣る。
全大陸の金融と流通を牛耳る商業コングロマリット『ゴルド商会』の幹部が、なぜこんな寒村にいるのか。
だが、恐怖はそれだけに留まらなかった。
「うふふ……♡ お困りのようですわね、ベルガー様? そんなに思い悩まれると、美肌の大敵ですわよ?」
ふわりと甘く狂おしい香気とともに現れたのは、息を呑むような美貌を誇るハイエルフの令嬢――ルナ・シンフォニアだった。
透き通るような金髪とエメラルドの瞳、慈愛に満ちた聖女のような笑みを浮かべている。
ただし、その華奢な白魚のような両手には、先端から怪しげな燐光を放つ外科用の医療用メスと、紫色の胞子を噴き出す鉢植えが握られていた。
「金貨五百枚がご用意できなくても大丈夫ですわ♡ ベルガー様のお身体を解体して、健康な内臓を村の基金に寄付していただければ……世界樹の治癒魔法で何度でも再生できますから、実質的に無限の財源になりますもの! さあ、痛いのは最初だけですわよ……?」
「ひ、ヒィィッ!? な、何を言っているんだこの狂人はぁっ!?」
ベルガーが椅子から転げ落ちそうになりながら悲鳴をあげる。
純粋な善意と狂気が混ざり合った、ポポロ村名物「天然サイコパス」の微笑みである。
さらに、その背後からパタパタと軽やかな羽音が響いた。
「はーい、リスナーのみんなぁ〜☆ メガゴッドチューバーのキュララちゃんだよっ! 今日はなんと、国境の限界集落で起きてる『帝国役人のパワハラ追徴課税&カツアゲ現場』から、全宇宙同時生配信をお届けしちゃいまーす♡」
純白の翼を持つ天使キュララが、空中に浮遊する魔導カメラに向かってウインクを飛ばしながら入室してきた。
そして、もう片方の手には――ガチャリ、と鈍い金属音を立てて、米軍仕様のM4カービン突撃銃が握られ、安全装置が解除されている。
「現在の同接は……わぁ、もう八千万人突破ぁ☆ 『この役人の顔キモい』『職権乱用で草』『帝国終わってんな』ってコメントで埋め尽くされてるよ〜! ベルガーさん、全宇宙の神々と視聴者に向かって、もう一回『小娘を夜の街に売り飛ばす』って言ってみて? はい、ズームイン☆」
「な……ななな……生配信だとぉぉぉっ!? き、貴様ら、帝国の国家機密を……神々の配信に乗せるなど……ッ!!」
ベルガーの顔面から、完全に血の気が引いた。
帝国内務省にとって、GodTubeを通じた全宇宙への不祥事拡散は、即座に本省の懲戒免職と時空監査部のブラックリスト入りを意味する。
そして、部屋の片隅の床を「ズザザザザッ!」と音を立てて滑り込んできた影があった。
「お、お金の匂いがしますわぁぁぁーーッ!!」
みかん箱を小脇に抱えた極貧地下アイドル、リーザ・シーランである。
鼻の穴に五円玉を詰めたまま、床に這いつくばってベルガーの足元にすがりついた。
「金貨五百枚!? そんな大金があるなら、どうか私の路上ライブのファンクラブ年会費に! 一口銀貨一枚で良いんですの! パンの耳以外のものが食べたいんですのぉぉぉっ!!」
「うわああああっ! 離れろ、この薄汚い人魚がぁっ! おい護衛、こいつらを叩き出せ!!」
ベルガーが錯乱して叫ぶと、背後に控えていた二人の帝国兵が腰のミスリル剣を抜き放とうとした。
――カツン。
その瞬間、静かな、だが剃刀のように鋭い足音が一つ、床を叩いた。
「……おやおや。抜刀なさるのですか? 野蛮ですねぇ」
壁際に控えていた銀灰色の人狼・リバロンが、音もなく兵士たちの間合いの内側へ滑り込んでいた。
燕尾服の袖口から抜き放たれた極薄のミスリル名刺が、二人の兵士の喉元わずか一ミリの位置でピタリと静止している。
「私はただの執事、武器など持ち合わせておりませんよ。――この、薄い名刺一枚以外はね。……動けば頸動脈が紙のように裂けますが、帝国の名誉ある戦士として、犬死にをお望みでしょうか?」
「ヒッ……!?」
兵士たちは喉元に当てられた死の冷気に凍りつき、指一本動かせなくなった。
客間は完全に、ポポロ村の怪物たちによる「包囲網」へと変貌していた。
常人であれば発狂してもおかしくないカオスの極致。
だが、その狂乱の中心で――武田正は、ため息を一つ吐きながら、手元の電卓風魔導計算板をパチパチと弾いていた。
「……ルナさん、そのメスを置きなさい。無資格の生体解剖は厚生労働省――失礼、ガオガオン生命倫理規程違反です。それからキュララさん、配信は結構ですが、相手の肖像権と名誉毀損リスクを考慮し、顔部分にモザイク処理の魔法陣をかけなさい。リーザさんは床から立ち上がること。衛生的によろしくありません」
四十歳の中間管理職の、淡々とした「労務管理」の指示が飛ぶ。
「はぁ〜い、タダシさんが言うならメスはしまいますわ♡」
「はーい課長〜、モザイクフィルターONにしたよ〜☆」
「タダシ様のおっしゃる通りにしますわぁ……(スッと起き上がる)」
怪物たちが、正の言葉一つで驚くほど素直に規律を取り戻す。
その異常な統率力に、ベルガーは顎が外れそうなほど口を開けて戦慄した。
そして、正の隣に座っていたキャルルが、ニッコリと満面の笑みを浮かべて身を乗り出した。
「ねぇ、ベルガー監察官?」
甘く、愛らしい声。
だが、その紅い瞳からは光が完全に消え失せており、長い白銀の兎耳が、ベルガーの喉仏へと真っ直ぐ照準を合わせている。
「私ね、心音を聞けば相手の嘘が全部わかるんだよ? ……さっきからあなたの心臓、毎分百六十拍でバクバク言ってるね。『金貨五百枚を村から脅し取って、半分を帝都の愛人の屋敷の頭金にして、残りで高級馬車を買おう』って考えてる時の脈動だよね……?」
「な……な、ぜ……それを……ッ!?」
ベルガーの顔が真っ青から土気色へと変色した。
キャルルはテーブルの上に両手を置き、コキリと指の関節を鳴らした。
「タダシさんが『殴っても金は戻らない』って教えてくれたから、今は我慢してるけど……。嘘をつく悪いお役人さんの顎の骨を砕くくらいなら、医療費の範囲内で相殺できるかなぁって思ってるんだけど、どう思う? 月影流の『顎砕き』、一瞬で粉々になって痛くないよ?」
「ひ、ヒィィィィィィッ!!」
ベルガーは椅子ごとガタガタと震え、失禁寸前で泡を吹きかけた。
そこへ、ニャングルが算盤の珠を「パチィンッ!」と甲高く弾いて割り込んだ。
「ほな、ワシからも『計算』の話をさせてもらおか」
ニャングルは煙管の灰皿をトンと叩き、懐から一枚の羊皮紙を取り出してテーブルに広げた。
そこには、ゴルド商会の極秘印が捺された、ベルガー個人の資産明細がびっしりと記されていた。
「ベルガーはん。アンタが帝都で抱えとるゴルド商会からの個人借入残高、金貨八十枚。返済期限は先月末や。……うちのオロチ会長に一本連絡入れれば、アンタの帝都の屋敷の仮差押え、五分で完了するんやけど……計算、できてます?」
「ご、ゴルド商会の個人債務まで……なぜ貴様らが知っている……!?」
「商人を舐めたらあかんで。金で解決できる喧嘩ほど安上がりなもんはあらへんが、金を毟り取ろうとする泥棒には、利息を年利三十パーセント乗せて請求するのがウチの掟や」
逃げ場のない経済包囲網、全宇宙への生配信、医療解剖の狂気、音速の顎砕き予告、そして死を告げる名刺。
ベルガーの精神は、すでに崩壊の瀬戸際にあった。
だが――。
「皆様、そこまでにしてください」
すべての喧騒を断ち切るように、低く、重厚な声が客間に響いた。
武田正だった。
正はスラックスのポケットから懐中時計を取り出し、文字盤を静かに確認した。
針は、十六時四十五分を指している。
定時の十七時まで、残り十五分。
正は銀縁眼鏡のブリッジを中指でクイと押し上げ、テーブルの上に置かれた「金貨五百枚の追徴課税通知書」を、指先でツーと引き寄せた。
その瞳には、居候たちの狂気とは全く質の異なる、法と理詰めで数々の企業買収や税務訴訟を制してきた「冷徹なる法務のプロ」の光が宿っていた。
「……さて、ベルガー監察官。外野の意見は一度脇に置きましょう。我々は法治社会の構成員として、あくまで行政手続きの観点から、この書類の適法性を精査させていただきます」
正は万年筆のキャップをパチンと外し、A4の真っ白な起案用紙をベルガーの目の前に滑り込ませた。
「貴方の提示された追徴課税通知書……拝見しましたが、致命的な法的手続きの不備が三点ございます。――定時まであと十五分しかありませんので、手短に【差戻し】の理由を宣告させていただきますね」
背筋を凍りつかせるような大人の微笑みとともに、武田正による「帝国へのコンプライアンス倍返し」の決裁が、いま始まろうとしていた。
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