EP 7
客間のぬるい陽薬茶〜帝国内務省の査察官来訪〜
西の街道の地平線から砂煙を巻き上げ、豪奢な装甲馬車の一隊がポポロ村のゲート前へと乗り込んできた。
馬車の車体には、ルナミス帝国の国章である『双頭の月鷲』と、帝国内務省査察局の特務紋章が刻まれた深紅の旗がはためいている。
周囲を固めるのは、鈍く光るミスリル鋼のフルプレートアーマーに身を包んだ帝国正規兵二十名。
「止まれ! 帝国内務省査察局特務監察官、フィリップ・フォン・ベルガー卿のお成りである!」
護衛隊長の怒号とともに馬車の扉が開き、絹の豪奢な外套を羽織った細身の男が降り立った。
鷲鼻に細い眉、傲慢そのものに吊り上がった瞳。手には銀の細工が施された指揮杖を握っている。
ベルガー監察官はハンカチで鼻を覆い、あからさまに不快そうな顔で村を見渡した。
「ふん……相変わらず薄汚いド田舎の限界集落だな。前村長の愚物が公金を持って夜逃げしたと聞きつけて来てみれば……おい、この村の代表者はどこだ! 帝国の査察官を出迎えもせんのか!」
吐き捨てるベルガーの前に、トコトコと愛らしい足音を立てて歩み出てきたのは、白銀の髪をなびかせた月兎族の美少女――村長キャルルだった。
キャルルは明後日の方向を向いたまま、ピョコピョコと兎耳を揺らし、「ピフィ〜♪ ヒュ〜♪」と呑気に調子の外れた口笛を吹いている。
「……おい貴様、何者だ! 監察官閣下の御前であるぞ!」
護衛の兵士が一喝すると、キャルルはわざとらしく目を丸くし、両手を広げてみせた。
「あれぇ〜? 帝国の偉い役人さんたちじゃないですかぁ。私ですか? 見ての通りの、か弱くて善良な、無害な村人ですよ〜? ねぇ、みんなぁ?」
キャルルが振り返り、にこやかに手を振る。
その瞬間、ベルガーと帝国兵たちの視界に飛び込んできたのは、到底「無害な農村」とは呼べない異様な光景だった。
農道の真ん中では、身の丈二メートルを超えるケンタウロスの自警団長マンミアが、四脚を踏ん張りながら魔導戦車のキャタピラに油を注し、巨大なシールドパイルバンカーの杭をガシャンと空撃ちしている。
さらに両脇の麦畑からは、クワを手にした農民たちが無言で立ち上がり、肩に担いだ九九式魔導ライフルやドンガン製の魔導バズーカを、雑巾でキュッキュッと入念に磨き上げていた。
銃口と砲門は、一分の狂いもなく帝国軍の馬車へと向けられている。
「ヒッ……!? な、なんだあの物騒な鉄の塊は……!?」
「こ、これがどこが無害な村人なのか……!?」
ベルガーは思わず後退り、指揮杖を取り落としそうになった。
一触即発の重苦しい殺気が街道を覆い尽くそうとした、その時――。
「――皆様、遠路はるばる帝国中央からのご公務、誠にご苦労様でございます」
よく通る、低く落ち着いた声が静寂を破った。
人垣を割り、前へと進み出てきたのは、くたびれたチャコールグレーのスーツにネクタイを締め、銀縁眼鏡をかけた中年男――武田正だった。
その背後には、燕尾服を寸分の乱れもなく着こなした銀灰色の人狼・リバロンが、完璧な角度の会釈を保って控えている。
正はスラックスのポケットから名刺入れを取り出し、流れるような美しい所作で一枚の名刺を差し出した。
「ポポロ村役場にて総務法務兼務課長を拝命しております、武田正と申します。長旅でお疲れのことと存じます。砂埃の立つ路上での立ち話も無作法ですので、どうぞ村長公邸の客間へお入りください」
「な、なんだ貴様は……妙な衣服を着おって……」
ベルガーは眉をひそめたが、正の背後から漂う「理路整然とした大人の威圧感」に気圧され、唾を飲み込んだ。
背後の農民たちが構える魔導バズーカの冷たい銃口から逃れたい一心で、ベルガーは外套を翻した。
「え、ええい、案内せい! 貴様らのような辺境の不届き者に、帝国の法の厳しさを叩き込んでやる!」
村長公邸、二階の応接客間。
中央の重厚なマホガニーテーブルを挟み、上座には不機嫌そうに足を組むベルガー監察官と、抜刀可能な姿勢で背後に控える護衛兵二人。
下座には武田正が静かに腰を下ろし、その隣にキャルルが座っている。
部屋の隅の壁際には、リバロンが静まり返った影のように直立していた。
カツン、と陶器のカップがテーブルに置かれた。
「どうぞ、ベルガー監察官。当村特産の月光草を用いた陽薬茶でございます」
正が穏やかな営業スマイルを浮かべ、カップを勧めた。
ベルガーは喉が渇いていたこともあり、正を威圧するように睨みつけながらカップを乱暴に煽った。
ゴクッ、ゴクッ。
「……ぶふぅッ!?」
ベルガーの顔が一瞬で歪んだ。
吹き出しそうになるのを喉元で必死に堪え、カップをテーブルに叩きつける。
「ぬ、ぬるい……ッ!? なんだこの茶は! 貴様、帝国からの監察官たる私を侮辱しているのか! なぜこのような中途半端にぬるい茶を出すのだ!」
怒鳴り散らすベルガーに対し、正は眉一つ動かさず、銀縁眼鏡を指先でクイと押し上げた。
「申し訳ございません。遠方からの移動でお身体が火照っていらっしゃるかと拝察し、胃腸への熱刺激を極力抑えた『適温』にて調整いたしました。それに、熱すぎるお茶は交渉の場で無駄な時間稼ぎの口実を与えてしまいますから」
「な……!?」
ベルガーが息を詰まらせた。
これこそが、商社で二十年間、数々の理不尽な税務査察やクレーマーを撃退してきた武田正の「客間戦術」だった。
熱い茶を出せば、相手は冷めるのを待つ間に思考を整理し、ペースを握る。
冷たい水を出せば、敵意や無礼として即座に攻撃材料にされる。
だが、「胃薬のようにぬるい健康茶」を出された相手は、生理的な出足を挫かれ、怒りの矛先を曖昧にぼかされ、無意識のうちに場の主導権を奪われてしまうのだ。
正の視界の端で、青白いシステムウィンドウが音もなく滑り出た。
【包括的決裁権限(社内稟議)】――派生コマンド起動。
【稟議書閲覧(ステータス監査)】
対象:ルナミス帝国内務省 特務監察官 フィリップ・フォン・ベルガー
役職権限:国境緩衝地帯における行政視察および定期徴税確認
重大なコンプライアンス違反:
・越権行為(職権濫用):本省の正規決裁を経ず、前村長の失脚に乗じた不当な私腹肥やしを企図。
・不当要求:正規規定外の特別追徴課税(金貨五百枚)の違法請求。
当事者適格(管轄権):
・ポポロ村の財政保全および住民保護の観点から、全面的対抗権限が存在。
――【管轄権:承認】
(……なるほど。前村長ロップが高飛びした混乱に乗じ、無知な田舎者から法外な金を脅し取って自分の懐を肥やそうというわけか)
正の銀縁眼鏡の奥で、冷徹な法務担当の光がギラリと瞬いた。
相手の腹の内はすべて透けて見えている。
「ゴホンッ! ……茶の無礼は後で沙汰を下すとしてだ!」
ベルガーは咳払いをし、懐から羊皮紙の公文書をバサリと広げてテーブルに叩きつけた。
そこには仰々しい帝国の金箔押しが施されている。
「単刀直入に本題に入ろう。前村長ロップの逃亡に伴い、当村が帝国に負っている義務の不履行が多数発覚した。よって、国境緩衝地帯特別令に基づき、ポポロ村に対して【特別懲罰的追徴課税】を命ずる! 金額は金貨五百枚! 明朝までに耳を揃えて納入せよ!」
「き、金貨五百枚……!?」
キャルルが思わず声を上げた。
先ほど山賊から回収した銀貨三百枚など、金貨三枚程度にしかならない。金貨五百枚など、村全体を売り払っても到底足りない天文学的数字である。
「払えぬとは言わせんぞ」
ベルガーは下卑た笑みを浮かべ、身を乗り出した。
「払えぬならば、この村の自治権を剥奪し、帝国の直轄領として接収する! 土地を奪い、住民は全員帝都の鉱山へ送り、そこの小娘村長は帝都の夜の社交界へ売り飛ばして穴埋めにしてくれるわ!」
護衛の兵士たちが腰の剣の鞘を鳴らし、ニヤニヤと嗤う。
その瞬間――。
キャルルの全身から、マッハの領域で動く達人特有の、濃密極まりない殺気が陽炎のように立ち上った。
白銀の長い兎耳がピタリと倒れ、紅い瞳の奥の光が完全に消え失せる。
(……この生ゴミ、タダシさんのいる私の村を奪うって言った……? 私を売り飛ばすって言った……? 殺す。今すぐ首の骨を捻り折って、ミンチにして畑の肥料にしてあげる……!)
キャルルの足元の床板が、音速の踏み込み予備動作によってミシッと音を立てた。
だが。
トン、と正の指先が、キャルルの膝の上にそっと置かれた。
「村長。ステイです」
「……ふぇ?」
静かで、温かく、だが絶対に逆らえない大人の声音。
キャルルの殺気がふっと抜け、真っ赤な顔をして正を見つめた。
正はスラックスのポケットから懐中時計を取り出し、文字盤を確認した。
針は十六時三十五分を指している。
「……あと二十五分か」
正は小さく呟き、内ポケットからガスター10のシートを指先でなぞった。
十七時定時退社、そして冷えた酒を飲む静かな晩酌。
その崇高な目標を脅かす理不尽な残業案件に対して、武田正の頑固さは頂点に達していた。
「ベルガー監察官。金貨五百枚の追徴課税通知書、確かに拝見いたしました」
正は手元の起案用紙に万年筆を走らせながら、氷のように滑らかな声で告げた。
「しかし……貴方方、少し『計算』がお出来になっていないようですね」
「な、何だと……!? 計算だと!?」
ベルガーが激昂したその時――。
ギィィ……と、客間の重厚な扉が、何者かの手によって静かに押し開けられた。
廊下の奥から、カツカツと複数の不穏な足音が響いてくる。
「おやおや……? ずいぶんと景気のいい恫喝が聞こえてくるやないですか」
「あはは〜☆ 帝国のお役人さん、顔真っ赤にしてイキってる〜♡」
「あらあら、良い香りのする殿方ですこと……少し、お勉強の時間が必要かしら……?」
ポポロ村に巣食う、規格外の厄介者たち――悪魔のような居候組の気配が、客間を包囲するように満ち始めていた。
正は眼鏡の位置を直し、ベルガーに向かって大人の残酷な笑みを浮かべた。
「さあ、監察官殿。定時まで時間がありませんので、手短に終わらせましょうか。――当村の真の監査役たちによる、合同カンファレンスの始まりです」
読んでいただきありがとうございます。
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