EP 6
自警団の現場視察:25歳ケンタウロスとパイルバンカー
午後十五時三十分。
ポポロ村の空は、西に傾き始めた太陽によって淡い橙色に染まりつつあった。
武田正は、くたびれたチャコールグレーのスラックスの裾を埃から守るように歩きながら、胸ポケットの万年筆とクリップボードの収まりを確認していた。
隣には、足音もなく優雅に追従する銀灰色の人狼・リバロン。そしてもう片側には、上機嫌で長い白銀の兎耳をパタパタと揺らしながら、時折正のスーツの袖口をチラチラと盗み見ている村長キャルルが並んでいる。
「タダシさん、本当に晩酌は一人でするの? 私の特製人参サラダ、シャキシャキで美味しいよ? お部屋までデリバリーしてあげるのに……」
「お気持ちだけ頂戴します、村長。業務時間外の私的交流は、組織の規律と公私混同を招く恐れがありますので。それに、私は十七時を過ぎたら、ただの静かな中年男性に戻りたいだけなのです」
「うぅ……堅物すぎるよぉ……。でも、そこが誠実で素敵なんだけど……」
キャルルがモジモジと頬を染めながら、人参刺繍のハンカチを胸元で握りしめる。
正の心音は相変わらず毎分六十拍の水平飛行を維持しており、キャルルにとってその平穏な鼓動は、狂おしいほどの安心感と執着の源になっていた。
「ククッ……村長、アプローチは勤務時間外になさるのがよろしいかと。――さて武田殿、見えてまいりました。あれが我がポポロ村の防衛拠点、『自警団本部詰所』でございます」
リバロンが白手袋の手を差し伸べた先には、頑強な石積みの土台に分厚いオーク材を組み上げた、要塞のような二階建ての兵舎が建っていた。
だが、門をくぐった正の視界に飛び込んできたのは、一般的な農村の自警団という長閑なイメージとは完全にかけ離れた、殺伐とした光景だった。
「――おい! 三番機関砲座の油圧系統、ドンガン製の冷却液を補充したか!?」
「九九式魔導ライフルの腔線、昨日の射撃演習でススが溜まってるぞ! ボアブラシでしっかり磨け!」
「地雷原の敷設マップ、東の農道から三メートル内側へ修正しろ! トマトの収穫トラクターが吹き飛んだらどうすんだ!」
敷地内を駆け回る筋骨隆々の獣人やドワーフの団員たち。
ドラム缶の横には対空機関砲の銃身が転がり、ガレージの奥には迷彩塗装が施された魔導戦車が、アイドリングの重低音を響かせている。
正は思わず眉間を揉んだ。
「……リバロン執事。ここは中東の最前線基地か何かですか?」
「いえ、れっきとした中立の限界集落でございますよ。何分、三大国の軍勢が小競り合いを演じる国境緩衝地帯ゆえ、武装だけは過剰なほど揃えておりましてね」
「過剰どころの騒ぎではありませんね。固定資産台帳の減価償却費を計算するだけで胃に穴が開きそうだ」
正が胃薬のシートを指先で探った、その時だった。
ドォォォォォンッ!!
詰所の中庭で、鼓膜を揺るがす凄まじい炸裂音と衝撃波が轟いた。
白煙がもうもうと立ち込める中から、ガリガリガリと金属の杭が超高速で逆転・装填される重厚な機械音が響いてくる。
「ふぅ……。圧力バルブのレスポンス、コンマ二秒遅れているな。これでは装甲獣の頭蓋を一撃で粉砕できん」
煙を払いながら歩み出てきたのは、圧倒的な存在感を放つ四脚の偉丈夫――いや、女性だった。
引き締まった人間の女性の上半身と、しなやかで力強い白馬の下半身を持つ、誇り高きケンタウロス。
背丈は優に二メートルを超え、磨き抜かれた栗色の長髪をポニーテールに束ねている。切れ長の凛々しい瞳に、引き締まった褐色の肌。
そしてその左腕には、身の丈ほどもある巨大な複合装甲盾と、鋼鉄の杭を火薬で射出する凶悪無比な攻防一体兵器――シールドパイルバンカー『アグニ』が装着されていた。
「マンミア殿! お疲れ様です!」
キャルルが手を振ると、ケンタウロスの女性――ポポロ村自警団長マンミアは、凛々しい眉を緩めて蹄の音を響かせながら歩み寄ってきた。
「これは村長、それにリバロン殿。……ん? そちらの見慣れぬ衣服の殿方は? 帝国の商人殿か?」
「ううん、違うよ! うちの役場に新しく入ってくれた、総務課長のタダシさん!」
「総務……課長?」
マンミアが怪訝そうに小首を傾げる。
正は居住まいを正し、胸ポケットから名刺入れを取り出して滑らかに一礼した。
「初めまして、マンミア団長。武田正と申します。村の総務および法務、ならびに予算管理を担当することになりました。本日は自警団の活動実態と、兵站・防衛装備の管理状況を拝見に伺いました」
「む、武田……殿か。私は自警団を預かるマンミアだ。……しかし、役場の事務方が兵器の視察とは珍しいな。我々の装備は、血と泥にまみれた武骨な鉄の塊ばかりだぞ」
マンミアは豪快に笑ったが、その瞳には歴戦の戦士特有の鋭い観察眼が宿っていた。
正は穏やかに微笑み、眼鏡の位置をクイと直した。
視界の端が、淡い青の光を帯びて切り替わる。
【包括的決裁権限(社内稟議)】――派生コマンド。
【稟議書閲覧(ステータス監査)】
対象:ポポロ村自警団本部
統括責任者:マンミア(25歳・ケンタウロス種・未婚)
戦力評価:Sランク(一個師団クラスの防衛火力)
主要装備:ドンガン製対空機関砲、九九式魔導ライフル40挺、魔導戦車1両、各種地雷
重大な経営課題:
・弾薬の仕入れコストが村内予算の62%を占有(極度のキャッシュ圧迫)
・使用頻度の低い重火器の整備部品がドンガン地下帝国の言い値で調達されている(過剰原価)
責任者心理プロファイル:
・責任感の極致。村民の安全を一手に背負い込み、過度な防衛出費を招いている。
・【特記事項】:年齢(25歳)および独身であることに深刻な精神的重圧(未婚クライシス)を抱調。周囲の『25』という数字に極めて過敏。
(……なるほど。現場のリーダーが責任感を抱え込み、防衛ラインを広げすぎている典型的なコスト肥大化パターンだな)
正は手元の起案用紙に、万年筆で素早くメモを走らせた。
そして、何食わぬ顔で詰所の弾薬庫へと視線を向けた。
「マンミア団長。幾つか確認させていただきたいのですが、九九式魔導ライフルの専用弾薬の消費ペースと、ドンガンからの仕入れ掛け率はどうなっていますか?」
「えっ? し、仕入れ……掛け率?」
マンミアが面食らったように目を瞬かせた。
「ええ。先ほど帳簿を拝見したところ、自警団の弾薬調達費は定価の百二十パーセントで計上されていました。前村長が中抜きをしていた形跡もありますが、そもそもロットごとのまとめ買い契約を結んでおらず、都度発注のスポット価格で購入しているのが原因です。これでは年間の防衛予算がいくらあっても足りません」
「な……!?」
マンミアの褐色の頬がピクりと引き攣った。
正は歩みを進め、ガレージに置かれた魔導戦車の履帯を指先で軽く叩いた。
「さらに言えば、この戦車の稼働率は過去半年でわずか二回。にもかかわらず、高価なドンガン製マナ潤滑油を毎週のように交換している。これは明らかなオーバースペック、かつ過剰整備です。平時の待機モードでは、安価な植物性マナオイルで十分代替可能です」
「ちょ、ちょっと待ってくれ武田殿! 我々は、いつ三大国の軍勢が雪崩れ込んできても村を守れるよう、万全を期しているのだ! 万が一の事態が起きてからでは遅いだろう!」
マンミアが思わず身を乗り出し、パイルバンカーの盾がガシャンと重い音を立てた。
巨大なケンタウロスの戦士が放つ、威圧感のある反論。
常人なら怯んで言葉を失う場面である。
だが、武田正の心拍数は、相変わらず六十拍のままだった。
商社時代、工場の頑固なベテラン製造部長と何十回も繰り広げてきた「コスト削減交渉」に比べれば、マンミアの言葉はあまりに純粋で、痛々しいほど真っ直ぐだった。
正は眼鏡の奥の目を和らげ、静かに首を横に振った。
「マンミア団長。私は、あなたの防衛努力を否定しているのではありません」
「……え?」
「むしろ逆です。これほど完璧に兵器を磨き上げ、村の隅々にまで気を配っているのは、あなたがこの村と住民を誰よりも愛し、命がけで守ろうとしている証拠だ。その尊い献身に、心から敬意を表します」
正の低く温かい声が、中庭の冷たい風の中に染み渡っていく。
マンミアの大きな瞳が、驚きで見開かれた。
「ですがね、団長」
正は一歩近づき、マンミアの巨大なシールドパイルバンカーの横に並び立った。
「守る側の人間が、過剰な負担と焦燥感で擦り切れてしまっては元も子もありません。予算が破綻して自警団が活動停止になれば、一番傷つくのは現場のあなたたちだ。だからこそ、無駄なコストを削り、兵站を効率化するのです。それは戦力を落とすためではなく、あなたがたが『息長く、無理なく村を守り続ける』ための防具なんですよ」
「あ……」
マンミアの喉から、掠れた吐息が漏れた。
これまで、前村長からは「金食い虫」となじられ、村人からは「守ってくれて当然」と頼られ、その巨大な四脚の背中にポポロ村の全責任を一人で背負い込んできた。
誰からも「あなたの献身に敬意を表する」などと、真正面から労われたことなど一度もなかったのだ。
正はクリップボードに挟んだ用紙を一枚抜き取り、マンミアへと手渡した。
「ドンガン地下帝国との取引には、先ほど山賊から回収した債権……鉱山労働者の斡旋枠をカードに使います。これをテコに弾薬の仕入れ価格を三十パーセント引き下げ、定期調達の長期契約を結び直しましょう。そうすれば、浮いた予算で団員たちの装備の軽量化と、福利厚生……温かい食事や休息の拡充に回せます」
「ぼ、防衛費を削るのではなく……兵站の交渉で、我々の待遇を良くする、と……?」
「それが総務と法務の仕事ですから」
正は小さく笑い、ふとマンミアの眉間に刻まれた微かな疲労の色に目を留めた。
監査のステータスにあった、彼女のもう一つの「悩み」。
「……それから、マンミア団長。あまり一人で背負い込まないでください。あなたは今年、二十五歳でしたね」
ピクゥッッッッ!!
マンミアの四本の脚が、まるで電流を流されたかのようにピンと跳ね上がった。
顔が耳元まで真っ赤に染まり、パイルバンカーの杭がガタガタと震えだす。
(に、にじゅうご……ッ!? この人、初対面で私の年齢を……!? やっぱり、二十五歳にもなって色気もなく、鉄の塊を振り回してる売れ残りの女だと馬鹿に――)
屈辱と羞恥で涙目になるマンミアに対し、正はどこまでも穏やかな、人生の先輩としての眼差しを向けていた。
「人間社会で言えば、二十五歳なんてまだまだ若手。ようやく仕事の面白さが分かり、これから人生の深みや素晴らしい出会いがいくらでも広がっていく、一番輝かしい年齢ですよ。焦る必要も、ご自分を卑下する必要もまったくありません。あなたの実直さと優しさは、本当に美しい」
「――ッッッ!!」
ドクンッ! とマンミアの胸の中で、パイルバンカーの炸裂音よりも遥かに凄まじい衝撃が走った。
(な……なに、この人……!? 私の年齢を……私の生き方を、全肯定してくれた……!?)
生まれてこの方、筋骨逞しい男たちに腕力で勝ってきたマンミアである。
だが、目の前にいるのは、筋肉もなく、魔力もない、背広を着たくたびれた中年男。
その男から放たれる、底知れぬ包容力と大人の温かさに、マンミアの乙女心が完全にノックアウトされていた。
(だ、大人の男性って……こんなに頼もしくて、温かいの……!? 背中……! 今まで誰一人として乗せたことがない私の背中に……この人なら……タダシ殿なら、乗ってほしいかも……!!)
マンミアは蹄をもじもじと擦り合わせ、真っ赤になった顔をパイルバンカーの陰に隠してチラチラと正を見つめ始めた。
その直後――。
ピクン。
「…………」
背後で控えていたキャルルの白銀の兎耳が、直角に跳ね上がった。
(マンミアの心拍数が……毎分百八十まで急上昇した……? 耳から蒸気が出てる……? タダシさんの背中に乗りたいって……なに、その破廉恥な感情は……!?)
キャルルの紅い瞳から、スッとハイライトが消失した。
彼女は無言のまま、音もなく正の真横へと滑り込み、スーツの裾をキュッと指先で摘んだ。
「ねぇ、タダシさん? 自警団の視察、もう十分だよね? マンミアの顔、茹で上がったタコみたいになってるし、お仕事終わりだよね……?」
ゾッとするほど甘く、冷たい声。
正はキャルルのただならぬ気配に気づく様子もなく、スーツの袖を引っ張られたまま懐中時計を取り出した。
針は十六時十五分を指している。
「そうですね。防衛予算の是正骨子もまとまりました。定時の十七時まで、あと四十五分。役場へ戻って本日の日報を整理し、デスク周りを片付ければ、ちょうど定時に退勤できそうです」
「うんっ! 定時退勤、大賛成! 早く帰ろ!」
キャルルが安堵の笑顔を浮かべ、正の腕を抱きしめるように引っ張ろうとした――その瞬間だった。
カァァァァァン! カァァァァァン! カァァァァァン!
村の中央にそびえ立つ見張り塔から、けたたましい半鐘の音が村中に響き渡った。
詰所の空気が一瞬で凍りつき、団員たちが一斉に九九式魔導ライフルを構える。
見張り台の兵士が、拡声の魔導筒を通じて絶叫した。
『緊急事態! 西の街道より、ルナミス帝国正規軍の紋章旗を掲げた馬車の一隊が接近中! 先頭車両に帝国内務省の特務査察旗を確認! 繰り返す、帝国の査察官が来訪!!』
「……帝国の、査察官……!?」
キャルルが顔色を変え、マンミアが即座にパイルバンカーの信管を押し込んだ。
「クソッ、こんな時に……! 前村長の持ち逃げを聞きつけて、法外な追徴課税をふっかけに来たのか!?」
ざわめく自警団。殺気立つ詰所。
だが、時計を見つめていた武田正は、深いため息をつきながら、胸ポケットから胃薬を取り出して唾液で飲み込んだ。
「……十六時二十分。定時退社まで、あと四十分か」
正は銀縁眼鏡を押し上げ、冷徹な法務監査官の瞳で街道の先を見据えた。
「リバロン執事、役場へ戻りましょう。客間に『ぬるい陽薬茶』の用意をお願いできますか」
「おや……? 熱いお茶ではなく、ぬるいお茶でございますか?」
「ええ。傲慢な査察官を迎えるには、それが一番効くのですよ」
十七時退社と静かな晩酌を脅かす、帝国からの理不尽な刺客。
大人のコンプライアンスによる「客間の迎撃戦」が、幕を開けようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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