EP 5
山賊団への【コンプライアンス是正勧告】
「死ねや、口先野郎がぁぁッ!!」
執務室の空気を切り裂き、血錆の浮いた幅広のナタが猛烈な勢いで武田正の首筋へと振り下ろされた。
常人であれば頸動脈を両断され、即座に血煙を噴き上げて絶命する一撃。
キャルルの紅い瞳がカッと見開き、足元の床板が音速の踏み込みによってミシミシと悲鳴を上げた――その瞬間。
「村長、動かないでください。現場保存です」
正の声は、オフィスのコピー機が紙詰まりを起こした時と寸分違わぬ平熱だった。
正はすでに、手元のA4起案用紙に万年筆を走らせ終えていた。
視界の端には、青白く輝くウィンドウが展開されている。
【包括的決裁権限(社内稟議)】――派生コマンド。
【稟議書閲覧(ステータス監査)】
対象:山賊結社『黒鉄の牙』徴集部門頭目 ゴルドバ
現行違反行為:
・刑法第199条類推適用:生命身体に対する直接的侵害(殺人未遂現行犯)
・刑法第208条:凶器準備暴行
・地方自治法規準用:庁舎内における公務執行妨害
損害査定:正当防衛および緊急避難の要件を完全充足
当事者適格(管轄権):被疑者による直接的殺傷行為の対象となっており、当事者適格は最大値。
――【物理行使差戻し権限:完全承認】
「……客観的証拠、事実認定、手続き、すべて適法ですね」
正は手にした愛用の三文判を、起案用紙の右下、朱肉が鮮やかに滲む決裁枠へと垂直に押し当てた。
【起案番号:0003】
【件名:公務執行妨害および殺人未遂現行犯に対する実力行使の即時差戻し(リジェクト)の件】
「――事前承認なき物理的損壊行為は、予算外支出につき【差戻し】とします」
カツン。
乾いた捺印の音が、静まり返った部屋に小さく木霊した。
【決裁執行――包括的権限に基づき、不当暴力を【差戻し(リジェクト)】】
キィィィィィィィィンッ!!!!
鼓膜を突き破るような、超高周波の金属衝突音が炸裂した。
「ぶぎゃっ!?」
ゴルドバの振り下ろした渾身のナタは、正の首元からわずか十センチの空間に展開された、不可視の「コンプライアンス障壁」に真っ向から激突した。
それは物理的な盾ではない。
「手続きを経ていない暴力という因果を、事象レベルで強制リジェクトする」という、世界の根幹を揺るがす法理の壁である。
反作用のエネルギーは百パーセント、ナタの刀身へと逆流した。
バキバキバキィッ! と凄まじい破砕音を立てて肉厚の鉄塊が粉々に粉砕され、細かな破片が四方八方へ飛び散る。
そして、逃げ場を失った衝撃波が、ゴルドバの両腕の筋肉と関節を容赦なく襲った。
メリメリッ、と鈍い骨の軋む音が響く。
「ぐああああああっ!? お、俺の腕が……!? 手首があああああっ!!」
ゴルドバは両手首をだらりと不自然な方向に曲げたまま、床を転がり回って絶叫した。鼻からは激痛による脂汗と鼻血が噴き出している。
「な、頭目ぇぇぇっ!?」
「ば、化け物かテメエッ! 野郎ども、構うこたぁねえ、全員でミンチに――」
残る四人の手下が抜刀し、正を取り囲んで一斉に飛びかかろうとした、その刹那。
シュッ。
大気を引き裂く、冷たい銀の軌跡が走った。
「……おっと。私の目の前で、村の賓客に刃を向けるなど、随分と教育がなっておりませんね」
銀灰色の人狼――リバロンが、いつの間にか山賊たちの背後へと音もなく滑り込んでいた。
燕尾服の袖口から抜き放たれた極薄のミスリル名刺が、四人の手下が握る剣の切っ先を、撫でるように一閃していた。
カラン、コロン、と澄んだ音を立てて、四本の刀身が綺麗に真っ二つに両断され、床に転がる。
「ひっ……!?」
「め、名刺で鉄が……!?」
手下たちが青ざめて後退る中、部屋の空気が一気に「絶対零度」へと凍りついた。
「……ねぇ」
低く、甘く、だが骨の髄まで凍りつかせるような声。
キャルルだった。
彼女は腕組みをしたまま、ゆっくりと山賊たちへ歩み寄ってきた。
透き通るような白銀の髪が逆立ち、紅い瞳からは一切の光が消えている。
王立アカデミー首席、元・近衛騎士隊長候補――彼女が本気で放つマッハの殺気は、呼吸すら許さない重圧となって部屋を満たしていた。
「タダシさんの背広を汚そうとした罪……万死に値するよ。私の村で暴れたことより、タダシさんに暴力を振るおうとしたことの方が、一億倍許せないかな。……ねぇリバロン、こいつら、顎の骨を砕いてから四肢を切り落として、畑の肥やしにしてもいいよね?」
「おや、村長。私としては異存ございませんが、まずは我が村の新しい『総務課長殿』の法務的判断を仰ぐべきかと」
リバロンがモノクルを直し、優雅に一礼して正に視線を振った。
山賊たちは失禁寸前でガチガチと歯を鳴らし、床に這いつくばっている。
もはや完全に包囲され、逃げ場など地球の裏側にも存在しなかった。
正はスラックスのポケットから万年筆を抜き、淡々と新しい用紙をクリップボードに挟んだ。
そして、のたうち回るゴルドバの前にしゃがみ込む。
「ゴルドバ氏。先ほど申し上げた通り、貴団が不法に得た金貨一千八百枚の返還請求ですが……どうされますか? 今すぐ一括でお支払いいただけますか?」
「ひ、ひぃぃ……! は、払えるわけねえだろ……! 金貨千八百枚なんて大金、アジトを全部ひっくり返したって、銀貨数百枚しかねえよぉっ!」
ゴルドバが涙と鼻水を垂らしながら首を横に振った。
正は「やはりそうですね」と頷き、眼鏡の位置を直した。
「支払い能力がない。つまり、貴団は現在、実質的な【債務超過および支払不能(破産状態)】にあります」
「は、はさん……!?」
正は万年筆をサラサラと走らせた。
感情的な怒りなど微塵もない。ただ、淡々と規定のフローを処理していく冷徹な事務作業である。
【起案番号:0004】
【件名:反社会的債務者『黒鉄の牙』に対する破産手続開始申立および法定更生労働回付の件】
・根拠法令:ガオガオン人道法第2条、民事執行法準用、不法行為損害補填規程
・執行内容:
一、債務者の残余現預金(銀貨三百枚)を即時差押え、ポポロ村の公金口座へ充当。
二、不足する債務額(金貨約千七百七十枚相当)について、破産管財人を選任。
三、債務者構成員全員を『ドンガン地下帝国・重金属採掘区画』へ回付し、法定基準に基づく労働対価により債権の弁済に充当させる。
「……ゴルドバ氏、ならびに構成員の皆さん。安心してください。当村は人道に反するオカルト的な拷問や、魂や寿命の強制天引きといった違法行為は一切行いません」
正の穏やかな、だが有無を言わさぬ声が響く。
「法と正義に基づき、更生の機会を提供します。近隣の提携先である『ドンガン地下帝国』の鉱山にて、破産管財人の管理のもと、一日八時間労働・週休二日制、三食・労災保険完備の環境で、借金が完済されるまで真面目にスコップを振るっていただきます」
「ド、ドンガン地下鉱山……ッ!? あそこは一度入ったら何年も地上に戻れないって噂の……!?」
手下たちが絶望に顔を歪めた。
殺されるわけではない。人道的な食事と寝床は保証される。だが、借金千八百枚を地道な労働で返すとなれば、最低でも十数年の強制更生労働コースである。
「嫌なら、今すぐ現金で一括返済してください」
「む、無理だぁぁぁっ!!」
「では、決裁します」
トントン、と二度、三文判が乾いた音を立てて捺された。
【決裁執行――債権確定および破産更生手続きの回付完了】
ボゥン……!
青白い契約の光条が山賊たち五人の手首に巻き付き、光の枷となって実体化した。
これで彼らは、正規の法的手続きを踏まない限り、指定された作業場から逃亡することすらできなくなったのだ。
「リバロン執事、自警団へ連絡を。彼らの身柄を引き渡し、ドンガンの窓口へ移送手続きをお願いできますか」
「承知いたしました、武田殿。……いやはや、見事な債権回収スキームです。ドンガンのドワーフ共も、頑強な労働力が安価に手に入るとあれば、喜んで村の資材ツケを相殺してくれるでしょう。一石二鳥、完璧な手腕ですね」
リバロンは深く頭を下げ、満足そうにモノクルを光らせた。
手下たちに両脇を抱えられ、泣き叫びながら連行されていくゴルドバを見送りながら、キャルルがポカンとした顔で正を見つめていた。
長い兎耳が、驚愕でピンと立ったままピクピクと震えている。
「……タダシさんって、怖いね……」
心音を盗聴しても、正の左胸からは「トラブルが一件片付いた、やれやれ」という安堵の六十拍しか返ってこない。
冷徹に敵を丸裸にし、合法的に地獄へ送り込みながら、本人はまるで毎日の日報を提出しただけのような涼しい顔をしているのだ。
正は眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、薄く苦笑した。
「よく言われます」
「……っ!」
その瞬間、キャルルの紅い瞳の奥で、カチリと何かのスイッチが入る音がした。
(強い……! 腕力で暴れる野蛮な男たちとは次元が違う……! 冷静で、知的で、強者には絶対に媚びないのに、私たちを優しく守ってくれる……! こんな大人の男の人、絶対に、絶対に手放しちゃダメだ……!!)
キャルルは胸元に手を当て、自らの心臓がマッハの勢いで高鳴るのを抑えられずにいた。
すでに彼女の脳内では、「この人をどうやってポポロ村に永住させ、生涯私のそばに縛り付けるか」というヤンデレ包囲網の設計図が猛烈なスピードで描かれ始めていた。
「あ、あのね、タダシさん!」
「はい、村長」
「村の金庫、空っぽだったけど……さっき差押えた銀貨三百枚で、今夜は歓迎会をしよう! 私の手料理、人参ステーキをご馳走するから!」
「お気持ちは大変ありがたいのですが」
正は手首の時計――ではなく、壁に掛かっていた振り子時計を見上げた。
時刻は、午後三時を少し回ったところだった。
「差押えた銀貨三百枚は、村の緊急予備費として公金口座へ直ちに組み入れます。歓迎会などの飲食費に流用することは、使途基準違反になりますので【却下】です」
「ええっ!? き、却下!?」
「ええ。それから、私は就労条件として『定時退社』を提示しております。十七時を過ぎたら自室へ引き上げ、一人で静かに晩酌をする予定ですので、宴会への参加は辞退させていただきます」
「う、嘘でしょ……!? 美少女村長のプライベート手料理だよ!? 断る人なんて大陸中に一人もいないよ!?」
キャルルが耳をパタパタと激しく振って絶叫する。
「職務と私情の混同は、ガバナンス崩壊の第一歩ですから」
正は平然と言い放ち、胸ポケットから胃薬を取り出して唾液で飲み込んだ。
「さて、十七時まであと二時間弱ありますね。次は、村の防衛を担っている『自警団』の現場視察と、防衛費用の監査へ向かいましょうか。リバロン執事、ご案内をお願いできますか」
「かしこまりました、武田課長殿。自警団詰所へご案内いたしましょう。……リーダーのマンミア殿が、首を長くしてお待ちですよ」
リバロンが楽しげに目を細め、扉を開けた。
山賊を書類一枚で解体し、ヤンデレ美少女村長の手料理すらコンプラで一蹴する四十男。
その背中を追いかけながら、キャルルは「もう……絶対に逃さないんだから……!」と、人参ハンカチをぎゅっと握りしめて後を追うのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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