EP 4
初陣稟議:みかじめ料サブスク『暴行しない券』の即時解約
「おいコラァッ! ポポロ村の役人ども、耳の穴かっぽじって出てきやがれッ!」
ドスドスと床をきしませる暴力的な足音とともに、執務室の木製両開きドアが乱暴に蹴破られた。
現れたのは、脂ぎった顔に無数の古傷を刻んだ大男だった。
仕立ての悪い熊革のベストに、トゲ付きの鉄甲。腰には血錆の浮いた幅広の肉切り包丁のようなナタをぶら下げている。背後には、同じように凶悪な面構えをした手下が四人、抜刀した剣を肩に担いでニヤついていた。
「……チッ。どこのドブネズミかと思えば、近郊を根城にする『黒鉄の牙』の取り立て屋かい」
キャルルが椅子の背もたれを蹴飛ばすように立ち上がり、紅い瞳に冷ややかな殺気を灯らせた。長い兎耳がピンと逆立ち、腰のダブルトンファーへと手が伸びる。
「キャルルちゃんよぉ、相変わらずツンツンしてて可愛いじゃねえか」
リーダー格の大男――ゴルドバと呼ばれた男は、下品な黄ばんだ歯を剥き出しにして笑った。
「だがな、今月のみかじめ料の集金期日は今日までだぜ? 前村長のジジイが高飛びしたって噂は聞いてるが、村が消し飛んだわけじゃねえんだ。契約は契約だ。さっさと今月分の『治安維持協力費』……金貨五十枚を耳を揃えて出しな!」
「金貨五十枚……!?」
正は背広の内ポケットから胃薬を取り出し、指先で弄びながら低く呟いた。
金庫の現金残高は「銅貨十二枚と乾燥芋三本」である。払えるはずがない。
「おいおい、まさか『払えねえ』なんてケチな口を叩く気じゃねえだろうな?」
ゴルドバは懐から、羊皮紙の束をペラペラと見せつけるように広げた。
そこには、歪なドクロの焼印と、ポポロ村の公印が並んで捺された証書が綴られていた。
「俺たち『黒鉄の牙』は、そこらの野蛮な山賊とは違って紳士的なビジネスをやってんだ。毎月定額を納めれば、うちの組は絶対にこの村の住民に手を出さねえ……安心・安全のサブスクリプション商品、『暴行しない券』だ!」
「……『暴行しない券』?」
正の銀縁眼鏡の奥が、冷ややかに光った。
「そうだ! 良心的な定額プランだぜ! 一家四人以上なら二十パーセント引きの『家族割引』! 十八歳未満のガキへのカツアゲを免除する『安心学割パック』まで完備してやってんだ! こんな手厚いサポート、他所の組じゃあり得ねえぞ! 払わねえってんなら……今月の『暴行免除』は即座に解約だ。手始めに、東の畑を火の海にして、農夫ども全員の足を叩き折ってやる!」
ゲラゲラと下品に嗤う手下たち。
その瞬間、室内の空気が氷点下まで凍りついた。
「……ふざけたこと言ってんじゃないよ、生ゴミが」
キャルルの全身から、白い陽炎のような濃密な闘気が噴き上がった。
マッハの領域で動く達人のオーラ。一歩踏み込めば、この狭い執務室ごと山賊たちをミンチにできる質量である。
「前村長の遺産だか何だか知らないけど、私の村で好き勝手できると思ったら大間違いだよ! 命を燃やして、顎の骨ごと粉々にしてあげる!!」
キャルルが床を蹴り、音速の突進を仕掛けようとした――その刹那。
ガシッ。
「……え?」
キャルルの華奢な肩を、背後から伸びた手がしっかりと掴んで静止させた。
強く握られたわけではない。だが、まるで何重にも編み込まれた鋼のワイヤーのように、微塵のブレもなく彼女の突進エネルギーを完全に殺す、絶妙な重心移動。
「村長、お待ちください」
落ち着き払った、低くよく通る声。
武田正だった。
「な、何するのタダシさん!? 邪魔しないで! あんな奴ら、今すぐ殴り飛ばした方が早いに決まってるでしょ!?」
キャルルが振り返り、紅い瞳を吊り上げて抗議する。
正は静かに首を横に振った。
「殴っても、お金は戻ってきません」
「はぁ!?」
「相手を半殺しにすれば、一時的にはスカッとするかもしれません。ですが、彼らは『契約不履行による正当な実力行使だった』と外部に吹聴し、被害者ヅラをして近隣の盗賊ギルドや闇市場へ悪評を流すでしょう。そうなれば、村の流通は完全に孤立します。……暴力で解決しようとするのは、二流の危機管理です」
正はキャルルの肩から手を離し、スラックスのポケットから万年筆と一枚の真っ白なA4用紙を取り出した。
「殴る前に、まず契約の不法性を暴き、被害額を確定させます。損害賠償請求と法的な包囲網を先に済ませるのが、大人の手続きというものです」
「タダシさんって……本当に怖いね……」
キャルルが毒気を抜かれたように呟く。
正は薄く唇の端を持ち上げた。
「よく言われます」
その背後で、銀灰色の人狼・リバロンがモノクルを光らせ、愉快そうに口元を歪めていた。
「ほう……。暴力の嵐を前にして、契約論で受けて立つ、と。武田殿、腕の見せ所ですね」
正はリバロンに軽く会釈すると、一歩前へ進み出た。
ゴルドバの目の前、わずか一メートルの間合いへ。
「あぁん? なんだこの冴えねえ眼鏡のオッサンは。おい、村長の後ろに隠れてねえで、金を出せって言ってんだよ!」
ゴルドバがナタの切っ先を正の胸元へ突きつける。
だが、正の心音は毎分六十拍のまま、微動だにしない。
(さて。まずは監査からだな)
正の銀縁眼鏡の奥で、青白い光が瞬いた。
【包括的決裁権限(社内稟議)】――派生コマンド。
【稟議書閲覧(ステータス監査)】
眼前に広がるゴルドバの羊皮紙と、山賊団の頭上に、詳細な法的リスク判定ウィンドウが展開される。
対象契約:『ポポロ村治安維持協定(通称:暴行しない券)』
相手方:山賊結社『黒鉄の牙』徴集部門
契約の実態:
・暴力の行使を示唆した畏怖・困惑による金員交付(刑法:恐喝罪の常習該当)
・不公正な取引方法(独占禁止法:優越的地位の濫用、不当な拘束条件付取引)
・公序良俗違反(民法第90条準用:犯罪行為を不作為とする対価の受領)
過去3年間の不当徴収総額:金貨一千八百枚
当事者適格(管轄権):
・ポポロ村役場正規職員(総務課長内定)として、自治体財政の保全および住民の生命財産の防衛義務あり。
――【管轄権:完全承認】
すべての条件が揃った。
正は手元のA4起案用紙に、滑らかな万年筆の筆致で文字を走らせた。
【起案番号:0002】
【件名:反社会的勢力との不当契約『暴行しない券』の即時無効確認および解約の件】
・起案者:ポポロ村役場 総務課長 武田 正
・根拠法令:ガオガオン基本法第1条(人道法)、信義誠実の原則、公序良俗規定
・事実関係:『暴行しない』という当然の法規範の遵守を対価として金銭を脅し取る構造であり、契約の目的自体が反社会的・違法。
・決裁内容:
一、本契約を「公序良俗違反による原始的無効」と確定し、即時破棄する。
二、未払いとされる今月分金貨五十枚の支払義務は一切存在しないことを確認。
三、過去三年間にわたり不当に徴収された金貨一千八百枚全額について、不当利得返還請求権を確立する。
「……おいコラ、さっきから何をごちゃごちゃメモってやがんだ! 人を小馬鹿にしやがって!」
ゴルドバが顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、ナタを振り上げた。
正は顔を上げ、氷のように冷静な声で告げた。
「ゴルドバ氏。貴方がたの提示している『暴行しない券』ですが……法律上、最初から成立しておりません」
「……はあぁぁ!? 何言ってんだテメエ!」
「『暴行しない』というのは、社会規範上、すべての構成員が遵守すべき最低限の作為義務です。他人に暴力を振るわないことを対価として金銭を要求する行為は、契約ではなく、単なる『恐喝』と呼びます」
正は淡々と、だが逃げ場のない論理の刃を突き刺していく。
「さらに、家族割引や学割などと嘯いていますが、暴力の威迫を背景に地域住民へ一方的な負担を強いる行為は、市場における優越的地位の濫用、ならびに独占禁止法違反です。よって、この契約は公序良俗に反し、過去に遡って【無効】です。我々に支払う義務は一文もありません」
「だ、だ、だ……!」
ゴルドバは唾を撒き散らし、血管が切れそうなほど顔を紅潮させた。
「誰がそんな小難しい屁理屈を認めるかよボケがァッ! 法律だのコンプラだの、山賊に通用すると思ってんのか!? この証書に前村長のサインと印鑑がある限り、金は払ってもらうんだよォッ!」
ゴルドバが証書を正の目の前に突きつけた。
正は愛用の三文判を取り出し、朱肉にトントンと押し当てた。
「認めるかどうかは、貴方がたが決めることではありません。――こちらが決めることです」
正は起案用紙の決裁欄に、寸分の狂いもなく三文判を押し込んだ。
トン、と乾いた音が室内に響く。
【決裁執行――反社会的契約の原始的無効を確定】
ボゥッッッ!!
「ぎゃあああっ!?」
突如として、ゴルドバが手に持っていた羊皮紙の証書が、青白い燐光を放ちながら激しく発火した。
熱さのあまりゴルドバが手を離すと、契約書は床に落ちる前に、まるで最初から存在しなかったかのようにサラサラとした光の塵となって霧散した。
「お、俺たちの……契約書が……消えた……!? な、何をしやがったテメエェッ!?」
手下たちが腰を抜かしかけ、ゴルドバが泡を吹いて後退る。
正は万年筆を胸ポケットへ戻し、銀縁眼鏡の位置を直した。
「これで、契約の即時解約……いえ、原始的無効の確定手続きは完了しました。そして、本件はこれで終わりではありません」
正の背後から立ち上る、暴力とは次元の違う「絶対的な組織の規約」の威圧感。
敵を震え上がらせる冷徹な監査官の目が、山賊たちを射貫いた。
「過去三年間にわたり、貴社――失礼、貴山賊団が当村から不法に徴収した金額は、金貨換算で一千八百枚。これは不法原因給付ではなく、強迫による不当利得に該当します。本日付で、遅延損害金年利十四・六パーセントを付加した全額返還請求書を発行いたしました」
「せ、せん……はっぴゃくまい……!?」
「期日までの全額一括返還を求めます。……万が一、支払いに応じられない場合は、法的手続きに基づき、貴団の全資産の強制執行、ならびに破産管財人による更生労働手続きへ移行いたしますので、そのおつもりで」
「ざ、ざ……ふざけんなァァァッ!!」
あまりの超展開と法外な請求に脳の処理が追いつかなくなったゴルドバが、狂乱の形相でナタを両手で構えた。
「紙切れ一枚で俺たちを丸裸にできると思うなよ! ぶっ殺してやる! 皆殺しだァァッ!」
逆上した山賊の刃が、武田正の首元めがけて振り抜かれる――!
だが、四十歳の元社畜課長は、逃げるでもなく、眉一つ動かさず、ただ静かに次の書類へと手を伸ばしていた。
理不尽な暴力に対する、本当の「コンプライアンス是正勧告」は、ここからが本番だった。
読んでいただきありがとうございます。
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