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『40歳元法務課長、限界集落ポポロ村の稟議を通す〜神や魔王をコンプラで倍返ししてたら大陸最強の黒幕と崇められていた件〜』  作者: 月神世一


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3/22

EP 3

面接官はヤンデレ月兎と完璧人狼

ドクン。ドクン。ドクン。

静まり返ったポポロ村役場の一階で、規則正しい心音だけがキャルルの長い兎耳を通じて脳幹へと響いていた。

毎分六十拍。

針が刻む時計の秒針と寸分違わぬ、完璧な等間隔。

(うそ……でしょ……?)

キャルルは背筋にツッと冷たい汗が流れるのを覚えた。

彼女は月兎族の純血種であり、王立アカデミーを首席で卒業した元・近衛騎士隊長候補である。その身体能力と鋭敏な五感は、相手の吐息の湿り気、瞳孔のわずかな収縮、そして何より左胸の「心音の乱れ」から、あらゆる嘘や悪意、敵意を〇・一秒で看破する。

目の前の男は、見たこともない奇妙な布地――ヨレたチャコールグレーの上着とズボンを身に纏い、くたびれた眼鏡を鼻梁に乗せている。

筋肉量は一般人並み、魔力反応に至ってはスライムにすら劣る。

だが、距離五十センチで放たれる自らの殺気混じりの威圧を真っ向から浴びながら、男の心音は凪いだ湖面のように静まり返っていた。

動揺、なし。

悪意、なし。

色欲や下心、一切なし。

感知できるのは、驚くほど純度の高い「業務改善への職務意識」と、わずかな「胃壁の痛み」、そして「早く仕事を終えて冷えた酒が飲みたい」という哀愁に満ちた生体ノイズだけだった。

(この人……本物の化け物だ……!)

キャルルの紅い瞳の奥底で、冷徹な警戒心と、獲物を見定めた捕食者のような熱狂がドロリと混ざり合った。

「……ふふっ。面白い人」

キャルルはフッと笑みを漏らすと、威圧を解き、音もなく一歩後ろへ下がった。

その背後から、燕尾服を寸分の乱れもなく着こなした銀灰色の人狼――専属執事リバロンが、音もなく前に進み出る。

リバロンはモノクルの位置を指先で直しながら、正が差し出していた長方形の白い紙――名刺へと視線を落とした。

「……『元総合商社 総務法務兼務課長 武田正』殿、とお読みすればよろしいでしょうか」

「はい。正確に発音していただき恐縮です、リバロン執事」

正が軽く会釈すると、リバロンの糸目がわずかに細められた。

「驚きましたね。異国の文字でありながら、紙の繊維、インクの定着度、そして何より名刺を差し出す角度と間合い……すべてが一流の使者の所作です。――礼には礼をもってお応えするのが、我がムーンハート家の流儀」

リバロンは燕尾服の内ポケットから、銀色に鈍く光る極薄の金属プレートを二本指で滑らかに抜き取った。

「ポポロ村長専属執事兼筆頭宰相、リバロンと申します。以後お見知りおきを」

シュッ、と空気を切り裂く鋭い風切り音とともに、プレートが正の胸元へと差し出される。

紙のように薄いが、超高密度のミスリル銀で鍛え上げられた名刺――手元が狂えば人間の喉笛など容易く両断できる凶器そのものである。

だが、正は眉一つ動かさず、両手の人差し指と親指でその両端を「スッ」と挟み取った。

商社時代、激高した取引先の専務が投げつけてきた契約書を宙でキャッチした経験に比べれば、軌道が直線的なだけ対処は容易だった。

「頂戴いたします。素晴らしい質感ですね。保管に気を遣わせていただきます」

「……ッ」

リバロンの喉元が、かすかに上下した。

名刺に込めていたわずかな闘気と回転が、男の両断されたような指先によって、完全に無力化(いなし)されたのだ。

(この男、武芸の心得など皆無に見えるが……身体に染み付いた『受けの型』が完全に完成されている。いかなる修羅場をくぐれば、この脱力に至るのか……!)

「立ち話もなんです。武田殿、二階の村長執務室へお越しいただけますか。温かいお茶をご用意いたしましょう」

リバロンが恭しく右手を差し伸べ、階段を案内した。

「ええ、ありがとうございます。お邪魔いたします」

正はスーツの裾を整え、二人の後に続いて階段を上がった。

二階の村長執務室は、外観の素朴さに反して、重厚なマホガニーの机と膨大な書類棚が並ぶ機能的な空間だった。

壁にはマンルシア大陸全土の精密な軍事地図と、ポポロ村の詳細な地籍図が掲げられている。

執務机の中央にキャルルが腰掛け、その背後にリバロンが直立不動で控える。

対面の革張りソファに腰を下ろした正の前に、湯気の立つ陶器のカップが置かれた。

「どうぞ。村の特産品、月光草をブレンドした陽薬茶です。胃の粘膜を保護する効能がございますよ」

「これはありがたい。いただきます」

正が一口啜ると、ハーブのような爽やかな香りと優しい温かさが、キリキリと痛む胃袋をじんわりと包み込んだ。

「さて、武田さん」

キャルルが執務机に肘をつき、小首をかしげて紅い瞳を向けた。

その長い兎耳が、ピコピコと愛らしく揺れている。

「さっき一階で言ってたこと、詳しく聞かせてほしいな。うちの村の金庫が空っぽなこと、どうやって立て直すつもり?」

「では、単刀直入に申し上げます」

正は胸ポケットからA4の用紙と愛用の万年筆を取り出し、手早く簡潔な図を書き始めた。

「まず、前村長ロップ氏による公金横領についてです。先ほどのお話では、アバロン魔皇国の魔族未亡人と駆け落ちしたとのことでしたね」

「うん。隣町のゲートボール大会で知り合って、すっかり骨抜きにされたらしいよ。まったく、だらしないおじいちゃんだよね!」

キャルルがぷくっと頬を膨らませる。

正は淡々とペン先を走らせた。

「感情論は脇に置き、事実関係のみを整理します。ロップ氏が持ち出したのは金貨二百枚規模の現金。これを個人が物理的に運搬する場合、重量は約二キロから三キログラム。馬車や公共の乗合竜車を使う必要があります。そして現在、三大国の国境緩衝地帯は臨時の検問が敷かれているはずです」

「……ほう。なぜ検問の存在をご存知で?」

リバロンが目を細める。

「来る途中の街道で、重武装の自警団や対空機関砲を見かけましたからね。小競り合いが頻発している地域において、国境管理が甘いはずがない。つまりロップ氏は、正規のルートを通れず、抜け道か闇ルートを使っている。そして魔皇国の通貨と帝国の通貨では為替レートが異なるため、必ずどこかで『資金洗浄(ロンダリング)』を行う必要がある」

正は手元の用紙をツッと滑らせ、机の上のキャルルとリバロンに見せた。

そこには、逃亡ルートの関所、闇両替商の予想地点、そして『仮差押え申請』の手続きフローが完璧な論理でチャート化されていた。

「ゴルド商会の全支店窓口に対し、ポポロ村役場の公印を捺印した『横領被害届』および『口座凍結請求書』を即座に送達してください。同時に、隣接するルナミス帝国警察と魔皇国の国境警備隊へ、合同捜査要請と身柄引き渡し協定の事前申請を行います。相手が魔族の未亡人であれ、国際手配になれば隠れ蓑にはできません」

キャルルが口を半開きにして紙を見つめた。

「え……? そんなことできるの? だって、村の自警団を送って殴り倒す方が早いんじゃない?」

「村長、お待ちください。殴ったところで、お金は戻ってきません」

正は眼鏡の奥の目をすっと細め、低く穏やかな、だが絶対の確信に満ちた声で諭した。

「他国の領内へ越境して武力を行使すれば、それは主権侵害であり、国際問題に発展します。最悪の場合、三大国からの賠償請求で村が完全に消し飛びますよ。武力は最後の担保です。まずは損害賠償請求と資産凍結を法的に先行させ、相手の逃げ場と軍資金を完全に干上がらせるのが鉄則です」

「…………!」

キャルルが息を呑んだ。

いつも「殴れば解決する、命を燃やせば道は開ける」と突っ走ってきた彼女の脳天に、冷徹な大人の知性が氷水のように注ぎ込まれた瞬間だった。

リバロンが静かに拍手を鳴らした。パチ、パチ、パチ、と乾いた音が室内に響く。

「……お見事です、武田殿」

リバロンの唇に、心からの賞賛の笑みが浮かんでいた。

「クラウゼヴィッツは『戦争とは他の手段をもってする政治の継続である』と説きましたが、貴殿の思考はまさにそれだ。血を一滴も流さず、相手の息の根を法と経済で止める。……村長、この男、ただの流れ者ではございません。我が村が喉から手が出るほど求めていた『制度(ガバナンス)』そのものでございますよ」

キャルルの紅い瞳が、カッと爛々と輝き始めた。

彼女は身を乗り出し、机の上に両手をついた。

豊満な胸元が揺れ、透き通るような白銀の髪が正の鼻先をかすめる。

「ねぇ、タダシさん!」

「はい」

「うちの村で働いて! ううん、働いてください! 役場の総務でも財務でも、好きなポストをあげるから!」

至近距離から浴びせられる、純度百パーセントの熱烈なスカウト。

だが、武田正という四十男は、どこまでも現実主義者だった。

正は姿勢を崩さず、静かに喉を鳴らした。

「雇用契約を結ぶにあたり、私の方からもいくつか就労条件を提示させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」

「条件? うん、なんでも言って! お給料? 金貨何枚でも……あ、いま金庫空っぽだった!」

頭を抱えるキャルルに、正は小さく苦笑した。

「給与は村の財政が健全化するまで、最低限の生活費で構いません。私が求めるのは、労働環境の適正化です」

正は指を一本立てた。

「第一に、勤務時間は朝八時半から十七時まで。時間外労働は緊急事態を除き、原則禁止。十七時を過ぎたら、私は即座に業務を終了し、自室へ引き上げさせていただきます」

「……え? それだけ?」

「第二に、退勤後のプライベートの完全な保障です。私は毎日、静かに晩酌をして眠りにつきたい。この時間を脅かさないことを確約してください」

「…………」

キャルルとリバロンが、ぽかんと顔を見合わせた。

三大国の思惑が交錯し、いつ戦火に包まれるかも分からないこの魔境において――神をも手玉に取れそうなほどの知性と胆力を持つ男が求めた条件が、「定時退社」と「静かな晩酌」。

リバロンが喉の奥で「ククッ……」と笑いを漏らした。

(底が知れない……! 名誉も権力も求めず、ただ己の規律(ルーティン)を守るためだけに動くというのか。真の強者とは、得てしてこのような男を指すのだな)

一方のキャルルは、長い兎耳をピクピクと震わせ、真っ赤な顔をして正を見つめていた。

(十七時に帰って、お酒を飲む……? それって、毎日夕方になったら、私の目の届くお部屋にいてくれるってこと……? 外の悪い女のところに行かないってこと……!?)

キャルルの脳内で、月兎族特有の過剰な独占欲の歯車が、ものすごい勢いで噛み合い始めていた。

「わかった! 約束する! 十七時退社、絶対守らせるね!」

キャルルは満面の笑みを浮かべ、腰のポーチから手縫いの布を取り出した。

オレンジ色の糸で可愛らしい人参の刺繍が施された、柔らかな白いハンカチである。

「これ、採用の記念にあげる! 私の特製ハンカチ!」

「おや、恐縮です。汗拭きに使わせていただきます」

正は素直に受け取り、胸ポケットへと丁重に収めた。

ハンカチから漂う、キャルル自身の微量な闘気と甘い体臭――それが大陸中どこへ逃げても居場所を特定できる「生体発信機(GPS)」であることなど、純朴な元課長は知る由もなかった。

「それではリバロン、タダシさんの仮辞令を作って! 明日からさっそく役場の総務を見てもらおう!」

「かしこまりました、村長」

リバロンが一礼し、流れるような動作で羊皮紙を取り出したその時だった。

ドガァァァァァンッ!!

一階の玄関扉が、乱暴に蹴破られる破壊音が鳴り響いた。

「おいコラァッ! ポポロ村の役人ども、耳の穴かっぽじって出てきやがれッ!」

濁った怒号とともに、重い鉄靴の足音が階段を駆け上がってくる。

正の眉間に、深い皺が刻まれた。

胸ポケットのガスター10が、再び出番を待つように微かに擦れる。

(……やれやれ。面接が終わった直後に、また厄介な客のお出ましというわけか)

限界集落ポポロ村の「みかじめ料集金日」――悪名高き山賊団の来訪が、いま扉の向こうに迫っていた。

読んでいただきありがとうございます。

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