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『40歳元法務課長、限界集落ポポロ村の稟議を通す〜神や魔王をコンプラで倍返ししてたら大陸最強の黒幕と崇められていた件〜』  作者: 月神世一


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第二章 居候美女たちの労務改善・コンプラ教育編

朝食テーブルの経済格差と、飢えた人魚姫

 午前七時三十分。

 ポポロ村の朝は、驚くほど澄み切った鳥の囀りと、香ばしいパンの焼ける匂いで幕を開ける。

 帝国軍への理不尽な示談交渉を「相殺」という名の合法手形で大黒字決着させ、夜襲を仕掛けてきた山賊連合三百名を丸ごとドンガン鉱山の法定労働者として回付したことで、村の治安と財政はかつてないほどの安定期を迎えていた。

 だが、四十歳の元商社法務課長・武田正の胃痛だけは、依然として完治の兆しを見せていなかった。

「……ふう。朝一番の胃に、この冷え込みは少々堪えますね」

 宿舎から村長公邸へと続く渡り廊下を歩きながら、正はチャコールグレーのスラックスのポケットから銀色のシートを取り出し、胃薬を一粒、慣れた手つきで舌の上へ放り込んだ。

 朝の業務連絡。本日の村落インフラ補修予算の事前稟議を通すため、村長キャルルの私室兼ダイニングルームへと向かっていたのだが――木製の引き戸に手をかけた瞬間、中から何やら尋常ではない「殺気」と「物悲しい咀嚼音」が漏れ聞こえてきた。

「……失礼します。村長、本日の朝礼前ミーティングの件ですが」

 正が引き戸を静かに開けると、そこにはマンルシア大陸の縮図というよりは、「資本主義の最も残酷な断面図」が広がっていた。

 マホガニーの重厚な長テーブル。

 その上座に鎮座するのは、我がポポロ村の最高権力者にして、公称年収六百万円の敏腕村長――キャルル・ムーンハートである。

 彼女の前に並ぶ朝食は、まさに貴族のモーニングプレートそのものだった。

 こんがりと黄金色に焼き上げられた米麦草の特製厚切りトーストに、自家製の燻製ベーコンと半熟の目玉焼き。シャキシャキの高原人参と朝採れ野菜のシーザーサラダ、そしてガラスのデキャンタに注がれた高純度ビタミン人参ジュース。

「あ、タダシさん、おはよう! 今日もスーツがピシッとしててカッコいいね! ほらほら、タダシさんの分のトーストも焼いてあるよ!」

 長い白銀の兎耳をパタパタと揺らし、朝から眩しすぎる満面の笑顔を向けてくるキャルル。その隣では、執事のリバロンが音もなくティーカップへ極上のアッサムティーを注ぎ、優雅に一礼していた。

「武田殿、おはようございます。本日の朝刊と、帝国内務省からの定期通信の要約をまとめておきましたよ」

「恐れ入ります、リバロン執事。……しかし、その」

 正の視線は、キャルルやリバロンではなく、テーブルの最下座――冷たい隙間風が吹き抜ける部屋の隅へと吸い寄せられていた。

 そこに、一人の少女がいた。

 海底の真珠を思わせる艶やかな青銀色の長髪に、澄み切ったエメラルドグリーンの瞳。水棲種族特有の透き通るような白い肌を持つ、文句なしの絶世の美少女。

 だが、その身に纏っているのは――ルナミスデパートのワゴンセールで叩き売られていそうな、首元がヨレヨレに伸びきった小豆色の芋ジャージ(上下)。

 足元には、ゴム底が完全にすり減った便所サンダル。

 そして、彼女の前に置かれた朝食のプレートには――

 真っ黒に炭化したパンの耳が二本。

 殻にヒビが入った、冷え切った固茹で卵が一個。

 そして、近所の土手で自らむしり取ってきたとおぼしき、タンポポとオオバコの「雑草サラダ(ドレッシングなし)」。

 脇には、タダの水道水が入った欠けかけのマグカップが一つ、寂しそうに置かれていた。

「モグ……モグ……モグ……。ジャリッ」

 少女は死んだ魚のような瞳で、土のついたオオバコの葉を無心で咀嚼していた。

「………………」

 正は思わず銀縁眼鏡の位置を直した。

 視界の端で、スキル【稟議書閲覧(ステータス監査)】のシステムウィンドウが無意識に展開される。

――――――――――――――――――――

【監査対象】リーザ・シーラン・リヴァイアサン(16)

【身分】深海王国シーラン 正統王女(親善大使)/フリーランス地下アイドル

【公称年収】推定・数千円(主な収入源:路上ライブの五円玉投銭および空き缶換金)

【直近の可処分所得】マイナス四万二千円(家賃滞納中)

【健康状態】極度の栄養失調、軽度の塩分過多、やせ我慢による精神崩壊寸前

――――――――――――――――――――

(……深海王国の王女殿下? それがなぜ、限界集落の片隅で野草を主食にしているんだ……?)

 正が思わず絶句していると、芋ジャージの少女――リーザは、正面から漂ってくるキャルルのベーコンの芳香にピクリと鼻腔を震わせた。

 その瞬間、彼女の細い腹から、

 ――ギュルルルルルゥゥゥゥッ!!

 と、怪獣の咆哮のような凄まじい空腹音がダイニング中に鳴り響いた。

 リーザの顔がカッと赤く染まる。

 だが、彼女はスッと背筋を伸ばし、芋ジャージの胸元をピンと張って、気品あふれる笑みを浮かべてみせた。

「フ、フン! キャルル様、そのような脂っこい動物性タンパク質と糖質の塊など、一流の表現者たるこの私には不要ですわ! アイドルたるもの、ファン以外の施しは一切受けないのがプロの誇り! この土手で摘んできた採れたてのオオバコこそ、ミネラルと大地の生命力が凝縮された至高のスーパーフードなんですの! オーッホッホッホ!」

 高笑いを上げながら、リーザは震える手で炭化したパンの耳をガリッと齧った。

 喉が詰まったのか、ゲホゲホと激しく咽せ込みながら、水道水を一気に流し込んでいる。涙目である。どう見ても限界だった。

 キャルルが心底いたたまれないような顔で、焼き立てのフレンチトーストが乗った小皿をそっと差し出す。

「あのね、リーザちゃん……。無理しなくていいから、これ食べる? ハチミツもたっぷりかけたんだけど……」

 その瞬間だった。

 ズザザザザザァァァッ!!

 音速の摩擦音が床を焦がした。

 リーザは便所サンダルを脱ぎ捨て、光の速さでキャルルの足元へと膝からスライディングをキメていた。

 その間、わずか〇・二秒。

「食べますぅーーーッ!! 神様仏様キャルル様ぁーーッ!! いただきますわぁあああッ!!」

 床に額を激しく擦り付け、残像が見えるほどの速度でフレンチトーストを両手でひったくると、リスのように両頬を限界まで膨らませて詰め込み始めた。

「あぐっ、んぐっ、んま……! 甘い……! 炭水化物とお砂糖の味がしますわ……! 生きててよかった……!」

「あはは……。喉詰まらせないでね……」

 苦笑いするキャルルの横で、リバロンがモノクルを冷ややかに光らせ、手帳に何かを書き込みながら淡々と告げた。

「リーザ様。先ほど、廊下にまた『ふ〜ん石』を落とされていましたね。危うく私が踏んで、執事としての歩行美学を損ねるところでした。本日の夕食の配給から、パンの耳をさらに半分に減給(げんきゅう)処分とさせていただきます」

「ひ、酷すぎますわリバロンッ!? あれは私の純粋な魔力代謝の老廃物……いわば私の命の輝きですのに! ただでさえ私の主食の八割を占めるパンの耳を削られたら、私、本当に光合成で生きるしかなくなってしまいますわーッ!」

 大号泣してリバロンの燕尾服の裾にすがる芋ジャージの人魚姫。

「………………」

 その光景を無言で見つめていた武田正は、胸ポケットから万年筆を抜き、手元のクリップボードに挟まれた『ポポロ村役場・福利厚生および労務監査メモ』にペン先を走らせた。

「……村長」

「は、はいっ!? な、何かなタダシさん!?」

 急に声をかけられ、キャルルがビクッと兎耳を跳ね上がらせる。

「村長公邸における居候人員の管理体制、および最低生活保障に関する運用について、重大なコンプライアンス上の懸念があります」

「こ、こんぷらいあんす……?」

 正は冷徹な法務監査官の眼差しで、床でトーストに齧りついているリーザを指し示した。

「第一に、公邸の備品や食料を私的に無秩序配給することは、村落財政における『使途不明金』および『現物贈与の不当計上』に該当します。第二に、彼女が王国の親善大使であるならば、この劣悪な栄養状態が公になった際、外交問題に発展するリスクが極めて高い。そして第三に――」

 正は眼鏡のブリッジをクイと押し上げた。

「――彼女自身の経済的自立を促さず、ただ月末の土下座と施しで飢えを凌がせる行為は、持続可能な労務マネジメントの観点から見て『最悪の飼い殺し』です。これでは生活保護の不正受給スパイラルと何ら変わりません」

「ぐ、ぐうの音も出ない正論……!」

 キャルルがぐぬぬと両耳を垂らして小さくなる。

 一方、床でフレンチトーストを咀嚼していたリーザは、ぽかんと口を開けて正を見上げていた。

「あ、あの……おじさま? もしかして貴方、私のこの溢れ出る天性のオーラと美貌に気づいて、多額のスパチャ……いえ、パトロンになってくださる大富豪様ですの……!?」

 エメラルドグリーンの瞳をギラギラと輝かせ、両手をすり寄せてくるリーザ。その姿は、歌で世界を救うアイドルというよりは、完全に場末の競馬場に生息するノミ屋のそれだった。

「違います。私はただの村役場総務課長です」

 正は冷ややかに一蹴した。

「リーザさん。貴女の現在の『フリーランス地下アイドル』としての収支報告書、過去三ヶ月分の売上台帳、および納税記録を本日十四時までに総務課の私のデスクへ提出してください。――徹底的な『業務改善面談』を実施します」

「えっ……? ぎょうむ……しゅうし……? な、なんですのそれ……? 私の売上なんて、路上ライブで飛んでくる五円玉と、たまに貰えるシモツレ草の束くらいしか……」

「結構。それらの実態をすべて白日の下に晒し、貴女に適切な『雇用契約』と『返済スキーム』を提示します」

 正は愛用の三文判をスーツの内ポケットに収めると、定時退社と健全な村政を守るため、静かに踵を返した。

「リバロン執事、本日の朝礼を始めましょう。――十四時の面談までに、ポポロ村の労働安全衛生規則の改定案を一本通しておきます」

「かしこまりました、武田課長殿。素晴らしい手腕でございます」

 背後で「た、タダシさん、待ってよ〜! 私も一緒に行く〜!」と追いかけてくるキャルルの足音を聞きながら、正は静かに胃のあたりを押さえた。

 限界集落の居候たちを巡る、地獄の労務コンプライアンス改革が、いま静かに幕を開けたのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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