EP 15
LEX-LUCIANAからの特命辞令と、最初のクロス・ボーダー監査
ポポロ村役場の臨時役員会議室には、いつになく引き締まった、だがどこかワクワクとした奇妙な緊張感が漂っていた。
マホガニーの重厚な会議机の中央に置かれた純白の羊皮紙――それは、最高位司法AI『LEX-LUCIANA』から直接射出された特別行政通達であった。
表面に刻まれた複雑怪奇なシステムコードと金色の国印が、いかにこの案件が規格外の規模であるかを無言で物語っている。
「……ふむ」
武田正はくたびれたチャコールグレーのスーツの背筋を伸ばし、銀縁眼鏡のブリッジを中指でクイと押し上げながら、羊皮紙に記された条文を隅々まで精読していた。
その傍らで、村長キャルルは長い白銀の兎耳をピンと立て、興味津々といった様子で正の肩越しにのぞき込んでいる。
「ねぇ、タダシさん! これってつまり、ポポロ村の領土から出て、外の世界の大きな事件を解決しに行きなさいっていうお上の命令なの?」
「お上の命令というか、最高位司法AIによる『特命監査官の臨時代行要請』ですね」
正は小さく息を吐き、胸ポケットから銀色のシートを取り出して胃薬の錠剤を一粒、手際よく口に放り込んだ。
苦味が舌に広がり、動き出しそうな偏頭痛の予兆を鎮めてくれる。
「ルナミス帝国、レオンハート獣人王国、そしてアバロン魔皇国。大陸の三大国が交差する要衝において、大規模な『不当交易および関税逃れのダンピング紛争』が発生しているらしい。現地法人のガバナンスが完全に崩壊しており、このままでは緩衝地帯全体のサプライチェーンが破綻する恐れがある。そこで、中立かつ厳格な法務監査を手がけた私に白羽の矢が立った、というわけです」
「ほぉ……!」
会議室の隅で控えていた銀灰色の人狼・リバロンが、モノクルを光らせて感嘆の声を漏らした。
「LEX-LUCIANAが直接指名するクロス・ボーダー・オーディター(大陸間法務監査官)。それは数百年の一人の伝説と言われる最高峰の特権階級でございますよ。我が村の総務課長が、ついに大陸全土の企業法務を掌握する立場に……!」
「やめてください、そんな大層なものに聞こえると、まるで私が自ら進んで面倒事を背負い込んでいるみたいじゃないですか。私はただ、定時退社と平穏な晩酌の環境を守るために、元凶の芽を摘みに行くだけです」
正は淡々と否定したが、その眼鏡の奥には、新たな理不尽なシステムを法的論理で叩き潰すことへの「プロの闘志」が微かに燃えていた。
「へぇ、タダシさんが外に出るんだぁ……」
キャルルは紅い瞳をキラキラと輝かせ、長い兎耳をパタパタと嬉しそうに揺らした。
「それじゃあ、出張ってことだよね!? タダシさんと一緒に、よその国に行って、悪い奴らの財産を差し押さえて、一緒に美味しいものを食べて……!」
「村長、それは『出張』ではなく『業務出張に伴う現地監査』です。私情の混同は認めません。それに、貴方がついて来たら現地の治安組織が秒速で全滅しますから、留守番をお願いします」
「えーーっ!? そんなのあんまりだよ! 私も総務部の特別護衛として同行する権利が――!」
「却下です」
正の一言で、キャルルはテーブルに突っ伏して「うぅ……」と小さくうなだれた。
その様子を横目で見て、ニャングル支店長が算盤をジャラリと鳴らしながら豪快に笑った。
はん、まぁええやないですか、タダシはん。外の市場が荒れとるなら、ウチのゴルド商会にとっても商機ですわ。大いに暴れて、あこぎな商売しとる連中の懐を綺麗に掃除してきなはれ!」
「綺麗に掃除するのは私ではなく、法と規定に基づく『正常化』です、ニャングル支店長」
正は立ち上がり、スラックスの裾を整えた。
視界の端には、青く輝く監査ウィンドウが静かに待機している。
【包括的決裁権限(社内稟議)】――臨時代行モード起動
【対象案件】大陸間不当交易および関税逃れに関する特別監査
「……さて。出張の準備を始めましょう」
正は愛用のパーカー製万年筆を胸ポケットにしっかりと収め、クリップボードを小脇に抱えた。
ポポロ村の枠を飛び出し、大陸全体の巨大な理不尽に立ち向かうクロス・ボーダー監査の旅が、いま静かに幕を開けようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




