6話 決意の朝
泥のように眠った夜が明け、ヤタガルド城に用意された客室で、ルイーナは目を覚ました。
王への謁見を控え、準備をしている。
指定制服から露見する素肌は、擦り傷だらけ。
痛みを我慢しながら、鏡の前で髪を整える。
(先輩達……あの後、大丈夫だったかな?)
駐屯地で保護された後、馬車の荷物から探し出した回復薬を渡すまで、ずっと手を繋ぎ、魔力循環を絶やさなかった。
「……よしっ!」
麻袋に櫛をしまい肩に掛けると、椅子から立ち上がり、忘れ物が無いように見回した。
卒業試験に訪れたはずが、思わぬ騒動に巻き込まれたこの国からの、帰り支度に余念が無い。
(バスティは、隣だったよね)
普段の生活ではお目にかかれない、重厚感のある材質に施された彫刻様式が、見る者の造詣を深——トントントン「どーぞ♡」カチャッ——
ルイーナのノックに、
ルイーナちゃんが応え、
ルイーナ様がバスティの客室扉を開ける。
彼のプライバシーだけが存在しない。
「あ、おはよう」
ちょうど荷造りを終えたバスティはいつもの光景に、昨日の激動から日常に戻ったことを実感した。
「おはようございます。では参りましょう、純潔の剣闘士さま」
制服スカートの横を、両手で摘み足を交差し、恭しくお辞儀をする。
これから謁見だというのに、前髪を上げてピンで止め、おでこを出したリラックススタイルのままであることを忘れ、笑っている。
「っ! もぉ~っ」
バスティは照れながら、大きな荷物を背負い、揃って部屋を後にした。
厳格な空間に、ヤタガルド王の声が響く。
「ルイーナ殿。バスティ殿。昨日のご活躍は、耳にしております。」
国賓代理として丁重に扱われる2人は、どこか落ち着かない様子で、棒立ちしている。
王の横には、副将軍、参謀、魔法隊長の重鎮達が立ち、部屋の両脇に数名の近衛兵が並ぶ。
「まずは、これを」
王の目配せを合図に、文官が一通の書状を盆に乗せ、ルイーナの前に差し出した。
(直筆の受領書っ! 王さま、達筆ぅ~)
国宝の魔力調整が完了した証であり、これを発行してもらうために、戦場へ赴いた。
試験は、調整までのはずだった。
魔法隊の迎撃だけでは済むまいと、魔法遺具の伝聞に賭けた将軍の、まさに背水の策に必要不可欠な緊急要請。
将軍に収め、魔法気の発現を見届け次第、城へ戻り受領書を受け取り、出国する。
段取り通りであれば今頃は、マシルスで念願の卒業を言い渡されていただろう。
(なのに、余計なことを……もじゃ眉オヤジ!)
バスティを拐った副将軍を、ルイーナは心の中で、脱毛魔法の実験台にした。
国賓代理は書状を両手で受け取ると、込み上げる達成感で綻びそうになる表情を引き締め、用意された筒に入れ、麻の肩掛け袋に収めた。
「それと、これを」
文官が木箱を抱えている。
就寝前に給仕から問われた、希望報酬だ。
(ワァ……最高級オレンジジュ~~~スッ!)
あまりの感激に、笑顔のルイーナ。
隣で平静を装うバスティだが、聞いていないといった表情を隠しきれず、引き攣っている。
彼の荷物が、また増えた。
「では、道中お気をつけて。ヨハナ御大によろしくお伝えくだされ」
重役達も何か言いたそうに2人を見つめるが、発言を許される場ではない。
昨日の威圧的な視線とは違い、どこか敬意を含んでいるかのようで、隊員達の報告を受けたであろう魔法隊長からは、特にそれが滲み出ていた。
「承知致しました。改めまして、これにて貴国における、国宝の魔力調整を、終了致します」
2人は揃って頭を下げ、玉座の間から廊下へ踏み出すと、豪華な扉が近衛兵により閉められた。
静かな空気の中、チラリと目が合うと、緊張から解放されたようだ。
「やった~! 卒業課題の正式な受領書っ!」
「うん、うん! おめでとうルイーナ!」
互いの両手指を組んで、小躍りしている。
近衛兵は、厳格な表情で直立している。
遠くを見つめる視線は、我が子に重ねるかのように穏やかだった。
送りの馬車に乗るため外へ出ると、1人の男が、中庭に仰向けで横たわっている。
「ルイーナ、あの短髪の人」
「ヒデッカータ将軍……なんで?」
玉座の間にはいなかった。
とはいえ、見送りの様子でもない。
「命の恩人、なんだろ? 帰る前に挨拶してい『——ヤダッ!——』」
バスティの提案に、ルイーナは駄々っ子魔法で頬を膨らせた。
危機から救われたのは事実だが、相棒を拐った副将軍の、上官でもある。
直接抗議の機会すら無く、もじゃ眉オヤジへの反発心を、代わりに向けてしまいそうだった。
軽くいなしたバスティが芝に歩を進めると、置いていかれるとそれはそれで気まずいルイーナは、渋々後に続いた。
「ヒデッカータ将軍。僕達、これで失礼致します」
顔を覆うタオルの隙間で光るものを、ルイーナは見逃さなかった。
(えっ……涙?)
上半身は裸、ではない。
休暇日なのだろうか、白のタンクトップに青のハーフパンツ、といったラフな格好だ。
「御同行者……と、代理か。道中お気をつけて」
飄々とした彼らしさに戻っているようだった。
「将軍……どうして泣いておられるのですか?」
「もう、将軍ではない……初めて一兵卒として士官した時に、ここで整列したことを思い返していた」
昨日の武勇伝は特別報奨級だと、城内で行き交う兵士達の間で持ちきりだった。
「あの……将軍じゃないって、なぜですか?」
無遠慮に切り込む、おでこルイーナ。
リラックスモードでもこの突破力だ。
「軍人としては、やり切った……引退した」
「えぇーーっ!?!?」
唐突な辞職に、思わず声を揃えて目を白黒させている。
「燃え尽き……いや。むしろ探求、かな」
これには声も出ず「?」を浮かべる。
「纏った国宝の力。勇者の残り火なのだろう? つまり彼らは元々、自力でその域に到達した。」
顔を隠したまま体勢を変えなかったヒデッカータは、上体を起こすと、澄んだ瞳で口を開いた。
「旅に出る。個の武人として、それを目指す」
2人は再び、言葉を失った。
だが、心境は先ほどとは違った。
「将軍なら、できる気が……いえ、できますよっ!……きっと!」
魔法遺具に選ばれた勇者の後継者にではない。
今度は彼自身の勇気を信じる。
そんな精一杯の声援を贈るルイーナの胸中に、対抗心は消え去っていた。
ヒデッカータは短く礼を言うなり、抱いていた疑問を呈した。
「代理。ひとつ解せないことがある……悪魔とは、荒野で対峙していた。飛び立った先に、代理達がいた……これは偶然なのだろうか」
この問いに、心当たりは無い。
「そうだったんですか……私は先輩のことで、一生懸命で……目前まで気がつきませんでした」
ルイーナの脳裏に、耳元で囁かれた、声に似た雑音が、思い起こされる。
(聞こえた。あれは……『ヨ ハ ナ』……?)
一夜明けて改めて、夢ではなかったのだと実感する。
「手頃な獲物として襲われたのか、意図的に襲ったのかは……わかりません」
まだどこかフワフワとした幻聴には明言を避け、魔物被害の汎用例を引き合いに、有耶無耶な返答に留めた。
到着した迎えの馬車に乗り込むと、ヒデッカータ自身も恐らく、軍人となって以来忘れていたであろう穏やかな微笑みに、見送られた。
城門に差し掛かりバスティが捉えたのは、遠方の木陰から大きく手を振る、3人の姿。
「あそこっ! ほら、見て!」
慌てて窓を開け、ルイーナが身を乗り出す。
「せんぱいがたー! おたっしやでー~……!」
確かに届いたようだ。
塊のように抱き合い、飛び跳ねている。
マシルスの通念上、定められた派遣国で復興の一助となるべく、その生涯を捧ぐ。
余程の巡り合わせを引き寄せなければ、再び交わることは無いだろう。
見えなくなるまで振り続けた手から消えていた魔力循環の輪は、いつしか少女達の心を、淡い光で包んでいた。
城門をくぐると、ルイーナは船乗り場までの過ごし方を提案した。
「はぁ~。昨日はたいへんな1日だったわね……こんな時は、一杯! ね♡」
報酬の木箱からオレンジジュースを2本取り出すと、不憫な相棒への労いに、1本手渡した。
「うんっ! ルイーナの卒業を祝って……」
「バスティの無事を祝って……」
「かんぱ~~いっ!!」
最高級の逸品は、甘さの中に、ほんの少しのほろ苦さを含んでいる。
ヤタガルド王国の朝日を受ける馬車は、2人をゆっくりと、未来へ運ぶ——




