5話 純なるもの
「なんだか……ハァ、静かになりましたね……」
「えぇ、さっきの一団が……最後列かも……」
剣、盾、兜、携行品……散乱する駐屯地の一角に、2つの人影が、夕暮れに伸びている。
「……あの大きな旗が、兵士の、屯所よ」
国宝を投げつけた本陣幕を飛び出してから、ずっと探している場所だ。
十数ヵ所を確認して廻った区画が違っていた。
慌ただしく行き交う兵士に尋ねようにも、戦場の制服少女に足を止める者はいなかった。
先輩の案内が無ければ、未だにルイーナは彷徨っていただろう。
「ありがとうございます……速くないですか?」
「大丈夫よ……急ぎましょ……」
鎧を装着し前線への配置を命じられた、相棒の奪還を目論む。
辺りに人の気配は無く、風に靡く幕の音がそこかしこから聞こえるだけの景色に、表情が強張る。
(バスティ、そこにいて……お願い……)
ルイーナは先輩の右腕を肩に回し、左手指を自身の右手指と絡め、左腕で彼女の腰を支えている。
はやる気持ちを抑えて歩調を合わせ、ゆっくりとだが確実に、目的地へと進んでいた。
少し早めのかがり火に同調するかのような、真っ赤な祈りの輪が、互いの手を包んでいる。
「さっきの隊員が言う通りね……ヨハナ先生の傍にいるみたい……もしかして、隠し子、とか? 魔法が出せないだなんて、不思議な子ね……」
「エヘヘ。まさかぁ……だけどこれで、卒業できるんです……実技卒検の代わりに、国宝内部に干渉して魔力調整、って課題……今みたいに、こんな感じで……やり遂げたんです」
「国宝に魔力? 干渉して調整? サラッと言うけれど、それってすごいことなんじゃ……卒業してからも、各自で研鑽は続けられるわ……いつか、出せると良いわね……魔法」
2人は会話で苦痛を紛らわせている。
すると突然、先輩はすぐ近くの幕舎を指差し、ルイーナに小声で耳打ちをした。
「あの陰に入って……早くっ!」
いつ容態が急変してもおかしくない彼女の意向に従い、ヨロヨロと全速力で移動し、地面に腰を下ろした。
「先輩?『シッ!』」
自身の口元に人差し指を当てルイーナを制止すると、目線を配る。
(何なの、この重苦しい気配……さっきの魔物達とは比較にならない……どこ? 右? 左?)
息を殺し、違和感の正体を探っている。
(何もいない……けど、いる! 杖は迎撃戦で砕けた……今、襲われたら……)
日没が近い空に、一番星が輝きはじめている。
冷え始めた風が、法衣の隙間を通った。
次の瞬間。
ブヒゥァッ!
生ぬるい突風とともに視界に落ちる影に、鋭く反応する。
「上っ?」
見上げた時には遅かった。
既に10歩先に降り立っていた、異形。
「……悪……魔?」
成獣の大熊が直立したほどの巨体だろうか。
撃退してきた魔物との違いに、先輩はぼう然と呟いた。
魔力循環の維持に集中を割くルイーナは、自分達が置かれた状況が把握できていない、といった表情で固まっている。
陰に身を隠していた幕舎の側面は、突風で倒れたかがり火で煙が燻っている。
「なに……あれ……」
薄闇に滲むような黒をはっきりと目視できず、ルイーナが目を凝らすと、ひと呼吸ほど様子を見ていた悪魔が、ズシリと一歩、前に踏み出す。
(すぐに襲ってこない?)
先輩の気づきに呼応するように、じっくりともう一歩踏み出し、土煙が上がる。
満身創痍の獲物にも油断をしない慎重さとも、勝ち誇るように仕留める愉悦の残忍さとも思える行動に、先輩は一縷の望みを見出す。
(ここで……やるしか……ない。か……)
若手魔法隊の中でも観察眼に長け、将来の隊長候補と目される決断力。
その根底は、孤児となりマシルスに拾われるまで、背中でぐずる弟を歌ってあやした、姉の気概だろうか。
「ルイーナちゃん。私が詠唱の途中で手を離したら……すぐに逃げて」
「えっ?」
耳元で囁かれた小声に、我に返ったルイーナ。
ついに引火し始めた幕舎が、熱気を帯びる。
「ちょっと早いけど、卒業おめでとう。マシルスを出る時に、ヨハナ先生から贈られた抽象的な言葉の意味……あなたが、教えてくれたわ」
未だ在籍中の自分が知らない話を、なぜこの状況でするのか?
ルイーナは、混乱を深める。
気がつけば、悪魔は半分の距離に詰めている。
(詠唱、って言った? 今、そんなことしたら)
「……先輩?」
潤む瞳に未熟な後輩を映し、言葉を紡ぐ。
「ルイーナちゃん……あなたにも、聞かせてくれるはずよ……」
正対し背筋を伸ばすと、右手でそっと落ちこぼれの頬に触れ、かつてこのように言い聞かせたのであろう声色で、包み込む。
「魔法は、誰かの為に使ってこそ、輝く——」
一切の混じり気無い、微笑み。
ルイーナは息を飲んだ。
それどころか、心臓が一瞬止まっただろう。
悪魔と天使が、まばたきのたび交互に目の前にいるのだ、無理も無い。
先輩は自身の胸に右手を添え、目を閉じる。
「雨……虹……歌……」
乾いた空気とは無関係な、単語の羅列。
(っ! これって……嘘でしょっ?)
ルイーナの脳裏に、ヨハナによる口頭授業がよぎる。
魔法教本を使わなかったことが、かえって印象深く記憶に残っていた。
「我を形成するもの……」
あくまでも概念、実際に使われることは無い。
魔法使いの個を成す要素全てを捧げる、禁呪。
(なんで……やだっ、やだよぉ……)
絡め合う指が、緩む。
戦う術を、持ち合わせていない。
悪魔まで、あと3歩。
先輩の薄れゆく意識には、ある日家族揃って眺めた、七色の風景が、走馬灯のように駆け巡「ここに捧——『 ダ メ ッ ! 』——」
強い衝撃とともに詠唱を遮ったルイーナが、身体ごと先輩に覆い被さっていた。
なぜ横たわっているのか理解が追いつかない先輩は、目を丸めてじっと見つめる。
「えっ? 止め……あなたを逃がすには、もうこれに賭けるしか……えっ?」
悪魔が、2歩先に迫る。
幕舎は、炎に包まれていた。
(またやっちゃった……後先考えないで、人の親切を台無しに……でもっ!)
ルイーナは、地面に着いた左腕をグイッと伸ばし、先輩を見つめ返し、はにかんだ。
「ルイーナちゃんの……駄々っ子魔法、です……せんぱいっ」
2人の僅かな隙間で、弱々しくも真っ赤な光が、きつく握り合う両手を包んでいる。
(なんで私は、魔法が出せないんだろ……一昨日読んだ小説は、限界の勇者が覚醒して、かっこよくお姫様を救うのに……)
憧れた。
できなかった。
(私は、私の物語の主人公には、なれないんだ……)
先輩の頬に、ルイーナの涙が伝う。
(バスティ……攻撃訓練、上手になるといいね……最後に見た姿は、抱えて連れ去られるところか……ホント、アイツらしいな……)
ずっと前から、気付いていた。
相棒を苦しめる原因が、自身にあることを。
すぐそこの屯所に、いるともいないともわからない、再会への一縷の望みに、手を掛ける。
長年の夢である卒業はおろか、そんな目前の願いすら、叶えられない。
自責するルイーナを照らしながら、燃え盛る火炎は、制服の肩を焦がす。
悪魔の足がピタリと止まる。
すると、ゆっくりとルイーナの横から這うように背中にもたれ、垂れ下がるポニーテールに隠れる左耳にかけて、深い闇が覆う。
(うぇっ! なにこれ怖い恐いこわい……)
巨体でありながら軽く、まるで重さを自在に制御しているような感覚が、ルイーナを襲う。
顔のような黒い面が眼前に迫る先輩は、目を逸らして顔をしかめる。
「……ぇっ?」
違和感を覚えたルイーナが小さく声を上げると、悪魔はヌルリと離れた。
(……声……?)
悪魔は頭上に右腕のようなものを振りかぶり、拳のような部分を固めた。
そしてそれを、2人の上に……振り下ろす。
ドズンッ!
空気が震えるほどの重低音を伴い、容赦なく背中を貫く、右腕。
その手に握られているのは、魔力の素。
……の、ような、核?結晶?
ヒヒィィン!
「よぉ……勇者様のお出まし、だ」
ヒデッカータ、会心の一閃。
「将軍っ!」
先輩の歓喜が響く。
「後からなら丸見えだゼ。あからさまな、命の形……」
ピキッ。
白と赤の魔法気を纏う右手で、そのままそれを握り潰すと、悪魔はサラサラと闇に溶けた。
「あ、ありがとう……ございます……」
刻一刻と迫る恐怖と将軍の電撃救援。
虚構と現実の区別がつかないルイーナは、気の抜けた礼を呟くのが、やっとだった。
「あいつを追ったらこの大火事だ……隊員。よく国賓代理を守った。お手柄だ」
その時。
遠方から鬨の声が上がる。
「オーッ! ヤタガルドッ! ヤタガルドッ!」
「なんだ? あっちも終わったのか?」
夜空に、黒い集団が飛び去って行く。
ボスを失った、野生動物のような光景だ。
この騒ぎを聞きつけ、屯所から、1人の兵士が顔を出した。
「おぅ、もういいゼ。離してやんな……ヨハナ代理の御同行者様を、よ」
この言葉に、憔悴していたルイーナの表情が、
パッと華やいだ。
(御同行者様……いるんだ! そこに、バスティが……!)
視線の先を注視するルイーナは、思わず力が入る手に握られる悶絶と、立場の明示に驚愕する、先輩の声に気づかない。
兵士は素早く敬礼し、屯所の幕を大きく開く。
持てる力の限りを尽くした、再会の瞬間。
内部のかがり火が暗闇に映え、その様子を克明に浮き上がらせる。
数人の兵士に、鎧を着せられている最中だ。
屯所中央の柱にしがみつき、抵抗している。
グレンディア指定制服を脱がされ、両足のみ重装備。
同じく指定の下履きは、真っ赤な短パン。
臀部には、横一面に白文字で【JYUNKETU】とデザインされている——
「クッ……アッハハハ! なにその下履き~っ」
ルイーナに満面の笑顔が戻り、その場にいる全ての者による、歓喜の輪?が生まれた。
ヤタガルドの伝記には、“勇者の影に、純潔の剣闘士【ラヴ・グラディエーター】あり”の1行が書き込まれることとなる——




