7話 ヴォルダーノ
マシルス寮の廊下に、夕陽が差し込む。
2人はルイーナの居室に荷物を運び入れるため、どっと押し寄せる旅の疲労感に身体を引きずりな「——ここまででいいわ——」
「おぅ! また明日~」
隣接するグレンディア寮へ戻るバスティに礼を言い、ルイーナはその背中を見送った。
とりあえず部屋に放り込んだ荷解きは後回しに、はやる気持ちを抑えて学長室へ向かう。
麻の肩掛け鞄に入れた、王直筆の調整受領書。
つまり、卒業試験を確かに完了した証を、ヨハナに提出するためだ。
木の音が軋む、長く入り組んだ廊下を進む。
「おねぇちゃんだ!」「ルイーナお姉ちゃん、おかえり~」「わーぃ」
2年前に引き取られてきた、孤児達だ。
環境に馴染んできたのか心を開き始め、初等課程に取り組んでいる。
腰ほどの背丈である後輩達の頭を撫でながら、自分が子供の頃を重ねている。
「ただいま! あなた達ぃ……しっかり遊ぶのよ!」
いたずらな笑顔を向ける年長のルイーナは、いつしか世話役となっていた。
魔法の手本にはなれずとも、心身の成長を手助けすることが、せめてもの貢献心だった。
よく食べて、よく寝て、よく遊ぶ。
これが、ルイーナの育成方針だ。
次々と襲いかかる小さな怪獣達が棲む寮から、ふらふらとマシルス学舎棟に辿り着いたルイーナは、学長室の前に立つと、制服の襟を正し髪を整えようと、手鏡を見る。
「ぇっ?」
自身の滑稽な姿に、ここでようやく気がつき、思わず声が漏れ出した。
おでこ全開のまま、今朝ヤタガルド王への謁見に臨んでいたことに、赤面している。
ポニーテールに結び直すと、キリッと表情が引き締まり、1つ深呼吸をした。
(ここに来れるのは、あと何回だろぅ……)
広いマシルスの中でも、幾度となく訪れた、ヨハナの部屋。
多くの者は立ち寄り難いようだが、ルイーナにとっては、一度だけ大喧嘩をしたこと以外は、良い思い出が詰まっていた。
扉に手を伸ばすと、トン、トン、トン、と3つのノックが、静まり返る廊下に響く。
………………反応が無い。
「……ヨハナ先生? ルイーナです」
………………。
「おーいっ! ヨハナさん! おばぁちゃん!……入るよ~っ!」
夢が叶う直前の、神聖な心地良い緊張感も虚しく、いつもの慣れた方法に戻し、扉を押し開く。
既に締め切った厚手のカーテンは、夕日を漏らさず遮り、正面の机には、蝋燭の小さな火が灯っていた。
深く腰掛けている小柄な老婆の顔だけが、浮かび上がっている。
波打つ白い長髪、深い皺が無数に刻まれた、世界にただ一人の純魔法使い。
……が、寝ている。
四隅にある蝋燭にルイーナがマッチを擦って回ると、ようやくうっすらと部屋の全貌が見えた。
老婆の背後に回り、肩を揉む。
「おばぁちゃん。また夜寝れなくなっちゃうよ~」
ひとしきり続けると、首が小さくカクッと動き、老婆は目を覚ました。
「ん……おぉ、ルイーナ……もぅごはん?」
「ごはんはまだ。ただいま、ヨハナさんっ」
正面に戻り、麻袋から取り出した調整受領書を、机に広げる。
「ジャ~ン! 見て、ちゃんともらってきたよ!」
「どれ……ほぅ……うむ……」
老婆は書面を一読し、ニコリと笑った。
「遅かったのぉ……擦り傷作って、何かあったか?」
出発したのは昨日の早朝。
初めての調整作業に苦労するとして、当日の日没頃には戻るだろう、とヨハナは見込んでいた。
卒業試験の制限時間は設けられていなかったが、ルイーナは目安として、事前に聞いていた。
何かあったどころではない大冒険を、土産話として伝えた。
「半裸の将軍があーで、先輩達がどーで、アイツの赤い下穿きがこーで!」
にこやかに聞き入るヨハナの眼光が、一瞬鋭く光り、また瞼の奥に隠れた。
(ほぅ……人体に魔力循環を応用したか)
一連の物語を、冗談交じりに身振り手振りで話すのは、単刀直入に核心を聞く勇気が、無かったからだ。
意を決するポニーテールが、揺れた。
「でねっ! その悪魔がね! 『ヨハナ』って、言った、気が……したの……」
気丈に振る舞うつもりが、言いようのない不安に、尻すぼみになっていく。
「気のせいかも! はっきり聞こえなかったし! 魔物がしゃべるなんて。まさか、ねぇ……」
笑顔を取り繕うルイーナとは対照的に、表情が読めないヨハナの真顔。
(人語を解す魔物……上級までもが動き出したか)
「ルイーナ。それはね……」
重い口を開く、純魔法使い唯一の生存者。
息を呑む、その愛弟子。
「……わからん♡」
皺から、白い歯がこぼれた。
「そっかー! だよね、アハ~……ハハ……」
乾いた笑い声で、ポニーテールを解き、前髪をピンで止める。
「これ、王様からの特別報酬! ヨハナさんも、どーぞ」
機会を見て渡そうと、麻袋に忍ばせておいた瓶を机に置き、気まずい雰囲気を打破した。
(無意識に結びを変える癖、嗜好品のオレンジジュース。特別なことではないだけに、可能性を捨て切れん……この私が、未だに断定できん)
ルイーナ自身による努力が認められた証を、ヨハナは礼を添えて、穏やかに受け取った。
「で、今後のことじゃが……」
(きたっ! 卒業っ! キラキラお城勤め~♡)
「次も頼んだよ」「 は い っ ! 」
………。
「……え?」
課題を果たし、確かに夢を掴んだはず。
理解が追い付かない落第者は、抗議する。
「ヨハナさんっ? 約束の物はコレ、だよね?」
提出した書面を、鋭く指差す。
「あぁ、コレだよ……ひとつ、って、言ったっけ?」
「言っ! って……ません……」
「うまくできるかどうか。今回はお隣のヤタガルドでお試し、じゃよ」
キョトン顔の先生と、項垂れる生徒。
机に突っ伏す、土煙の跡が残る制服を見かねて、老婆は続ける。
「まぁ、そう悪く捉えなさんな。全てが済んだ卒業後の行き先は、お前さんが選んで良い。その下見とでも思っ『——ホント? すごい! うれしぃっ!——』」
ヨハナが言い切る前に勢いよく身体を起こすと、追試条件に目を輝かせ、顔を近づけた。
マシルス卒業生は、公募で派遣される。
そこがどんな国で、自分に合うかは、着任するまでわからない。
各国の共同出資で建設運営される、育成機関出身の孤児達が自立するためには、選択権も拒否権も、無かった。
それは、グレンディアも同様であった。
「あっ! でもでもぉ。その間に私が魔法を使えるようになったら……先生、どぉする~?」
夢の広がりに、ニッコニコで問いかける。
「その時は、規定の卒業試験を受けに帰っておいで。通常派遣でも良いし、途中までに訪れて気に入った国から、選んでも良いよ」
「わぁーぃ! すごい、すご~~~いっ!」
いつになれば試験基準を満たせるかさえわからなかった現状が、卒業への道筋が2通りになったことに、小躍りして喜びを表している。
「一人旅は危ないからね。明日の朝までにこちらで、何人か屈強な護衛候補の申し入れをしておくよ。長い道中だ、それもお前さんが選びなさい」
「うん、うん、うん~♡」
聞いているのかいないのか、浮かれた返事を繰り返し、報告は終了した。
翌朝。
小走りで急ぐ、マシルスの制服姿があった。
広い敷地の一角にある、林の先に拓かれた空き地を目指していた。
昨夜催された両施設合同のおかえり会で、あれだけ大げさに迎えられたというのに、まだ余力がある。
「やっぱりここか~。また攻撃訓練サボってる」
声の先には、バスティが玉状の物を蹴って、遊んでいる。
ボロボロに着古した子供服を集め、丸めて包んで縫い合わせた、彼にとっては大切な玉だ。
「おはよう。一緒に、どう?」
そう促されると、ルイーナは頷きながら、朝露の芝に踏み入った。
距離を置いて玉を蹴り合い、ポーン、ポーン、と、ラリーに合わせて、言葉を紡ぐ。
「バスティ。私ねー」
「おぉー。どしたー?」
「卒業。できなかったー」
「えっ? なーんでぇ!」
手慣れ、いや、足慣れたものだ。
こうして何年も、続けてきたことなのだろう。
「足りないんだって。だからねー」
「足りないって? それでー?」
「もうすぐ出発だからー! 早く準備してー!」
バスティの足元に、強めの玉が返ってきた。
ルイーナは、切り上げる合図の手を上げて、荷物持ち兼話し相手に歩み寄った。
追試の経緯を伝える表情は、満面の笑顔だ。
「……ってことで。グレンディアにも同じ条件で、話を通してくれてるわ」
ヨハナ選定の護衛候補からは、選ばなかった。
ルイーナにとっては、身の危険よりも気楽に連れ添える、バスティが最善だった。
能動的な攻撃手段に乏しいだけで、守備や逃避に優れていることを知っている。
実際のところ、そこらの野盗がこの2人を捕らえることは、難しいだろう。
「えぇ~……」
あからさまに嫌そうな顔の荷物持ち。
日帰りのお出かけ程度に捉えていたヤタガルドで、ひどい目にあったばかりで少し休みたい、そんな本音が表れている。
「まぁまぁ、最後まで聞いて」
サボり屋のバスティは渋るだろう、と甘い言葉を用意していた。
「もしかしたら、リノ達にも、会えるかもよ?」
「えっ……?」
懐かしい名前に、まんざらでもない、といった反応を見逃さず、ここぞとばかりに切り札を投げかける。
「それにぃ……ペルダットさんにも、ね♡」
ズギューンッ!
心の急所に当たり、その効果はてきめんだ。
「まっ、まだ荷解きが済んでないんだった。いつでも、大丈夫、だよっ」
チョロい——
口説き魔法に、まんまとかかった。
安堵と同時に、男子とはこうも単純なものなのだろうかと、指名したことに一抹の不安を覚えるルイーナだった。
「……1時間後に、合同広場に馬車が来るの。そこに集合ね!」
馬車は、時間通りに到着していた。
ルイーナとヨハナがしばしの別れを惜しむ間に、バスティは大きな荷物を運び入れた。
「ふぅ、これで……よしっ」
緩んだ靴ひもを結び直し、ひと息つく。
「気をつけてな……命がいちばんじゃ」
馬車に乗り込んだ2人に声をかける学長は、まるで我が子に言い聞かせるように、朝から何度も同じ言葉を繰り返していた。
復興途上の国々に、魔物の影が蔓延る情勢。
道中の安全を祈っている。
両施設の管理者が、学舎棟を背に見送る。
在籍生達が、窓という窓から総出で、努力が報われることを願い、声援を贈っている。
「ヨハナさん、みんな……」
ギィ……車輪が音を立てると、馬の小さないななきとともに、馬車が動き出す。
2人は身を乗り出し、声を揃えて手を振る。
「 行 っ て き ま ー ー す !! 」
30年前、魔法の国から発せられた、魔力爆発ヴォルダーノにより、半壊した世界。
荷物持ち以上、魔法使い未満。
それぞれの、夢を叶える物語——
【ヤタガルド王国 編】 ~~完~~




