10話 理の星
翌朝。
パルヴェンス城の客室ベッドに、灰色の天井をぼんやりと見つめる、ルイーナの姿があった。
(あぁ……そっか……)
なぜここにいるのかを思い出させた給仕のノックに「はぃ……ただいま……まいります……」と、枯れた声で返答する。
昨夜の出来事について、王からの招集が予定されたことをおぼろげに思い出し、身を起こす。
「っ……」チクリと痛む喉が、一晩中叫び続けた現実を突きつけた。
制服に着替えると、巻かれている右足の包帯が隠しきれない。
慣れているはずのポニーテールは6回結び直し、ようやくなんとなくの位置に収まった。
長い廊下を重い足取りで歩きながら、運び込まれた経緯を給仕から聞かされている。
一向に帰還しない司令官を捜す兵士達に保護されるも、2人はその場を離れようとせず、いつまでも声をかけ続けていたそうだ。
相槌するルイーナは、どこかうわの空だった。
王の引見は、労いといくつかのお言葉を賜った、簡素なものだった。
短時間で済んだ安堵からくる脱力が、他者を気にかける余白をもたらした。
(バスティは……どうしてるかな……)
客室に戻る前に、様子を窺うことにした。
隣室の前に立ち、扉を叩こうとする手の震えに気がつき、相棒の心境に想いを馳せた。
最後に言葉を交わし、腕の中でリノを看取ったバスティに対し、いくつも巡らせる第一声を図りかねている。
(なんて言おう……どんな顔、してるかな……)
自分ひとりだったら、ベッドから出ることさえ、恐らくできなかっただろう。
傍にいてくれるだけのことに支えられている。
そう思いながら、終わらない自問自答への体裁だけを固めた。
(うん……いつも通りに、だよね……)
後ろに束ねていた髪留め紐を解き、上げた前髪に結び直すと、表情がほんの少し、和らいだ。
震えの止まった手で、バスティの扉を叩く。
トントントン「どーぞ」カチャッ。
ルイーナのノックに、
ルイーナちゃんが応え、
ルイーナ様がバスティの客室扉を開ける。
そう、いつも通り——
彼のプライバシーは、保護されていない。
「……おはよ」
窓辺に座り外を眺める背中に、挨拶でひとまず様子を窺う。
まだ寝ていてくれていれば、仕切り直せたのに。といった戸惑いが、入室はしたものの、声量に残っている。
(このあと、どうしよう……)
振り向くであろうバスティの顔を直視できるのか。その顔を見た自分はどのような感情を覚えるのか。
スカートを握り締めていることに、気づいていない。
「……! ぼばどゔっ」
あまりに自然な侵入にハッとし、微妙な間で、目が合った。
次の瞬間、ルイーナは息を呑み、堪えきれない感情が噴き出した。
「プッ……くくっ……あはははっ! なにその顔っ! しゃがれ声〜っ!」
バスティの顔面は、原型を留めないほど腫れ上がっている。
「あれだけ泣いたら、無理も無いか……にしても、そんなになるっ?……って、もしかして、私もっ?」
慌てて鏡を覗き込み、瞼を撫でた。
どうやら、操られていた記憶は無さそうだ。
ルイーナの両手に残る傷跡が完治することを心の内で祈り、バスティは無言を貫いた。
予想外の展開に悲壮感が少し和らぎ、もうひとつの目的である、王からの御言葉を伝える。
「まぁ……昨日はおつかれ、だって。あとは……リノの……後任が5日後に来るから……それまで私は、リノの居室整理。バスティはお城の掃除手伝い。勝手に駐屯地に立ち入った罰、だって」
ルイーナは、一部の項目を歪曲した。
慕っていたとはいえ、年頃女子の部屋に男子を入室させるわけにはいかない。
「そんなの、ひどいよっ!」
声を荒げるバスティを見るのは、ルイーナにとって片手で数えるほどしかなかった。
その理由は作業配分量ではなかった。
「手配が早すぎる!『いくらでも替えが利く』みたいじゃないかっ!」
「すぐ要請に動いたのかも、ね……」
ここからマシルスへ早馬を飛ばし、昼夜問わず馬車で移動し、ようやく辿り着く設計だ。
「王族以外では初めての……国葬、だって……」
ルイーナは鏡越しに要件を言い終えると「また、あとでね」と部屋を出た。
「うん……」再び外を眺めるバスティ。
傍らのベッドに置かれる濡れた枕に、ひとりでは乗り越えられなかったであろう感情が横たわっている。
居住区の管理官には、御達しが済んでいた。
この国の礼拝堂よりも神聖であろう、私邸。その扉の前に、マシルスの制服姿があった。
(お化粧? 髪型? 流行誌? それと……)
離れて過ごした3年間、リノはどんなことに興味を示してきたのだろう。ルイーナは自身が13歳の頃を重ね、想像していた。
深呼吸を、ひとつ。
チリン——意を決して呼び鐘を打つ。
本来ならば返ってきたであろう鈴のような声を3拍待って「……入るね」と、鍵を挿した。
控えめな、しかし単身者には充分な家屋の扉を開けて、最初に視界に入ったものは……
白——
無機質な空間が広がり、装飾の無い小振りな一足の黒い靴。
台所や浴室などには、必要最低限の生活用具だけが置かれていた。
居室であろう扉を開けると、机の上には付箋だらけの、海洋巡回訓練の分厚い報告書が開かれていた。
興味本位で一節読むと、昨日言葉を交わした案内兵の外見と一致しており、対峙したネイムレスへの対策を前夜まで練っていたのだと直感した。
機密であろうその書物を、ルイーナは判の代わりに「解決」と呟き、そっと閉じた。
隅には、ようやく発見した一冊の、私物。
(おこづかい帳っ! どれどれ、リノちゃんのお買い物は〜?)
わるい顔を覗かせながら表紙を開く。
(靴、球根、お菓子……は、わかる。保育園、牛1頭C隊、皿20枚E隊?……なにこれ)
街に残る瓦礫の山は、自身が発する魔法の余波により築かれ、公的費用で撤去修復している。
リノは私財の大半を、行き渡らない場所へ寄付や買い物をし、部隊に分けていた。
(もしかして、一昨日会った花屋さんも……?)
抱えていた紙袋は、ひとりで植える分にしては大きすぎた。
部屋の奥に、中二階への階段を見つけた。
木製でボロボロのそれを、壊れないようにゆっくりと登る。
その光景に、ルイーナは目を疑った。
打って変わって散乱する、紙、紙、紙が、一面に敷き詰められている。
◯、△、▢……様々な記号がびっしり書き込まれ、補足を読むまで、それが夜空の描写だとはわからなかった。
走り書きは、人に伝えるためのものではない。
『早く大きくなりたいな』
『あれが‘もーっと’あっちに行けば、時間は速くなる?』
小さな天窓から、リノの口癖を運んでくるような光が、一筋差し込んでいる。
同時に『自己研鑽は才能のひとつ』マシルス学長ヨハナの言葉を、ルイーナは思い出していた。
一角に据えられた花壇には、色とりどりの花が咲いている。
満杯の水瓶は本日分の用意なのだろう、主の代わりに水をやった。
丁寧に揃えられた列に、1本分の不自然な間隔が空いていた。
(なんだろ、ここ……?)
星のように散らばる研究成果を束ね、多くの時間を過ごしたであろう中二階を後にした。
最後の扉はルイーナが、最も関心を寄せ、最も触れたくなかった、寝室。
これまでの様子から、寝に帰ってくるためだけの場所なのではと、想像を改めた。
再び深呼吸をひとつ。
そっと手をかけ、そっと扉を開ける。
シーツの乱れひとつ無いベッドだけ。
(リノ……がんばり過ぎだよ……)
よく食べて、よく寝る。
ルイーナの助言を蔑ろにしていたわけではないのだろう。
公務、研究、焦燥、孤独……限られた時間を、精一杯に活用したかったのだろう。
2つのクローゼットを、右から開けた。
衣類を整理したら、おおかた片付いてしまう。
黒と濃紺のワンピースが一着ずつ。肌着が数枚。以上。
休日の着回しコーデは、できそうにない。
左には、魔法文字が刻まれている。
鍵よりも厳重だが、その効力を失っている。
恐る恐る開けると、この家に来てようやく、ルイーナの表情はほころんだ。
ハンガーに掛かる、マシルスの制服。
隣には、赤——
少し丈の長い控えめなドレスが一着。
おこづかい帳には記載できない乙女の心が、向かい合わせに並んでいる。
夕日に染まる瓦礫のパルヴェンスを散策し、城に戻ったルイーナを待っていたのは、初日の掃除を終えたバスティだった。
リノが過ごした部屋の様子を気にする男子を「女の子は秘密がいっぱいなのよ!」と、軽くあしらう。
憮然とするバスティは「ふ〜ん」と、手にした紫色の一輪のユリを見つめた。
違和感を抱いたルイーナは、ハッと詰め寄り、興奮を隠せずまくし立てる。
「コレ! なんでっ?」
「昨日、気がついたら、持ってた……」
「持ってたのは、わかる。いつからかは、わからない。そうじゃなくてっ! なんで、枯れないの? 水が無……っ!」
手入れの仕方を知らないバスティが、摘まれてからあと数時間で丸一日経つ花を、咲いたばかりのような瑞々しさで保っている。
それが微かに魔力を帯びていることに気がつくと、ルイーナは驚嘆のあまり、言葉を失った。
(こんなことって……リノ。あなたやっぱり、ホンモノだよっ!)
術者を失った魔力が、残存している。
これがどれほど異例なことか、魔法使いならば誰にでもわかる。
見習いのルイーナも例外ではなかった。
『おんなは、こいをすると、つよくなるんだ』
なにかとライバル視された時期の言葉が過る。
どれほどの想いが込められている魔法なのか。
さり気ない細部に、奇跡が宿っていた。
「目標。羨望。それ以上。」
今後ルイーナはリノのことを、このように形容するのだろう。
魔法使いの‘格’がわからないバスティには、来賓室での転移魔法が教本に無い規格外であることを、なおさらわからないのだろう。
罰掃除による滞在延長、5日目。
「名残惜しいっっ!!」
後ろ髪を引かれる思いの2人は、朝の王宮広場で出迎えの列を眺めていた。
リノの後任が来る日であり、リノの国葬の日であり、リノのパルヴェンスを去る日でもある。
「みなさんに感謝しなきゃ、だよね」
「うん……動いて少し、気が紛れた」
「顔はまだ腫れてるけど、ね……フフッ」
王が他国の国賓に罰を与えて留める。
異例のことではあるが、友を見送る機会と心を回復する時間を設ける思惑でもあった。
手薄となった人員に代わり、外部の協力を必要としたことも事実だ。
負傷から次々と復帰する中には面識のある者もおり、先輩達との思い出話やリノの武勇伝に触れ、徐々に活力が戻ってきていた。
やがて見えてきた1台の馬車が、王宮広場に到着した。
大きな拍手が起こると、人が壁のようになり、その姿は確認できない。
3年前のリノも、恐らくこのように迎えられたのだろう。
「……見えないね」
「うん……着任式までおあずけ、だね」
諦めて一旦、客室に戻ろうと歩きだした。
一瞬ざわめきの後群衆が割れると、丸眼鏡におかっぱ頭の少女が「ふぇぇ〜」と、飛び出した。
「ゾピエルラ!!」「お兄さまっ?」
急に囲まれた重圧から逃れようとしたところ、鉢合わせたようだ。
「今日のおでこも素敵です、お姉さまっ!」
「リノの後任はあなたなのね!」
頼り無さそうではあるが、しっかりと修了した魔力を纏っている。
「まさかリノちゃんが……お姉さま、私なんかで務まるんでしょうかっ……」
まだ腫れ上がったバスティの顔から、この国が聞いていた通りの最激戦地であると実感したのか、既に涙目だ。
ルイーナは微笑み「あなたなら、きっとできるわ」と、少しだけ背の低い後輩をそっと抱き寄せ、耳元で囁いた。
「ここは今、いちばん安全な場所よ」
おかっぱ頭の少女は微かなオレンジの香りに包まれ、身を任せた。
「あなたに、リノからの差し入れ、預かってるんだ。勇気もらえるよ〜!」
「リノちゃんから……?」
全マシルス生の永遠のおやつ、干しイチジク。
渡せなかった青い魔法におまじないをかける。
今夜、少女が初めて見上げるパルヴェンスの星空は、ひときわ輝いていた——。
【パルヴェンス王国編】 完
数十年後、天文学術評議会から世紀の発見が公表される。
過去に、ある星の位置が動いていた形跡がある、というものだ。
この超常現象は、いつ、なぜ起こったのか。
解明される星に、名前が付けられるのは……
それより‘もーっと’先のこと——




