3話 月の宝物
3年前の脱走劇が、虚飾の来賓室を彩る——
「ヨハナ先生っ! ぜっっったい、反対です!」
「ルイーナ。もう決まったことなんじゃよ……」
マシルス学長室に、怒声が響く。
「なんでパルヴェンスなんですかっ! いちばん危険な国なんですよね? あの子、まだ10歳ですよっ!」
「基礎魔法修得の目安は、10年。飛び級を重ね、5年。あの国には……リノが必要なんじゃ」
考慮はなされるが、本人が派遣国を選べない。リノの卒業と死地からの要請は、供給と需要が時期的に一致していた。
「かれこれ二十余年、延べ六万余人を各国に見送った……才能が突出しとる。どこであっても、生きていけるじゃろう」
リノの実力を保証し、なだめるヨハナの意図を、突き放されたと受け取ったルイーナ。
ポニーテールを逆立てながら部屋を飛び出し、1時間に及ぶ抗議は終了した。
カチャッ。
ようやく開けられたルイーナの居室のドアに向かって、椅子にポツンと座るリノが、ピョコンと降りて声をかける。
「おかえり! おねえちゃ——」
フワァ……と全身が覆われ、微かなオレンジの香りに包まれた。
抱擁するルイーナの手には、一通の書状。
難解な文字がわからないと代読をせがまれ、妹分の現状を知った。
たった今、世界の理に弾かれてきた落第者は、こうすることが精一杯だった。
「ねぇ、リノ。お星さま……見に行こっか」
天文学術評議会の予測では、今夜は七年に一度の流星群が降る見込みだと、かねてより公表されていた。
マシルスでは夜間の外出が禁じられており、各自室の窓からの観測が黙認されるに留まっており、多くの子供達が残念がっていた。
「えっ! うん、見る〜♡」
朝日の約束を果たすべく、ルイーナはグレンディアの授業をサボるバスティと共に、星空の逃避行を画策した。
22時。
最終点呼を1時間も過ぎれば、見回り当番は来ないことを、ルイーナは知っていた。
人の導線から建物の構造まで、熟知している。
目を擦るリノの手を引き、バスティが待つ裏口の外へ。
グレンディアから持ち出した毛布をルイーナが抱え、リノはバスティの背中にしがみつく。
森に向かって走り、3人は闇に消えた。
拓けた場所を見つけ、バスティはすっかり寝てしまったリノを毛布で包みながら「ほんと、まだ子供だよな」と、初めての寝顔を眺める。
「うん、拍子抜けしちゃうぐらい」
人差し指で妹のくせ毛の前髪をそっと撫で上げ「私ができないこと、なんでもできるんだよ。私の、憧れ……」
流れ星を待つ間、巻き込んだ相棒への贖罪を吐露するルイーナ。
「ゴメンね。マシルスのことなのに、怒られちゃうよね……」
「朝の迎えをやり過ごして、諦めさせる……僕が、その作戦に乗りたかったんだ。一緒に怒られるくらい、なんてことない!」
「フフ。ゴメンじゃなくて、ありがと、だね」
そうして2人は、他愛のない話をしながら、星空を見上げて時が来るのを待った。
ほどなくして、ひとつの星が流れた。
「あっ……リノ、リノ。始まるよ、リノ」
ルイーナに肩を揺り動かされ、目を開けると「……わぁぁ〜」声にならない声を上げる。
ぐるーっと視界いっぱい。
満天の星という星が弾け飛び、まるで夜空に抱かれるように止まる時間。
「キレイなおほしさま〜★」
両手を身体いっぱい広げるマシルスの宝石に、三日月が微笑みかけている。
小鳥のさえずりと共に、朝露の草を踏みしめる音が聞こえる。
バスティは、ハッと飛び起き2人を起こすと、既に数人の兵士に囲まれていた。
「……おはよう」
声の主は、学長。
完璧と自負する14歳の名案は、百戦錬磨の大人達に看破された。
リノの魔力を探知し見つけ出されてしまった。
「リノ。昨日お話した、お城に……行こうね」
「……は〜ぃ」
ヨハナの言葉に小さく頷くリノを、ルイーナに奪還する術はなく、手を引かれる姿をただ見守ることしかできなかった。
「リノ!……元気で、ね」
「お姉ちゃん、お兄ちゃん……ありがと!」
恐らく、これから向かう先がどんな場所か、理解はできていないだろう。
しかし、これがお別れなのだとだけは直感したような、幼いなりに取り繕った笑顔で振向く。
小さなおさげを包んでいた毛布は、まだほのかに温かかった——
「あの後、罰の掃除がたいへんだったね」
「ええ、おかげで年末の大掃除は楽だったわ」
「ァハハ〜! そんなことになったんだ〜」
埃ひとつ無い来賓室が、笑い声で満たされる。
トントントン。
3つのノックにリノが応えると、給仕が国賓2人分の温かい夕食を運んできた。
「おぉ〜!……って、1つ足りない?」
「リノは、もうちょっとお仕事しながらお部屋で食べる」
そう言いながら給仕と入れ替わりに退室し「ごゆっくり、ね」と、にこやかに扉を閉めた。
静まり返る冷たい廊下に差し込む、やや欠けた月明りを見上げる魔法軍最高司令官の表情は憂いを含み、ほんの少しだけ大人びていた。




