表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
35/48

託された約束

先斗町歌舞練場の前。

春の夜風が、静かに二人の間を通り抜けていた。

先ほどまで灯りに包まれていた館内は、少しずつ夜の静けさを取り戻している。

通りには、舞台を見終えた人々の楽しそうな声がまだ残っていた。

カートと山本の間には、静かな時間が流れていた。

カートは、山本を見る。

“Thank you, Yamamoto-san.”

(ありがとうございます、山本さん)

山本は小さく首を横に振る。

「こちらこそ……」

言葉を続けようとした。

けれど、うまく見つからなかった。

カートは、少し笑った。

そして。

深く一礼する。

“I will come back.”

(必ず戻ってきます)

山本は、その言葉を聞いて静かに頷いた。

「待っています」

短い言葉だった。

しかし、その中には多くの想いが込められていた。

カートはもう一度、歌舞練場を見る。

そこには、今日見た舞台の記憶が残っていた。

美しい音。

舞う姿。

人々の笑顔。

平和というものの姿。

カートはゆっくりと歩き出した。

山本は、その背中を見つめる。

夜の京都の道を、一人歩いていくカート。

その姿は、少しずつ小さくなっていく。

山本は思った。

あの男は、戦いに向かうのではない。

大切なものを胸に抱えて、帰る場所へ向かおうとしているのだと。

やがて。

カートが一度だけ振り返った。

山本と目が合う。

二人は何も言わなかった。

ただ。

静かに頷き合った。

そしてカートは、再び前を向いて右手を上げた。

春の夜の京都。

先斗町の灯りの中へ消えていく背中。

山本は、いつまでもその姿を見送っていた。

手の中には。

カートから託された一枚の写真の重みが残っていた。

それは。

一人の男が未来へ託した、小さな願いだった。


舞台を終えた楽屋には、静かな時間が流れていた。

衣装を整え終えた和子。

その隣には琴が座り、少し離れた場所で好江が二人を見守っていた。

先ほどまで響いていた三味線の音。

観客の拍手。

春の夜の華やかな空気が、まだ楽屋の中に残っているようだった。

琴は嬉しそうに言う。

「今日は、本当に綺麗どした」

和子は微笑む。

「おおきに」

琴が冗談交じり言う。

「舞妓はんになったらええのに」

和子が笑う。

「子持ちの舞妓はんか?」

二人の笑い声が楽屋にこだました。

その時。

楽屋の外から控えめな声が聞こえた。

「失礼いたします」

係員が襖を開ける。

「和子さん、お客様がお見えです」

和子は顔を上げる。

「お客様……?」

その瞬間。

胸の奥が、わずかに高鳴った。

もしかして。

カートさんが――。

けれど。

襖の向こうに現れたのは、山本だった。

「山本さん……」

和子は驚いた。

そして。

ほんの少しだけ、寂しさを感じた。

自分でも気づかないほど小さな気持ちだった。

会いたかった。

もう一度、あの人の顔を見たかった。

そう思っていた自分に、和子は気づいた。

山本は静かに頭を下げる。

「今日は、ご招待くださりありがとうございました」

「いいえ こちらこそ 来て下さったて ありがとうございます」

和子が頭を下げる。

「とても、素晴らしいかったです」

和子は山本の後ろに目を移す。

それに気が付いた山本。

「あっ カートさんですね 急用で…… 先に出られました」

和子は小さく頷く。

山本のその言葉に和子の胸の奥には、複雑な想いが残った。

会えなかった寂しさ。

会わなくてよかったのかもしれないという、もう一つの気持ち。

もし会ってしまったら。

また離れることが辛くなる。

それは、カートも同じだったのだろうか。

和子は何も言わず、山本を見る。

「それで、カートさんが、これを、和子さんにと……」

山本は、上着の内ポケットから一枚の写真を取り出した。

その瞬間。

和子の表情が変わる。

雪の夜。

隣で微笑むカート。

あのクリスマスの記憶が、一気によみがえる。

山本は写真を両手で差し出す。

和子は、すぐには受け取れなかった。

その写真に触れれば。

止めていた時間が、また動き出してしまう気がした。

けれど。

ゆっくりと両手を伸ばす。

写真を受け取る。

裏側を見る。

そこには。

―― Merry Christmas, Princess.

「何と書いてありますか?」

山本が静かに答える。

「メリークリスマス お姫様 と」

和子の目が揺れる。

「きっと、あの時、和子さんが、日本のお姫様のように見えたのでしょうね」

和子は写真を胸元に抱える。

そして山本は続ける。

「それから、もう一つ、伝言があります」

和子は顔を上げる。

「戦争が終わったら……」

少し間を置いて。

「あの高瀬川の橋の上で、もう一度会いましょう、と」

楽屋に静かな時間が流れる。

和子は目を閉じる。

高瀬川。

あの日の約束。

そして。

まだ見えない未来。

「カートは私に約束しました。必ず、帰って来ると」

二人は、胸の奥で、静かに願う。

どうか。

無事に帰ってきてください。

もう一度、会える日まで。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ