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四季を越えて

その頃。

港街・神戸。

夜の海には、船の灯りが静かに揺れていた。

その一角のバーのカウンターで、山本は、カートとグラスを傾けていた。

"You are going to Kyoto, aren't you?"

(京都へ行かれるのですね)

山本が尋ねる。

カートは静かに頷いた。

"Yes."

(はい)

少し間を置いて。

"To be honest... I thought that last time was going to be my final visit."

(実は……この間が最後だと思っていたのですが)

カートは窓の外の海を見る。

"But I have to go to Kyoto one more time."

(もう一度、京都に行かなければなりません)

その言葉に、山本は微笑んだ。

"Could it be... because of Kazuko?"

(もしかして……和子さんのことですか)

カートは少し照れたように笑った。

"Yes...I asked her for something."

(はい……彼女にお願いをしたんです)

"Asked her?"

(お願いを?)

"Yes. I asked her to let me see her dance one more time."

(もう一度、舞を見せて欲しいてね)

そして、ゆっくりとポケットから一枚の写真を取り出す。

雪のクリスマス。

和子と自分が写った写真。

カートは大切そうに見つめる。

"I will never forget that night..."

(この夜のこと……忘れません)

あの日。

初めて聞いた三味線の音。

静かに舞う和子の姿。

そして、その隣にいた琴。

すべてが、今も心の中に残っている。

"I want to see her dance... one more time."

(彼女の舞……もう一度、見たいです)

山本はしばらく黙っていた。

そして。

"Actually..."

(実は……)

カートが顔を上げる。

"Kazuko was thinking the same thing."

(和子さんも、同じことを考えていました)

"What?"

(え?)

"She wants you to see her dance one more time."

(あなたに、もう一度舞を見てもらいたいと)

その瞬間。

カートの表情が変わった。

"Really?"

(本当ですか?)

山本は頷く。

"Yes."

(はい)

"Before you leave for Korea... she hopes you will keep the memories of the time you spent in Kyoto close to your heart."

(あなたが朝鮮へ行かれる前に……京都で過ごした時間を、もう一度心に残して欲しいと願っておられます)

カートは静かに目を伏せた。


稽古場。

春の柔らかな光が、障子越しに差し込んでいた。

畳の上には、静かな緊張が流れている。

その前に、好江は正座して二人を見ていた。

「今日は……二人で合わせてみまひょか」

その言葉に、和子と琴は顔を見合わせる。

「はい」

琴の返事はいつもより少し硬かった。

和子は、琴の顔を見て微笑む。

琴は、頷いて小さく息を吐く。

そして。

撥を持つ。

最初の一音。

少し震えている。

和子はその音に合わせて、静かに足を運ぶ。

しかし。

数小節進んだところで。

わずかに音と舞がずれた。

琴が慌てて手を止める。

「すみません……」

和子も動きを止めた。

好江が静かに声をかける。

「二人とも、相手を見すぎや、相手に合わせようとしたら、遅れる」

好江は続ける。

「音も舞も、同じものを見るんやない、同じ気持ちを見るんや」

その言葉に。

二人は黙って頷いた。

もう一度。

三味線の音が響く。

今度は、琴が少し力を抜いた。

音が柔らかくなる。

和子の舞も、それに寄り添うように流れていく。

一歩。

また一歩。

先ほどまで別々だったものが、少しずつ重なっていく。

琴の指が動く。

和子の袖が揺れる。

三味線の音と、舞の間にあった小さな距離が消えていく。

好江は黙って見つめていた。

最初は不安そうだった琴の表情が、少しずつ変わっていく。

怖さではなく。

楽しさ。

そして。

和子の隣にいる喜び。

最後の音。

琴が撥を止める。

静かな時間が流れた。

「……」

琴は息を整える。

和子も静かに頭を下げた。

好江が口を開く。

「よろしおす 琴、今度は唄いまひょか」

その一言に。

琴の顔がさらに固くなる。

稽古場には、再び三味線の音が響いていた。

琴の唄声が重なる。

好江はしばらく黙って聞いていた。

「琴」

「はい」

「ただ音を追うだけやあかんえ」

琴は顔を上げる。

「祇園小唄はな、ただ四季を唄う歌やない、そこに生きる人の心を唄うもんや」

和子も真剣な表情で聞いていた。

「春は、桜の季節、華やかに見えるけど、その裏には舞妓として歩き始める娘の不安や期待もある」

琴は静かに頷く。

好江は三味線に手を置く。

「夏は河原の夕涼み、白い襟足、ぼんぼりの灯り、これも綺麗な景色だけやない、人には言えへん涙や、胸の内も隠れているんや」

琴は歌詞を思い出す。

「かくす涙の口紅……」

小さく呟く。

好江は頷いた。

「そうや、笑顔の下にある想いも、一緒に唄うんや」

次に。

「秋は、静かな季節や、鴨川の水音、鐘の声、枯れた柳に吹く秋風」

好江の声が、ゆっくり稽古場に響く。

「華やかな花街にも、寂しさや別れはある」

和子はその言葉を聞いていた。

五年前。

雪の夜。

戦いに傷ついて遠い国へから来た人達が自分たちの舞いに笑顔になったことを思い出す。

そして。

最後。

好江は静かに言った。

「冬は雪や、丸窓に積もる雪、静かな夜、誰かを想う気持ち」

琴が顔を上げる。

「もやい枕……」

好江は微笑む。

「そう、一人ではなく、誰かと心を寄せること、寒い夜でも、人の想いがあれば温かくなる」

静かな時間が流れる。

好江は二人を見る。

「祇園小唄を舞う時は、自分を綺麗に見せようと思たらあかん、この街で生きる人の想いを、見る人に届けるんや」

和子は深く頭を下げる。

「はい」

琴も続く。

「はい」

好江は頷いた。

「もう一度、やってみまひょか」

三味線の音が響く。

琴の指が動く。

和子の袖が揺れる。

今度は。

二人とも、ただ音と動きを合わせているのではなかった。

春の喜び。

夏の切なさ。

秋の寂しさ。

冬のぬくもり。

祇園の四季。

そして。

そこに生きる人の心。

すべてを込めて。

二人の舞は、少しずつ一つになっていった。


神戸港。

海から吹く風は、少し冷たかった。

カートは一人、港の灯りを眺めていた。

遠くで船の汽笛が響く。

水面に揺れる光。

異国の港の景色。

その光景を見ながら、故郷のことを思い出した。

オクラホマ。

広い大地。

どこまでも続く空。

それは、子供の頃に見た景色。

春。

雪が消えた大地に、小さな花が咲く。

冬の寒さを越えた草原に、新しい命が芽吹く季節。

家族と歩いた道。

暖かな風。

夏。

強い日差しの下に広がる広い畑。

夕暮れになると、赤く染まる空。

遠くから聞こえる家族の声。

秋。

黄金色に染まる大地。

風が吹くたびに揺れる草。

収穫の季節。

人々が集まり、笑い声が響く時間。

冬。

静かな雪の日。

窓の外の白い景色。

暖炉の前の大きなクリスマスツリー。


その温かい記憶。

カートは静かに息を吐いた。

五年前。

初めて京都の雪を見た時。

なぜか懐かしいと思った。

それはきっと。

雪そのものではなく。

そこにあった人の温かさだった。

和子の舞。

琴の笑顔。

三味線の音。

異なる国で生まれ育った自分が。

遠い日本の街で。

心に残る場所を見つけていた。

カートはポケットから写真を取り出して、静かに見つめた。

"Kazuko……."

小さく名前を呼ぶ。

"Merry Christmas, my princess."


もう一度、彼女の舞を見たい。

それは、過去を探しに行くためではなかった。

これから先へ進むための大切なものとして、胸に残すためだった。

港の灯りが揺れる。

神戸の夜の向こうに。

京都の春が待っていた。








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