五年越しの春
甘味処の店内には、柔らかな甘い香りが漂っていた。
千代子は目の前に置かれたおぜんざいを見て、目を輝かせている。
「熱いから、ゆっくり食べるんやで」
和子が言うと、千代子は小さく頷いた。
「うん」
けれど、その目はもうお椀から離れなかった。
その様子を見て、山本は微笑む。
「子供というのは、変わりませんね」
和子は少し笑った。
「ほんまに……」
その時。
山本は懐から名刺を取り出した。
「あれから一年程たって、通訳の仕事を離れまして、この貿易会社に就職しました」
和子と琴は名刺を受け取る。
そこには、京都の貿易会社の名前が書かれていた。
和子は頷いた。
けれど。
本当に聞きたいことは、別にあった。
あの人は。
今、どうしているのだろう。
元気でいるのだろうか。
何度も胸の中で繰り返した言葉。
けれど、口には出せなかった。
「……」
山本は、そんな和子の表情を見ていた。
そして、静かに口を開いた。
「和子さん」
「はい」
「あの時の方のことを……覚えておられますか」
和子の手が止まった。
「……」
「ハワード中尉のことです」
その名前を聞いた瞬間。
五年前の雪の夜が、鮮明によみがえった。
白い雪。
冷たい風。
車に乗ろうとした時、足を滑らせた自分。
立ち上がろうとしても、うまく力が入らなかった。
その時。
差し出された大きな手。
雪の中で見た、カートの優しい表情。
一瞬の出来事だった。
けれど、その記憶は五年経った今も、消えることはなかった。
「……今は、どうされているんですか」
気づけば、和子はそう尋ねていた。
山本は少し微笑んだ。
「あれから大尉に昇進されて、今は神戸で日本側との調整役をされておれれます」
和子は静かに頷いた。
すると山本が、ふと思い出したように言った。
「そういえば……丁度よかったです」
和子が山本を見る。
「今度の日曜日、京都でお会いすることになっているんです」
和子の表情が止まった。
「実は…… 先日、大尉から、久しぶりに京都へ来たいとのお電話がありまして」
和子の目が少し動いた。
「昔いた場所をもう一度見てみたいそうです」
少し間を置いて。
「もしよろしければ……どこかでお会いしませんか」
その言葉に、和子は返事ができなかった。
視線が自然と琴へ向く。
琴は少し笑った。
けれど。
「すんまへん、うち、今度の日曜日は静香はんと映画見に行くお約束してるんどす」
和子は驚いた顔で琴を見る。
山本は少し残念そうに笑った。
「そうですか……それは残念ですね」
そして和子を見る。
「和子さんは……ご都合いかがですか」
「……」
和子の口が開きかける。
けれど、言葉が出ない。
会いたい。
でも、何を話せばいいのか分からない。
その時。
琴が静かに口を開いた。
「かこちゃん」
和子を見る。
「日曜日は、休みどっしゃん、千代ちゃん連れてお会いしたらよろいおすやん」
「琴はん……」
琴が、千代子に。
「また、おっちゃん、美味しいもん、食べさせてくれはるで、よかったな」
「やったー」
千代子は無邪気に笑った。
その笑顔を見て、和子は静かに微笑んだ。
本当は、会うのが怖かった。
あの日の自分と、今の自分は違う。
あの時は、舞妓という華やかな姿をまとった女。
今は、田舎育ちで子持ちのただの女中。
けれど。
琴の優しい言葉。
千代子のまっすぐな笑顔。
二人が、迷っていた心をそっと押してくれている気がした。
「……もう一度だけ、会ってもええんやろか」
和子は心の中で、静かに呟いた。
和子は、千代子の小さな手を握った。
そして、五年前の雪の夜から続いていた想いに、もう一度向き合う決心をした。




