三話
「そういえば兄弟。ノルズヴァン帝国の皇帝が今、このサントエア領の領都、サンズ市を訪れているそうですよ」
ギルドから与えられた一軒家の広間にて、ソファに寝転がりながらユダが言った。
「ここって、帝国領土の端っこだよな。そんなところに、皇帝がなんでわざわざ?」
ウルルは椅子に腰かけ、弓の弦を張り替えている。力とコツのいる作業だが、ウルルの手つきは熟練のそれである。
「先の戦争の凱旋式ですよ。サントエア領はとくに多くの人員と資源を戦争に充てていましたからね。皇帝陛下としても、領民のご機嫌取りをしないわけにはいかんのでしょう」
「ふうん、なるほどね」
「ね、見に行きましょうよ」
「何だって?」
弦の張り具合を確かめながら、ウルルは眉をしかめた。
「ギルドの食客になったはいいものの、この一か月間何もやることがないんですもの。こうも平和だと暇に食い殺されますよ。いいじゃないですか、付き合ってくださいよ。我々を打ち負かした張本人のツラを拝んで、恨み言の一つも叫んでやりましょうよぉ」
子供のように駄々をこねるユダ。そんな兄弟分を呆れたように見るウルルだったが、一つため息をついてから、窓辺に立った。窓から放たれた青い視線は、領都・サンズ市の方角に向けられていた。
昼過ぎ、二人がサンズ市に到着したころには、パレードはすでに始まっていた。
レンガ造りの大通りの真ん中を、四頭立ての巨大な戦車が歩兵を従え、市民たちの喝采と紙吹雪を浴びながら練り歩いている。戦車の上の男は黄金の鎧と赤いマントがよく似合っており、市民に手を振る様子は堂々たる風格である。
「彼があの、ジェレマイア将軍のようですね。戦争の英雄ですよ」
「へえ。あれがあの、慈悲深きジェレマイア……」
ウルルもユダも熱狂する市民の群れに紛れて、将軍へ好奇の視線を送っていた。彼らの瞳には、本来あるであろう敵意や憎悪はなく、むしろ敬意すら込められている。
二人とも目立たぬよう武器は携帯せず、ウルルは例によって銀髪をフードで隠していた。
「それで、皇帝は? 皇帝もそのうち凱旋するのか?」
「ははっ、まさか。皇帝陛下はこれらの戦車が向かう先、式典用の劇場で待っているはずです。凱旋は将軍たち、戦争で活躍した英雄たちの特権ですよ」
「へえ。それじゃあ、魔導士もそのうち現れるのか。見るのは初めてだから、楽しみだな」
ウルルが無邪気に言うと、ユダは吹き出して笑いながら、人ごみの中を歩きだした。
「兄弟って案外、世間に疎いところありますよね」
「……? この戦争を終わらせたのは魔導士だろ? 終戦の英雄じゃないか」
「そうかも知れませんが、あの変人たちは目立つことを嫌うんです。大陸の西の果てにあるという魔道学院で、ひっそりと魔法の研究に打ち込み、そして生涯を終える。魔導士というのはそういう根暗な人間の集まりなんです……それに、帝国の民も魔法をあまり良いものとしておりません。忌むべき禁術だという考えが浸透しているんですよ」
二人は大通りを外れて、屋台の並ぶエリアへ出た。ウルルはリンゴを、ユダは串焼き肉を買ってつまみながら、人の流れにしたがって街の中心部へと進んでいく。
サンズ市は非常に清潔な街で、レンガ造りの家々も道もすべてが立派であり、また水源が豊富でいたるところを水路が走っていた。とくにウルルの目を引いたのが、中心部にそびえ立つ巨大な円形の劇場であった。
パレードの隊列はやがて劇場へと吸い込まれていき、市民たちもそれに従って列をなす。劇場入り口には多数の衛兵が立っていたが、膨大な数の市民が相手では機能しておらず、市民ではないウルルもユダもすんなりと中に入ることができた。
劇場の中央には大掛かりな舞台が組まれているが、まだ皇帝や将軍たちの姿は見えない。そしてその舞台を取り囲むように観客席が設けられているものの席は埋まっており、二人は最も遠い、最上段から立ち見することになった。
「それで? その日陰者の魔導士たちが、なんで今度の戦争には参加したんだ? 彼らが率いる部隊があるとも言っていたな」
舞台上に設置してある空席の玉座を見下ろしながら、ウルルが尋ねた。
「それは私にも疑問だったんですが……もしかすると陛下は、精霊期のノルズヴァンを再現しようとしているのかも知れません」
「せいれい期……?」
「大昔の話ですが、そのころは魔法が当たり前に受け入れられていて、国の中枢にも魔道結社という集団が絡んでいたといいます。というのも魔導士は、ノルズヴァン国にしか存在しない、唯一無二の強力な兵器だったからです。しかし次第に、魔道結社は戦争利用を嫌って真理探究に没頭するようになり、やがて魔道学院と名を変えて中枢から離れていったと言います」
「へえ、知らなかった。でも皇帝はなんで、今になってその時代を再現しようと?」
ユダは黒々としたあごひげを触りながら、「あくまで憶測ですが」と前置きして答えた。
「大陸の南側世界や、別大陸へのけん制ではないかと」
ウルルは思わず目を見張った。
「おとぎ話みたいに、山脈や海を越えて侵略者が来るっていうのか?」
「私がまだ故郷にいたころから絶えず流れている噂ですがね。しかし実際、そのころから現皇帝は帝国の領土拡大を開始しました。このサントエア領も、もとはサントエア公国と言って、領土拡大初期に併合された小国の一つです。そして先の第三次北方戦争にて我々のアリシア国を服従させ、ノルズヴァン帝国は大陸北側世界の覇者となりました」
「そこへさらに、強力な兵器である魔法が復活し、都一つを滅ぼしたという噂が流れれば、別大陸の国々はうかつに侵攻できなくなる……と。それじゃあ、ミュールを占領しようともせず、わざわざ魔法で壊滅させたのは、そのためのパフォーマンスだったのか?」
「いくら魔道学院が隠居を決めこもうと、皇帝の招集には抗えないでしょうからねえ……あくまですべて、噂にもとづく憶測に過ぎませんが」
ユダが苦笑したとき、劇場の最前列、招待された名士たちの並ぶあたりからどよめきがあがった。見ると、劇場の一画の門が開かれ、ある一団が姿を現していた。
「さあ、我々の仇敵にして、北側世界の覇王のおでましですよ」
現れたのはまさしく、ノルズヴァン皇帝その人であった。皇帝が手を挙げて民衆に応えると、どよめきは歓声へと変わり、劇場を熱狂が包んだ。
距離こそ離れているが、ウルルの青い瞳は、たてがみのように後ろになでつけた金髪と、その上に載せられた黄金の王冠、屈強な体格と、風にたなびく真紅のマントを視認した。
「想像より老けてるな」
周囲の観客に聞かれぬよう、そっとユダに耳打ちすると、彼は驚きを露わにした。
「さすが、この距離からよく見えますね……となりは、皇子でしょうか?」
「だろうな。だが、ずいぶん歳が離れた親子だ。皇子はまだ十歳前後じゃないか?」
「ええ。なかなか子供に恵まれなかったものの、ようやく念願叶って彼が産まれたそうで。ですから陛下の溺愛ぶりも相当なものだとか。それに唯一の子供です、次期皇帝は彼で確実でしょう」
「次期皇帝……未来の覇者、か」
ウルルはつぶやきながら、玉座の後ろの席の、金髪の美少年を見た。どうやら緊張している様子で、厳格さが顔に表れている父親とは違い、繊細で柔和な顔つきである。そんな皇子に、となりの席の初老の男が、笑顔で何事か話しかけていた。
すると、また歓声があがった。パレードの戦車隊が入ってきたのである。隊列はゆっくりと劇場内を回り、そして舞台の前で停止した。将軍たちは戦車を降りて、舞台上の面々を見上げる形になった。
皇帝は玉座を立って、今回の戦争における将軍たちと、そして何よりここサントエアの民の活躍をたたえはじめた。巨大な劇場は静まりかえり、皇帝の朗々としたよく通る声だけが響いている。集った者たちは皆、一言一句を聞き逃すまいと必死である。
なるほど皇帝にふさわしい威厳だと感心していたウルルだったが、ふと視線を移したとき、舞台上の一人と目が合った気がした。
それは、先ほど皇子に話しかけていた男の後ろに立つ、眼鏡をかけた男であった。舞台上の面々はそろって金髪なのだが、その眼鏡の男だけが茶髪で、また皇子をのぞいては飛びぬけて若かった。老人ばかりの舞台上で唯一、まだ二十代半ばといった外見である。
服装も独特で、黄と赤を基調とした正装が並ぶ中、彼だけが髪と同じ茶色のコートをまとっていた。背は高くなく、ややずんぐりとした体形だが、聡明さが顔に表れている。
ただ、実際には目が合ったというより、相手が会場を見渡したほんの一瞬、自分の視線と交差しただけであることはウルルも理解していた。しかしその一秒にも満たない一瞬、たったそれだけの邂逅で、自分さえ知らない心の奥底の領域を覗かれたような、そのような違和感が彼の心をかすめた。
「……ユダ、あの男は? あの、眼鏡の若い男」
今では皇帝の演説に耳を傾けている眼鏡の男を、じっと見つめながらウルルは低い声でたずねる。兄弟分の口調に異変を察したのか、ユダも無駄な質問は省いて、素直に舞台上を注視した。
「見覚えはありませんね。しかし、着座こそしていないものの、あの場にいるということは、それ相応の立場の人物ということでしょう。恐らくは、前に座っている元老の補佐官か何かでしょうか」
「元老、補佐官……」
「恐らく、ですが。しかし、あの若さで皇帝のそばにいるというのは、かなり高貴な血筋の者か、もしくは相当なやり手であることには間違いありません……どうします? もう出ますか?」
「いや、別に問題ない。ただの思い過ごしというか……とにかく、なんでもないんだ」
ウルルは改めてフードを深く被ると、「なんでもない」と自分に言い聞かせるかのように、あえて眼鏡の男から視線を切って、演説を続ける皇帝と将軍たちを見つめていた。
その夜、彼らの住まうグロリア地区は炎に包まれることになる。




