二話
ゆるやかな坂をのぼった先、目当ての屋敷がウルルの青い瞳に映った。古びてはいるが白漆喰の塀に囲まれていかにも頑丈そうで、装飾が豪華に飾りつけられている。そして何より、広大なグロリア地区で一、二を競うほどの巨大さであった。
サントエア領北東の鉱山そばの丘の上に、街全体を見下ろすようにそびえ建ち、久しぶりに顔を出した太陽に照らされている。およそ裏社会ギルドの本拠地とは思えない、堂々たるたたずまいである。
「くれぐれも失礼のないように。余計なことは言わないでおくれよ」
先を行く質屋のおやじが、振りかえって言った。
「銀髪の旦那はともかく、そっちのおしゃべりなお友達はとくに注意してくれよ」
「……おやおや、『お友達』とはずいぶんなご挨拶ですね。私だって、あなたのご自慢の用心棒を一撃で沈めてみせたでしょう?」
ユダは得意げに拳を叩いた。まだ病み上がりのはずだが、顔色も体格もすっかり元通りの健康そのもので、グレーのシャツの胸元を開き、たくましい筋肉をあらわにしている。その回復の速さには、ウルルも眉をひそめずにはいられなかった。
「あんなヘタレを倒したから何だってんだ。帰ったらあいつは即クビにしてやる」
質屋はぺっとツバを吐いてから、急に笑顔をつくって屋敷の門番に声をかけた。
「どうもどうも。わたくし、ボスと懇意にさせていただいている質屋のおやじでございまして、本日はお目通りの約束を――」
それからしばらく待たされた後、庭を通って玄関をくぐり、いくつかの立派なドアを開けた先の最奥に、ボスと呼ばれる男は鎮座していた。
富と教養を演出するための美術品と本棚に囲まれた部屋の、必要以上に大きな執務机の奥で、いかつい顔の中年男が安楽椅子に埋もれていた。
丸々肥えた体を上質なベストとコートで絞めつけ、そばにはいかにもな見た目の老執事まで控えさせている。
「誰だ、その貧乏人どもは」
挨拶も抜きに、ボスが間延びした声を響かせた。質屋は手もみしながら、貼り付けたようなねばっこい笑みを浮かべる。
「ボスのお悩みを解消すべくお連れした、いわばプロの二人組でございます」
「ほう、悩みとな。そうか……どこかに消えちまった、あの恩知らずのクソ女房とクソガキを見つけ出して、くびり殺してくれるんだな?」
と、小馬鹿にするように笑うボスだったが、
「はは……いいえ、まさか。例の、よそ者の相手でございます」
その一言で顔色を険しく変えた。
「あのクソ忌々しい、アリシアの敗残兵どもか」
「そのとおりで」
質屋も真似して、やせた顔をしかめる。
「やつら、こともあろうにボスの牛耳るこのグロリア地区の西に住み着き、さらには盗みも殺しも好き勝手です。だからと言って憲兵に訴えても、あたしらスラム住民の話なんぞまともに聞いちゃくれません」
するとそこへ、ユダがぶしつけに口をはさんだ。
「でも、そういう厄介ごとを解決するための裏ギルドでしょう。なのになぜ、放置されておいでで?」
店主がユダの口をふさぐより先に、「なめたクチを……」とボスが怒りをにじませた。
「放置だと? んなわけねえだろうが。すでに選りすぐりの部下を十名送り込んださ……ただ問題は、帰ってきたのは一人だけで、それも耳と鼻を削がれてたってことだ」
鼻息を荒くするボスをなだめるように、質屋はもみ手しながら何度もうなずく。
「ええ、ええ。まったくもってひどい話で。失うものが何もない連中ってのは恐ろしいもんでございます。それにあいつら、我々ノルズを祖国の仇だと思ってるから容赦がありません。ですから、そんなやつらを相手するのは同族が適任と思い、この二人を連れてきたというわけでして」
「そんなケダモノどもと一緒にしないでいただきたい」
というユダの抗議はさておき、質屋はボスに真剣なまなざしを送っている。
「同族だと?」
「左様で。この二人も、旧アリシアの兵士でございます」
「なるほど、そういう話か……まあ、御託はどうでもいい。肝心なのは、そいつらの腕が確かかどうかだ。どう見ても、今晩の飯にすら困っていそうな、最底辺の貧乏人どもだが?」
「ボス、恐れながら申し上げます。質屋である私の目利きに、狂いはございません」
「あんな用心棒を雇ってるくせに?」
と嫌味をこぼすユダのわき腹を、ウルルがひじで小突いて黙らせた。
「まあ、いいだろう。同胞を殺せるというのなら、それ相応の金を払ってやる」
同胞を殺せ、とわざと煽るようなボスの口ぶりに、ユダは眉間にしわを寄せ、不機嫌を露わにする。それを察した質屋があわてて「落ち着け」と制した。一方、ウルルはまったく意に介していない様子である。
「ふん、怒ったか? だがな、まともな扱いがしてほしけりゃ、まず能力を示すことだ。分かったらとっとと――」
『――お前らのクソ同胞どもを片づけてこい』
そう命じた三時間後、グロリア地区西のさびれた酒場の真ん中で、ボスは肥えた顔いっぱいに油汗を浮かべていた。
「地獄だ……」
言葉を失ったままの主人に代わって、お付きの執事がその惨状を表現した。
敗残兵たちが占拠しているはずの酒場には今や、痛ましいほどの静寂と、死臭、そして十数の死体だけが充満していた。死体の傷はどれも鮮やかで、剣やナイフによる一撃で仕留められたと分かるものばかりであった。
「ずいぶんとお早い到着で」
後ろから声をかけられ、ボスは体をびくりと震わせる。
酒場の入り口に、酒瓶を持ったウルルと、若い女性を連れたユダが立っていた。二人ともそろって、かすり傷一つ付けていない。
「……これを、二人で?」
ようやく言葉を絞りだしたボスに対し、ユダは眉根を下げて笑いながら答えた。
「いやはや、なんとも。ボスのおっしゃるとおり、同胞を殺すのも忍びないので、せめて生け捕りにしようと兄弟と打ち合わせていたんですがね。いざフタを開けてみたら彼ら、こちらの彼女たちを無理やり手籠めにしようとしていたもので……」
ユダが語るあいだ、女性は甘えるように彼の腕に体をからめている。
「それでカッとなってしまい、つい。しかし、ほとんどは兄弟の仕業ですよ」
「『仕業』って言うなよ。まるで悪いことしたみたいじゃないか」
ウルルは苦い表情で酒瓶をぐいとあおり、それから一言、ボスに問うた。
「それで?」
「……それで、というのは?」
話が飲みこめず、つい口をはさんだ執事。その横っ面を、ボスがひっぱたいた。
「何ぼうっとしてやがる。報酬と、それから『先生がた』のお住まいを用意してさしあげろ。とびきり上等な家を、早急にだ……何してる、ちんたら歩くな! 命が惜しけりゃ走れ、バカ!」
「この素ン晴らしきグロリア地区と、ついでにギルドと、なにより我々の輝っかしい未来に乾杯!」
酒場の真ん中で、ユダが高らかに杯をかかげた。酒場といっても大量殺人が繰り広げられたばかりの例の店ではなく、娼館が併設された洒脱な店である。浮かれ騒ぐ客も娼婦たちも皆、スラムの住民にしては身なりがよい。
それにならってウルルもユダも、手にしたばかりの金を使って、デザインこそ変わらないが清潔な服を新調して、今では成り上がりの一員となっていた。
「いやあ、さっそくギルドの食客になられるとは、流石、あっしの見込んだお二方だ。お二方のためなら何でもいたしますよ。一生ついていきまさぁ!」
なぜか同席しているキーファ老人も、新品のチュニックと似合わないマントをまとって調子のいいことを言っている。すると、給仕係でもある娼婦たちが、大量の酒と料理を運んできた。大いに機嫌をよくしたユダは、娼婦も周りの客も誘って、本日何回目かの乾杯を叫ぶ。
それからは、店ごと巻き込んでの宴となった。ユダとキーファはあちこちの席を回り酒を注いでは杯を干し、ほかの客たちと踊ったり歌ったり喧嘩したりとやりたい放題である。
一方で、我関せずの体を取っていたウルルもいつのまにか、銀髪と青い瞳を珍しがる女たちに囲まれて顔を赤らめたり、やけに身なりのよい紳士から迫られて顔を青くしたり、目の回るような忙しさであった。
一時間もかけて宴が落ちつきを見せはじめたころ、ユダとキーファはようやくテーブルに戻ってきた。何があったのか、キーファは顔にいくつかの青あざを作っている。
「ふう、いやはやなんとも。案外、殺しの腕も磨いておくものですねぇ」
ユダはすっかり出来上がっているようで、ぶっそうなことを声高に口走る。
「だって、言うことなしじゃありませんか。ええ? ギルドに名前だけ貸して、たまに用心棒としての仕事をこなせば、あとはこうして飲んで食って騒いでいるだけで大金をもらえるって言うんですから。真面目に汗水流して働く気になんてなれませんよ」
「はは、だな」
ウルルも目を細めて笑っている。しかし、
「何なら一生、ここにいてもいいくらいです。そうは思いませんか、兄弟」
「……一生、ここに?」
笑顔こそ変えないが、兄弟分があえて聞き返した理由を、酔ったユダは考えもしない。
「ええ、そうですとも。このスラムも案外悪くないじゃないですか。まあ、たまにはこの街を出て、お高くとまった都会の御婦人を相手するのもいいかも知れませんがね?」
酔いで定まらないユダの視線をかわしながら、ウルルは「ああ、そうかもな」と苦笑してから話題を切りかえた。
「そういえば今さらな話だが、ユダって何歳なんだ? 出身は?」
それから二人は、これまでしたことのなかった身の上話などをはじめた。
「私は三十か三十一……もしくは三十二か。まあ、歳なんて細事ですよ。出身は東の自由都市ヴィリ・シアンです。若いころは野心に満ちて騎士道なんかを志していたんですが、騎士になれるあと一歩というところでその……色々考えるところがあって、だんだんと居心地が悪くなったんで国を出て、それからは方々を転々とし、最終的にはアリシアで傭兵に。そう言う兄弟は?」
とユダは語った。
「俺も、昔の記憶があいまいで、自分の年齢はよくわからないんだ。たぶん二十歳かそこらだと思う。お察しのとおり、北方諸島の少数民族の生き残りさ。祖国では王家にゆかりのある一族だったらしいけど、諸島全域の統一権をめぐる戦争で俺以外死んで、その戦争に勝った統一国もアリシアに負けた。その後は奴隷としてアリシアに売られて、色々あったあと人殺しをやらされるようになり……あとは知ってのとおり」
ウルルも語った。
「お互い、『色々』が多いですね」
「たしかに」
そう言って二人で笑いあった。
つづいてキーファ老人も身の上話を演説したが、あまりに大げさで冗長だったのでウルルは適当に相づち打って聞き流していた。ユダは途中で席を立って、演説がクライマックスに達したあたりで、娼婦を二人ともなって戻ってきた。
「兄弟、お一人いかがです?」
ウルルははにかんで辞退し、キーファに譲った。すると老人はすみやかに演説を中断して、大喜びで娼婦と宿屋へ消えていった。
「俺にかまわず楽しんできなよ」
「つれないですねぇ」
そうぼやきつつも、ユダも上機嫌で娼婦を連れていった。
一人残ったウルルは、酒場の喧騒に埋もれるように、静かに杯をかたむけていた。
「一生……」
と一度だけつぶやいた以外、あとはただただ飲みつづけるのであった。




