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弓兵と魔女の国  作者: こばやし
第一章 因果の魔女
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一話


 北方戦争終結から二か月後の初秋、ノルズヴァン帝国最北の領土・サントエア領の空は分厚い雨雲に支配されていた。

 ノルズヴァン帝国属領・アリシア領(旧・アリシア国)との境にあるこの地は、戦争特需で多くの恩恵に恵まれたこともあり、領内の街はどこもいまだ戦勝ムードの賑わいを見せている。ただし、辺境のスラム街をのぞいてだが。


 領地の北東、いまや閉鎖された鉱山地帯ちかくに、その広大なスラム街・グロリア地区はあった。

 他の街々のような、石造りの立派な家とは異なり、腐った木板を適当に組み合わせたようなボロ小屋が密集してスラムを形成している。石畳などは当然敷かれてはおらず、貧しい住民たちは雨でぬかるんだ道を暗い気持ちで歩くほかない。


 そして現在、かつての凄腕の弓兵・ウルルもその一人であった。

 彼は銀髪をフードで隠し、全身雨に濡れながらブーツを泥で汚している。服装はかつてのままだが、薄汚れてズタボロのありさまで、背中には弓も矢筒も見当たらない。

 スラム街というのは陰鬱(いんうつ)で貧相なわりに、人口密度だけはやたらと高い。そのむせ返るような人混みの中を、彼は一人でとぼとぼと歩いている。

 やがてたどり着いたのは地区の一端の、ひときわ質素なつくりの小屋であった。

 玄関がわりの垂れ幕をくぐる。中にいたのは、寝床に伏せたままの男が一人と、それを看病する老人が一人。


「彼の具合は?」


 ウルルはコートを脱いで、雨滴をはらいながらたずねる。老人は首を横にふった。


「いっこうに熱が引かん。薬どころか、飯にもありつけんのでは当然だわい。そもそもこんなところでは、治る病も治らんわ」


 シワだらけの顔をさらにしかめて、雨漏りする天井をにらむ。そんな老人(名前をキーファというらしい)は茶色く汚れたボロ布をまとい、髪はすっかり禿げ上がって、枯れ木のようにやせているが、それでいて気の強そうな顔出ちをしている。

 すると、寝床に伏せていた男がひどくゆっくりと、その大きな身体を起こした。


「仕事は、見つかりましたか?」


 丁寧な口調で枯れた声を出したのは、かつての剣豪・ユダであった。顔は青ざめ、たくましかった肉体も今ではやせこけて、麻のグレーシャツがやけに大きく見える。


「無理するな。大人しく寝てろ」


 ウルルは優しく言いながら、そばの床に腰を下ろした。


「そうは言われても、こんな豪華なベッドでは、どうも落ち着かなくてね」


 床板の上に敷かれた薄い布を指でつまみあげながら、ユダは皮肉っぽく笑っている。


「それで、仕事は?」

「いや。ここいらは俺たちみたいな流れ者であふれかえってるから……なかなか、な」

「そう、ですか」

「とくに、お前さんらのような元アリシアの敗残兵では、まともな職につくのは無理じゃろうて。帝国による残党狩(ざんとうが)りをどうにか免れたとしても、奴隷に落ちるか、もしくはこうして飢えと病に苦しむだけとは……まったく厄介な身分だわい」

「ご老人。その厄介者たちに命を救われたという事実を、どうぞお忘れなきよう」


 と強気なセリフを吐くユダだったが、その額には脂汗が浮いており、すぐに激しくせき込みはじめた。


「わかっておるわ。だからこうして世話してやっとるんじゃろうが……ああ、こんな面倒なことになるなら、物盗りどもに素直に殺されておくべきだったかの」


 キーファに背中をさすってもらうユダを見ながら、ウルルは悩まし気にくちびるを噛んでいたが、やがて意を決したように立ちあがって、濡れたままのコートを再び手に取った。




 止まない雨の中、フードを被りなおしたウルルがやってきたのは、グロリア地区の中では比較的立派な造りをした二階建ての家屋であった。看板には「質屋」とある。

 湿気できしむ木戸に手をかけ、ガランゴロンとドアベルを響かせる。


「らっしゃい。借りるかい? 売るかい?」


 中に入ると、甲高い声が出迎えた。決して広くはない部屋を大きなカウンターテーブルが二分割しており、声の主はその向かい側にいた。店主と思われる小柄な初老の男で、頭髪が薄く、右目に片眼鏡をかけており、スラム街の住人にしては血色も身なりもいい。

 それとはまた別の気配を感じて右を見ると、カウンターの手前側の部屋のすみに、いかにも用心棒といった外見の大男が椅子に腰かけていた。スキンヘッドで人相が悪く、筋肉を強調するような薄手の服をまとい、こちらを無言でにらみつけている。

 ウルルは、その威圧的な視線をひとまず無視し、カウンターに近づいた。


「借りても、返せるあてがないんでね。これを売りたいんだ」


 テーブルに置いたのは、二つ一組のピアスであった。彼がいつも右耳に着けていた幅の太い黄金色のピアスで、それぞれ太陽と月とを表す刻印が入っている。ややくすんでいるがその輝きは、カウンターの奥に並ぶ美術品の数々にも見劣りはしない。

 だが店主はというと、ピアスを適当に眺めまわし、鑑定する素ぶりを見せるばかりである。安値を付けられると察したウルルは仕方なく、深くかぶっていたフードを取った。


「俺たち北方人が代々受け継ぐ、由緒(ゆいしょ)ある家宝なんだ。頼むからまっとうに鑑定してくれ」


 それを聞いて、店主は片眼鏡をはずし、ピアスよりもウルルの銀髪と青い瞳に釘付けになって黙り込んだ。代わりに声を発したのは、部屋のすみに座っていた用心棒である。


「はっ! なんだよ、北方の田舎モンかい!」


 男は侮辱的(ぶじょくてき)に笑いながらウルルに近づくと、その細い肩を乱暴につかんだ。


「お前ら、アレだろ? クソ雑魚のアリシア国なんぞに滅ぼされた、雑魚中の雑魚民族だろ? 馬鹿だなぁ。そんな連中の家宝が、いったいいくらになるってんだ」

「おい、やめろ。今は商談中だぞ」


 店主がいさめたが、男は聞く耳をもたず、さらに強引にウルルを抱き寄せた。


「奴隷なら奴隷らしく、体でも売ってろよ。銀髪も碧眼(へきがん)も希少だし、かわいい顔してるから高値がつくぜ。何なら俺が――」


 そこまで言われたあたりでウルルは、肩にかけられた大きな手に、そっと自分の白い手をかけた――かと思いきや、小指をつかんで軽くひねった。次の瞬間、男の巨体はいとも簡単に宙を舞い、派手な音とともに床にたたきつけられた。

 背中を抑えてうずくまる大男と、汚らしそうに手をはらうウルル。店主はそんな二人を何度か見比べたあと、はっと我に返って口を開いた。


「すぐに金を用意するから待ってな……それから銀髪の旦那。あんた、仕事に困ってるんじゃないか? もし興味があるんなら、また近いうちに来てくれよ」




「すきっ腹にそんないきなり詰めこんだら、胃がおかしくなるんじゃないか」


 サラミをはさんだパンをほおばるユダを、ウルルが心配そうに見守っている。

 質屋で金を手に入れたウルルは、そのまま市場で大量の食料を買いこむと、ユダとキーファ老人の待つ小屋へと戻り、彼らを驚かせたのであった。


「ええ、おかしくなっていますとも。久々のまともな飯に、私の胃も踊り狂ってますよ」

「ははっ、ついさっきまで寝込んでたくせに、頑丈なことで。それじゃあ、コイツもいけるな」


 ウルルは苦笑しながら、ユダと、それからキーファのカップにワインを注ぐ。二人とも一気に飲み干して、ぶはあっと豪快に一息ついた。


「まるで楽園のわき水だ。お二人が精霊(せいれい)に見えらあ。ああ、生きてて本当によかった」


 キーファは涙目になって、さっそく顔を赤くしている。


「はは、そりゃいい。精霊様に乾杯!」


 ユダもご機嫌に笑いながら、ウルルとキーファに酌をして、三人で木製のカップをカツンと鳴らした。

 それから間もなく、キーファは酔っぱらって眠りこんでしまい、ウルルとユダだけで酒盛りを続けていた。二人とも床にあぐらをかいて、顔をほんのり赤くしている。


「そうだ、これを飲むといい。もう必要なさそうなくらい顔色がいいけど、一応」


 そう言ってウルルがユダに手渡したのは、小さな紙袋に入った、数粒の丸薬であった。


「何から何まで、すみませんね……ああ、苦っ。なるほどこれは効きそうだ。しかしこんな土地で薬を手に入れるなんて、さぞ高かったでしょう。どんな魔法を使ったんです?」

「なに、無用な装飾を売りはらったら、思ったより高値がついたってだけさ」


 ウルルは冗談めかして笑いながら、穴の空いた耳たぶをさわった。


「あのピアス、思い入れのあるものではなかったのですか?」

「思い入れってほどの代物でもない。たしかに故郷の品ではあるらしいけど、アリシアにいたころ、王都の露店で買っただけさ」


 ふうん、と何気なさそうに相槌をうつユダだが、にわかに目線を落とした。

 夜風が不吉な音をともなって、ボロ小屋をきしませた。天井から垂れた雨が、いびきをかくキーファの顔にぴしゃりと落ちて、老人は悲鳴じみた唸(うな)り声をあげる。


「魔法と言えば……熱にうなされている間、情けないことにずっと、あの時の夢を見ていましたよ。我々が敗北した、まさしくその瞬間を」

「ああ……俺も似たようなもんさ。これから一生、あの光景を忘れることはないだろう」


 ウルルは目線を落として、弱々しく首をふる。


「けれど、あれも魔法なのか? なあユダ。どこかの誰かが、あれを意図して引き起こしたっていうのなら、そいつは魔導士(まどうし)というより……」

「神……もしくはこの国で言うところの、大精霊(だいせいれい)ですか? どちらにせよ、ずいぶんと意地悪な方らしい。仲間を生かそうと動いたつもりが結局、彼らは死に、私だけが生き残ってしまったのですから。弔ってやることさえできなかった。もしあれを引き起こした魔導士に出会えたなら、お礼に、そいつのケツに私の『魔法』をブチ込んでやりますよ」


 熱病に侵されても弱音一つ吐かなかった男が、今夜は酔いのせいかやけに愚痴(ぐち)っぽい。


「俺も、亡きアリシア国のウォッカが恋しいよ。安酒だけど、この馬鹿高いワインよりずっと味わい深かった」


 ウルルは空気を変えようと、つとめて明るい声を出した。気を使われていると察したユダも、ようやく笑顔を取りもどす。


「ええ、たしかに。あの酒が失われたのは手痛い」

「だろう? もう一度あれを飲まずには死ねない――そうだユダ、体調がよくなったら、一緒に仕事しないか。ロクな話じゃなさそうだけど、仕事は仕事だ」

「ええ、もちろん。あなたとなら何なりと……兄弟」


 それから二人はまたカツンとカップを打ち合わせて、雨の音と老人のいびきを肴(さかな)に、ささやかな宴を続けるのであった。


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