一話
とある晴天の昼下がりのこと。冷気すみわたる針葉樹の森――日光もあまり届かぬうっそうとした樹々の間を、ある兵士の一団が駆けていた。
やわらかな鳥のさえずりや川のせせらぎなどはすっかり消えうせ、代わりに聞こえるのは鎧のきしむ音だけである。
約十名の男たちは目を血走らせ、息を切らしながら、疲れた身体をとにかく前へ前へと動かしつづける。鎧も武器もバラバラであったが、皆そろって汗と血と泥にまみれており、そして皆、緑と白のローブを羽織っていた。
彼らには追手があった。わずか後方、威勢のいい声をあげながら迫る、黄と赤のローブの集団である。追手たちは統一された軽装をまとい、また人数も倍ちかい。
それら二つの部隊の体力差は明らかで、獰猛な狼たちはすでに、弱った羊の群れをとらえつつあった。その鋭い牙が緑白のローブに食い込むのは、もはや時間の問題である。
「うぁっ!」
やがて、悲痛な声が森を貫いた。
がしかし、倒れた兵士のローブの色は、黄赤であった。その肩からは、一本の矢が生えていた。その場の全員がとまどう中、二つ「ビュウン」と空気を切りさく音がして、それからまた二つ、男の悲鳴が上がった。悲鳴の主はどれも黄赤の兵である。
肩や腰、太ももに矢を食らってうめき声をあげる仲間たちを見て、追手の足が一斉に止まる。ところが、逃げていた緑白の兵士たちまでもが走るのを止めてしまった。すると、
「馬鹿っ! 止まるなぁ!」
針のように鋭く、凛とした声が響いた。
兵士たちのすぐそば、頭上を覆う枝葉の中から、飛びだす影が一つ。獣のようなしなやかさで着地したその人物は、軽装に濃緑のコート、黒のズボンとブーツをまとっていた。頭にはフードを被り、中背でほっそりとした体つきであった。
背中の矢筒から矢を抜いてショートボウにつがえ、弦をしぼり、そして放つ。一連の動作を一瞬で完了させると、敵の悲鳴があがるのも待たずにフードを取って、
「俺が援護する! 今のうちに逃げろっ!」
険しく叫んだ。その顔は青年のもので、色白でやせているが、瞳は青く大きく、また鼻は細長く、歳のころはまだ十七、八に見えた。右耳には派手な黄金のピアスを二つしているが、それよりも目を引くのは、後ろでまとめた白銀の長髪であった。
緑白の兵士たちはいまだ状況を飲みこめず固まっていたが、
「そうだ、止まるなっ! この機をむだにするんじゃないっ!」
リーダー格と思われる、茶髪でひげ面の兵士が声をあらげたのを合図に、いっせいに逃げ出した。同時に、敵も怒声をあげて追撃を再開する。
銀髪の青年は遠ざかる仲間の背中をちらと確かめてから、また高速で矢をつがえ、迫りくる敵に浴びせる。きわめて高速かつ正確、初見ではまず不可避の攻撃である。
一人、二人と射止めた後、身をひるがえして、樹々の間を飛ぶように後退した。そうして、まるで仲間と敵との距離を測るように丁寧に、矢を放っては後退し、矢を放っては後退し……を繰りかえした。
黄赤の兵士たちは敵を追うたび、三人、四人と矢を生やし倒れていく。しかも腕や足など、決して即死しない部位ばかりを狙って射抜かれるため、彼らのあげる悲痛な声は仲間の戦意を着実に削いでいった。
しかしそれと同時に、青年の神経も体力も、そして何より矢をも消耗していく。
やがて緑白の兵たちが完全に逃げ切ったころ、ついに矢筒が空になった。そしてそのころには、敵の標的はもはや青年ただ一人のみへと切り替わっていた。弓に翻弄されるばかりだった敵兵たちは、憎き弓兵の矢がなくなったと見るや、調子を取りもどす。
「きさま……よくも……」
疲れと怒りに息を切らしながら、先頭の兵士がショートソードをぎらりと光らせた。
三名の兵士と相対しながら、辺りに視線をくばる青年。周囲は木々が生えておらず、森の中の広場のようになっていた。また敵の背後には、さらに迫る増援が見える。
「仲間のかたぁきぃ!」
兵士の一人が声をあげて距離をつめた。青年は汗を流し息を切らしながらも冷静な表情をくずさないが、しかし弓を放りすてた。ほかに武器は見当たらない。丸腰である。
あきらめた、と誰もが思った。剣を振りかざす兵士も、おもわず余裕の笑みを浮かべる――その顔面に、投げナイフが刺さった。
断末魔の悲鳴をよそに、青年はコートのそでから小さなナイフを取りだすと、また別の敵に投げつけ、これものど元にみごと命中させる。
「こっ、この野郎っ! どこまで卑怯なんだっ!」
ばたばたと倒れる仲間たちの間をぬって、残された一人が突進をしかけた。しかし必死の突きもするりとかわされ、新たなナイフの餌食となるだけであった。
それと同時、十名ちかい増援が広場に飛びこんだ。彼らはおもわず、白い顔と髪を返り血で染める青年の気迫に圧されかけたが、しかしすぐに数の有利を思い出したらしく、わあっという声とともに押しよせた。
青年は汗と血をぬぐって、大きなため息を吐く。そして間髪入れず、投げナイフで先頭の一人をしとめ、倒した敵のショートソードを拾いあげた。どうやらついに隠しナイフも底をついたらしい。
「行くぞっ!」
はじめて気合声を発すると、銀髪をたなびかせ地面を蹴った。正面からの斬撃をくぐってかわし、すれ違いざまに脇腹を斬りすて、つづけて後続の敵に突きを食らわせた。
巧みな剣技にどよめきが上がるが、やはりというべきか、その呼吸ははげしく乱れていた。真っ正面から突っこんでくる敵の剣を、青年も正面から受けとめ、はねかえす。
そうして一人、二人と倒したが、三人目で限界が訪れた。斬撃を防いだが勢いに圧倒され、剣は滑るように手を離れて、つられて彼の体も地面を転がった。
青年はそれでもなお、地面に手をついて立ちあがろうするが、腕は小刻みに震えるばかりで何の支えにもならない。すると、わき腹を衝撃が襲った。蹴りつけられたのである。
「がっ……ごほっ」
仰向けになって、苦痛の表情でせきこむ青年。そのそばへ、蹴りを入れた兵士が歩みより、逃げられぬよう胸を踏みつけた。
「俺がやるぞ、いいか?」
兵士は振りかえって、残り六人となった仲間にたずねた。その表情には怒りと安心と優越感が入りまじっている。同じ表情でうなずく仲間たちを見て、兵士は倒れた相手に向きなおり、ショートソードを逆手に握りなおす。
青年は踏みつける足を押しのけようと抵抗するが、残された体力ではそれも叶わない。
「はは、そう暴れるな。すぐ楽にしてやるよ」
兵士が勝ちほこるようにつぶやき、剣を突きたてようとした――その刹那、一つの人影が広場に飛びこんだ。兵士たちが反応するより早く、その人影は鋭い斬撃を放つ。
「ぎゃあっ!」
青年にとどめを刺そうとしていた兵士は首から血を吹き、人形のごとく崩れおちた。
現れた男は、倒れたままの青年を一瞥し、ふっと淡い笑みを浮かべる。そしてすぐさま別の兵へと跳びかかり腕をはねとばした。その剣技は極めて直線的で一切のむだがなく、非情なほど効率的に二人、三人、あっという間に四人をも斬りふせた。
五人連続、とまではいかなかったが、わずかに体力を取りもどした青年が参戦すると、全部で七人いたはずの敵がゼロになるまで、さほど時間はかからなかった。
「まさか、たった一人で一個小隊を全滅させるとは、恐れ入りました」
血をぬぐったショートソードをさやに納めながら、男は場違いなほど丁寧な口調でつぶやいた。青年はその人物に見覚えがあった。さきほど緑白の兵士たちを率いていた男である。
茶髪のオールバックに、薄いあごひげを生やし、左あごから頬への古傷が印象に残っていた。年は三十歳そこら。身長は青年より頭ひとつ高く、胸板の厚い屈強な体つきをしており、黒茶色の革鎧の上から、似合わぬ緑白のローブを羽織っている。
「仲間を安全圏まで撤退させましたので、様子を見に来てみたんですよ……わたくし、ユダと申します。アリシア国陸軍所属の外人傭兵です。あなたは?」
ユダと名乗った男は整った面長に、白い歯をニッと見せた。
「ウルル。俺もその……似たようなもんだ。とにかく助かったよ」
青年――ウルルは乱れた銀髪をまとめながら短く答えた。
「はは、助けられたのはこちらですよ。しかし、その珍しいお名前と、何よりその髪。もしや北方民族の――」
そこまで言ったところで、ユダは言葉を切って舌打ちをこぼした。
「ぜひお茶でも、と思ったのですが、そんな暇はなさそうだ」
ときの声が、森の静寂を引きさいた。まだ遠いが、樹々の間をぬってこちらへ迫る黄と赤のローブの大群が、二人の視界にしかと映った。
「我々もおあいそといたしましょう」
ユダは一目散に走りだし、遅れてウルルも、どこか迷うような表情で後を追った。二人とも、まるで疲れを知らないかのような足取りで、またたく間に敵を引き離していく。
「ユダと言ったか、なぜ逃げていた。お前が率いて戦えば、勝てたんじゃないか?」
飛ぶような身軽さで森を駆けながら、ウルルがたずねた。
「ええ、勝てたかも知れません。しかしそうなれば、こちらにも少なからず死人が出ます。そんなの馬鹿馬鹿しいでしょう?」
「だがお前は戻ってきた。それもたった一人で。なぜ?」
ユダは意味ありげにほほ笑む。
「さあ、なぜでしょう? そう言うあなたこそ、なぜ一人であんな命がけの援護をしてくれたんです?」
「それが、俺の仕事だから」
「そんなの――」
それこそ馬鹿馬鹿しい、と言いかけたユダだったが、となりを走るウルルの青い瞳にかかる暗い影を見て、彼は言葉を飲みこんだ。
「さあ、愛しの王都・ミュールが見えましたよ」
森を抜け、視界が一気に開けたあたりで、ユダが明るい声を出した。緩やかな坂をひたすら下った先、山脈と森に囲まれた盆地の真ん中に、それはあった。
アリシア国の王都・ミュールは円形状の巨大な城壁都市で、中央に向かって小高い丘になっている。その頂上に堂々そびえ建つ宮殿と、それを取りかこむ巨大な塔や屋敷の数々が、二人の目にもはっきりと見えた。
「俺たちは、王都のこんな近くで戦っていたのか」
「ええ。あちらさま……ノルズヴァン帝国も本気ということです。噂によれば、魔道学院の学者連中まで動員して、魔導士に部隊を率いさせているとかなんとか」
「まさか。魔導士は戦争に関与しないはずだろ?」
「あくまで噂ですが。なんにせよ、この戦はここからが正念場です。さ、急ぎましょう」
ユダはからかうように、ウルルの肩をばしんと叩いて走りだす。必要以上に強く叩かれよろめくウルルだったが、遠ざかるユダの背中を呆れたような、毒気を抜かれたような表情で追いかけはじめた。
「――このあたりは、だれもいないな」
しばらくして、王都周辺に点在する村の一つを通りすぎながらウルルがつぶやいた。
「おや、ご存じでない? 王様が近隣の村々に対し、壁内への避難命令を出されましてね。おかげで壁内の商人たちは『客が増えた』と大喜びですよ」
不謹慎なジョークにウルルも思わず頬を緩めかけた――が、すぐに顔をこわばらせて足を止めた。つられてユダも立ち止まり、何ごとかと尋ねようとしたが、すぐに異変を感じて笑みを消した。
「ユダ、わかるか?」
「ウルル殿、これは、空気が、その、震えて――」
次の瞬間、足が浮くほどの衝撃が、大地の底から二人を、そして盆地一帯を襲った。それも一度や二度ではない。絶え間なく足元を叩き上げるような衝撃である。
「な、なにがっ」
地面に手をつき、悲鳴に近い声をあげるウルルだったが、視線を上げて息を詰まらせた。城壁の上からのぞき見える宮殿のあたりの地面が、翡翠色に煌めいたかと思うと、次には噴煙をあげて崩落を始めたのである。
やがて光と崩落は放射状に拡がっていき、一分と経たず、都市を囲む城壁までもが音を立てて崩れだした。止むことのない地鳴りに交じって、数多の悲鳴がウルルとユダの鼓膜を刺激し、放心状態だった彼らを現実に引きもどした。
「走るぞ!」
しかし叫んだウルルの足元に、地割れをともなって翡翠色の閃光が走った。直後、彼とユダの姿は、たちのぼる噴煙と轟音の中へ飲みこまれていった。
かくして大陸歴517年の初夏、アリシア国の王都ミュールは文字通り消滅し、約一年にわたって続いた「第三次北方戦争」は終結した。
戦勝国・ノルズヴァン帝国は、広大な旧アリシア国全土を我が物としたのである。




