第八十九話「キムラ・ジュディという人間」
「安心してくれ。お前の存在は世界を救うかもしれないのだから。」
頭上から、ゼノの言葉が降りしきる。
意味は分かった。聞こえていた。
ただ、頭では理解できても、心が理解を拒んでいた。
体が動かない。
呼吸すら、出来ているのか分からなかった。
——もう、いいや。こんなの。
そんな言葉が、浮かんだ。
ゼノの最後の言葉が、脳内で響く。
恐らく、ゼノは何かを企んでいる。
また、俺は奪われるのか。
家族を奪われ。
エルナを奪われ。
帰る場所を奪われ。
生きる意味すら、奪われた。
いや、違う。
最初から俺は、何も持ってなどいなかった。
借り物の心と、紛い物の体。
何が、背負うだ。
何が、背負えるって言うんだ。
懐から、レールガンを取り出した。
そのまま銃口を自分の頭に充てがう。
鉄の冷たさが、額に伝わる。
それが、とても心地よかった。
「————。」
俺は、木村樹莉ではなかった。
元の世界の木村樹莉は、そのまま生きている。
俺の帰る場所は、最初からなかった。
じゃあ、もういらないな。
明里は笑っていた。娘も。
俺ではない誰かと、幸せになるのだろう。
じゃあな。くそったれな世界。
二度と、この世界に生まれ落ちないことを、切に願う。
引き金に、力を込めようとした。
——コトン。
何かが、落ちた。
こめかみにレールガンを当てがったまま、下を見る。
エルナの、宝石だった。
——ジュディ。
名前を、呼ばれた気がした。
俺の、名前?
俺は、木村樹莉ではない。
俺は、誰だ。
俺の、名前は。
ただの紛い物。
記憶だけの、コピー。
それが、俺だ。
じゃあ、俺は無意味なのか?
本当に、無価値なのか?
『ジュディが、大好きだ。』
『私は、ジュディが、大事だよ。』
『帰ってきてよ。ボンクラ。』
誰かの言葉が落ちてくる。
俺が、誰かに、言われた言葉。
この世界で。
出会った人に、言われた言葉。
『出会ってくれて、ありがとう。』
——違う。
それは、違う。
それは、違うと思った。
無意味、なんかじゃない。
無価値なんか、じゃない。
——エルナは、俺をジュディとして見た。
——カイラは、俺をずっと待ってくれた。
——サヤは、俺を連れ戻してくれた。
——この世界で、俺は確かに、誰かと生きた。
俺は、木村樹莉じゃない。
でも、だからなんだ。
それが、なんだ。
——俺は、ジュディだ。
ならば、生きなければ。
俺を、大切に思ってくれる人たちのために。
いや、違う。
俺は、生きたい。
俺は、あの人たちと、生きていきたい。
なら、立て。
ジュディとして。
それが、俺だ。
キムラ・ジュディという人間だ。
—
ゼノは静かに、青年を見下ろしていた。
あまりにも無防備に、膝をついている。
殺すことは、いつでも出来た。
しかし、ゼノは何もしなかった。
彼に、興味があった。
存在を否定された人間が、何を選ぶのか。
自死か。復讐か。惰性か。
いずれにしても、面白い。
やがて、青年は地面に落ちた宝石を拾い上げた。
指先は震えていた。
呼吸も、まだ整っていない。
それでも、青年は静かに立ち上がった。
真っ直ぐに、こちらを見た。
先ほどとは、別人のような顔つきだった。
その瞳には、決意があった。
「……そう、成ったか。」
ゼノは静かに呟いた。
試すように、銃を青年へと向けた。
「ひとつ、問おう。」
「……。」
「貴様は、アルトか?」
青年は、レールガンを懐にしまった。
そのまま丸腰でこちらへと歩み寄る。
「……ジュディだよ。」
言いながら、ゼノの持つ銃を静かに奪った。
撃つ気がないことは、最初から分かっていたようだった。
「ゼノ。」
「なんだ。」
「じゃあ、改めて話そうぜ。これからのこと。」
「……いいだろう。」
ジュディは、煙草を取り出した。そのまま火を付ける。
「……。」
「……あ、吸う?」
「……吸わん。」
「あ、そう。」
瞳には決意があった。
しかし全体の雰囲気は、どこか気の抜けた印象があった。
緩く、温かい。
それが彼なのだと思った瞬間、ゼノは自分が少しだけ動揺していることに気がついた。
「う~ん。どうしよっか。」
「何がだ?」
「目的が、なくなっちゃって。」
「私に聞くのか?」
「まぁ……。」
ジュディが煙を吐いた。
「ゼノ。あんた、今後も定期的に、俺に協力してほしいんだろ?」
「……そうだ。アルトがお前の中にいることを確認した。それの謎を解き明かしたい。」
「それが、俺の存在が世界を救うってことに繋がるのか?」
「あぁ。」
「分かった。でも、こっちも条件を出す。」
「……言ってみろ。」
ジュディは少しだけ間をおいた。
「俺の得た情報を、MANAとエルドに共有することを許可してほしい。」
「……黙って共有すればいいものを。」
「協力すんだろ?まずは自己開示だ。基本だろ。」
「……。」
「もう一つ。今日は、仲間も含めて無罪放免にしてほしい。」
「随分と甘いな。」
「もう耳にタコだよ。あんたまで止めてくれ。」
ゼノは少しだけ黙った。
「……いいだろう。」
「おし。そっちの条件は?具体的に何をすればいい?」
「契約を結ぶ。詳細はエルドと詰めろ。」
「……分かった。じゃあ、もう行くか。」
ジュディが歩き出した。
到底、先ほど地獄の縁にいた男だとは思えない。
「ジュディ。」
ゼノの声に、ジュディは振り返った。
「なんだよ?」
「……貴様は、今後どうするつもりだ?」
ジュディは少しだけ考えた。
「とりあえず、帰るわ。」
「……そうか。」
ゼノは自分の口角が少しだけ上がったのを感じた。
自分でも、不思議だった。
—
ゼノが、端末を操作した。
「ネル。」
「はぁい。」
「お帰りのようだ。」
「えぇ~~!……りょ~かい、しましたぁ~。」
俺は、ゼノに案内されるままアルカナの外へ出た。
サヤが、待っていた。
体がすすで汚れていた。
「……うっわ。ボロボロじゃん。」
「サヤだって。」
「……ん~。」
サヤが俺の顔を覗き込む。
真っ直ぐに俺を見つめた。
「ダメだったの?」
「……いや。」
「……。」
「最初から、俺はジュディだった。」
「……意味わかんねぇ~~。」
サヤが、ポケットからキャンディを取り出す。
そのまま、口へと運んだ。
「後で、ちゃんと説明するよ。」
「端折るなよ?」
「端折んねーよ。」
サヤが、少し間を置いた。
「んじゃ、帰るよ。」
「ん?」
「ん?じゃねーよ。工房、帰るでしょ。」
「……。」
「ほら!」
「あぁ。帰ろう。」
歩き出した瞬間、背後からゼノの声が届いた。
「ジュディ。」
「あんだよ。」
「エルドへの連絡を怠るなよ。」
俺は振り返らなかった。
ただ、黙って中指を立てた。
そのまま、踵を返した。
「……っは。やるじゃん。ボンクラ。」
サヤが、小さく笑った。
「だろ?……悪いんだけどさ。」
「……なによ?」
「ちょっと、肩貸してくんない?」
「私も、ダルいんだけど……。」
「頼むよ。」
「……しょうがないな。」
サヤが、肩を貸した。
外で待機しているザインの元へ、二人で歩いた。
第八十九話、お読みいただきありがとうございます!
ジュディ、立ちましたね。
キムラ・ジュディ。
それが、彼自身が決めた自分のようです。
次回、第一部最終話です。
では、10分後にお会いしましょう!
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