第八十話「進むべき道」
EVAirの窓から、雪景色が流れていく。
二年ぶりになるノヴァへの往路だった。
最後にこの景色を見たのは、帰りの便だった。
エルナを失い、窓の外を見る余裕なんてなかった。
ただ座っていた。
——今は、見える。
雪に覆われた平原が、どこまでも続いていた。
「……。」
この景色のどこかで、エルナは死んだ。
いや、違うな。
彼女は、選択した。
吹雪だったから、何も見えなかった。
今もまだ、何も見えない。
「……ジュディ。」
カイラが、隣から声をかけてきた。
いつもなら距離を詰めてくるのに、今は少し間を空けたまま座っている。
「……なんでもない。俺は、大丈夫だ。」
「かっこいいぞ。ジュディ。」
彼女なりの励まし。
それだけの言葉でも、少しだけ軽くなった。
サヤは向かいの席で、棒付きキャンディを咥えたまま窓の外を見ていた。
こちらを見ていないようで、見ている。
支えられてばかりだ。そんなことにも今まで気付けなかった。
もう一度、窓に目を戻した。
——エルナ。
彼女が死んだこの世界で、俺はまだ帰ろうとしている。
馬鹿な男だと思う。
それでも、その気持ちだけは、どうしても捨てるわけにはいかなかった。
白い平原が、少しずつ街の景色に変わっていった。
—
MANAの正面玄関に、カインが立っていた。
高級スーツに眼鏡。
二年前と、何も変わっていない。
「待っていたよ。」
開口一番はそれだった。
責めるでも、崩すでもなく、ただそれだけ。
俺は、頭を下げた。
「……二年も待たせた。本当に申し訳ない。」
カインは、少しだけ黙った。
「謝罪は、たしかに受け取ったよ。」
眼鏡の位置を直す。
「もう逃げないと、ザインから聞いた。それで十分だ。」
「……。」
「二年前の状況は、私にも責任がある。」
カインは目を伏せながら、言葉を続ける。
「だから、君が私を恨むなら、それでいいと思っていた。」
「……。」
「それで君が前に進めるなら、私は構わなかった。」
「……あんたを、進むための言い訳にはしないよ。」
「……。」
「これは、俺が背負う。背負って進む。」
二年も待たせたあげく、どの口がとも思う。
でも、カインを恨むことだけは、絶対にできなかった。
「……そうか。」
カインは、それだけ口にした。
その一言が、とても重く感じた。
俺は周囲を見渡す。
「ザインは?」
「あぁ。先に会議室に入っている。煙草を吸おうとしたので、追い出した。」
「……カス野郎は、大変ね。」
サヤが、真顔で言った。
「……サヤ。」
「何?」
「いや、それを言うなら、ヤニカスじゃないか?」
「いや?『カス野郎』で合ってるよ。」
「……。」
何も、言えなかった。
カインが下を向いて、肩を震わせていた。
笑っていいのか、それ。
—
会議室に入ると、ザインが椅子の背もたれに深くもたれていた。
煙草を指で弄びながら、こちらをちらりと見る。
「やっと、来たな。」
「逃げねぇって言っただろ?」
「っは。逃げてたじゃねーか。二年も。」
ザインは、悪びれもせずに言った。
少し間を置いて、また口を開く。
「だが、来たならいい。来ない奴よりはマシだ。」
煙草を弄ぶ指が、止まらなかった。
こいつは、昔からこういう奴だ。
皮肉を言うが、そこには確かに気遣いを感じた。
………………。
…………。
……。
五人が揃ったところで、カインが端末を開いた。
カインが、会議の指揮を取るために口を開く。
「まず、現状の整理から始めようか。カイラ、転送装置の進捗はどうかな?」
「はい。」
カイラが立ち上がった。
いつものゆるっとした顔が、すっと切り替わる。
資料を広げながら、丁寧に話し始める。
「現状、転送装置で開発を進めているのは二つ。時間への干渉と、転送距離です。」
「時間に関しては、目途が見えていたね?」
「はい。セラムさんの魔術式のおかげです。未来は不可能でも、過去への干渉は可能になりました。」
「……え?」
衝撃の事実に、思わず口を挟んでしまう。
「それって、かなりすごくないか?」
「うん。すごいよ?」
カイラが、えっへんと胸を張る。
カインが補足として説明を続けた。
「ただし、時間に関しては懸念もあるがね。」
「懸念?」
「エネルギーと、次元の歪みだよ。」
全然、分からなかった。
ポカンとする俺を尻目にカイラが続けた。
「まずは、エネルギー。これは、過去へ遡る時間が長ければ長いほど、魔力が必要になる。」
「それって、どのくらいなんだ?」
「数秒前であれば、人一人分の魔力で十分だけど……。時間単位だともう桁が違うね。」
懸念どころじゃない。ほぼ無理じゃねーか。
でも、すげぇ。
カインは、そのまま報告を促す。
「距離の問題についてはどうだい?」
「距離については、半径五百メートルまでは可能になりました。同一時間軸であれば、転送に関してはさほどエネルギーも必要ありません。」
カインが、少しだけ間をおいた。
「距離に関しては、MANA側でもある程度の成果が出たよ。」
「え!本当ですか!?」
「あぁ。暗号通信では、盗聴の可能性もあるため伝えられなかった事項だ。」
カイラが身を乗り出してカインに詰め寄った。
机が、少しだけ揺れる。
「距離に関しては、転移先に『受け皿』を用意すれば解決するはずだ。」
「『受け皿』……。」
カイラが指を顎に当てて考え込む。
何か閃いたようだ。
「なるほど!受信装置ですね!」
「その通りだ。転送装置でネックだった部分は、転送先での座標指定と空間の確保だった。」
「あらかじめ座標を持った受信装置と空間確保ができれば、理論上はどこへだって行けますね!」
「あぁ。それだけではない。受信装置に、送信機能も持たせたら?」
「相互間の転送が、可能になる……!」
「あぁ!」
カイラとカインが目を輝かせてお互いを見つめている。
開発者特有の空気感。
ちょっとだけ、もやっとした。
いや、本当にちょっとだけ。
「あー。盛り上がっているところ悪いが……。」
ザインが、煙草を弄りながら間に入った。
こいつ、そろそろ吸いたくて限界なんだな。
「……結局、そいつは帰れるのか?」
意外にも、俺に関する質問だった。
煙草を吸いたいだけで口を挟んだわけではなかったらしい。
ごめんな。
カインが、俺を見て言葉を紡いだ。
「そうだな。そのためには、まずアルカナに関して話をしようか。」
「……なんで、まずアルカナなんだ?」
「異世界への干渉を、アルカナが行っている可能性が高いからさ。」
「……話が繋がってきたのか。そうでもないのか。」
こんがらがる。
俺は、思考がまとまらずに頭をガシガシと掻いた。
カイラが資料をまとめながら、申し訳なさそうに俺を見る。
「転送装置の進捗は、順調だよ。この『世界』においては。」
「……この世界、か。」
「うん。」
「……。」
「でも、転送装置の目処が立ったことで、見えてきたものもあるんだよ?」
「それが、アルカナ?」
カインが、俺の言葉に頷いた。
「あぁ。我々が最初に、なぜ転送装置に着目したのか。覚えているかい?」
「……試すような言い方すんなよ。エネルギー事業への参入だろ?」
「そう。そのエネルギー事業の鍵が、転送装置だと踏んでいた。」
以前カインが出した仮説は、胸糞悪いものだった。
過去や未来から人を呼び、魔石に変える。
それを、エネルギーとして利用する。
「転送装置の目処が立ったことで、エネルギーとの関連性が見えてきた……ってことか?」
「その通り。それが先ほど懸念として挙げた『エネルギーと、次元の歪み』だ。」
「……。」
わ、分からないかも。
助けを求めて視線を彷徨わせる。
サヤと、目があった。
「……何見てんのよ。」
「サヤ、ここまで分かる?」
「何も分からないことが、分かったわ。」
「……。」
「あ、バカにしてる?」
少しだけ安心した。
サヤとは同じ穴の狢みたいだ。
カインが、小さく息を吐いた。
「ははは。まずは、ここまでを整理して話そうか。」
助かる。
心からそう思った。
「まず前提だ。この世界の中で、人や物を移動させる技術は目処が立った。」
「あぁ。」
「過去へ干渉する技術も、理論上は見えている。」
「……。」
「ここまでは、大丈夫かな?」
「あぁ。んで、何が問題なんだ?」
カインが、二本指を立てて続けた。
「一つは、エネルギー問題。過去からの召喚の場合、莫大なエネルギーが必要となる。」
「……あーと。エネルギーを生産したいのに、エネルギーを莫大に消費したら意味がない……ってことか?」
「ジュディ!大正解!」
カイラが、親指を立てて俺に向ける。
嬉しい。
そのまま、カインが続ける。
「二つめが、次元の歪みの問題だ。」
「その、歪みってやつは何なんだ?」
「平たく言うと、過去や未来に干渉する場合、この世界が『書き換わる』。それが歪みだね。」
「んで、その歪みの何が問題なんだよ?」
カインの言葉が、一瞬だけ止まった。
「転送装置の研究過程で、世界の歪みも観測できるようになった。」
「……もしかして、その歪みは確認できなかった。とかじゃねーよな?」
「……その通りだ。人一人の消失、出現などの大きな歪みはなかった。」
……その通りなのかよ。
ってことは、アルカナは少なくとも時間には干渉していないということになるな。
「じゃあ、そもそも転送装置がエネルギーに関しての鍵っていう仮説自体が違うんじゃないか?」
「いや、ジュディ。それが、そうでもないんだよ。」
少しだけ、嫌な予感がした。
この世界で、大きな歪みはなかった。
そう、『この世界』では。
「……まさか。」
「そう。エルナ・クロイツの召喚術式だ。あれを手掛かりに、異世界側を観測した。」
「っ!観測、できたのか!?」
俺は、その言葉を聞いて思わず立ち上がる。
明里は今、どうなっている!?
娘は生まれたのか!?
逸る気持ちを抑えられなかった。
「落ち着いてくれ。観測できたと言っても、輪郭だけだ。」
「……輪郭?」
「異世界側に対して、どの程度こちらが干渉していたのか。歪みはあるのか。その程度だ。」
「……っ。」
俺は、そのまま席に座り直した。
カイラとサヤの視線を感じた。
「……で、その歪みはあったのか?」
「あぁ。微弱だが定常的に観測できた。この世界から干渉された形跡と、その歪みが。」
くっそたれ。
最悪の絵が、浮かび上がる。
「カイン。」
「なんだ?」
「今から俺の言う仮説が、見当違いなら否定してくれ。」
「あぁ。」
「俺のいた世界から、人間を呼んでいる。」
「……。」
「それを、魔石に変えている。そうだな?」
「……その可能性が、高い。とだけ言っておこう。」
俺は、思わず視線を下に落とす。
要するに、俺たちの世界の人間が、この世界の燃料にされているかもしれない。
仮説の段階だ。
でも、それだけで十分に吐き気がした。
「ジュディ。」
突然、サヤに声をかけられた。
「……何だよ。」
「今は、格好つけろ。」
「……。」
「頑張れ。」
「……あぁ。」
目線を、カインへと戻す。
そうだ。今は前に進もう。
「現状、分かったことは以上か?」
「あぁ。正直、エネルギーに関してはお手上げだよ。」
カインが目を伏せた。
少しだけ、体が震えている。
「……これでも、アルカナには届かない。」
「……。」
沈黙。
しばらく、誰も口を開かなかった。
静寂を、ザインが破った。
「……ジュディ。」
「なんだよ。」
「お前がこの二年やっていたことは、まったく無駄ではなかったな。」
「あ?」
「アルカナの幹部であるネル・クライス。お前なら接触できるだろ。」
「……。」
全員の視線が、俺に集まった。
「あぁ。ちょうど先日、ネルの通信IDを手に入れた。」
「……ザインから、君がネル・クライスと接触したことは聞いていたが……。」
「向こうが渡してきたんだよ。『ゆっくり話しましょ?』なんて、ふざけたこと抜かしながらな。」
カインが、驚いた様子で眼鏡を直している。
俺は、言葉を続けた。
「もう、埒が明かない。向こうの狙いが何にしろ、乗ってみよう。」
「……ダメ!」
カイラが突然声を上げた。
「絶対、罠だよ。ダメ。」
「……カイラ。」
「嫌だ!絶対ダメだもん!」
「……。」
「……私がジュディを帰すから!だから……お願い。」
カイラが、俺の服の裾を掴んだ。
静かに震えている。
「ジュディまで、失いたくないの。」
本気の言葉だった。
そこまで大事にしてくれることが、素直に嬉しかった。
俺は、カイラの肩を掴んで目線を合わせた。
「カイラ。」
「……。」
「大丈夫だ。」
「……なんで、そんなこと。」
「俺は、カイラを信じてる。」
「……うん。」
「カイラも、俺を信じてくれないか?」
カイラは視線を逸らさなかった。
そのまま、静かに頷いた。
「やっぱ。ジュディはずるい。」
「はは。ごめんな。」
俺は、全員に視線を戻した。
カイラは二年間、研究してくれていた。
カインがMANAを動かして、待っていてくれた。
ザインがここにいる。
サヤが来てくれた。
全部、俺のために使ってくれた善意だ。
帰れるとしたら、それは俺の力じゃない。
だから、けじめが必要だ。
うやむやに消えていい話じゃない。
チラリと、サヤを見た。
サヤは何も言わなかった。
ただ、キャンディを一度噛んで、また窓の外に視線を戻した。
——分かっている、ということだと思った。
俺は、カインに向かって改めて方針を伝える。
「ネルに、接触する。」
「あぁ。MANAも、できる限り協力するよ。それが契約だ。」
「ネルは多分、異世界人である俺に興味を持っている。」
「……交渉で切れるカードはそれだけか。」
「あぁ。正直、分は悪いな。」
「それでも、やるんだろう?」
——絶対に、帰る。
俺は、覚悟を決めた。
何度、繰り返したか分からない。
「行くしか、ねーだろ。」
窓の外で、ノヴァの街が広がっていた。
雪は、もうほとんど溶けている。
それでも俺には、あの日の白だけが、まだ消えていなかった。
第八十話、お読みいただきありがとうございます!
いよいよ第六章、始まりました。
第一部の最終章です。今まで読んでくださっている方、本当にありがとうございます。ここまで来たのは、皆さんが読んでくれているおかげです。
最終章の覚悟はいいですか?
ジュディはできてるみたいです。
次回、ネルへの通話です。
明日も20:10にお会いしましょう!
ブクマやコメントをいただけると、転送装置の研究がはかどります(たぶん)。
よろしくお願いします!




