第七十四話「ただいま」
カルディアの夜を、バイクで走った。
風が頬を叩く。
蒸気の匂いと、焦げたような匂いが、まだ街に残っていた。
指先に、レールガンの反動が残っている。
煙草を吸っても、まだ消えなかった。
——ルイを撃った。
そう思った瞬間、胸の奥が鈍く沈む。
あいつは最後に礼を言った。
眠りたかったのだと、言った。
俺は、あいつを眠らせた。
それが正しかったのかは、分からない。
分からないまま、走っていた。
『私は、ジュディと出会えたこの世界が、大好きだ。』
エルナの言葉が、また頭の中で鳴った。
「……分かんねぇよ。」
小さく呟いた。
風に消えた。
この世界の何が好きだったのか。
母親を奪われて。
父親と別れさせられて。
アルトを奪われて。
最後には、自分の命まで使わされて。
それでも、エルナは好きだと言った。
俺には、まだ分からなかった。
ふと、本屋が目に止まった。
エルナと、二年前に訪れた場所だった。
バイクを降り、扉を開けた。
—
店内は、静かだった。
閉店間際だったが、店主が棚の整理をしていた。
「いらっしゃい。……おい、あんた。」
店主が、こちらを見た。
「はい。」
「こんなこと聞くのもあれなんだが……。」
「何ですか。」
「魔法使いのお嬢ちゃんは、もう来ないのか?」
少し、息が止まった。
「……なんで、そう思うんですか。」
「あの嬢ちゃんが買うと思って仕入れた本が、結構あるんだよ。あの子とは趣味が合ってな。」
店主が、棚を一つ指した。
古い魔術書が、何冊か並んでいた。
「ここ数年は、忙しいみたいで。」
店主が、少しだけ黙った。
何かを察したように、目を伏せた。
「……そうか。」
俺は、棚の前に立った。
並んでいる本を、一冊ずつ見た。
表紙の文字は、半分も読めなかった。
それでも、手に取った。
「代わりに、俺が買ってもいいですか。」
「あぁ。そうしてくれ。」
全部は持てなかった。
俺でもかろうじて読めそうな本を、三冊だけ選んだ。
店を出ると、夜風が冷たかった。
手の中に、三冊の本があった。
エルナが、買うはずだった本だ。
—
そのままの足で、ラーメン屋に向かった。
あの店が、まだあるかどうか気になった。
——あった。
暖簾が、風に揺れている。
引き戸を開けると、暖かい空気が来た。
席に座って、メニューを開いた。
酢ラーメンの文字が、なかった。
「あの。」
「はいよぉ!」
店主が、カウンターから顔を出した。
「酢ラーメン。一つ。」
「……。」
少しだけ、間があった。
「はいよぉ!酢ラーメンいっちょう!」
しばらくして、酢ラーメンが運ばれてきた。
メニューにない、裏の一杯だった。
店主が、カウンターを拭きながら言った。
「魔法使いの嬢ちゃんが好きだったから、残してただけなんだよ。」
「……。」
「こんな世界だ。何があったかは分かるよ。」
俺は、何も言えなかった。
「メニュー、残しといてくれますか。」
「もちろん。あんたが食うんだろ?」
視界が、少しだけ滲んだ。
ごまかすように、麺をすすった。
酸味が、舌に来た。
不思議な味だ。
でも、食べていくうちに慣れる。
エルナが好きだと言っていた。
俺も、分かる気がした。
エルナ。
君を受け入れてくれる人たちも、確かにいたよ。
もう一口、すすった。
麺が、なくなった。
「ごちそうさまでした。」
「まいどぉ!また、来てくれよぉ!」
店を出た。
夜の空気が、少しだけ違って感じた。
—
バイクで走りながら、思っていた。
エルナとの思い出は、ひどい場面ばかりじゃなかった。
思わず、口元が少しだけ緩んだ。
泣いている顔より。
苦しんでいる顔より。
何でもない時間の中にいたエルナを、思い出す。
本屋で棚を眺める顔。
酢ラーメンを食べて笑う顔。
俺に皮肉を言う顔。
怒る顔。
少しだけ、照れる顔。
「……。」
胸が痛かった。
俺は、エルナを失った。
でも、エルナと過ごした時間まで、全部失ったわけじゃない。
そう思った瞬間、少しだけ息が詰まった。
嫌いだ。
この世界は、まだ嫌いだ。
でも。
エルナが笑っていた時間がある。
カイラが卵を焼く朝がある。
サヤが寝ぐせのままドラマの話をする朝がある。
そういうものまで、いらないとは言えなかった。
—
工房の前で、バイクを止めた。
窓から、薄い明かりが漏れている。
誰かが、起きている。
俺は、しばらく扉の前に立っていた。
手を伸ばして、止めた。
謝らなきゃいけない。
帰らなきゃいけない。
帰る、か。
その言葉が、自分の中で妙に重かった。
息を吐いて、扉を開けた。
………………。
…………。
……。
扉を開けると、カイラとサヤがいた。
二人でソファに座ってドラマを見ていた。
二人とも、起きていた。
「……遅せーぞ。ボンクラ。」
サヤが言った。
怒っている声だった。
でも、それだけではない気がした。
「……悪い。」
扉を閉めた。
言葉が、少し詰まった。
「……おかえり。」
サヤが、下を向いたまま言った。
口の中で、飴を転がした。
カイラが、まっすぐにこちらを見た。
少しだけ、笑った。
作り笑いだと、すぐに分かった。
「ジュディ。おかえりなさい。」
「……あぁ。」
沈黙が落ちた。
カイラが、静かに俺を見ていた。
泣きそうな顔で、それでも笑おうとしていた。
サヤは、ジト目でこちらを見ている。
何かを、待っている気がした。
いや、ずっと彼女達は待ってくれていた。
「……ただいま。」
「「……。」」
カイラとサヤが、顔を見合わせた。
サヤが、唇を噛んだ。
「……遅せぇ。」
「あぁ。」
「帰ってくるのが、遅せぇよ。」
「……悪い。」
「でも、帰ってきたね。」
「……。」
「なら、まぁ、許す。」
それ以上は言わなかった。
カイラが、震えていた。
「……うっ。」
カイラの瞳から、涙がこぼれた。
「う、うわぁ~~~~ん!!!」
「カ、カイラ?」
この二年間で、初めて泣くところを見た。
その時に、俺は気付いた。
彼女は、ずっと俺を気遣っていた。
彼女だって、失ったものがある。
泣きたかったはずだった。
「……カイラ、ごめんな。」
「い、いい、いいよぉ~~!バカぁ~!!」
カイラは泣きながら、俺を許した。
サヤが、少しだけ目を細めた。
目の端が、滲んでいた。
視界が、ちょっとだけ滲んだ。
失うかもしれない。
でも、大切にしない理由にはならない。
この世界で、俺は生きている。
俺が帰ってくる場所は、ここだ。
エルナがいた。
そして今は、カイラとサヤがいる。
この嫌いな世界の中で、俺の大切な人達がいる場所。
俺は、ここに帰ってきた。
第七十四話、お読みいただきありがとうございました!
これにて第五章、完結です!
ここまで見守ってくださった皆さま、本当にありがとうございます。
ジュディ、ようやく帰ってきましたね。
この世界はまだ嫌い。
でも、大切な人たちがいる場所まで、いらないとは言えなかった。
やっと「ただいま」が言えました。
サヤの言う通り、長かったねジュディ。
カイラもやっと泣けました。
次回からは、少しだけ間章を挟む予定です。
引き続き見守っていただけると嬉しいです。
明日も20:10に更新予定です!
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よろしくお願いします!




