第六十二話「それでも、今私にできることを」
エルナが亡くなってから、半年が過ぎた。
転送距離の拡張に、目処が立ったのは昨日のことだった。
過去へ物を送ることは、まだできない。
でも、過去のある地点に何があったかを、文字情報として読み取ることならできるようになってきた。
小さな進歩だ。
でも、確かな進歩だった。
真っ先に、ジュディに言いたかった。
そう思って、端末に手が伸びる。
それから、止まった。
彼は今、どこかで仕事をしている。
こんなことで、呼び出す話じゃない。
分かってる。
分かってるけど……。
エルナなら、何て言っただろう。
「当然ね」って言いながら、少しだけ目が嬉しそうになるんだろうな。
三人で、この数値を囲んで、わいわいやれたはずだったのに。
「……よし。」
端末に数値を打ち込んで、私は小さく頷いた。
誰もいない部屋に、その声は吸い込まれた。
—
昼を少し過ぎた頃、サヤが部屋に入ってきた。
サヤはこの半年間、この家で過ごしている。
それが、すごく心強かった。
「カイラ。少しいい?」
「うん。どうしたの?」
「ジュディのこと。」
手が、止まった。
「ガレスに聞いたんだけど、危険な仕事を率先して選んでいるみたい。特にアルカナ絡み。」
「……どのくらい、危ない仕事?」
「生死に関わるレベル。傭兵仕事の中では、かなり上の方。」
胸の奥が、冷たくなった。
「前、ジュディが工房に来た時どうだった?」
「……。」
思い出した。
たしか、あれは二週間前だったか。
ちょうどその時、サヤはいなかった。
ジュディは工房に来て、コーヒーを一杯飲んで、また出ていった。
何を話したか、あまり覚えていない。
ろくに、会話にならなかった。
「……あんまり、よくない、と思う。」
「……そっか。」
それだけ言って、サヤは飴を転がした。
なんだか、すごく悩んでいるように見える。
「……何やってんのよ。あいつ。」
「……。」
そのまま、サヤは居間へと戻っていった。
部屋が、また静かになった。
壊れていく気がする、とずっと思っていた。
ジュディに一度会うたびに、彼の輪郭が少しずつ薄くなっていく。
MANAとも、今まで通信でしかやりとりができていない。
いつか、ジュディと会いに行かなければいけない。
でも、今日も私は工房にいた。
—
掃除は、クセだった。
考えごとをしている時、手を動かさずにいられない。
台所を拭いて、階段を上がって、廊下を歩いた。
エルナの部屋の扉が、開いていた。
いつも、開いていた。
誰も、閉める気になれなかった。
私は、中に入った。
本が、棚に並んでいた。
クッションが、椅子の上に置いてある。
ヘアブラシが、棚の端にあった。
ヘアブラシを、そっと手に取った。
それから、また棚に戻した。
「……エルナ。」
声に出してみた。
返事は、なかった。
——あの時、私は止められなかった。
エルナの服を掴んでいた。
離さなかった。
でも、エルナは剥がした。
叫ぼうとして。
足が、止まった。
「……。」
なんで、もっと強く引き留めなかったんだろう。
答えは出ない。
一生、出ないと思う。
窓の外を見た。
カルディアの街が、遠くに見えた。
……ねえ、エルナ。
今の私たちを見たら、何て言う?
きっと呆れるよね。
「しっかりしなさい」って言うよね。
それから、少しだけ耳が赤くなって、目を逸らすんだろうな。
……会いたいな。
三人で、カレーを食べたかった。
ジュディが作って、エルナが文句を言って、私が笑う。
そういう夜が、したかった。
ダブルデートだって、できてない。
エルナの耳が赤くなるところを、もっと見たかった。
「……会いたいよ。エルナ。」
誰もいない部屋で、もう一度言った。
空は、青かった。
エルナが好きだって言ってた、晴れた日の空だった。
—
夕方、ジュディから通信が入った。
「仕事が終わった。」
声は、静かだった。
疲れているのか、元々そうなのか、もう分からなくなっていた。
「大した情報は得られなかった。また、このまま次の仕事に行くよ。」
「……。」
声は、淡々としていた。
私は意を決してジュディに話しかける。
「ねぇ。ジュディ。」
「……。」
ジュディは何も答えない。
そのまま、私は言葉を続ける。
「もっとさ、会いたいな。」
「落ちついたら、いくよ。そっちは順調か?」
「うん。進展あったよ。転送距離、伸びた。」
「……そっか。」
それだけだった。
もう少し、何かあると思った。
でも、なかった。
「ジュディ。」
「何?」
何を言えばいいか、分からなかった。
会いに来て、とは言えた。
でも、それで来てくれる状態じゃないことも、分かっていた。
「……無理しないでね。」
「……カイラも。」
通信が切れた。
端末を、机に置いた。
それから、ゆっくりと息を吐いた。
笑えなかった。
今日は、笑えなかった。
廊下から、足音がした。
サヤが台所から顔を出した。
「今の、ジュディ?」
「うん。」
「何て、言ってた?」
「また仕事に行くって。落ち着いたら来るって。」
サヤは、少しだけ目を細めた。
「……心配すんだったら、会いにこいっつーの。」
私は、何も言えなかった。
「あいつ、逃げてる。」
静かな声だった。
でも、芯があった。
サヤは、棒付きキャンディを口から外した。
それから、上着を手に取った。
「いい加減、ムカついてきた。」
「サヤ——」
「あいつ、探してくる。」
サヤは、そのまま私に振り返る。
「カイラは、ここにいて。研究、続けて。」
「う、うん。でも——」
「大丈夫。無理はしないから。」
そのまま、扉が静かに閉まった。
私は、しばらくその扉を見ていた。
窓の外で、夕暮れが始まっていた。
空が、オレンジに染まっていた。
エルナが好きだって言ってた、晴れた日の続きだった。
「……うん。頑張る。」
端末に向き直った。
装置の前に、また座った。
数値を、打ち込んだ。
今私にできることを、やるんだ。
第六十二話、お読みいただきありがとうございました!
カイラの気持ちが、少しだけ覗けた回でした。
彼女の折れないところは、本当にすごいですね。
ライアスどんな育て方したんだ。
明日も20:10に更新予定です!
ブクマやコメント、評価をいただけると、研究の進捗がちょっと伸びるかもしれません。
よろしくお願いします!




