第六十一話「噛み締めて、生きる」
カルディアに着いたのは、夜が明ける少し前だった。
「……バッツ。」
ゼナが、バッツに声をかけた。
バッツが通話を切った後、ずっと黙っていたから。
「……エルナが、亡くなった。」
静かな声だった。
だからこそ、すんなり頭に入ってきた。
「……え?」
最初に思い浮かんだのは、ジュディの顔だった。
あいつは今、どこにいる。
どんな顔をしている。
あいつは、きっと……。
「サヤ——」
バッツの声が、背中に届く前に、私は走り出していた。
—
カルディアの石畳を、全力で走った。
街は静かだった。
人がいない。
自分の足音だけが響く。
エルナの工房は、確か——
角を曲がる。
この道を、しばらく真っ直ぐ。
もう一度、角を曲がる。
工房が見えた。
灯りは、ついていなかった。
「……。」
足が、少しだけ緩んだ。
工房の横の路地に、人影があった。
「ザイン。」
「……あぁ。お前か。」
ザインは壁に背を預けて立っていた。
足元に吸い殻が何本も落ちている。
ずっと、ここにいたのだろう。
「ジュディは?」
「……中にいる。」
「そう。」
そのまま工房の扉に手をかけようとした。
「待て。」
ザインの声に、足が止まった。
「何よ。」
「行って、お前はどうする?」
「……わかんない。」
ザインは、新しい煙草に火をつけた。
煙を、ゆっくり吐く。
「なら、止めておけ。」
「……。」
「今は、そっとしておいた方がいい。」
少しだけ、考えた。
でも答えはもう出ていた。
「嫌だ。」
「……何故だ?」
「私が、今傍にいたいから。」
ザインは、煙を吐き出し言った。
「……惚れてんのか?」
バカバカしい。
今、私の感情なんてどうだっていい。
「違う。私は、あいつを一回だけ支えるって約束してんの。」
「……。」
「何もできなくても、あいつの傍にいる。」
ザインは、また煙を吐いた。
何も、言わなかった。
私は、工房の扉を開けた。
—
工房の中は、静かだった。
灯りをつけずに歩く。
窓から差し込む、夜明け前の薄い光だけがあった。
エルナの本が、棚に並んでいる。
テーブルの上に、コップが一つ。
クッションが、床に落ちていた。
ここに、あの人は確かにいたのだ。
二階へ続く階段を上がる。
廊下の奥に、カイラの背中が見えた。
そのまま、ゆっくりと近づく。
——二人は、そこにいた。
恐らく、エルナの部屋だろう。
二人とも屈んで、動かなかった。
「……ジュディ?」
話しかけた。
返事はなかった。
カイラだけが、こちらを振り向いた。
「……サヤ?」
「……えぇ。」
顔が、ボロボロだった。
きっと、ずっと泣いていたのだろう。
「カイラ。大丈夫?」
「……うん。」
「ジュディは?」
カイラの背中にそっと触れる。
カイラが視線を落とした。
「……今は、寝ちゃった。」
「……。」
カイラの視線の先に、ジュディがいた。
両手に何かを握って、床に崩れるように眠っている。
服が、血まみれだった。
「……ソファに、運んであげよ?」
「……うん。」
私は、風の魔術でジュディをそっと持ち上げた。
そのまま、一階のソファまで運んだ。
………………。
…………。
……。
ジュディを寝かせた後、カイラの寝室に案内された。
私は、厨房でコーヒーを入れ、カイラに渡す。
「……ありがとう。サヤ。」
カイラは毛布で体をくるんでいた。
そのまま、コーヒーを受け取る。
「……温かい。」
「……。」
カイラは、コーヒーのカップを両手で包んでいた。
指先が、かすかに震えていた。
時折、廊下の方に目をやった。
ジュディがいる方を。
沈黙が流れた。
私にできることなんて、確かになかった。
でも、それでも……。
「カイラ。」
「……うん?」
カイラが、私を見上げる。
「私、ここに住んでもいい?」
「……。」
「あなた達を、守らせて。」
守れなかったくせに。どの口が。
でも、これ以上失いたくなかった。
このままだと、二人は消えてしまいそうな気がした。
「……私は、大丈夫。」
「……。」
「でも、ジュディを、守って?」
こんな時まで、人の幸せを願うのか。
それが眩しくて、痛かった。
とても、優しい。
「えぇ。任せて。」
カルディアに朝日が来た。
窓から二人を照らしていた。
—
エルナの部屋で泣いていたのは覚えていた。
右手に、宝石を握ったまま。
意識が、底に沈んでいく感じがした。
眠れないと思っていたのに、体が先に落ちていた。
気がつくと、白い空間にいた。
エルナと話したあの場所と、どこか似ていた。
地面も、空も、どこまでも白かった。
……エルナ?
俺は、思わず辺りを見渡した。
でも、ここには誰もいない。
『——よう。』
声のする方に、振り向く。
そこには、『俺』がいた。
「……。」
そこで、ここは夢なのだと理解した。
そのまま、『俺』の方へと歩く。
『俺』は、ぼんやりと立ったまま、頭をガシガシとかいた。
落ち着きがなかった。
じっとせず、足元の地面を踏みながら、フラフラと動いている。
「……誰だよ、お前。」
『俺は、お前だよ。』
言い方が、どこか投げやりだった。
『クソの役にも立たねぇな。お前は。』
「……。」
『一人だけ、のうのうと。恥ずかしくねぇのか?』
「……。」
『俺なら、恥ずかしくて首吊るね。』
言い返す言葉がなかった。
それは、俺の感情そのものだった。
『魔術もなっちゃいねぇ。あんな使い方してたら、ガス欠になんのなんて当然だろうが。』
「てめぇに、何がわかんだよ。」
『わかる。お前は俺だ。何、今更ごまかそうとしてんだ?』
何か違和感があった。
自分であって、違うような。
俺のはずなのに、どこか馴染まない。
鏡を見ているのに、映り方がずれているような感じだった。
でも、こいつの言うことは芯を食ってる。
「じゃあ、どうすればよかったんだよ!!!」
『テメェが、死ねばよかったんだよ!』
——衝撃。
俺は、『俺』に殴り飛ばされていた。
そのまま、馬乗りになり胸ぐらを掴む。
『なんで、エルナが死ななきゃならない!』
——ガン。
顔面を殴られる。
『あいつが、この世界に何をした!』
——ガン。
声が、変わっていた。
さっきまでと違う。
怒りの底に、もっと古いものが混じっていた。
ずっと持ち続けていたような、重さがあった。
『……テメェが死んで生き返るなら、そうしてくれ。』
「……。」
『俺』は、そのまま立ち上がった。
煙草を取り出す。
火をつけ、煙を静かに吸い込んだ。
「……。」
俺は、その仕草を見ていた。
何かが、引っかかった。
うまく言葉にはならなかった。
『デスを、殺せ。』
「……っ。」
痛みをこらえながら、なんとか上半身を起こす。
夢のくせに、痛みはあるらしい。
『このままじゃ、腹の虫も収まらねぇだろ?』
「うるせぇ。俺は、帰る。」
『逃げんのか?』
「……。」
『俺』は、煙草を地面に落とし、足でもみ消した。
そのまま、俺を一瞥する。
『まぁ。それもいいのかもな。』
「……。」
『ただ、忘れんなよ。お前のために、エルナは死んだんだ。』
……んなこと、わかってんだよ。
いちいち言うんじゃねぇ。
『せめて、噛み締めて生きろ。』
その言葉を最後に、世界は霧散していった。
—
目が覚めたら、ソファにいた。
右手に、宝石が握られていた。
小さくて、透明で、どことなくエルナみたいだった。
——噛み締めて、生きろ。
その言葉が、頭にずっと残っていた。
俺は、ゆっくりと右手を開いた。
手のひらの上に、宝石を置く。
朝の光が、窓から差し込んでいた。
宝石が、その光を受けて静かに輝いていた。
俺は、ただ、それを見ていた。
第六十一話、お読みいただきありがとうございました!
サヤとカイラの優しさが染みた回でしたね。
ジュディは、夢の中で『俺』にボコボコにされてました。
立て。立つんだジュディ。
明日も20:10にお会いしましょう!
ブクマやコメント、評価をいただけると、夢の中で自分と対面できるかもしれません。
よろしくお願いします!




