第五十九話「白い空間」
——白と赤。
雪が積もる白銀の世界にいた。
体が動かない。
寒いはずなのに、もう何も感じなかった。
視界の向こうに、何かが見える。
——。
音もなく、エルナの首が落ちた。
そのまま、エルナの体も横に倒れる。
銀髪と白い雪が、赤く濁る。
赤が、白を染めていった。
「……っ。」
隣でカイラが、膝をついた。
俯いたまま、動かなかった。
肩が、小さく揺れていた。
「……エ、ルナ?」
声を絞り出す。
動かない体を、無理やり動かす。
這いずるように、エルナの元へ向かった。
——ジュディ。
今しがた、エルナがいた。
そこに、いたはずだ。
俺の名を呼んでいた。
それが今、動かなくなっている。
「……嘘だ。」
エルナの元へ、たどり着いた。
俺は震える手で、その顔を持ち上げた。
こちらを向かせる。
——眠っていた。
安らかに。
少しだけ、幸せそうに。
いつも朝、起こしにいく時と同じ顔だった。
「エルナ……。」
名前を呼んだ。
雪が、降っている。
白い世界が、ゆっくりとにじんでいく。
「あ、あああぁぁぁぁぁぁ。あああぁぁぁ……。」
——赤は、容赦なく広がり続けた。
突如。
エルナの体が、光り始めた。
粒子になっていく。
雪の中で、静かに、ゆっくりと。
白い光が、散っていく。
「———。」
嫌だ。
嫌だった。
エルナが、消えてしまう。
俺は、エルナを抱きしめる。
強く。強く、消えないように。
「……ダメだ。ダメだ。嫌だ。い、やだ。」
拒絶。
ただ、それだけしか俺にはできない。
それでも、光は止まらなかった。
粒子は空に溶けていった。
「エルナあああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
声が震えた。
胸が痛かった。
それでも、叫ぶことしかできなかった。
光が、俺を包み込んだ。
……温かい。
視界が、白く滲んでいった。
—
気がつくと、白い場所にいた。
地面も、空も、どこまでも白かった。
「……。」
どこか、夢の中にいるような感覚。
周りを見渡しながら、少しだけ歩いた。
「——ジュディ。」
エルナの声がした。
思わず、振り返る。
——エルナが、いた。
いつものエルナだった。
静かにそこに立っている。
「……エルナ!」
俺は、思わずエルナに駆け寄る。
そのまま、力の限り抱きしめた。
「……エルナ!エルナ……、エルナ!」
居る。ちゃんと居る。
ここに、エルナが……!
「……ちょ!ジュディ!痛い!」
その声に、思わず我に返る。
エルナの肩を抱き、顔を見る。
少しだけ、顔が赤かった。
「……ごめん。」
「ううん。いいよ。」
そのまま、エルナが言葉を続ける。
「ジュディ。あんまり、時間はないの。」
「……嫌だ。」
ここがどこなのか、どういう状況なのかは分からない。
ただ、時間だけは、ない。
それを、理解したくなかった。
「お願い、ジュディ。聞いて?」
「……。」
エルナが、俺を見た。
目を逸らさなかった。
「最初、あなたを召喚した時は、別に嬉しくなかったの。」
「……やめてくれ、そんなお別れの言葉みたいなのは。」
構わず、エルナは続ける。
「アルトのための、通過点でしかなかったから。適当に信頼させておこうと思ったの。」
「……。」
「でも、あなたには意思があった。自分の望みを持ちながら、それでも人のために動いた。」
……聞きたくない。
でも、彼女の言葉を遮ることができない。
「人を見捨てたら、自分が自分じゃなくなるだなんて。すごく甘い人。」
「……。」
「その時、なんだか嬉しくてね、私。そんな人がいてもいいって、思ったの。」
エルナは、少しだけ笑った。
「こんな世界なのに、いちいち迷って、考えて、心を痛めて。……それでも折れなくて。」
「……。」
「そんなあなたに、気づいたら支えられてた。気づいたら、居場所になってた。」
エルナの声が、少しだけ揺れた。
「ずっとね?怖かったの。一人になるのが、怖かった。また失うのが怖かった。でも——」
エルナが、俺の顔を両手で包んだ。
「あなたを失う方が、もっと、もっと怖かった。」
「……。」
「ジュディ。一つだけ、お願い。」
白い世界が、静かだった。
それが、とても嫌だった。
「生きて。あなたのままで。」
「……。」
「あなたが帰りたいと願った、その場所まで進んで、ね?」
エルナの瞳に涙が浮かんだ。
輪郭が、少しずつ薄れていた。
「エルナ——」
「ジュディ。」
エルナが、俺の目を見た。
いつものように、真っ直ぐに。
「あなたを——愛してる。」
次の瞬間。
——唐突に、唇が重なった。
温かかった。
そのまま、エルナは俺から離れる。
姿が薄く、霧散していく。
「……言っとくけど。」
エルナが、涙目で俺を見る。
顔が赤い。
「エルナ——」
「初めてだから。」
声が出なかった。
「待って…!」
エルナに手を伸ばした。
指先が、空を切った。
白い世界が、滲んでいく。
エルナの輪郭が、遠くなっていく。
「待ってくれ——!」
視界が、開けていった。
そのまま、世界は元に戻された。
—
吹雪の中にいた。
デスが、目の前に佇んでいる。
カイラが、俺の隣で泣いていた。
声を殺して、泣いていた。
「……っ。」
俺は、雪の上に膝をついていた。
右手に、何かがあった。
見ると、小さい宝石だった。
透明で、美しい。
どことなく、エルナに似ていた。
「……ジュディ!」
ザインの声が、聞こえた。
俺は、どこか遠くから、この世界を眺めていた。
第五十九話、お読みいただきありがとうございました。
明日も20:10に更新予定です。




