第三十六話「戻らないあの日々」
「で、これからどうするの?」
ゼナが尋ねた。
ジャスが書類を閉じながら、返答する。
「私の見立てでは、もうセラムは黒です。本部に連絡して、本日中に確保に移ります。」
「じゃあ、ギルドへの依頼はここまでってことか?」
バッツにとっては肩透かしだったのだろうか。
少し不満そうだ。
「いえ。あなた達はむしろ、これからが本題です。本部からの増援は期待できない。容疑者確保の際に傭兵として助力ください。」
「っは。らしい依頼になってきたじゃねーか。」
バッツが口端を上げた。
「相手は禁術使いです。最悪、容疑者の生死は問いません。」
バッツの口元から、さっきまでの軽さが消えた。
ゼナは何も言わなかった。
サヤの手が止まっていた。
その沈黙が、余計に重かった。
「……え、殺すってことか。」
「えぇ。申請のない禁術の使用は重罪です。相手が抵抗した場合、やむを得ないかと。」
「……。」
「具体的にはいつ動くんだ?」
「今夜が妥当でしょう。この件には時間をかけすぎた。」
今夜。
時間がない。
自分でも、現状をどう整理すればいいのか分からなかった。
ただ、このまま政府とセラムを接触させるわけにはいかない気がした。
公園で笑っていたミカの顔が浮かんだ。
夕飯の時のセラムの声も。
あいつが黒かもしれない。
それでも、セラムが殺される事態だけは、どうしても飲み込めなかった。
「悪い。用事を思い出した。」
立ち上がった。
「ちょっとジュディ!」
サヤの声を背中で聞きながら、ギルドを駆け出した。
走りながら、エルナに脳内通信を掛ける。
「……ジュディ?どうしたの?」
「エルナ!今、図書館か?」
「え、えぇ。」
「セラムはいるか?」
「セラム?」
「頼む!」
「……おかしいわね。さっきまでいたはずなのだけど。」
くそ!
「エルナ、図書館の入口にいてくれ。今から行く!」
「さっきから、本当なんなのよ。」
「頼んだ!」
通信を切って、坂を駆け上がる。
胸騒ぎがした。
根拠はなかったが、何故か嫌な確信だけはあった。
—
図書館の前でエルナと合流した。
息が切れていた。
エルナが俺を見て、少し目を細めた。
セラムの家へ向かいながら、話した。
ギルドで禁術調査の依頼を受けたこと。
容疑者として、セラムが上がっていること。
今夜、政府がセラムの確保に動くこと。
生死は問わない、ということ。
「……あんたねぇ。こまめにこういうことは言いなさいよ!」
「悪い。なんか色々、余裕なくて。」
「それは……。私も人のこと言えないわね。」
坂を下りながら、二人とも黙った。
言葉にしなくていいことが、いくつかあった。
………………。
…………。
……。
セラムの家の前に着いた。
俺は扉をノックした。
「セラム。ミカ。いないか?」
返事がない。
もう一度、叩いた。
静かだった。
取っ手に手をかけると、鍵はかかっていなかった。
「……入るぞ。」
エルナが頷いた。
そのまま、中に入った。
テーブルの上には、使いかけのカップが二つ置かれていた。
台所の棚には調味料がきちんと並んでいて、窓際にはミカが飾った小さな花瓶がある。
生活の匂いが、まだ残っていた。
なのに、人の気配だけがない。
それが、妙に気味悪かった。
「誰も、いないわね。」
「あぁ。ミカも。」
何にしても都合がいい。
家主には悪いが、このまま調べさせてもらおう。
空気が、どこかひんやりしていた。
外の気温とは違う、地面の底から来るような冷たさ。
台所の床を見た。
四隅の継ぎ目が、他の場所より細い。
何度も開閉した跡のような、微妙なすり減りがある。
俺は網膜スキャンを起動した。
その一角だけ、温度が異様に低かった。
床の端に、取っ手があった。
小さくて、目立たない。
「ジュディ。これって……。」
「あぁ。」
引いた。
重かった。
地下へと続く、暗い道があった。
—
俺達は、そのまま地下へと降りた。
石造りの、狭い階段だった。
一段降りるたびに、空気が冷たくなる。
湿った石の匂いに混じって、薬品みたいな鼻を刺す匂いがする。
灯りはなかったが、奥から青白い光が滲んでいる。
低い機械音が、階段の奥からずっと響いていた。
腹の底に残るような、不快な音だった。
エルナが、杖を構えた。
俺は、銃を抜いた。
階段を下り切った瞬間、視界が急に開けた。
思わず足が止まった。
広い。
天井が高い。
想像していた何倍もの空間が、そこには広がっていた。
壁沿いに、複雑な装置が並んでいる。
魔力パイプが縦横に走って、何かを循環させていた。
中央に、一つの台があった。
——ミカが、そこに繋がれていた。
細いチューブが、何本も腕に刺さっていた。
指先は冷たそうに白く、顔色も悪かった。
眠っているというより、無理やり繋ぎ止められているように見えた。
「ミカ……。」
声が出ていた。
その前に、セラムが立っていた。
「……来てしまいましたか。」
振り返らないまま、セラムは言った。
怒っているわけでも、怯えているわけでもなかった。
ただ、いつかこの瞬間が来ると分かっていた人間の声だった。
俺は銃を構えたまま、一歩踏み出した。
「セラム。」
返事がなかった。
「ミカを、離せ。」
セラムが、ゆっくりと工房の奥へ目をやった。
そこに、人が立っていた。
暗がりの中で、こちらを見ていた。
「……ザイン。」
思い出したくもない顔だった。
クロウを殺した、男だった。
フィーレでの日々が、頭の中を過ぎった。
公園で笑ったミカ。
セラムが作った夕飯。
ただの、普通の夜。
もう、あの日々には戻れない。
そう確信した。
第三十六話、お読みいただきありがとうございました!
今回は事態が大きく進展しましたね!
進展ってことは戻れないってことですね!現実と一緒ですね!
明日も20:10に更新予定!
ブクマやコメント、評価をいただけると、あなたの家に地下への隠し扉が見つかるかもしれません。
よろしくお願いします!




