第三十四話「ミカとセラム」
朝の食卓は、いつも通りセラムが用意していた。
トーストと、温かいスープ。
ミカがスプーンを両手で持って、熱そうに啜っている。
この時間に起きるのは珍しいらしい。
「今日も、図書館へ?」
セラムが、エルナに向かって言った。
「ええ。まだ調べ物も進展がないしね。」
「……あぁ、それでしたら。本日は急遽閉館になりました。」
「閉館?」
「なんでも、カルディア政府からの要請だとかで。」
エルナが、カップを置いた。
なるほど。
ジャスはどうやら、図書館内の本格的な調査に乗り出したらしい。
新しい情報があると良いが。
「じゃあ、観光しましょう!私が案内しますよ!」
ミカが、スプーンを持ったまま言った。
問答無用な提案だった。
エルナが、少しだけ間を置いた。
「……観光、ね。」
声のトーンが、わずかに落ちた。
ミカはそのままあっけらかんと続ける。
「いい天気だし、絶対楽しいですよ!」
—
歩き始めてすぐ、エルナが足を止めた。
角を曲がったところにある、古い石造りの建物の前だった。
昨日も同じ場所で止まっていた。
「エルナ。」
声をかけると、少しの間があってから振り返った。
「……ここ、昔よく来た場所なのよ。嫌な用事でだけど。」
それだけ言って、また歩き出した。
俺は、エルナの隣に並んで尋ねる。
「……フィーレ、嫌な思い出ばかりか。」
「慣れてると思ってたんだけど。実際見るとどうしても、ね。」
故郷なのに、帰りたくなかった理由が、少し分かった気がした。
「俺がいるだろ。ミカも、セラムだって。今回はいい思い出になるよ。」
エルナが俺を見た。
何か言いかけて、やめた。
「……そうね。過去は過去だもの。」
小さく、でもはっきりと言った。
ミカが、エルナの隣に並んだ。
「観光地は人が多いし、実は、私もあんまり得意じゃなくて……。近くに大きな公園があるんですよ!地元の人しか来ないし、静かで気持ちいいから……。」
ミカがおずおずとエルナに提案する。
エルナが、ミカを見た。
「ふふ。いいわね。そこにしましょう。」
ミカが笑った。
「やった!」
—
公園に向かう途中で、ミカが提案した。
「お昼、食べながらにしませんか?サンドイッチとか、コーヒーとか。」
「いいな。」
近くにカフェがあった。
ガラス張りの、小さな店だった。
ミカが入口の前で、少しだけ立ち止まった。
「……ジュディさん。セラム。お願いしていいですか?」
エルナも、黙って外のベンチに座った。
セラムが頷いた。
「エルナさんは何がいいですか?」
「コーヒー。ブラックで。」
「私はカフェオレ!サンドイッチはなんでも!」
俺はセラムと二人で店に入った。
カウンターに、四十代くらいの男が立っていた。
注文を告げようとした、その時。
「……悪いが、売れないね。」
男が、静かに言った。
「は?」
「あそこ。あんたが一緒にいるの、魔法使いだろ?」
窓の外を、男が顎で示した。
ベンチに座っているエルナとミカが見えた。
「……それが何ですか。」
「そんなのに飯を売ったなんていったら、こっちがなんて言われるか分からない。」
男の目が、真剣だった。
悪意というより、怯えだった。
——ガッ
俺は気づいたら、男の胸ぐらを掴んでいた。
……自分でも、少し驚いた。
「あの子が、お前に何をした。」
声が、低くなっていた。
「……。」
「何をしたかって、聞いてんだよ。」
「……何も。」
男が、目をそらした。
「ジュ、ジュディさん。」
セラムが、俺の腕に手をかけた。
落ち着いた声だった。
「……。」
俺は手を離した。
男は何も言わなかった。
俺も、それ以上は何も言わなかった。
セラムが静かに言った。
「別の店にしましょう。」
俺は頷いて、店を出た。
外の空気が、少し冷たかった。
ミカが、こちらを見ていた。
何があったか、なんとなく分かったのかもしれない。
でも何も聞かなかった。
「……ちょっと遠いですけど、他に知ってるお店がありますよ!そっちの方が美味しんです!」
ミカが、明るい声で言った。
俺はそれ以上、何も言えなかった。
「……ジュディ。ありがと。」
そんなエルナの声が、背中から聞こえた。
振り返らなかった。
いや、振り返れなかった。
—
公園は、ミカの言った通りだった。
木が多くて、空が広い。
風が通る。
街の音が遠くなる。
「いいとこだな。」
「でしょ!でしょ!」
芝生の上にシートを広げて、四人で昼食をとった。
セラムのコーヒーが思ったより本格的な味だった。
「セラム、こういうの詳しいんだな。」
「豆の種類だけは。」
「ふ~ん。まぁ、確かに詳しそう。」
「どういう意味です?」
「いや、ごめん。他意はないよ。」
セラムがエルナのカップを見て、さりげなく言った。
「お口に合いましたか。ブラックで正解でしたかね。」
「……ええ。ちょうどいいわ。」
エルナが少しだけ素直に答えた。
セラムは特に何も言わなかった。
ただ、小さく頷いた。
食べ終わった後、ミカがセラムの隣に寄った。
「セラム、お仕事って大変?」
「……まあ、それなりに。」
「図書館って、静かそうだけど。」
「静かだよ。ただ、整理することが多くて。」
ミカが、少し考える顔をした。
「私も、お仕事できるようになりたいな。」
「ミカは、今は家のことをしてくれてるじゃないか。」
「掃除だけじゃなくて、料理も覚えたいんだよね。セラムがいつも作ってくれてるから、私も作ってみたくて。」
「……作ってみたいの?」
「うん!あ、でもセラムの方が上手だから、教えてほしい!」
セラムが、少し間を置いた。
「……いいよ。今度、一緒に作ろう。」
「やった!」
ミカが、ぱっと顔を明るくした。
セラムが、小さく笑う。
俺はエルナと並んで、少し離れてそれを見ていた。
「……なんか、俺達みたいだな。」
「は?」
「いや、なんか、ああいう感じ。二人で話してて、片方がちょっとズレてる、みたいな。」
「それ、どっちがどっちだと思ってるのよ。」
「……。」
「……ちょっと、こっち向きなさいよ。」
俺は向かなかった。
多分、言ったら怒ると思った。
………………。
…………。
……。
しばらくして、ミカがどこからかフリスビーを取り出した。
「フリスビー!やりましょう!」
魔術で動くらしかった。
ミカが投げると、フリスビーが空中でぐるりとカーブして俺の手元に飛んできた。
「……速い。怖い。」
「えへへ!」
ミカが笑った。
全力で楽しんでいる顔だった。
俺が投げたフリスビーをセラムが受け取り、ミカへ返す。
ミカがエルナに投げ、エルナが受け取る。
単調だけど、楽しい。
……この時間いいな。なんか。
エルナがミカに向けて、フリスビーを構えた。
——びゅんっ。
「あ。」
フリスビーが、明後日の方向へ飛んでいった。
全員が目でフリスビーを追う。
フリスビーは林の中に入っていた。
「……え、どうして?」
「ははは!エルナさん、魔力込めすぎです!」
ミカが爆笑した。
エルナは「うるさい」と言いながら、少しだけ口元が緩んでいた。
「取ってきますね!」
ミカが走った。
心配なので、一応後を追うことにする。
俺も、林の方へ向かった。
—
木々の間に入ると、すぐにミカが見えた。
フリスビーを拾って、木に寄りかかっていた。
俯いていた。
「ミカ?」
顔を上げた。
一瞬だけ、表情が固まった。
「あ、ジュディさん——」
俺は、ミカの足元を見ていた。
ズボンの裾から、白いものが覗いていた。
羽、のような形だった。
ゆっくりと、うねるように動いていた。
「これって……。」
「大丈夫です。」
ミカが、裾を引き下げた。
「いや、大丈夫じゃないだろ。」
「大丈夫なの。ジュディ。」
ミカが俺を見た。
笑っていた。
でもさっきの笑顔とは少し違った。
「みんなには黙っててください。心配させちゃうから。」
「……。」
「お願い、します。」
俺は何も言えなかった。
ミカが先に歩き出した。
俺はその後ろを、黙ってついていった。
引っかかりは、ずっとあった。
でも今は、何も言える気がしなかった。
—
夕方、公園のベンチでお茶を飲んだ。
いつの間にか、エルナとセラムが話し込んでいた。
魔術の研究の話らしかった。
セラムが何かを説明して、エルナが頷いている。
珍しく、エルナの目が少し輝いていた。
ミカが俺の隣に来た。
「ジュディさん、少しだけ、歩きませんか?」
公園の外れの方へ、ゆっくり歩いた。
夕暮れが近くて、空がオレンジになり始めていた。
「ジュディさんって、この街好きですか?」
「好きだな。静かで、空が近い。」
「でしょ!私も大好きなんです。」
ミカが空を見上げた。
「この世界、本当に楽しいです。ご飯は美味しいし、風は気持ちいいし。セラムもいるし。」
「良かったな。」
「うん。」
少し、間があった。
「ずっと。」
ミカが空を見たまま、言った。
「ずっと続けば、いいのに。」
笑っていた。
でも笑い方が、さっきとは少し違った。
うっすら知っている人間の笑い方だった。
俺は何も言えなかった。
夕暮れの風が、木々の間を抜けていった。
第三十四話、お読みいただきありがとうございました!
今回はミカと一緒にフィーレを歩く、ちょっと穏やかな回でしたね。
しかし、街の人達が冷たいのなんの。
エルナ普通に可哀想。
明日も20:10に更新予定!
ブクマやコメント、評価をいただけると、フリスビーが上手くなります。
よろしくお願いします!




