第三十一話「拒まれる街」
見上げると、坂の上に女の子がいた。
赤毛が、夕暮れの光を受けてオレンジっぽく見えた。
坂の中ほどで立ち止まって、こちらを覗き込んでいた。
「——すみませ~ん!それ、拾ってもらえますか~?」
もう一度、声が降ってくる。
高くて、よく通る声だった。
「……え、俺?」
「ですです!それそれ!靴の横のやつ!」
俺は視線を落とした。
靴先に当たって止まっていた果物。
丸くて、オレンジ色。
俺はそれを拾い上げ、女の子のところまで届けた。
「はい。」
「——ありがとうございます!」
買い物をしていたのだろうか、抱えた紙袋から果物が見え隠れする。
失礼かもしれないが、まるで子供みたいな笑い方だった。
「お二人で観光ですか?」
女の子が言った。
「まあ。そんなとこ。」
エルナをちらりと見る。
エルナは、特に驚いた様子もなく腕を組んで立っていた。
「そうですか!フィーレ、良いところですよ!初めて来たんですか?」
「うん?あ~、俺はそうだね。」
「もう、宿は取りました?」
「いや、これからかな。」
「では、急いだほうがいいかもしれません!最近、観光客が多くて…。夜になるとほぼ埋まっちゃうんです。」
女の子は「う~ん。」っと唸っている。
表情がコロコロ変わる子だと思った。
「それは、親切にどうも。」
「いえいえ!あ、私、ミカっていいます!」
唐突な自己紹介だった。
「……あぁ、ジュディ。こっちはエルナ。」
「ジュディさん!エルナさん!」
名前を繰り返して、ミカは笑った。
なんか、やたら機嫌がいい。
「じゃ、また何処かで機会あれば!あ、オレンジ。拾ってくれてありがとうございました!」
そう言って、ミカは坂を駆け上がっていった。
さっきまで話していたのが、嘘みたいな速さで。
「……元気な子だな。」
「……そう、ね。」
エルナは少しだけ呆気に取られていた。
まぁ、あの元気は当てられるよな。
「さて!行くわよ。宿、探しましょう。」
そう言って歩き出す。
俺も続いた。
—
坂を下りて、街の中心部へ向かう。
石畳の道。
木と鉄が混ざった建物が、左右に並んでいる。
魔力パイプが壁沿いを這っていて、時折、低い振動音が足元から伝わってきた。
人が、そこそこいる。
市場のような通りを歩いていると、食べ物の匂いが漂ってきた。
「……くんくん。いい匂いだな。」
「くんくんって……。なんでわざわざ口に出すのよ。」
「ぐぅ~。腹へったなぁ~。これ何の匂いだ?」
「……。焼いた栗ね。この辺の名産よ。」
エルナが突っ込むことなく答えた。寂しい。
さっきより、少しだけ声のトーンが戻った気がする。
ただ。
歩いていると、なんとなく気になることがあった。
——視線
すれ違う人の何人かが、こっちを見る。
観光客が珍しいわけでも、なさそうだが。
俺に向けられているわけでも、なさそうだった。
……エルナのほうを、見ている?
「エルナ。」
「何?」
「なんか、見られてないか。」
エルナは視線を前に向けたまま、答えた。
「……気のせいじゃない?」
言葉は軽かった。
でも、こっちを見なかった。
「そっか。」
俺もそれ以上は言わなかった。
………………。
…………。
……。
宿は、図書館の近くにある通りで見つけた。
外観は木造。
入口の上に、くすんだ看板が下がっている。
宿泊所、と書かれているようだった。
扉を開けると、カウンターに若い男が座っていた。
二十代前半くらいだろうか。
いつも通り、俺はエルナよりも先行して男に声をかけた。
「すみません。二名で、一泊お願いしたいんですけど。」
カウンターの横のディスプレイを見る。
部屋の空き状況が表示されていた。
予約もあるようだが、いくつか空きがありそうだ。
男が、ディスプレイに目をやった。
それから俺を見た。
それから、エルナを見た。
「……申し訳ないんですが、本日は満席で。」
「えっ。」
俺は思わず、ディスプレイをもう一度見た。
空き、ある。
どう見ても、ある。
「でも、そこに空き部屋って——」
「予約で、この後いらっしゃる予定で。」
男の声は、丁寧だった。
ただ、目が、カウンターの一点を見ていた。
え。なんで。
そう思ったところで、もう答えは出ていた。
「いや、でもディスプレイには——」
後ろで、エルナが動いた気配がした。
「もう良いわ。」
静かな声だった。
「行くわよ、ジュディ。」
「でも——」
「行くわよ。」
それだけだった。
有無を言わせない言い方じゃなかった。
ただ、もう分かってる、という声だった。
釈然としないが、とりあえず俺はエルナの後を追った。
扉が閉まる。
石畳の上に、また出た。
「エルナ。これって……。」
「慣れてるわ。」
先に歩きながら、エルナが言った。
「この街は、そういう街なの。」
「……。」
俺は何も言えなかった。
—
他にも三軒ほど当たったが、全て結果は同じだった。
エルナが対策したストーンウェアの偽装も、あまり意味はなかったようだ。
日が、落ちてきた。
街の木々が、ぼんやりと光り始めている。
イルミネーションみたいに。
昨日見たのよりも、夜の光に近かった。
普通なら、「綺麗だな」と思うところだろうが……。
今は、そこまで思える心の余裕がなかった。
「……。」
「……。」
黙々と二人で歩いていたら、図書館の前まで来ていた。
大きな建物だ。
木を刳り貫いて作ったような外観で、壁に太いパイプが幾重にも走っている。
入口には、でかい扉。
横に、小さなプレートが貼ってあった。
——本日閉館。
「……でかいな。」
「そうね。」
エルナがプレートを見た。
「一応、明日ここに来る予定なんだけど。」
「あぁ。どうしようかな。」
「……あなたが途方に暮れてるの、初めて見たわ。わたし。」
俺は少し、間を置いた。
「……途方に暮れてるか、俺。」
「ふふ。暮れてるわよ。悪いことをした犬みたい。」
エルナが、珍しく冗談をいって苦笑した。
そっちこそ、らしくないじゃん。
「——ジュディさ~ん!エルナさ~ん!」
背後から、声がした。
聞き覚えのある声だった。
振り返ると、赤毛の女の子が走ってきていた。
ミカだ。
その隣に、男がいた。
二十歳前後だろうか。
落ち着いた色のシャツに、長いコートを羽織っている。
髪が短くて、目が静かだった。
「やっぱり、ジュディさん達でした!」
ミカが俺の前で止まった。
息を切らしていない。
「こんなところで、どうしたんですか?」
「……あぁ~。宿が、取れなくて。」
正直に言うと、ミカが「あ」という顔をした。
「もしかして、断られました?」
「……まあ。」
ミカが、隣の男を見た。
「ねえ、セラム。この人達——」
「分かった。」
男——セラムは、ミカが言い終わる前に、静かに頷いた。
それから、俺とエルナを交互に見た。
「こんにちは。セラムと申します。」
男は、そう言って軽く会釈した。
「ミカの知り合い?」
「さっき、果物拾ってもらったの!」
「なるほど。」
男は、そこで俺たちの顔を順番に見た。
それから、少しだけエルナの首元に目を止めた。
「あぁ。えっと。初めまして。ジュディです。こっちはエルナ。」
「はい。どうぞよろしく。なんでも、宿が取れないとか?」
「えぇ、まぁ。」
何て答えればいいのか分からず、曖昧な返事になってしまう。
セラムは、静かに言った。
「よかったら、うちに来ませんか。」
「え?」
「狭い家ですけど、泊まれないことはないので。もし、よろしかったら。ですが。」
穏やかな声だった。
押しつけがましくない。
ただ、困っている人を放っておけないという雰囲気だけがあった。
「私は、図書館の職員でして。魔法使いの方とお話しする機会も多いんですよ。ご事情は、なんとなく分かります。」
エルナが、セラムを見た。
しばらく、黙っていた。
「……お世話になります。」
エルナがそう言った。
俺は少し驚いた。
こんなに早く頷くとは思っていなかった。
「やったぁ!」
ミカが、ぱっと顔を明るくした。
その弾み方が、犬みたいで少し可笑しかった。
俺も、あんな顔してたのかと思うと、少しだけ心外だった。
—
セラムの家は、図書館から坂を下った先にあった。
二階建ての、こぢんまりとした家だ。
玄関を入ると、食卓があって、奥に台所がある。
窓から、木々の光が差し込んでいた。
「狭くてすみません。」
「十分です。ありがとうございます。」
エルナが答えた。
俺も頷く。
セラムが台所に立って、何かを温め始めた。
食事を出してくれるらしい。
ミカは、その間じっとしていなかった。
「ふふふ。ジュディさん、これ見てください…。」
ミカが棚から何かを持ってきた。
木でできた、でかい木の実みたいな置物だった。
「これ、でっかいお尻みたいじゃないですか?」
「……ぶっふ。確かに。」
「でしょ!でしょ!」
「……(ガキね)。」
エルナのアイコンタクトが俺を刺す。
いや、これは笑うだろ。
「ミカ。」
セラムが台所から声をかけた。
静かだが、通る声だった。
「それ、落としたら割れちゃうから。止めてね。」
「はーい。」
ミカが棚に戻す。
それから、俺の方を向いてにっと笑った。
「セラムって、ちょっと心配性なんですよね。」
「……それだけ、物を大事にしてるってことだよ。ミカも。」
「そうですかね?」
「そうだよ。」
ミカが少し考える顔をして、また笑った。
細かいことを気にしない笑い方だった。
台所の方から、温かい匂いが漂ってくる。
スープか、何かの煮込みかな?
………………。
…………。
……。
食事が終わった後、ミカはすぐ眠くなったらしく、二階へ上がっていった。
セラムが布団を二つ、居間に敷いてくれた。
エルナはもう、横になっている。
目を閉じているが、眠っているかどうか分からない。
俺も布団に入った。
天井を見上げる。
昔よく見ていた、木の板張りの天井。
窓の外で、木々の光がゆっくり揺れている。
風があるのかもしれない。
静かだった。
……帰りたいな。
思った。
珍しくもない。ずっとそう思っている。
でも今夜は、少し違う感じがした。
食卓を囲んで、食べて。
賑やかで、温かくて。
セラムとミカを見て、そんな時間を思い出した。
家族との時間を。
明里と、最初に住んだアパートは少し古かった。
狭い台所で、二人で夕飯を作っていた。
買ったばかりのフライパンで、明里が卵を焦がして。
なんか二人で笑ってた。
笑いながら、でもそれが美味しかった。
そういう夜だった。
「……絶対、帰る。」
声に出すつもりはなかった。
ただ、出てしまっていた。
エルナが動いた気配はなかった。
聞こえていたとしても、何も言わなかった。
天井の光が、ゆっくりと揺れ続けていた。
第三十一話、お読みいただきありがとうございました。
これまであまりフォーカスの当たっていなかった、魔法使いとしてのエルナが描写された回でしたね。
僕だったら、宿であんなことされたら普通にクレーム入れます。
レビューサイトに、あることないこと書き込みます。
すみません、嘘です。そんな度胸ないです。
明日も20:10に更新予定!
ブクマやコメント、評価をいただけると、素敵な宿に泊まれます(これも嘘です)。
よろしくお願いします。




