第三十話「あなたの故郷へ」
EVAirの中は、静かだった。
窓の外には雲が広がっている。
カルディアの街が、どんどん小さくなっていく。
空の色が、地上にいる時よりはっきりと青い。
「……すごいな。」
思わず呟く。
「この、EVAirってやつ?思ってたより全然速い。」
エルナが、窓の方を一瞬だけ見た。
「そうね。」とだけ言って、目線を手元に戻す。
端末を操作しているのかと思ったが、違った。
ただ、膝の上に手を置いて、どこか一点を見ていた。
なんか、変だな。
「エルナ。」
「何?」
「酔ったか?どこか調子悪い?」
エルナが、こちらを見た。
「そんなことないわよ?」
「……じゃあ、どうしたんだよ?」
「……。」
沈黙。
窓の外の雲が、後ろへ流れていく。
「……フィーレは、故郷なの。」
少しして、エルナがそう言った。
声のトーンが、普段より低かった。
「故郷。」
「生まれた街よ。久しぶりに戻るのよ。本当、久しぶりに。」
それだけだった。
それ以上は説明しなかった。
でも、それで十分だった。
久しぶりに、という言葉に、色々と詰まっている気がして。
俺は余計なことは聞かなかった。
「……そうか。」
それだけ返す。
しばらく、二人とも窓の外を見ていた。
「……フィーレって、どんな街なんだ?」
少しして、俺は話題を変えた。
エルナが、少しだけ表情を戻した。
「生活工房って企業のテリトリーよ。」
「あ~、そういえば前に聞いたな。あの変なBGMのやつだろ?」
「そうそう。ふふ。あの時のあなた、なんかキモかった。」
……ひでぇ。
笑いながら言うことじゃないでしょ。
「食品を取り扱ってるのは、とりあえず知ってるけど…。」
「そうよ。日用品から食品まで、生活に関わるものなら何でも扱う企業ね。」
「やっぱ、名前変だよな。硬派な企業名が並ぶ中で、妙に親近感があるっていうか。」
「そういう企業よ。親しみやすさが売りなの。」
エルナが少し、説明に乗ってきた。
「今は、食の事業に力を入れてるみたいね。新しいレストランとか、食材を扱う専門店とか、フィーレはここ最近でだいぶ賑やかになったって聞いてるわ。」
「飯かぁ~。なんか、行くのが楽しみになってきたな。」
「……あんたは食べることが好きね。」
「そりゃ。美味しいものに興味がない人間なんかいないだろ。」
「そうね。まあ、料理はいいものが揃っているとは思うわ。」
少しだけ、エルナの口調が柔らかくなった。
でも、すぐに戻る。
「ただ一つ、懸念もあるわ。」
「何?」
「フィーレは、魔法使いへの風当たりが、他の都市より強いの。」
俺は、思わず姿勢を正した。
「昨日も、言ってたよな?」
「そう。繰り返しになるけど、歴史が古い街でね。魔法使いへの畏怖が、根深いのよ。ストーンウェアで魔力を扱う人間には寛容でも、魔法使いは別ね。」
首筋の石を、エルナが軽く触った。
昨日、工房で貼り付けていたやつだ。
「……それで、故郷に帰るのが久しぶりになったのか。」
俺が言うと、エルナが少し黙った。
「……名家の出なの、私。」
「名家。」
「クロイツ家は、フィーレで代々続く家柄でね。元々、魔力の高い子供も生まれやすいのよ。ただ、魔法使いが生まれてしまえば、話は別。」
窓の外の雲が、また流れていく。
「……話は別?」
「まぁ、大体は企業へ実験対象として『寄付』される。そうなる前に逃げ出したけど。」
それ以上は語らなかった。
俺も、それ以上は聞かなかった。
ただ一つ分かったのは、エルナがフィーレに帰りたくない理由が、あるのだということだ。
それでも、来た。
俺のために。
「……エルナ。」
「何よ。」
「ありがとうございます。」
エルナが、こちらを見た。
少しだけ、目が丸くなった。
「急に何?敬語キモいし。」
「いや、別に。」
「気持ち悪いわよ、急に。」
「ひどくね?同じこと言ってるし。」
エルナが、ふん、と鼻を鳴らして窓の外を向いた。
耳が、わずかに赤い。
……気のせいかもしれないが。
「もうすぐ着くわよ。」
それだけ言った。
俺は頷いて、窓の外を見た。
雲の切れ間から、緑色が見え始めた。
—
フィーレは、緑の街だった。
空から見ると、巨大な木々が密集して広がっている。
その枝の上に、鉄を敷いて街が広がっているのが分かった。
パイプが木々の幹に絡みついて、あちこちで白い水蒸気が漏れている。
「……すご。木の上に、街があるのか。」
「そうよ。フィーレはそういう街。」
——『住民ID照合完了。ようこそ、森の街フィーレへ。』
車内にアナウンスが流れ、EVAirが高度を下げていく。
近づくにつれて、街の細部が見えてくる。
坂が異様に多い。
枝の上に鉄板を敷いているから、当然、高低差がある。
通路はいくつもあって、木と木の間を橋が繋いでいた。
着陸した瞬間、外の空気が変わった。
カルディアとは全然違う。
木の香りがする。
涼しい。
「なんか、静かだな。」
俺が言うと、エルナが頷いた。
「フィーレはそうね。カリドと比べたら、特に。」
確かに。
カリドは金属音と喧騒で、常に耳が忙しかった。
でもここは違う。
パイプから漏れる水蒸気の音が、しゅうっと聞こえる。
風が木々の隙間を通り抜けて、葉を揺らす音がする。
それだけだ。
なのに、さびしくない。
不思議と、そう思わなかった。
荷物を持って、街に踏み出す。
通りを歩く人々の姿が目に入ってきた。
カリドのような、派手でパンクな格好の人間はほとんどいない。
カルディアの洗練された感じとも違う。
なんか、普通だ。
普通の人が、普通に歩いている。
「……なんか、懐かしいな。」
俺は思わず言っていた。
「懐かしい?」
エルナが首を傾げる。
「駅前みたいだな。俺のいた世界の。」
買い物袋を提げたおばさん。
並んで歩く親子。
端末を見ながらきょろきょろしている若い男。
どこにでもいる、どこにでもある人々だ。
召喚されてからずっと、異質な景色の中にいた。
エルナの工房から始まって、カルディアのネオンと、カリドの地下。
ここは違った。
「……明里と、よく行ってたな。」
週末に、最寄りの駅前の商店街を二人で歩いた。
どこかで、その記憶が重なった。
「……帰りたいんでしょ。」
エルナが、静かに言った。
責める感じじゃない。ただ、確認するように。
「……そりゃな。」
俺は正直に答えた。
エルナは何も言わなかった。
それでよかった。
しばらく、二人で並んで歩いた。
坂道が多い。
緩やかな傾斜が続いて、そのたびに景色が変わる。
木々の隙間から空が見えた。
「空が近いな。」
「カリドと逆ね。」
エルナが言う通りだった。
カリドにいると、空のことを忘れる。
でもここは、見上げるといつも空がある。
「……悪くないな、フィーレ。」
「そう。」
エルナの返事は短かった。
でも、その「そう」には、何かが混じっていた気がした。
—
坂を上がったり下りたりしながら、街を少し見て回った。
食材を並べた露店。
小さなカフェから漂うコーヒーのような香り。
工房の前で何かを磨いている職人。
確かに、飲食店が多い気がする。
通りに「新メニュー」と書かれた看板がいくつか出ていた。
何が書いてあるか、ちゃんとは読めなかったけど。
「図書館、どのへんにあるんだ?」
「あっちの方よ。でも——」
エルナが、空を見上げた。
日が傾き始めている。
「もう夕方ね。今日は難しいわ。」
「明日か。」
「ええ。図書館は明日にしましょう。今日は宿を——」
そこまで言いかけて、エルナが歩を止めた。
「どうした?」
「……いえ。なんでもないわ。」
なんでもなさそうな顔じゃなかったが、俺もそれ以上は言わなかった。
「とにかく、もう少し歩きましょう。」
エルナが歩き始める。
俺も続く。
坂道を下りながら、木々の合間から夕暮れの空が見えた。
オレンジと青が混ざって、雲の端が光っている。
綺麗だな。
そう思いかけた、その時。
——ぼたぼたっ。
坂の上から、何かが転がってきた。
丸い。
オレンジ色。
果物だ。
俺の目の前に二、三個、転がった。
その一つが、靴先に当たって止まった。
「……なんだ?」
見上げると、坂の上の上に人影があった。
「——すみませ~ん!それ、拾ってもらえますか~?」
女の声だった。
高くて、よく通る、天真爛漫な声だった。
第三十話、お読みいただきありがとうございました!
いよいよ第三章スタートです。
フィーレ、良さそうなところですよね。
旅行で行ってみたい。住みたくはないけど。
あ、あと、坂の上から遠慮なく声をかけてくる人間が登場しましたね。
果物は拾ってあげようね。物語進まないから。
明日も20:10に更新予定!
ブクマやコメント、評価をいただけると、坂の上から果物が降ってくるかもしれません。
よろしくお願いします!




