第二百十話「消えていき、進み、綻ぶ」
「あんたにも。俺が生きるのを、手伝ってもらう。」
「……。」
銃口を、アーヴィンの額へ押し付ける。
アーヴィンは何も言わず、静かに俺を見ていた。
先ほどまでの動揺は、もう感じられない。
……こいつも、切り替え早ぇな。
「……なるほど。それが、君の狙いか。」
「あぁ。悪いけど、あんたの身柄を拘束する。」
「……断れば?」
「あんたの頭が、吹き飛ぶ。」
「ははは。それでは、君も死ぬことになるよ?」
「いや。あんたは断らないさ。」
アーヴィンの目が、僅かに細くなった。
「……何の根拠があって、そんな事が言えるんだい?」
「あんたには、まだ、理想があるだろ?」
……最初は、アーヴィンの立場と責任。
そこに、漬け込むつもりだった。
ここでお前が死ねば、アッシュタウンはどうなる。
残されたアッシュガードは、どうなってもいいのか。
そういう選択を、こいつへ突きつける腹づもりだった。
……今は、もう。不要だ。
「……ははは。これは、困ったな。」
「何がだよ。」
「随分と、私を理解したつもりらしい。」
「あんたは、死ぬことを恐れてねぇ。でも、死ぬことで理想を実現できなくなることは、怖いはずだ。」
「……。」
少しだけ、沈黙が落ちた。
アーヴィンが、小さく笑う。
「お互いに、『気に入って』しまったね。」
「止めろよ。気持ち悪ぃ。」
「先に言ったのは、君じゃないか。」
「……言ってねぇよ?」
「似たようなものさ。」
「……ほら。歩けよ。」
銃口を押し付けたまま、アーヴィンへ顎をしゃくる。
「下まで一緒に来てもらうぜ。しばらく、あんたを幽閉する。」
「……認めるしかないね。」
「何をだよ。」
「今、この時。この場において。」
アーヴィンが、真っ直ぐに俺を見る。
「君の方が——格上だ。」
「……いいから、歩けって。」
なんなんだ、今の。
反応に困るな。
アーヴィンが小さく笑い、ゆっくりと屋上の出口へ向かう。
俺も銃口を下ろさないまま、その背中についていった。
「時間切れを狙ってんなら——」
——ピピピッ。
脳内へ、着信が入った。
視界の端に表示された名前は、カイラ・ドゥーナ。
どうする?今の優先度は……。
いや、カイラも俺の状況は分かってる。
そんな中での通信ってことは——
「出た方がいいよ。ジュディ。」
「……あ?」
「カイラ・ドゥーナからだろう?」
「……まさか、あんた。これを狙ってたのか?」
「いや、偶然さ。ただ、なるべくゆっくり動こうとは思っていたけどね。」
「……あんたもあんたで、食えねぇな。」
銃口は、動かさない。
そのまま、通信を開く。
(カイラ。)
『ジュディ!!!』
あ、声大きい。
耳が痛い。
(お、落ち着いてな?端的に、頼む。)
『内部に侵入者!ロイド・カーターです!!!』
「……くそ。」
最悪の、タイミングだな。
(今、どこだ。)
『エミリのいる区画に向かってる!多分、私の権限を——』
(ストップ。)
『う、うん?』
(詳細は大丈夫だ。こっちの状況も伝えるな?)
『わ、分かった。』
アーヴィンを見る。
銃口は、額に向けたまま。
アルトのジャミングも続いている。
油断は、していない。
一秒たりとも、こいつから意識を逸らしたつもりはなかった。
(アーヴィンを拘束したい。今から——)
ただ。
思考を、ほんの少しだけ。カイラへ割いた。
その一瞬を、アーヴィンは見逃さなかった。
『ジュディ!!!』
アルトの声。
アーヴィンの身体から、魔力が噴き出した。
「——っ!!!」
銃を握る右手。その直前の空間が、歪む。
——空間断絶。
「っぐ!!」
銃口が、強制的に弾かれた。
アーヴィンが大きく後方へ跳ぶ。
『くそっ!!!こいつ、初めからコレを——』
(分かってる!!!)
……逃がすかよ。
両脚へ、電流を流し込む。
——バヂッ!!!
地面を蹴ろうとした、その瞬間。
——パンッ!!!
左肩に、衝撃。
何が起きたのか、一瞬分からなかった。
次いで、焼けるような痛みが失った左腕の付け根から全身へ走る。
「があぁっ!!!」
膝が、落ちた。
そのまま、アーヴィンを見上げる。
アーヴィンが、銃口をこちらに向けていた。
「こういうものは、好かんのだがね。しかし、背に腹はかえられない。」
「……持ってたのかよ。」
「あぁ。ライアスの勧めでね。理由は——なんだったかな?」
「舐めやがって!!!」
——パン!パンッ!
複数の銃声。
咄嗟に身を翻し、躱わす。
狙いは、お粗末だな。
「……っ。」
顔を上げると、アーヴィンが屋上の縁へと駆け出していた。
俺も、すかさず立ち上がり駆け出した。
そのまま、もう一度加速を——
——ブヅンッ!!!
視界が、真っ黒に染まった。
「……ぇ。」
足が、動かない。
いや、違う。動かしたはずだ。
一歩、前へ出たはずだった。
そう思った時には、地面が目の前にあった。
——ドサッ。
「……な、ん。」
は?倒れた?俺が?なんで?
「……ジュディ。今回は、痛み分けといこう。君も、限界のようだしね。」
遠くから、アーヴィンの声がする。
「……ざっ……けんな。まだ……。」
右手を、地面につく。
起きろ。足に、力を入れろ。
……足ってどっちだ?
「今撃ち込んだ弾丸。それには、君の身体状況を正確に測る小型通信器が仕込んである。」
「……は?」
「安心するといい。今すぐ君を害するものではない。」
右手で、地面を掴む。
なんとか膝を立てる。
視界の中で、アーヴィンの輪郭が二つに歪んだ。
「エミリは、諦めよう。」
「……。」
「ただし。君の上書きは、見逃さない。」
「……くそ。……くそ。」
「君が、アルトへと置き換わる過程が観測できれば。私の研究は完成する。」
「……待て。」
立つ。
ぐらつく身体を、無理矢理起こす。
アーヴィンは、すでに屋上の縁まで下がっていた。
「急いだ方がいい。」
「……あ?」
「ロイド・カーターに奪われれば。君の選択の証明は失敗するのだから。」
両脚へ、電流を流す。
——バヂッ!!!
今度こそ、身体が前へ飛んだ。
同時に、アーヴィンが屋上から身を投げた。
「アーヴィン!!!」
屋上の縁へ、到達。
そのまま、右手を伸ばした。
指先が、アーヴィンの服を掠める。
——そのまま、空を切った。
「アーヴィン・ロックウェル!!!!」
下へ落ちていく男が、こちらを見る。
「君と、もう少し。話してみたかったけどね。」
「あ、ああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
伸ばした手の先から、アーヴィンの姿が消えていった。
「……っ。」
追う。このまま、俺も——
いや、違う。
ロイドが来てる。エミリが、危ない。
すぐに、切れていた通信を繋ぎ直す。
「……カイラ。」
『……ジュディ。』
声が、震えていた。
『ご、ごめ……わた、私。私が。』
「大丈夫だ。カイラのせいじゃない。」
『……で、でも。』
「大丈夫。今は、後悔じゃなくて。次を考えたい。」
『……。』
「カイラ。」
『……わか……った。う、うん。うん!』
「よし。」
少しだけ、笑った。
「アーヴィンが、屋上から飛び降りた。ネルの薬で魔術は使えない。でも、俺から離れたらジャミングも切れる。魔法は使える状態だ。」
『うん。』
「多分、アッシュガードは戦線を離脱しようとすると思う。カイラは、動かせる部隊に連絡を取って。アーヴィンを確保する方向で動いてほしい。」
『……分かった。ジュディは?』
「ロイドを止める。」
少しだけ、息を整える。
「このまま、ロイドにエミリを拐われたんじゃ。骨折り損のくたびれ儲けどころじゃなくなる。」
『……大丈夫なの?』
「……大丈夫じゃ、ねーかも。」
『……。』
「でも、頑張る。……頑張って、みるよ。」
返事は、なかった。
それでも、カイラが通信の向こうにいることだけは分かった。
「サヤに、よろしく。」
『ジュ——』
通信を切る。
屋上の出口へ向かう。
走るのは、もう限界だった。
右足を引きずりながら扉まで歩き、そのまま建物の中へ入る。
——階段。
ロイドは、下だ。
この建物の、どこかにいる。
壁に右手をつき、一段ずつ降り始める。
視界から、色がなくなっていた。
照明は点いているはずなのに、白と黒しか見えない。時折、その白と黒すらノイズに塗り潰される。
「……はぁ。愚策かもだけど。」
脳内通信を、起動した。
宛先は、ロイド・カーター。
もう、悠長に探している時間はない。
だったら、探さなきゃいい。
向こうから、同じ場所へ来てもらおう。
短いメッセージを打ち込む。
——エミリは、四十五階にいる。
送信。
これでいい。
俺も、そこへと歩き出した。
—
「……っ。」
足が、止まった。
一瞬。
何をしていたのか、分からなくなった。
……違う。
歩いてる。歩いてるはずだ。
階段を、降りてる。
……降りてるんだよな?
そうだ。ろいど、とエミリ。
そこへ、向かっテる。
……なんでだっけ?
いYA、チガう。
タスケるんだロ。
タスケるっm——
違う。守る。守んだ。
お、れが。
ア、アイツを。
『……ジュディ。』
(あンだよ。今、忙しい。)
『なんか喋れ。』
(んだよ。おま、えが。男とハナしたいタマかよ。)
『知るか。黙ったら、そのまま沈むぞ。』
(……うるせぇ。)
『いいから、喋れ。』
右手で手すりを掴みながら、階段を降りる。
一段。もう一段。
足は、まだ動いている。
(はなス、ことなんてねーだろ。)
『まぁ、そうだな。お互い過去は知っちまってるしな。』
(ナラよ。黙っテろよ。)
『……なら、これからの話をするか。』
(コレカラ?)
『あぁ。これからだ。お前、この戦いが終わったらどうする?』
一歩。また、一歩。
階段を降りる。
(オワったらか……。トりあえず……寝てぇナ。)
『っは。まぁ、そうだろうな。』
(ベッドで、十二時間クらイ。)
『っは。それなら、死んでるのと変わんねぇな。』
(ウるせぇ。こちとら、ずっと働いてんダよ。)
……少しずつ。
少しずつ、頭の霧が晴れていく。
そんな気がした。
『他には、なんかねぇのか?』
(他だぁ?)
『あるだろ。生き残った後に、やりてぇこと。』
生き残った、後。
手すりを握り直して、また足を運んだ。
(……そうだな。カイラの飯が、食いてぇな。)
『飯?』
(カイラの飯は、美味いよな。なんか、ほっとする。)
『……知らねぇな。』
(知ってんだろ。中にいたんだから。)
『……やりてぇ事は、飯だけか?』
(いや。……そうだな。サヤと、服を見に行くなんてのもいいな。)
『服だぁ?お前、興味ねぇだろ。』
(……サヤが選ぶ服は、好きなんだよな。)
『……。』
少しだけ、沈黙。
アルトの呟く声が、聞こえた。
『……お前、結局どっちにすんだ?』
(……何が?)
『分かってんだろ。カイラと、サヤだよ。』
(……。)
足が、止まった。
ダメだ。止めるな。
……階段を降りる。
(……そういうのは。無理だろ。もう。)
『あ?』
(明里が、いてさ。エルナも、好きでさ。もう、無理だろ。)
『何が。』
(普通じゃねーだろって。)
『俺は、女が五人いたぜ?』
(……あぁ。最低だよ。お前は。)
『あぁ。俺は最低だ。お前は違ぇのか?』
(なりたくねぇだろ。最低になんて。)
『いいじゃねぇか。最低になれば、素直になれんだろ?』
(……。)
また、階段を降りる。
意識は、いつの間にかはっきりしていた。
頭の奥にはまだノイズがある。
それでも、自分は自分だと、認識できる。
……こいつ、余計な気ぃ回しやがったな。
(……二人が、大切だ。)
『で?』
(で、じゃねーだろ。今言っただろ。)
『答えになってねぇよ。そこじゃねぇだろ。』
(……。)
……分かってるよ。そんなことは。
『嫁を忘れられねぇ。エルナも忘れられねぇ。』
(……もう、分かったって。アルト。)
『だから。また誰かを好きになる自分を、許せねぇ。違うか?』
(……そうだよ。だから、答えられねぇんじゃねーか。)
体が、痛い。
でも、表面だけじゃない。
もっと奥が、ズクリと傷んだ。
(んとに。最低だ。お前は。)
『あぁ。俺は最低だ。でも今は、お前の話だぜ?』
(……。)
『前にも言ったがな。正解探して、何も選ばねぇのは止めろ。』
(簡単に、言うなよ。)
『簡単じゃねぇよ。』
アルトの声が、少しだけ低くなった。
『一人を選んだって、誰かは泣く。二人を選んだって、当然泣かせるかもしれねぇ。曖昧にしてりゃ、両方泣かせる。どれを選んでも、地獄だな。』
(……分かってる。分かってるよ。もう、大丈夫だって。)
『本当に、分かってんのかよ?』
(あぁ。どれがマシかじゃねぇ。俺が、どれを背負うかだ。)
『……。』
(そんだけの、話だろ。)
『っは。数時間前まで『限界です』なんて、ポロポロ泣いてた奴とは思えねぇな。』
(……うるせぇよ。)
階段を、ゆっくり一段ずつ降りる。
不思議と、さっきまでより頭は動いていた。
——答えは、出ない。
カイラも。サヤも。
明里も。エルナも。
どれかを消せば、簡単になるのかもしれない。
でも、消えない。消したくもない。
なら、それも背負うしかないんだろうな。
「……。」
不思議と、そんな背負うものがある未来が。
俺には眩しく映った。
—
「……はぁ。」
踊り場で、壁へ背中を預ける。
息を必死に整えた。
(……アルト。)
『あんだよ。』
(お前はさ。生きたくねぇのかよ?)
『あ?生きてぇに決まってんだろ。舐めてんのか?テメェ。』
(……なら。なんで、そこまですんだよ。)
『何が?』
(上書きだって。別にせき止める必要なかっただろ。)
『……。』
(俺とエルナの生きる未来を、俺は選ばなかった。その時点で、お前の選択とは相反してる。)
返事はない。
また、階段を降り始める。
(なら、お前は何もしなきゃ。少なくとも生き直せたはずだ。)
『……そうだな。』
(じゃあ。なんでだよ。)
『……。』
(アルト?)
『うるせぇな。答えたくねぇな。』
(答えろよ。)
『っち。俺も、よく分かってねぇぞ?』
少しだけ、沈黙があった。
アルトの声が、さっきまでより近くに聞こえる。
『俺は、エルナのために生きることを選んだ。』
(……。)
『エルナは、お前のために生きることを選んだ。』
一段、降りる。
『そんで。お前もまた、誰かのために生きることを選んでる。』
(……だから?)
『別に。』
(は?)
『それが、俺は美しいと思った。』
「……らしくねぇな。」
『だな。ただ俺は、それがいいと思っただけだ。』
何も、言えなかった。
正しいからじゃない。
誰かに、言われたからでもない。
こいつは。
こいつ自身が、そうしたかったから。
——俺を、助けた。
(……やっぱ。お前は嫌いだ。)
『っは。気が合うな。俺も、お前は気に食わねぇ。』
少しだけ、笑った。
また、足を前へ出す。
視界には、まだノイズが走っている。
身体も限界だ。
左肩も。右脚も。視界も。心も。
全部が、痛い。
それでも、自分が何をしているのかを見失うことはなくなっていた。
俺は、階段を降りている。
四十五階へ。
エミリのところへ。
ロイドを、止めるために。
『ジュディ。』
(……なんだよ。)
『お前の、名前を言え。』
(は?)
『いいから。早く言えよ。』
息を吐く。
(……キムラ・ジュディ。)
『お前は、何しに行く?』
(エミリを、守りに。)
『お前は、誰だ?』
(……さっき答えたろ?)
『いいから、もう一度だ。』
(キムラ・ジュディ。)
『もう一回。』
(うるせぇな。なんなんだよ。さっきから。)
『いいから、言え。』
最後の階段を降りる。
踊り場の壁。
数字が見えた。
——四十五。
(俺は、キムラ・ジュディだ。)
『——よし。そうだ。』
(……。)
『お前は、キムラ・ジュディだ。』
扉へ、右手を掛ける。
「……っ。」
開いた先にある、広い空間。
その奥に、黒い服を着た男が立っていた。
その奥に行けば、エミリがいる。
それなのに、こいつは待っていたのか?
役割だなんだと言ってる割に。
やけに人間臭ぇ。
……なら、まだ。
そんな淡い期待が、俺の胸をチクリと刺した。
「……。」
「……。」
男が、ゆっくりとこちらを見る。
お互いの、目が合った。
「……ジュディ。直接会うのは、久しいな。」
「よぉ。ロイド。」
第二百十話、お読みいただきありがとうございます!
消えていき、進み、綻ぶ。
ジュディ、消えかけております。
アーヴィンにも逃げられ、左腕もない。
散々だ……。
そんな中での、ロイド・カーターとの対決です。
次回も20:10、更新予定です!
ブクマやコメントをいただけると、ジュディが自分の名前を忘れるまでの時間が、ほんの少しだけ伸びるかもしれません。
よろしくお願いします!




