第二百八話「男の名と、その理想」
「よっす。アーヴィン。」
その軽い言葉とは裏腹に、声は低く、重い。
それだけで、この男が何のためにこの場所にいるのかを私は理解した。
苛立ちが、抑えられない。
この男に対して、私は『それなり』の対応をしてきたはずだ。
そもそも、この男は私にとって、そこまで重要な人物でもない。
事業の足しとなる数値が観測できれば儲けもの。
その程度の認識でしかなかった。
——それが、今はどうだ。
エミリを奪われ、友人を失う選択を迫られ、紛い物のタワーへの進行を余儀なくされた。
全て、なんてことのない。
この死に体の、ただの半端者に。
「はぁ。……ジュディ。」
「なんだよ。イラついてんな。」
「ここまで上手くいかないと、流石にね。」
「っは。カイラか?」
「まぁ、それだけではないけどね。確かに彼女にも、手玉に取られたよ。」
「カイラは、決めたら怖ぇからな……。」
「ははは。君の普段の生活が見えた気がするよ。」
「うが。」
会話は、できる。
何も盲目的に、捨て身で私に臨んでいるわけではない。
ならばこそ。
この状況と、この男の選択が理解できなかった。
「……ジュディ。少し愚痴を聞いてくれるかい?」
「なんだよ。時間ねぇんだけどな。」
「……私は、今回被害者だと思うんだよ。」
「マジで愚痴じゃん。」
「私は、君を嫌っているという訳ではない。それなりに、誠実に対応したつもりだ。」
「……まぁ。そうだな。」
「君を治さないとは言っていない。その結果が、これかい?」
「エミリ。」
「……。」
「あいつに、誠実になるつもりはねぇのか?」
何故、その質問が来る。
この男と、エミリの関係はそこまで深くないはずだ。
感覚共有があったことは知っている。
それでも、エルナ・クロイツのことを考えれば選ぶまでもない。
外側は理性的。
しかし、この結果に至ったロジックが全く見えない。
……それが、ただただ不気味だった。
「なぜ君は、そこまでエミリに固執するんだい?」
「そう決めたからだけど。」
「……その選択では、君自身が消えると分かっているはずだ。」
「消えねぇために、こうしてんだけどな。」
「ならば。その道筋は間違っている。君の望む未来へは大きく逸れているよ。」
「いや?筋なら通ってるし、通してる。」
……会話になっているようで、成立していない。
今、理解した。
この男とは、価値観の前提が違うのだ。
極端な話をすれば、言語を扱う野生動物と話しているようなもの。
……これ以上は、無駄だな。
男は咥えていた煙草を地面に落とし、靴底で火を揉み消した。
……その足は、震えていた。
一体、なんなんだ。
「……一個だけ、教えてやるよ。アーヴィン。」
「何をだい?」
「俺が選んだ、この俺自身はさ。どうも、俺だけのもんじゃないらしい。」
「……。」
「だから、筋を通した。俺がそう決めて、乗ってくれる奴がいた。」
「……何の話だい?」
「俺は、そいつらと胸を張って生きる俺でいたいんだよ。」
「このままでは、どの道。君は消えるんだよ?」
「だから、消えねぇためにそうしてんだって。」
男の表情は変わらない。
思い返せば、この男は出会った時から、感情の機微に違和感があった。
乏しい訳ではない。
むしろ、言葉とは裏腹に物腰には柔らかさを感じる。
ただ、少しだけ理性を挟んでから、表情を変える。
やはり、チグハグで、不気味な男だ。
「……訳が分からない。」
「あー。そっか。まぁ、そうだよな。」
男は懐へ手を入れ、銃を引き抜いた。
……来る。
「じゃあ、シンプルにしようか。アーヴィン。」
「……なんだい。」
男は、小さく笑った。
「煙草が、不味くなる。」
——パンッ!!!
銃声が鳴り響いた。
同時に、私の目前で空間が歪む。
弾丸は私へ届くことなく、境界の手前で弾かれ、金属音を立てて床へ転がった。
「まぁ。これはそうだよな。」
「……軽々しく、銃を向けるものだね。」
「次だ。」
男が銃を下ろした、その直後。
——ッ。
微かな電撃音。
何をした?
そう思った時には、私の体は静止していた。
「……っ?」
——動かない。
腕も、足も。指先ですら。
呼吸はできる。意識も正常だ。
それなのに、身体だけが命令を拒絶している。
「……っく。」
視線だけを男へ向けると、既に懐へ手を入れていた。
取り出したのは、先ほどとは別の銃。
銃身の長い、見たことのない魔力銃。
内部を電撃が走り、低い駆動音が響いている。
——レールガン。
かつて、彼を部下に調査させた際。
報告として上がってきた彼の特注の銃だろう。
「……これなら、別に狙わなくても当たるしな。」
「……な、にを。」
「出力は落としておくよ。あんたには生きてもらわなきゃいけねぇ。」
……魔法が、発動できない。
空間へ意識を伸ばそうとしても、精密な魔力制御が定まらない。
身体だけではない。神経系そのものを乱されているのか。
しかし、魔術ならば違う。
既に体に組まれた魔術式へ魔力を流すだけなら、精密な世界干渉までは必要ない。
レールガンの駆動音が、一段高くなった。
——来る。
風の魔術を発動し、自分の身体へ横から叩きつける。
——ドンッ!!!
身体ごと強引に横へ吹き飛ばした直後。
轟音と共にレールガンの弾丸が先ほどまで私がいた場所を通過した。
屋上の床が、大きく抉れる。
「……魔術で避ける。なら、魔法は使えねぇのか?」
「……っく。」
「次。」
気味が、悪い。
失敗したという反応すら見せず、淡々と作業をこなすように切り替えている。
自分に出来ることと、私に出来ること。
その二つを照合し、一つずつ可能性を潰している。
……認識が甘かった。
防壁を張り、時間を稼ぐ。この男は、あと僅かで消える。
今際の際。自身の存在が失われる時が近付けば、いずれ折れる。
そういう腹づもりだった。
長期戦へ持ち込めば、こちらの圧倒的有利。
その認識自体は間違っていない。
「……。」
だが、この男に情報を与えるのは危険だ。
思考を巡らせている間にも、男は歩いてくる。
その右手には、ダガーが握られていた。
刃が、不自然に濡れている。
……何か、仕込んでいる?
魔術による応酬は可能だが、身体は未だ自由に動かない。
このデメリットを抱えたまま、あの刃を受けるのは危険だ。
ならば、魔力の使い方を変える。
魔法使いは、魔術式を介さずとも魔力そのものを扱うことができる。
神経の命令が届かないなら、魔力で身体の動きを補えばいい。
筋肉へ。関節へ。
一つずつ、魔力を流し込む。
……重いな。
だが——動く。
右腕を、男へ向けた。
「……マジかよ。」
「……っ!!」
「動けんのかよ、くそっ!!!」
風の魔術を放つ。
男は大きく身を翻し、その場から離れた。
「……っ。」
距離が開いた瞬間、身体を縛っていた感覚が僅かに薄れる。
指が、動いた。
どうやら範囲か。あるいは、男自身の集中が必要なのだろう。
「……は、はは。今のは何だい?」
「秘密だよ。」
「正直、肝が冷えたよ。魔法使いでなければ詰んでいた。」
「……魔法使い。ってことは、魔力をなんかで使ってんのか。」
男が、小さく呟く。
……これは、発言にも気を付けなければならないな。
「魔術で避けたってことは、魔法は使えない。」
「……。」
「体が動いたってことは、魔力を直接なんかしてる……。いや、そこまでは分かんねぇな。」
「随分と、独り言が多いね。」
「考えてんだよ。」
男はダガーを右腕のストーンウェアへ格納し、もう一度こちらを見る。
「次。」
「……。」
瞬間、男の姿が消えた。
いや。
消えたように錯覚するほど、高速で移動した。
足へ電撃魔術を纏わせ、一気に加速している。
「……ほぅ。速いね。」
「正直、さっきのは覚えたての付け焼き刃でさ。」
男が、一瞬で眼前へ迫る。
「本領は、こっちなんだよ。」
瞬時に、空間を断つ。
男の拳が、目前で止まった。
正確には。
私へと到達するための空間そのものが、そこには存在しない。
「……次。」
男は、即座に身を引いた。
私の周りを迂回しながらの、銃撃。
全方位から、銃弾の雨は私を襲う。
「……無駄だよ。」
弾丸が境界へ触れ、床へ落ちる。
「次。」
間髪入れずに、レールガン。
膨大な魔力を込めた弾丸が飛来する。
——ドォン!!!
轟音と共に、境界の外側で衝撃だけが弾けた。
空間は、繋がっていない。
どれだけ強力な攻撃であっても、私へ到達することはない。
「……ちぃ!!」
再び、男が踏み込んだ。
蹴り。拳。銃撃。
角度を変え、速度を変え、何度も攻撃を重ねる。
——全て、無意味だ。
「無駄だよ。ジュディ。」
「……やってみねぇと、どこまで無駄なのか分かんねぇだろ。」
「この防壁は、一般的に使用される防壁とは次元が違う。」
「……次元?」
「あぁ。文字通り、『次元』だ。」
私は、境界へ手を添えた。
「これは、空間の断絶だ。」
男の動きが、止まった。
「……断絶。」
「そうだ。」
「……なるほど。だからあんたは……。」
「……あぁ。そうか。そこにも、気付くのか。」
「自分をその防壁で囲えば、転送防壁はすり抜けられるってか。」
少しだけ、笑う。
察しがいい。優秀な男だ。
「御名答。」
「……。」
男はそれ以上、何もしなかった。
一定の距離を取り、こちらを見ている。
……いや、観察されている?
「……。」
いや、それとも違う。
何かを、待っているのか?
空間断絶は、万能ではない。
世界そのものへ継続して干渉する以上、消耗は通常の魔術とは比較にならない。
何より、不安定だ。
一度解除すれば、再び境界を構築するまで僅かな間が必要になる。
——長期戦に持ち込めば、有利。
その認識は間違っていない。
だが、この男を相手にする限り、時間はこちらだけの味方ではない。
……時間だ。
私を囲っていた空間断絶が、解ける。
「……やっぱりな!!」
「っく!!」
瞬間、男が地面を蹴った。
——速い!
一呼吸。たった、一呼吸だ。
空間を繋ぎ直すには、それだけあればいい。
しかし、この男を相手にするには、その一呼吸が長すぎる。
咄嗟に風の刃を放つ。
同時に土の魔術式を起動し、防壁を展開。
「……それは、使えんのかよ!!!」
男は右腕で、風の刃を受けた。
火花が散り、その勢いのまま後方へ跳ぶ。
「……っし!」
風の刃を弾くや否や、こちらへと即座に駆け出し拳を振るった。
こちらの土壁と、男の拳が衝突する。
——ガンッ!!!
「……狙っていたね?防壁が切れるのを。」
「まぁ。無限に張れるんなら、ずっと張ってればいいだけだしな。」
「張り続けていたら、どうするつもりだったんだい?」
「時間は決めてたさ。あと三十秒。何も変化がなければ動いてた。」
……本当に、嫌な男だ。
切り替える、必要があるな。
この男に、守り一辺倒はリスクでしかない。
「……仕方がない。」
懐へ手を入れ、予備の杖を取り出した。
先ほどカイラ君に壊されたものと同型。
簡易品ではあるが、十分だ。
「……あ。ちょ、ちょっと待って。」
「なんだい?」
「いや、まだ舐めてくれてても良かったんだけど……。」
「は、ははは。」
思わず、笑った。
自身が弱いこと、侮られていることまで、想定しているのか。
「君といい、カイラ君といい。やはり面白いね!」
「……くそ!!!」
杖を振るう。
もう、手加減はしない。
——ドドドドドドドッ!!!
火。水。土。風。
——四大元素の全て。
一人の魔術師が、生身で扱える元素は本来一つ。
一人の魔術師では処理できない物量を、連続して放出する。
火球を避ければ、足元から土槍。
身を捻れば、横殴りの風。
逃げる先へ、水の刃。
それでも、男は避ける。避け続ける。
電撃を足へ纏わせ、屋上を縦横無尽に駆け回っていた。
——ならば。
男の足から、電撃が一瞬だけ消える。
蓄積していた魔力が切れたか。
あるいは、出力を切り替えるための僅かな間。
——ここだ。
水と風の元素を、組み合わせて放つ。
——カァァァン!!!
男の足元が、一瞬で凍結した。
「……っ!」
その場で、男は跳ねる。
判断は早い。
だが、全てを躱すには僅かに遅かった。
右の足首が、氷に包まれる。
「……ぐっ!!!」
魔術を流せば、すぐに解凍できる。
欲しかったのは、それまでの時間。
彼が高速で動けなくなる時間だけだ。
男が、その場へ膝をつく。
「……よりにもよって、氷かよ。」
「あぁ、そうか。エルナ・クロイツも、氷が十八番だったね。」
「……。」
「しかし、私の十八番は別だ。」
「防壁だろ?」
「……その認識を、変えた方がいいね。」
杖を、男へ向ける。
体幹は狙わない。
これは、警告だ。
これ以上進めばどうなるのか。それを理解させればいい。
左腕へ、境界を定める。
「……空間の断絶。その防壁は、こういう使い方もできる。」
魔法を、発動した。
——スン。
音すら、しなかった。
境界の向こうと、こちら側。繋がっていた空間が、ただ分かれた。
「……。」
「……は?」
男が、自分の左側を見る。
そこにあったはずの、左腕がない。
一拍遅れて、切り離された腕が床へ落ちた。
「が、あ、あ。」
「……。」
「あ、ああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
絶叫。
二の腕から、血が噴き出す。
「……っちぃ!!!」
「何?」
男が、消えた。
高速移動。
屋上を大きく回りながら、動き続けている。
二撃目を恐れたのだろう。
止まれば狙われる。
その一点だけを即座に理解し、痛みの中で行動へ移した。
——ジッ。ジッ。ジッ。
電撃音が、聞こえた。
直後、肉の焼ける匂いが鼻をつく。
……自分で傷口を焼いているのか。
出血を止めながら、動き続けている。
痛みで速度は明らかに落ちている。
——それでも、止まらない。
「……ジュディ。君は、すごいな。」
「……。」
「次を考える速度が、尋常ではない。」
「……うるせぇ。」
「的を絞らせず、止血。敬意を表する。」
「……なら。負けてくんない?」
「笑止だね。」
男は、呼吸を荒らげていた。
顔色も悪い。
それでも、動くことはやめなかった。
「止まってくれないか?キムラ・ジュディ。」
「あ?」
「少し、話がしたい。」
「……。」
「約束しよう。次の問答の間は、私は攻撃を行わない。」
男は、すぐには止まらなかった。
何度か距離を取りながら、こちらを見る。
それからようやく、屋上の端で足を止めた。
「……んだよ。」
「君には、まだ話が通じると思ってね。」
「……交渉か?」
「まぁ、そうだね。説得とも言えるかな。」
「……。」
私は杖を下ろした。
男も銃口こそ下げたが、しまいはしない。
「君に、私の目的を伝える。その上で判断をしてくれないか?」
「死者復活事業だろ。それで、アッシュタウンを再建する。」
「……それは、手段なんだ。」
「……手段?」
男の眉が、僅かに動いた。
すでに、実力は示した。
口八丁で、この戦いが終わるのであれば、彼としても望むところだろう。
いや。
私は、彼に納得してもらいたいのかもしれない。
私の理想を、理解してくれるかもしれない。
そんな淡い期待が、私の胸を撃った。
「この世界における、魔法使いの扱いは知っているね?」
「……あぁ。嫌ってほど知ってるよ。」
「そうだね。君が、エルナ・クロイツと生きてきたことは知っている。」
「……それが、なんだよ。」
「私の目的は、その扱いの根絶と、魔法使いの復活だ。」
「……まさか。」
「そう。私が蘇らせたいのは、魔法使いだよ。」
かつて、この世界には多くの魔法使いが存在した。
貴族として名を馳せ、人々を導き、その力は奇跡として崇められた。
しかし、いつからか。
その力は恐れられ、利用されるようになった。
今となっては、生まれた時点で研究材料にされる者がほとんどだ。
長い年月をかけて、一人。また、一人。
数を減らした。
「今、生存が確認できている魔法使いは、殆どいない。」
「……。」
「数少ない。例外を除いてね。」
「そうか。だから、あんたは……。」
「あぁ。私は魔法使いで、アッシュタウンの長だ。」
「……今その都市で、魔法使いに偏見を持つ奴は少ねぇだろうな。」
私は、頷いた。
「魔法使いの復活と、魔法使いが生きられる場所。」
「……。」
「それが、魔法使いとして生きる。私が進む理想だよ。」
アッシュガードを、企業として成立させる。
研究。医療。死者復活。
それらを事業として外へ売り、資金を作る。
善意だけで、都市は維持できない。
外部と繋がり、他企業と渡り合いながら、少しずつ魔法使いの母数を増やしていく。
「エルナ・クロイツの人生は、悲劇だった。」
「……てめぇ。」
「事実だよ。全て、たった一つのことが原因だ。ジュディ。」
「……。」
「『魔法使い』であった。ただそれだけで、彼女の人生は悲劇だった。」
「……そ、れは。」
「私は、二度と。もう二度と、そんな悲劇を起こさせない。」
「……。」
男は、何も言わなかった。
彼に、私の理想を否定できるものか。
彼もまた、魔法使いという因果によって失った人間のはずだ。
分かるはずだ。私の、理想が。
「……アーヴィン。あんた、かっこいいよ。」
「分かって、くれるかい?」
「分かる。共感もできる。その理想は、素晴らしいと思う。」
「……エルナ・クロイツの人生も、また始められる。」
「……。」
「アッシュタウンで、君と温かい人生を送ることだって——」
男が、右手の銃を軽く持ち上げた。
銃口を、こちらに向けた。
「——それでも、無理だ。アーヴィン。」
「……。」
「あんたの理想は否定できねぇ。」
「……なぜ。」
「でも、あんたの今を否定する。」
なぜだ。なぜなんだ。
何故、この男は分からない。
いや、分かっている。理解している。共感もしている。
それなのに、なぜ……。
「……エミリは、事業を完成させるために必要だ。」
「知ってるよ。だから、コレを向けてんだぜ?」
「……エルナ・クロイツの復元を観測できれば、死者復活は実証段階を終えるんだ。」
「……。」
「エミリ一人の話ではない。その先に、何人もの魔法使いがいる。」
「……エミリだって、魔法使いだろ?」
男は、こちらを真っ直ぐに見ていた。
「そうだ。エミリが、未成熟ながらも魔法使いであることは分かっている。」
「なら、矛盾にも気付いてんだろ?」
「あぁ。その通りだよ。」
そこは否定するつもりもない。
「だからこそだよ。ジュディ。」
「……。」
「エミリを、私の理想の最後の犠牲者とする。」
「……最後だって?」
「あぁ。彼女で終わらせる。その責任は、私が負う。」
これ以上、魔法使いが生まれたというだけで。
力を持っていたというだけで。
奪われる世界を、終わらせる。
「覚悟の上だよ。この理想という泥沼を進む。」
「……。」
「だから、頼むジュディ。私の理想を、どうか——」
「無理だ。」
男は、即答した。
そこだけ。ただ、そこだけの判断が、覆らない。
「理由を、聞いても?」
「エミリが、生きたいって言った。」
「……それだけかい?」
「それ以上の理由が、いるのかよ?」
言葉が、止まった。
男は、自分の左腕が落ちた場所を一度だけ見た。
それから、また私を見る。
こちらに向けた銃口は、震えていた。
「アーヴィン。」
「……。」
「魔法使いが生きられる街。俺も、協力するよ。」
「ならば——」
「でも、エミリは。プリンを食いてぇんだってよ。」
「……。」
「お前が、理想のために奪おうとした者を。お前は見たのか?」
「……見たさ。心も、痛めた。『それでも』私は、降りるつもりはない。」
男は、目を見開いた。
やがて、静かに笑った。
「……そうか。あんたも『張って』んだな。」
「……何の話だい?」
「いや。単純な話だったよ。アーヴィン。」
「……。」
「お互いに、もう引けねぇってだけだった。」
……なるほど。
やはり、理解はできない。
合理性がない。
一人を選ぶことで、多くが救われる。
本人も消えかけている。片腕まで失った。
それでも、まだ、この男は。
「……震えているよ。ジュディ。」
「……まぁ。ビビってるからな。」
「ならば、引けばいいじゃないか。」
「言っただろ?引けねぇし。どけねぇし。省みねぇ。」
「……勝算は、あるのかい?」
「そんなもんで、お前と向き合ってねーよ。」
男の、銃を握る手に力が籠る。
足は震えている。呼吸も乱れ、顔色も悪い。
それでも、瞳だけは、こちらから逸らさない。
「勝てるから、ここにいるんじゃねぇ。」
何故だ。そこまで、恐れているのに。
「勝たなきゃいけねぇから、ここにいるんだ。」
「……。」
——あぁ。そうか。
ようやく、少しだけ分かった気がした。
この男の、『キムラ・ジュディ』の正体を。
この男の理想は、至極単純だった。
彼は、見捨てない自分を選んだ。
この男もまた、理想という泥沼を進む人間だった。
——ただ、それだけだったのだ。
「……理想という泥沼。」
「あ?」
「その地獄を歩くには、心という指針が必要だ。」
「……。」
「理想のために心を捨てれば、人は機械へと成り下がる。」
自分が何を望むのか。
何を恐れるのか。何を失いたくないのか。
それすら捨ててしまえば、残るのは、ただ目的を処理する装置だ。
「震えた心で恐怖を感じ、それを認めた上で。」
「……。」
「光ある眼差しで、私を刺す。」
男は、何も答えない。
左腕を失い、死の恐怖を知り、それでも、まだ立っている。
「君を認めよう。——キムラ・ジュディ。」
ジュディの目が、少しだけ細くなった。
私は、杖を天へ向けるように構える。
改めて、彼へ向き直った。
「アーヴィン・ロックウェル。」
「あ?」
「理想は、魔法使いの都市の復興だ。」
「……急に、なんだよ。」
「魔法使いの、古い『しきたり』のようなものだよ。」
「……しきたり?」
「あぁ。」
随分、昔の話だ。
まだ魔法使いが今よりも多く、互いの理想のために刃を交えることも珍しくなかった頃。
「決闘の前に、名と理想を明かすのさ。」
「……っは。」
ジュディが、小さく笑った。
血に濡れ、左腕を失い、足を震わせたまま。
それでも、妙に楽しそうに。
「さぁ。君の名と、理想は。」
「——キムラ・ジュディだ。」
即答だった。
だが、次の言葉には少しだけ時間がかかった。
「理想は、そうだな……。」
ジュディの瞳が、真っ直ぐに私を捉えた。
大きく息を吸い、彼は叫んだ。
「俺の選んだものを——証明するためだ。」
第二百八話、お読みいただきありがとうございます!
男の名と、その理想。
今回は、アーヴィン視点のお話でした。
ジュディって、外から見ると割と怖いっすね。
内心は、結構うるさく騒いでおります。いつも通り。
次回、アーヴィン戦は決着です。
多分。
次回も20:10、更新予定です!
ブクマやコメントをいただけると、アーヴィンの空間断絶の再使用までに必要な一呼吸が、少しだけ長くなります。
よろしくお願いします!




