第二百二話「生きるのを、手伝って」
小さな寝息が、聞こえる。
俺にもたれかかるエミリを、ゆっくりと抱き起こした。
ベッドへ寝かせて、毛布を掛ける。
規則正しく、胸が上下していた。
「……。」
額にかかる、白銀の髪を指で払う。
少しだけ、その顔を見つめた。
同じ顔でも、もう間違えない。
「……行くか。」
俺は、立ち上がった。
エミリに背を向ける。
一度だけ振り返ってから、部屋を出た。
—
扉を開ける。
開けた先には、三人がいた。
ネル。カイラ。サヤ。
誰も、何も言わない。
俺の顔を見て、ただ待っていた。
「……あれ、時間。」
思い出して、端末を見る。
ネルが、首を振った。
「大丈夫。まだ、十五分だよ。」
「そっか。間に合ったんだな。」
「……間に合うかどうかは、これからのジュディ次第だけど。」
「……あぁ。」
そう、だよな。
俺には、まだやることがある。
「その前に、一つ。共有だ。」
「何?」
「エルナと、会った。」
「……。」
ネルの表情が、止まる。
カイラの瞳が大きく揺れた。
サヤも、僅かに顔を上げる。
「……そう、か。出てきたのか。」
「あぁ。今は、エミリとして眠ってる。」
「……時間は、ないね。やっぱり。」
「あぁ。」
それだけだった。
カイラも。サヤも。
何も、聞かなかった。
聞きたいことは、たくさんあるはずなのに。
それが今は、とてもありがたかった。
ネルが、俺を見る。
「じゃあ、まずは聞こうか。ジュディ。」
「……。」
「君は、どうする?」
もう、答えは決まっている。
俺は、一度だけ息を吸う。
「レガシーコードは、エミリに使う。」
言った。言えた。
俺は、言い切った。
「……は?」
ネルだけが、声を上げた。
カイラとサヤの表情は、変わらない。
ネルが、俺を見る。
一歩。また、一歩。
近づいてくる。
「ジュディ。」
「……。」
「今、何つった?」
「聞こえてなかったか?」
もう一度、同じ言葉を口にした。
「レガシーコードは、エミリに使う。」
「……っ!!!」
次の瞬間。
胸倉を、掴まれた。
「……君は、バカなのか?」
「否定は、できない。でも、その意味は分かってるつもりだよ。」
「……分かってる?」
「あぁ。分かってる。」
「今まで、私は。……みんなは、何のために行動してきたと思ってる。」
「……それも、分かってるよ。」
「分かってねぇだろ!!!」
ネルの声が、部屋に響いた。
胸倉を掴む手に、力が入る。
「君を失いたくないから!!!ここまで来たんだろ!!!」
「……あぁ。」
「それを分かってるなら!!!その選択だけは、ないだろ!!!」
「いや。ないわけじゃ、ない。エミリは、まだ間に合う。」
「そうじゃないって!!!」
ネルの顔が、歪む。
怒っている。
いや、違う。
……泣きそうだった。
「お前!!消えるんだぞ!!!」
「……違う。」
「何が違うんだ!!!言ってみろよ!!!」
「……。」
「ここで、何が違うのか!!!私たちに、言ってみろ!!!」
「違うんだよ、ネル。」
ネルの目を、見つめる。
真っ直ぐに。逸らさずに。
「俺は、俺を消さないために、選んだんだ。」
「……訳わかんねぇこと、言うなよ。」
胸倉を掴んでいた手が、離れた。
そのまま、ネルが床へ崩れ落ちる。
「……ネル?」
「なんで。」
「……。」
「なんで。なんで。なんで、なんでなんだよ……。」
膝を抱えるように、ネルが泣いた。
俺は、その前にしゃがむ。
「……ごめん。ごめんな、ネル。」
「謝るくらいなら、止めろよ。」
「止めない。」
「……。」
「ネルにも、協力してほしい。」
「……なんで。」
ネルが、顔を上げる。
涙で、ぐしゃぐしゃだった。
「エミリを犠牲にすることを選んだ時点で。それは、俺の選ぶ『キムラ・ジュディ』じゃない。」
「……意味が、分かんねぇよ。」
「俺は最後まで。俺の選んだ、キムラ・ジュディとして生きたい。」
「……生きる?」
「あぁ。俺は、俺として『これで』生き抜きたい。」
「……っ。」
死ぬためなんかじゃない。
誰かを救って、格好良く消えるためでもない。
俺は、俺でいたい。
最後まで、俺の選んだ俺で。
そうやって、生きたい。
だから——。
「それを、ネルに。みんなに、手伝ってほしい。」
「……。」
ネルへ、手を差し出す。
掴んでは、くれないかもしれない。
それでも、手を差し出した。
「俺が生きるのをさ。手伝ってほしい。」
ネルは、俺の手を見た。
何も、言わない。
ただ、しばらく俺の手を見つめていた。
「……バカすぎて。天才なのかと、思うよ。」
「……ん?」
「いや、やっぱり。バカだな。」
「……ひどくない?」
「あっは……。どっちが、なんだか。」
そう言って、俺の手を掴んだ。
ゆっくりと、立ち上がる。
ネルが、袖で乱暴に目元を拭った。
「……その目を、見るに。」
「ん?」
「諦めてないんだよね?」
「あぁ。」
少しだけ、笑う。
「全然、諦めてねーよ?」
「……。」
「言っただろ。生きるのを、手伝ってくれって。」
「……情けない、男だ。」
「だよなぁ。」
ネルが、鼻を啜る。
それから、ほんの少しだけ笑った。
「でも、いいよ。」
「……。」
「乗ってやるよ。その上で、私は。」
「……。」
「君を選ぶことを、諦めないから。」
「……頼もしい、天才だな。」
「ふふん。知ってるよ。」
ネルが、胸を張る。
目元は、真っ赤だった。
「……ネル。」
「ん?」
「エミリをさ。頼むよ。」
「……。」
ネルの表情が、少しだけ曇る。
「エミリだけじゃ、ないだろ?」
「……ん?」
「ジュディも、頼んでよ。」
「……はは。」
思わず、少しだけ笑った。
俺は、頷いて言った。
「……あぁ。頼んだ。」
「……うん。頼まれた。」
今度は、ネルも頷いた。
……笑っていた。
—
「……。」
ネルが、二人に振り返る。
俺も併せて、カイラとサヤを見た。
二人とも、ずっとそこにいた。
俺とネルのやり取りを。
何も言わずに、聞いていた。
「カイラ。サヤ。」
「……。」
「俺は、そう決めたんだけど、さ……。」
言葉が、少しだけ詰まる。
二人に、これを言うのが一番怖い。
「意地をさ、張ってもいいかな?」
「……っ。」
先に動いたのは、サヤだった。
真っすぐに、俺の目の前まで歩いてくる。
「サヤ?」
「……ん。」
そのまま、俺の胸へ額を押し付けた。
……肩が、小さく震えていた。
「……すん。」
「……ごめん。サヤ。」
「いい。……なんとなく、分かってたし。」
「……。」
「あんたなら、そうするって。知ってたし。」
「……成長してねぇよな。」
「ぐず……。」
サヤが、鼻を啜る。
「いや。ちゃんと、さ。言ってくれたし。」
「……。」
「あんたは、ちゃんと言ってくれた。」
「……。」
「かっこいいじゃんか?……ボンクラ。」
「……ありがとう。」
サヤの手が、俺の服を掴む。
「すん。」
「……。」
「あんたが、意地張るってんなら。乗ってやるよ。バカ。」
「……悪ぃ。」
「でも。……でもさ。」
少しだけ、掴む力が強くなる。
「悲しいのは、別だし。不安なのも、別だし。」
「……うん。」
「……すん。」
何も、言えなかった。
ただサヤの頭へ、そっと手を置いた。
「……ごめんな?」
「いいって。……謝んなよ、ボンクラ。」
「……へい。」
サヤは、離れなかった。
そのまま。
前からカイラが、俺の前へ歩いてきた。
「ジュディ。」
「はい。」
「サヤを、泣かせたね。」
「……はい。泣かせました。」
「悪い男だ。本当に、悪い奴。」
「す、すみません。」
「……私はね。全然納得してないよ?」
「……それは、困ったなぁ。」
カイラが、少しだけ笑う。
「あはは。ね?困ったね。」
「……どうすれば、いいと思う?」
「うん。一つだけ、教えて?」
「……なに?」
「ジュディは、どう思ってるの?」
「……えっと。どうって、言うのは……。」
「決意じゃなくてね?……感情のお話。」
「感情……。」
カイラが、俺を見る。
「ジュディは、今どんな気持ちなの?」
「……。」
「それを、私にも背負わせてよ。」
言葉が、出なかった。
……俺の、感情?
決意じゃない。俺の気持ち。
そんなの、考えるまでもなかった。
だって、さっきから俺の足は、震えていたから。
「……カイラ。」
「はい。」
「俺さ。俺。情けないんだけどさ。」
「……うん。」
「めっちゃ怖い。」
「……。」
「決めたけど。決めたんだけどさ。めっちゃ、怖いんだよ。」
カイラの表情が、少しだけ歪んだ。
「……そうだよね。」
「……。」
「そうだよ。そうじゃなきゃ、おかしいもん。」
——怖い。
消えたくない。死にたくない。
今だって、本当は。
全部投げ出して逃げたい。
「……だから、助けてほしい。」
「うん。いいよ。」
迷いなく、カイラが頷いた。
「私も、一緒に怖がりたい。」
「……。」
「ジュディが消えるのが、私は怖い。とっても、怖いよ。」
「……ごめん。」
「違うよ。謝んなくて、いいよ。」
サヤが、胸元で小さく鼻を啜る。
カイラは、俺とサヤを見て笑った。
「怖いからね。もし。ジュディが、もし消えちゃっても。」
「……。」
「私とサヤは、絶対にまたジュディに出会うから。」
「……出会う?」
「うん。どんなに時間がかかっても。ジュディを探して、絶対に見つけ出すから。」
「……そう来たか。」
「あはは!私は、諦めが悪いのです。」
「ちなみに、根拠とか……。」
「今のところ、ないね!!」
「ないんだ。」
「うん!!」
カイラが、力強く頷く。
「でも、絶対!!見つけ出す!!怖いから!!」
「……はは。」
笑ってしまった。
本当に、根拠なんて何もない。
——でも。
「心強ぇ。」
「ジュディもね。」
「……そうかな?」
「そうだよ?」
サヤが、俺の胸へ頭を押し付けたまま。
小さく、頷いた。
「……。」
ネルがいる。
サヤがいる。
カイラがいる。
俺は、一人じゃない。
それは、俺の代わりに選んでくれるという意味じゃない。
俺が選んだものを、一緒に背負ってくれる。
そういう人が、ここにいる。
なら、進める。
俺は、この俺で進んで行ける。
—
「……よし。」
端末を、取り出した。
そのまま、文字を打ち込んでいく。
「……ジュディ。何やってんのぉ?」
ネルが、すぐに画面を覗き込んできた。
「げぇ。」
「ん?」
「それを、わざわざ送るのぉ?」
「あぁ。」
「……はぁ~。」
ネルが、呆れた顔をする。
「いやいや。筋は、通さねぇとだろ?」
「……真面目だなぁ。ジュディは。」
「これでも、社会人なんでね。」
「……だとしたら、その文面は最悪だけどぉ。」
「っはは。そうかもな。」
宛先を、入力する。
一人目は、アーヴィン・ロックウェル。
二人目は、ロイド・カーター。
二人とも、俺に選択肢を差し出した。
そのどちらも、俺は選ばない。
そう、決めた。
「……。」
後は、この選択を。
——押し通す。
「……ジュディ~。」
「ん?」
「本当に、送るんだぁ?」
「あぁ。宣戦布告だよ。」
「バカっぽぉ~。」
送信ボタンを、迷わず押した。
——提案は、却下だ。
——文句があんなら、かかってこいよ。
——クソ野郎。
さぁ。
俺達の生存戦略を、始めようか。
第二百二話、お読みいただきありがとうございます!
ジュディが、一皮剥けるお話でした。
……長ぇよ。お前、本当に。
そして、最悪のメッセージを二人に送信してますね。
いよいよ。開戦です。
次回もよろしくお願いします!
ブクマやコメントをいただけると、ジュディの生存率が上がります。
多少ね。多少。




