第二百話「キムラ・ジュディ」
「……一旦、出来る限りのことはした。」
病室の扉が開き、ネルが出てきた。
俺とカイラ、サヤ。
三人とも、同時に顔を上げる。
「……今、エミリは?」
「眠ってる。どこまで効果があるかは分からないけど、青薬と鎮痛剤。あとは睡眠薬で眠らせてる。」
「……薬、入れすぎじゃねーか?」
「言ったでしょ?出来る限りのことをした。本当に、気休め程度だよ。」
ネルが、静かに首を振った。
「眠らせてはいる。でも、発作そのものを止められてるわけじゃない。人格の入れ替わりが始まれば、薬で抑えられる保証もない。」
「エミリは、どうなる?」
「……分からない。正直、もうまともに起き上がれない可能性が高いね。」
「……。」
「レガシーコードも、この状態で効くかどうか……。」
「……そんな。」
「事実だよ。」
ネルが、俺を見る。
「この期に及んで、期待を持たせることを言うのも違うでしょ。」
「……分かってるよ。」
病室の扉に、視線を移す。
その向こうに、エミリがいる。
さっきまで、俺の胸の中で泣いていた。
みんなと生きたい。
みんなで、プリンを食べたい。
そう言っていた。
あいつは、そう生きたいと言ってたんだ。
「……さて。ジュディ。」
ネルの声で、我に返る。
視線を、ネルへと戻した。
「ここまで来たら、ほぼ選択肢はないよ。」
「……ネル?」
「私は、アーヴィンの案に乗るのが確実だと思う。」
「……。」
カイラが、一瞬ネルを見る。
サヤは、何も言わなかった。
「……理由は?なんとなくってわけじゃねーよな?」
「もちろん。理由は二つ。まず、ロイドの案はバイオストーンの技術力に懸念がある。本当に完全同一化した人格を戻せるのか。私からしてみれば、かなり怪しいよ。」
「……でも、ロイドは——」
「分かってる。ロイドが嘘をついてるとは思えない。」
ネルが、そこで一度言葉を切った。
「これが、理由の二つ目。ロイド自身に決定権がない。」
「……どういう事だ?」
「研究者や上層部が、ロイドに嘘を言ってる可能性はない?」
「……んなこと言ったら、アーヴィンだって同じじゃねぇか。」
「いや、少なくともロイドよりは信用できる。アーヴィンは長だ。」
即答だった。
「しかも、レガシーコードをジュディに使えば軍を引くと言ってる。自分で決めて、自分で実行できる。少なくとも、約束を履行できる立場にはいるでしょ?」
「……。」
ネルの言うことは、正しい。
吐き気がするほど、正しかった。
でも、それに乗るとしたら。
俺は……。
「ネル。」
「……何。」
「時間を、くれないか。」
「時間はないよ。私が、あげられるものじゃない。」
「……それでも、頼む。少しだけでいいんだ。」
ネルが、黙った。
「エミリと、二人にしてくれないか?」
「……ジュディ。エミリは今——」
「分かってる。」
病室を、見る。
その先にいる、エミリを思う。
「それでも。俺の選択によっては、奪うことになる命だ。」
「……。」
「それから目を逸らさずに、決めるべきだと思う。」
長い、沈黙が落ちた。
やがて、ネルが小さく息を吐いた。
「……そう、だね。そうだよね。」
ネルが、端末を取り出す。
そのまま、端末を操作しながら言葉を紡いだ。
「アーヴィンの通告から、もう二十分以上経ってる。」
「……あぁ。」
「残りは四十分を切った。どの案を選んでも、連絡と準備に十五分は必要だ。」
「……。」
「だから——」
ネルが、端末から顔を上げた。
そのまま、真っすぐに俺を見る。
「二十分だ、ジュディ。二十分だけなら、待てる。」
「……分かった。」
ネルは、すぐに振り返った。
扉へと歩きながら、口を開いた。
「サヤ!」
「ん。」
「通信室に行って、エルドに連絡。アッシュガードの部隊の動向を調べてもらって。数と、できれば部隊編成も、出来る限り詳細に。後は、関係各所への連絡。防衛線になることも想定して数を集めておきたい。」
「……了解。」
「カイラは、私と来て。レガシーコードを速攻で起動できるように準備を進める。起動後の処置も、短縮できるか検討しよう。加えて、元々この支社にある防御システムのメンテナンスもしておく。」
「分かった。」
カイラとサヤが、一度だけ俺を見る。
何も言わなかった。
「……。」
……ありがたい。
今は何も言われない方が、ありがたかった。
ネルが、俺へと振り返る。
「ジュディ。」
「……うん。」
「二十分後。私たちは、またここに来る。」
「……。」
「その時に、ジュディの言葉を聞かせてくれ。」
「……あぁ。」
「じゃあ、また後で。」
三人が歩き出す。
「みんな!!!」
思わず、呼び止めた。
三人が、振り返る。
「ん?」
「……ありがとう。」
一瞬だけ。
ネルが、目を丸くした。
「……ばぁ~~か。早くしろよ。」
「うん。」
ネルが、笑う。
カイラとサヤも、笑っていた。
多分、無理やりの笑顔。
俺を軽くするための、そんな笑顔だった。
「また、後で。」
ネルの言葉を最後に、三人の足音が遠ざかっていった。
俺は一人、病室の扉へ手を掛けた。
—
静かな、病室だった。
機械の駆動音だけが、一定の間隔で響いている。
ベッドの上で、エミリが静かに寝息を立てていた。
椅子を引き、隣へ座る。
白銀の髪が、額にかかっている。
指で、そっと払った。
「……似てるよな。」
同じ顔なんだから、当たり前だ。
それでも、違う。
俺には、もう分かる。
それを、知ってしまってる。
「……二十分。」
短ぇな。くそ。
人の人生を決めるには。俺の人生を決めるには。
あまりにも、短い。
「……。」
目を閉じた。
真っ黒な視界が、ゆっくりと白く濁っていく。
もう、そこがどこなのか。
どこへ向かっているのか。
分かっていた。
—
「さぁ。ジュディ。自問自答のお時間だぜ?」
「……お前、いんじゃねーか。」
「何言ってんだ。俺は、お前だろ?」
「やめろ。全然笑えねーよ。」
「っは。でもこのままじゃ、マジであり得る未来だ。」
「……最悪だな。」
「あぁ、最悪だ。だからこそ、マシな最悪はどれかって話だな。」
アルトが、肩を竦める。
「さて、ジュディ。エミリには時間がねぇ。お前にも時間がねぇ。レガシーコードは一回こっきり。」
「……あぁ。」
「アーヴィンも、回答次第じゃ攻めてくる。なおさら時間がねぇな。」
「……分かってる。」
「なら、整理するぞ。」
アルトが、指を二本立てた。
「お前に残された選択肢は、二つだ。」
「……三つだろ。」
「テメェが死ぬ案は、選択肢に数えてねぇ。」
「……勝手に消すなよ。整理するつったんだから、適当にやんな。」
「っは。じゃあ、三つだ。」
アルトが、一つ目の指を立てる。
「一つ。アーヴィンの提案に乗る。俺なら、迷わずこれだな。」
「お前の意見は、聞いてねーよ。」
「テメェが生きる。エミリはエルナになる。アッシュガードも引く。そして、お前とエルナが未来を生きる。」
「……。」
胸の奥が、痛んだ。
失う痛みなのか、また会える高揚なのか。
ただ、胸が痛かった。
アルトが、二つ目の指を立てた。
「二つ。ロイドの提案に乗る。お前とエミリが生き残る。」
「……そんだけじゃねぇよ。その場合、エミリは兵器に逆戻りだ。」
「おいおいおい。生きてるだけ、マシだろうが。」
「……そう、かもな。」
「ネルはあぁ言っていたが、俺は分のいい賭けだと思うぜ?」
「……バイオストーンの上層部が、ロイドに嘘をついてる可能性か?」
「あぁ。俺は十中八九、嘘はねぇと踏んでる。」
「……根拠あんのかよ。」
「企業にも面子がある。出来もしねぇことを、交渉材料にはしねぇだろ。それより、俺の懸念は別だ。」
「別?」
「あぁ。」
アルトが、俺を見る。
「役割の中で、生かす。ロイドは、そう言ってたな。」
「……あぁ。」
「つまり、今もまだロイド自身が役割の奴隷だ。その奴隷を降りねぇ限り、エミリを守ることなんざ不可能だって話だ。」
「……その役割の中で、本人の望みを叶えるって話だろ。」
「ジュディ。それは、無理なんだよ。」
「……は?」
思わず、息が漏れた。
今の話のどこに、矛盾があったのか。
「ロイドは、役割の奴隷だ。じゃあ、その役割が『エミリを殺せ』と言ったら?」
「……あいつは。」
「あぁ。ロイドは、エミリを殺す。あいつの信念に従うならな。」
「ならよ。ロイドからまた奪い返すのはどうだ?全部終わってから。また俺が、エミリを奪えばいい。」
「……ジュディ。あんまり企業を舐めんなよ?」
「……あ?」
アルトが、呆れたように笑った。
「今回みてぇな失態を、そう何度も企業が犯すわけねぇだろ。当然、対策する。」
「あくまでも、対策だろ?突破すりゃいいだけだ。」
「そうじゃねぇよ。奪われないようにするんじゃねぇ。奪われても問題ねぇように、何かしら保険を仕込むって話だ。」
「……例えば、なんだよ?」
「そうだな。……思いつきだが。俺なら、自爆装置でも体内に仕込む。」
「最悪だぞ。お前。」
「あぁ。最悪だ。」
アルトは、笑ったまま続けた。
「でも、後から何とかしようみてぇな虫のいい考えは、捨てるこったな。」
「……。」
「んで、最後だ。」
三本目の指が立つ。
「レガシーコードをエミリに使う。お前が俺になり、エミリは生き残る。自由にもなる。」
「……。」
「結果だけ見りゃ、一番得るものが少ねぇな。」
「……止めろよ。数じゃねーだろ。」
「まぁ。テメェがそう言うんなら、そうなんだろうな。」
「……。」
アルトが、指を下ろす。
「さぁ。お前の選択は?」
「……。」
—
俺の望みは何だ。
そんなもの、決まっている。
俺が、生き残る。
エミリも、生き残る。
エルナにも、また会える。
それが一番いい、最高の形だ。
でも。そんな選択肢は、どこにもない。
なら、どうする?
こういう時は、メリットとデメリットで判断するのがセオリーだろ。
今、俺達の手元に最も多く残るものはなんだ。
現状ある選択肢の中で、最も失うものが少ないもの。
それを、選ぶべきだ。
いいぞ。落ち着いてる。
最適な案を、今なら導き出せる。
なら、最適なのは……。
——ロイドの案だ。
懸念事項もあるが、少なくともロイドは信用できる。
俺も生き残って、エミリも生き残れる。
エミリの選択は、潰れるかもしれない。
でも、生きられる。
生きられるなら、その中で希望を見つけることだって——。
「……。」
……見つけられなかったから。
あいつは、外へ出たんじゃないのか。
命がある、それだけで。
自分の求めない人生を。
人を殺し続ける人生を。
生きろと、俺が言うのか。
「……なら。」
レガシーコードを、エミリに。
「……違う。」
ダメだ。それじゃ、俺が死ぬ。
嫌だ。死にたくない。
だったら、アーヴィン……。
一旦、エミリを渡して。
俺が、生きて。
……何考えてる。
それじゃ、エミリはどうなる?
「……。」
でも、エミリを見捨てさえすれば。
俺は、エルナに会える。
……そうだよ。
元々は、バイオストーンの兵器だ。
俺と、みんなと出会ってからの時間だって、短い。
俺が、割り切ってさえしまえば。
俺が、知らなかったことにすれば——。
「違う!!!!」
自分の声が、白い空間に響いた。
思わず、俺は叫んでいた。
「そうじゃ、ねぇだろ!!!」
分かってる。
そんなこと、分かってるよ。
だから……。
だから、俺は——。
「あ。」
言葉が、止まった。
「無理だ。」
その言葉だけが、俺の中に残った。
—
アルトが、黙って俺を見ていた。
「……アルト。」
「……。」
「無理だ。これ。」
「……てめぇ。」
「選べない。」
喉が、震えた。
「俺は……。ぼ、僕は、選べない。」
口にした瞬間、何かが崩れた。
これまで、自分を無理やり立たせていたものが。
いや、そもそも自分は今まで、どうやって立っていた?
「無理だ。どれも無理だ。も、もう、これ、さ。アルト。」
「なんだよ。」
「無理じゃね?」
アルトは、答えなかった。
それでも、縋るしかない。
今目の前にいる、この男に。
「……誰か、死ぬじゃん。絶対。」
「あぁ。死ぬな。」
「僕、死にたくないんだけど。」
「なら、殺す選択肢もある。」
「……殺す?」
「……あぁ。」
「僕が?」
「あぁ。」
「なんで?」
「……。」
「なんで。僕が、殺すんだ?」
未来を、想像した。
自分が生きる。
そのために、エミリを殺す未来を。
なんだ、それ。
何なんだよ、それ。
そんな人の命を、人一人の判断でなんて……。
少なくとも、自分の元いた世界じゃ——。
「……無理じゃない?」
「ジュディ。」
「だって、無理だろ。」
もう、止まらなかった。
「僕が死ぬのも嫌だし。エミリが死ぬのも嫌だ。兵器になるのだって嫌だ。エルナにも会いたい。カイラも、サヤも、ネルも危険にしたくない。」
「……。」
「どうすりゃ、いいんだよ。」
「それを、お前が決めんだろうが。」
「……僕が?」
アルトが、俺を睨む。
鋭い眼光が、体を突き刺した。
「あ?おい。どうすんだよ?」
「……止めろ。」
「てめぇは、どうすんだって聞いてんだよ?」
「……止めてくれよ。」
「また、逃げるのかよ!!!テメェは!!!」
「……なんで。僕なんだ。」
「あ?」
喉の奥が、痛い。
心臓が、うるさい。
全てが、煩わしい。
「今まで、さ。僕は、結構頑張ってきたんだよ。……これでも。」
「あぁ。よく知ってるよ。」
即答だった。
否定では、なかった。
「僕は、さ。そもそも、僕じゃなくて。でも、みんながいて。それで俺になれて。」
「……あぁ。」
「そしたら今度は、その俺じゃなくなるかもしれなくて。それでも、生きなきゃって。助けなきゃって。」
「……。」
「本当は、怖かったんだ。強い言葉と、ただ目の前の事をこなして。なんとか食らいついて。」
「……あぁ。」
アルトは、ずっと否定しなかった。
だから、余計に止まらなかった。
「それでも、助けられなくて。失って。たくさん殺して。」
「……。」
「それでも、みんながいるから。頑張んなきゃって。」
「……。」
「あんたの言う通りだ。虚勢張って。強がって。俺を、必死で演じて。」
息が、上手く吸えない。
それでも、言葉を無理やり吐き出した。
「まだ、やれっていうのか?」
「……。」
俺は、アルトを見た。
……頼む。
頼むから、否定してくれ。
そう、願いを込めて。
「……あぁ。やれよ。」
——プツン
何かが、切れる音がした。
同時に、今まで押さえつけていたものが、溢れ出る。
「まだ!!まだまだまだまだまだ!!!!」
「……。」
「まだ!!!やれって!!!言うのかよ!!!!」
涙が、止まらなかった。
嗚咽まじりの言葉を、アルトへぶつける。
「なんで!!!!なんで僕なんだ!!!!」
「……。」
「なんで!!なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!!!!」
「……。」
「なんでぇえええええええ!!!!」
俺の声だけが、白い空間に響いた。
しばらくして。
「……気の毒だとは、思うぜ。」
アルトが、そう言った。
「……はぁ?」
「お前は、気の毒だよ。」
……なんだよ。それ。
でも、そうだよ。
そうなんだよ。
「——僕にはぁ!!!」
俺は、また言葉を吐き出した。
「妻がいたんだ!娘がいたんだ!次の検診は、一緒に行こうって!今夜は肉料理だって!!!娘の名前を考えたいって!!!」
「……。」
俺は、ただ。
そんなことを、考えていた。
それが、突然。
本当に突然に、奪われた。
そもそも、奪われてすらいない。
持ってすら、いなかった。
それでも。
「そんなこと考えながら!!ただ仕事を、頑張ってただけなんだ!!!!」
「……あぁ。知ってるよ。」
アルトが、また言った。
「ただ、それだけの!!」
「……。」
「——かけがえのない、人生だったはずだろぉ!!!!」
その悲鳴に、返事はなかった。
「はぁ。はぁ。はぁ。」
膝から力が抜ける。
そのまま、白い地面へ崩れ落ちた。
「……もう、嫌だ。」
自分の声が、知らない人みたいだった。
誰が喋っているのかも、分からない。
「限界だ。……限界です。」
……疲れた。
本当に、疲れた。
「……帰して、ください。」
誰に言ったのかは、分からない。
アルトか。神様か。エルナか。
誰でもよかった。
「誰か……家に、帰してください。」
静かだった。
何も、返ってこなかった。
「お願いします。お、お願いします。お願いします。」
それでも、俺は懇願することを止められなかった。
何度言っても。
誰も、帰してくれない。
答えは、くれなかった。
「……。」
やがて、足音が聞こえた。
「……いい面だな。ジュディ。」
「……は?」
顔を上げた。
アルトが、俺を見下ろしている。
「情けなくて。限界で。もう嫌だって、顔に書いてあるぜ?」
「……そう、言ってるだろ。」
「あぁ。でもテメェは、この状況でも生きることを諦めてねぇ。」
「……。」
「死にたくねぇ。帰りてぇ。それでいいんじゃねぇか?」
アルトが、笑った。
「……お前の記憶を見る前なら、その顔面を蹴飛ばしてたがな。」
「……。」
「それでも。諦めの悪さだけは、最初から認めてた。」
「……アルト。」
「この異世界召喚。お前にとっちゃ完全に災害だ。」
「……。」
「大切なものと引き剥がされて。人の都合を押し付けられて。最後には死ぬかもしれねぇときてる。」
アルトが、俺へ手を差し出した。
「確かに、ここいらで一度。お前は、救われてもいいのかもな。」
「……。」
「よくやってる方だよ。お前は。」
目の前に、手がある。
「俺が、選んでやろうか?」
「え?」
「俺が、選んでやる。そこから出る犠牲は、俺のせいにすりゃぁいい。」
「……。」
「お前は、生きていい。そう、思うぜ?」
——あぁ。
なんて。なんて魅力的な、救いなんだ。
楽で。甘美で。心地良い。
その手を、取れば。
その手を——俺は。
『——生きて。』
「……っ。」
『生きて。あなたのままで。』
もういいって。分かった。
分かったから、少し黙っててくれ。
『ジュディは、どうしたいんだ!!!!』
『ジュディとね。こうやって、生きたいな。』
「……。」
……あぁ。くそ。
呪いが、増えた。
俺は、その手を。
——弾いた。
「……え?」
俺自身が、一番驚いた。
俺は、なんで。
「ってぇな!おい!!」
「……。」
「おい?ジュディ?」
……なんで。
俺は、今。
「……。」
自分の、手のひらを見つめる。
……違う。
弾いた時点で、答えは出てる。
涙を、腕で拭った。
「……アルト。」
「あんだよ。」
「悪い。情けないところ、見せた。」
「っは。今更——」
「……違う。そこじゃねぇ。」
「あ?」
「泣いたことじゃない。死にたくないって言ったことでも、帰りたいって言ったことでもない。」
「……じゃあ、何だよ。」
ゆっくり、立ち上がる。
「選ぶことを、人に投げようとした。」
「……。」
アルトが、黙った。
「嫌だよ。死ぬのも。殺すのも。選ぶのも。全部、嫌だ。」
——それでも。
俺は。キムラ・ジュディは、自分の足で立つべきなんだ。
「でも、この苦しみは、俺が選ぶべきだ。」
「……。」
「キムラ・ジュディは、選ぶことを望まれてるんだから。」
アルトの表情が、固まった。
そのまま、険しい表情に変わっていく。
「……テメェ。また、他人の言葉に縋ったな?」
「……。」
「俺は、言ったよな?」
声が、低い。
「言葉に縋って、キムラ・ジュディを演じる。そこに、テメェはいねぇってよ。」
「……。」
「そんな空っぽのお前が。ハリボテのキムラ・ジュディが選ぶのだけは認めねぇ。」
アルトが、真正面から俺を見る。
「そんなテメェが選んだって、俺に選ばせるのと何も変わらねぇぞ。」
「……なんだよ。」
「もう一度、言うぜ。レガシーコードを、テメェに使え。」
息が、止まる。
「エミリは、アーヴィンに渡す。エルナが戻る。テメェも生きる。」
「……るせぇ。」
「全員じゃねぇ。だが、テメェが欲しかった二人は残る。」
「……うるせぇよ。」
「俺は、それを選ぶ。」
アルトが、俺の胸ぐらを掴み叫んだ。
「エミリを犠牲にして!!!テメェとエルナが、生きるんだよ!!」
「それでも、俺が!!!選ぶんだよ!!!!!!」
やり返すように、アルトに叫んだ。
白い空間が、揺れた。
「ジュ——」
アルトの声が、途中で途切れる。
消えたんじゃない。
俺が、閉め出した。
白い景色が、ゆっくりと黒へ落ちていった。
—
何も、なかった。
声も。姿も。光も。
この暗闇の中に、俺だけがいる。
……ちょうどいい。
さて、キムラ・ジュディ。
本当の、自問自答を始めよう。
——俺は、どうする?
キムラ・ジュディなら、何を選ぶべきだ?
『生きて。あなたのままで。』
「……。」
また、言葉が落ちてきた。
かつて俺は、この言葉に救われた。
『ジュディが、大好きだ。』
『私は、ジュディが、大事だよ。』
『帰ってきてよ。ボンクラ。』
俺を、俺でいさせてくれた言葉たち。
『出会ってくれて、ありがとう。』
あの日から、何度も俺を支えてきた。
「……。」
アルトは、これを呪いだと言った。
子供のように、求められたキムラ・ジュディに縋っているだけだと。
必死に、演じているだけだと。
……そうなのかもしれない。
エルナが、カイラが、サヤが。
みんなが望んだキムラ・ジュディでいようと。
俺は、ずっと必死だった。
——なら。
キムラ・ジュディなら。
何を、選ぶ。
「……違う。」
また、誰かに答えを求めてる。
誰かの言葉に。
キムラ・ジュディという名前に。
だったら。
キムラ・ジュディって、なんなんだ?
——俺は、木村樹莉ではない。
昔、俺は一度同じことを考えた。
俺は誰だ。俺の名前は、なんだ。
あの時も、今みたいに言葉が、落ちてきた。
俺が誰かに言われた言葉。
俺を、ジュディとして見てくれた人たちの言葉。
それで、俺は立った。
キムラ・ジュディとして。
立つことが、出来た。
「……。」
——分かんねぇよ。
俺が、何を選ぶべきなのか。
何を選ぶことを、俺は望んでいるのか。
そもそも、この落ちてきた言葉だって。
なんで、俺なんかに言ってくれたのかさえ、分からないんだ。
「……。」
——本当に?
キムラ・ジュディ。
お前は、なんでこの言葉を受け取ったのか。
なんでこの言葉を貰えたのか。
——お前は、本当に分からないのか?
『ジュディでいいです。よろしくお願いします。えっと、クロイツさん?』
言葉が、足元から浮かんだ。
俺が、誰かに言われた言葉じゃない。
落ちてくる、言葉じゃない。
俺が、誰かに渡した言葉だった。
『僕が僕でいるために、必要なことなんです。』
あの頃の俺は、弱くて、無知だった。
この世界の常識なんて何も知らなくて。
戦う力だって、ろくになくて。
それでも、目の前の命を見過ごしたら、自分じゃなくなると思った。
だから必死に、頭を下げた。
『許さなくていい。そのままで、なぜ生きる選択をしない?』
ライアスに、言った。
正しい答えなんて、持ってなかった。
死ぬなと。生きろと、言った。
『苦しむんだよ、セラム。俺たちは、『今』を生きてるんだ。』
……笑わすなよ。
誰が、どの口で言ってんだか。
苦しくない答えを、ずっと探してた。
誰も死なない。誰も泣かない。
俺も。エミリも。エルナも。
全部が残る結末なんて。
そんなもの、どこにもないのに。
『でも、今、信じると決めた。』
エルナに、言った。
何が本当かなんて。何が正しいかなんて。
分からなかった。
それでも、俺は。
今、信じると。
そう、決めたんだ。
『でもよ、例え奪われた者でも、奪う権利なんてねぇよ。』
ザインへの、言葉。
奪われたからって。
誰かから、奪っていいわけじゃない。
家族との時間を奪われた。
帰る場所を奪われた。
木村樹莉、本人ですらなかった。
やっと手にしたキムラ・ジュディすら、今は奪われようとしている。
——だから?
だから。
俺には、エミリから奪う権利があるのか。
「……っは。」
そんなもの、ない。
あるわけ、ねぇだろ。
正しい答えなのかなんて、今だって分からない。
『人はさ。選び直せるんだ。生きてる限り、何度だって、選び直せる。』
『二人を、想っても、いいのかな。』
『俺は、カイラと一緒に苦しむ。』
サヤに、カイラに。
みんなに渡した言葉が、浮かんでくる。
「……そうだよ、な。」
なぜ、言葉を貰えたのか。
そんなもの、単純だった。
——俺が、言葉を渡したからに他ならない。
過去の、俺が。
誰かに渡した言葉が、全部正しかったなんて思わない。
間違えた。人を傷つけた。人を殺した。
取り返せないものだって、ある。
——でも、あの時。
俺は、見た。
誰かを、見て、交わって。
考えて。悩んで。怖がった。
その時の俺が、持っていた全部で。
言葉を、渡した。
その言葉は、嘘じゃない。
「……いや。」
違う。
俺は、嘘にしたくない。
それを、嘘にするのか。
俺の選んだ現実として背負うのか。
それは、今の俺にしか選べない。
「……。」
キムラ・ジュディなら、何を選ぶべき?
……そうじゃないだろ。
キムラ・ジュディが、俺に答えを教えてくれるんじゃない。
誰かに求められたから。
そう演じたから。
そう生きてほしいと言われたから。
たしかに。
俺は、それでキムラ・ジュディになったのかもしれない。
でも。
俺が。その時。その瞬間に。
誰かを、見て。交わって。考えて。選んだ。
その積み重ねも、確かにキムラ・ジュディを作っていたはずだ。
「……。」
どんなキムラ・ジュディで、いたいのか。
それを、俺が選ぶ。
間違えるかもしれない。
後悔するかもしれない。
——それでも、俺は。
「……決めた。」
声が、黒い空間へ落ちた。
俺が、生きたい。
エミリにも、生きてほしい。
エルナに、会いたい。
カイラにも。サヤにも。ネルにも。
誰にも、傷ついてほしくない。
家にだって、帰りたい。
——全部、欲しい。
全部、俺の本当だ。
でも、たった一つ。
——一つだけ、俺が選ぶなら。
「俺は、この『キムラ・ジュディ』を選ぶ。」
何も、返ってはこない。
この世界に、俺は今一人だった。
……それでいい。
俺が、俺へ言う。
「最後まで、消えない。」
怖い。死にたくない。嫌だ。
——それでも。
「『キムラ・ジュディ』を、選ぶぞ。」
それが、今の俺だ。
キムラ・ジュディだ。
—
静かに、目を開けた。
病室。機械の音。椅子。
そして、目の前のベッド。
白い空間に行く前の場所に、戻っていた。
何も、変わらない。
そのはずだった。
「……。」
エミリが、目を開けていた。
上体を起こし、俺を見ている。
「……は?」
——違う。
一瞬で、分かった。
見間違えるはずがない。
俺が、何度も会いたいと願った。
三年前に、失って。
その想いを、最近になって、ようやく認めた。
——エルナ・クロイツ。
その人が、目の前にいた。
「……ひ、久しぶり。」
第二百話、お読みいただきありがとうございます!
二百話。二百話ですって。
すごいところまで来ましたね。
ここまで読んでくれる皆様には頭があがりません。
本当にありがとうございます!
そして、過去最長の文字数になりました。
削れませんでした。すみませんでした。
この節目の話数のタイトルは、キムラ・ジュディ。
運命を感じずにはいられません。
次回もよろしくお願いします!
ブクマやコメントをいただけると、ジュディの二十分がちょっと伸びます。
あ、嘘です。伸びません。




