第百九十九話「広がり、広がり、苦しむ」
——アーヴィン・ロックウェル。
画面に表示された名前を、しばらく見つめる。
このタイミングでの通話。
……多分、色々とバレてるだろうな。
「……ジュディ?」
カイラの声がした。
「アーヴィンからだ。」
それだけ言って、息を吐く。
そのまま、通話へ指を滑らせた。
「……よぉ。」
『やぁ。ジュディ。息災かい?』
やけに、落ち着いた声だった。
「……アーヴィン。何の用だよ?」
『ははは。まぁ、そう慌てないでくれ。』
軽い笑い声が、端末から響く。
『まぁ、状況を察するに。無理もないか。』
「……。」
『その場所には、全員いるのかい?』
視線だけを、周囲へ動かす。
カイラ。サヤ。ネル。
そして、椅子へ座ったエミリ。
「……あぁ。少なくとも、俺とエミリはいるよ。」
『正直だね。』
「あぁ。無駄に誤魔化すのも、時間が勿体ねぇしな。」
『……正直、この事態は想定外だった。君たちには、驚かされてばかりだよ。』
「……。」
アーヴィンの声は、妙に楽しそうだった。
『紛い物の建造に。同一化の一時的な抑制とはね……。』
「……んだよ。感想言いに、わざわざ端末へ繋いできたのか?」
『ははは。いやいや、すまない。』
笑い声が、止まった。
空気が凍るのが、通話越しでも伝わる。
『では、単刀直入に言おう。』
「……。」
一拍、間があった。
『エミリを、返してほしい。』
「無理だな。」
『……即答だね。』
……当たり前だろうが。
俺は、思わず顔をしかめた。
『売り言葉に買い言葉では、お互い損をするだけだよ?』
「損も何もねぇよ。こっちは、条件が揃ってる。あんたに渡すメリットがない。」
『……ふむ。確かに、このままではメリットがないか。』
アーヴィンが、鼻を鳴らした。
『では、渡さないことのデメリットを伝えようか。』
「……あ?」
嫌な、予感がした。
この時点で、もうアーヴィンが何をするのか予想がついた。
『君たちが、アルカナの第七支社にいることは分かっている。そこで岐路に立っていることもね。』
「……。」
『アッシュガードは、すでにアルカナとの境界に軍を敷いている。』
「おいおいおい。マジでやる気かよ?」
『あぁ。』
アーヴィンの声は、変わらない。
『返してくれないのならば仕方がない。力ずくで行かせてもらう。』
「……シンプルに脅迫じゃねぇか。」
『盗人に、作法は無用だろう?』
「軽率だろ。アルカナとの面子はどうすんだよ?」
『それこそ、君の気にすることではないよ。』
一度、間が空いた。
『それにね。』
「……。」
『このままでは、私の腹の虫も収まらない。私が友人を殺すことになったのは、君が原因でもあるからね。』
「……友人?」
『あぁ。ライアスは、私の友人だった。』
「……。」
——ライアス。
頭に、親を張った男の背中が思い浮かぶ。
一瞬だけ、思わず視線をカイラに向けてしまった。
『……とはいえ。私としても、無用な犠牲は抑えたい。』
「なら。軍を敷くなんて行動は、矛盾してねーか?」
『いや?シンプルな話だ。しかも、君にとっても悪い話じゃない。』
アーヴィンが、笑った。
『エミリを渡す。それだけで、君たちの安全は保証される。』
「それだけじゃ、俺にメリットなんかねぇよ。」
『分かっているさ。』
嫌な即答だった。
何を、企んでる?
『君は、そちらにあるレガシーコードを、自分自身へ使えばいい。』
「……。」
『エミリを返すのであれば、私が直接、君に処置を施してもいい。』
ネルを見る。
ネルは何も言わず、ただ端末を睨んでいた。
『どちらを選んでも構わない。君を生かす方法はある。』
「……。」
俺が、生きられる。
その言葉だけで、胸の奥が勝手に反応した。
『それに加えて。』
「……加えて。なんだよ。」
『エミリが、エルナ・クロイツに上書きされた後は、本人の意思を尊重しよう。』
「……っ。」
呼吸が、思わず止まった。
『エルナ・クロイツが、「君と生きたい」と言えば解放する。』
「……。」
『私の目的は、上書きの過程の観測と記録だけだからね。』
「……てめぇ。」
声が、勝手に低くなる。
『その怒りは筋違いだよ。小僧。』
「……くっそたれ。」
エルナ。
あいつが、戻る。
俺も、生きる。
その後、エルナが俺と生きたいと言えば……。
そうすれば……。
「……。」
言葉が、出なかった。
『……一時間だけ、時間を与えよう。』
「……一時間?」
『あぁ。それまでに回答が来なければ、アッシュガードは境界を越えて進軍を開始する。』
「……。」
『では、伝えるべきことは伝えた。』
アーヴィンが、そこで一度言葉を止めた。
『あぁ。それとね。』
「まだ、何かあんのかよ?」
『ロイド・カーターとは、話をしたかい?』
「……なんで、ここでロイドが出てくんだ。」
『私に、直接交渉してきたんだよ。』
「……。」
『交渉は却下したがね。近いうちに、連絡がくるだろう。』
「……ロイドは、何て?」
『それは、本人へ聞くといい。』
最後まで、声には余裕があった。
『では。良い回答を期待する。』
——プツ。
通話が、切れた。
「……。」
端末を持ったまま、動けない。
俺が生きる。エルナが戻る。
——俺と、エルナが。
「魅力的な、提案だね。」
後ろから、ネルの声がした。
「……何が。」
「ジュディ。レガシーコードも完璧じゃない。正直、成功率は未知数だ。」
「……。」
「アーヴィンなら、別の——」
「やめろ!!!!」
自分でも驚くほど、大きな声が出た。
部屋が、静かになる。
「……ジュディ。」
「エミリがいる前だぞ。そんな話、止めてくれ。」
「……。」
ネルが、口を閉じた。
俺は、エミリを見れなかった。
エミリの方を、どうしても向けなかった。
「……くそ。」
だって、俺は。
……欲しい。
ほんの一瞬、そう思った。
俺も、生きたい。
エルナにも、会いたい。
それを叶える方法が、目の前に突然置かれた。
「……くそったれ。」
—
端末での通信が、切れた直後。
頭の奥で、通知音が鳴った。
——脳内通信。
「……。」
発信者を、確認するまでもない。
タイミングがピッタリすぎて、笑えてくる。
「……ロイドからだ。脳内通信だから、内容は後で伝えるよ。」
全員へ、そう告げる。
一度だけ呼吸を整えて、通信を繋いだ。
『……ジュディ。』
(よぉ。ロイド。)
『なんだ。思ったよりも元気そうだな。』
(空元気だよ。時間もねぇから、要件を言ってくれ。)
『……なるほど。状況は深刻らしい。』
(あぁ。深刻だ。あんたに構ってる暇もねぇ。)
『まずは、落ち着け。私は、お前の敵というわけじゃない。』
(……どの口で、言ってんだよ。)
思わず、眉を寄せる。
こいつの狙いは、エミリだ。
信用できるわけがない。
『策がある。バイオストーンの上層部にも話はつけてある。お前にとっても、悪くない案のはずだ。』
(……言ってみろよ。)
『まずは、A-3Rの同一化を止める。それは絶対条件だ。』
(……あぁ。そこには、俺も同意だね。)
『バイオストーンが、レガシーコードを大量に所持しているのは知っているか?』
(……あぁ。知ったのは最近だけどな。)
『流石の情報網だ。では、私の提案は分かるな?』
(……俺とエミリの、上書きを止めるって?)
『あぁ。その通りだ。』
(正直、バイオストーンまで行けるほど時間がねぇ。それでも間に合うって、保証できんのか?)
『……バイオストーンを、舐めるな。』
声が、少しだけ強くなった。
『そもそもレガシーコードを大量に買い占めていたのは、この時のためだ。』
(……意味が、分からねぇな。)
『コピー召喚。それは、元人格との同一化がリスクとして伴う。』
背筋が、少し冷える。
『お前とA-3Rは、元人格とのバランスが運良く均衡しているが、他はそうではない。』
(……他だって?)
『あぁ。A-3Rは、数少ない成功例だ。コピー召喚に成功したとしても、元人格との衝突で自我が崩壊することがほとんどだ。』
(……わざわざ、胸糞悪い話をしに連絡したわけじゃねーよな?)
『それだけ、バイオストーンにとっても手放したくない兵器なのだ。』
淡々と。
本当に、淡々と。
ロイドは、事実だけを告げる。
『そのために、何としても『エルナ・クロイツ』になることは防がなければならん。』
(……つまり。上書きを止めるための手立ては完成しているって?)
『それだけではない。』
(……。)
『バイオストーンの研究部隊によれば、完全同一化から一日程度以内であれば、元に戻せる。』
(……は?)
『レガシーコードを三つ使えばな。』
頭の中で、言葉が追いつかない。
(……それが、保証?)
『あぁ。』
ロイドは、迷わなかった。
『確実に、お前とA-3Rを生かす。これ以上ないメリットだろう?』
(……。)
俺と、エミリが。
二人とも、生きられる。
でも——
(……エミリは。)
『……。』
(その場合。エミリは、どうなる?)
『当然、本来の役割に戻す。バイオストーンの所属となる。』
(なら——)
『落ち着け、ジュディ。私も考えている。』
(……あんだよ?)
『私が、ただの人殺しにはさせない。』
言葉が、止まった。
(……兵器じゃ、なくなるってことか?)
『それは、できない。A-3Rの役割は、そもそも兵器なのだから。』
(……なら、意味ねぇだろ。)
『殺さずの兵器もあるはずだ。そうなるように、最大限の努力をしよう。』
(……っは。安いな。言葉が。)
『私の監視下に置けるよう、上にも掛け合う。』
ロイドの声が、少しだけ低くなる。
『私が、守る。』
(……。)
『役割の中で、守ることを約束する。』
(エミリは、自由に。自分の生きたいように、生きれんのか?)
『……ジュディ。人は生きる以上、完全な自由などは保証できない。分かっているだろう?』
(んな。一般論の話をしてんじゃねーよ。)
『分かっている。しかし、現状で行える最善の案のはずだ。』
(……最善。最善ね。)
『頼むジュディ。信頼してくれ。』
腹の奥が、ざらつく。
『お前は、この信頼を利用できると。以前は、そう考えたはずだ。』
(……。)
『今回も、利用しろ。ジュディ。』
言葉が、出なかった。
ロイドは、ロイドなりに。
本気で、エミリを生かそうとしている。
(……時間を、くれ。)
『……。』
(エミリの意志を聞く必要もある。アーヴィンの問題もな。)
『あぁ。』
(また、連絡するよ。クソ野郎。)
『……っふ。口の減らんガキだ。』
通信が、切れた。
「……。」
頭が、痛てぇ。
さっきまで、道は一つしかなかった。
今は、ありすぎる。
「……ボンクラ。」
サヤの声がした。
俺は、顔を上げる。
「……とりあえず、さ。説明して。」
「……あぁ。通信の内容は——」
—
ロイドの提案を、一つずつ話した。
バイオストーンがレガシーコードを持っていること。
俺とエミリ、二人とも助けられる可能性があること。
その代わりエミリは、また兵器になること。
話し終える頃には。
誰も、何も言わなくなっていた。
「……。」
エミリは、俯いたまま動かない。
……悪いな。こんな話しか、できなくて。
「……みんな。」
俺は、口を開く。
「一旦さ。エミリと二人に、してくれないか?」
「それは、ダメだ。」
即座に返したのは、ネルだった。
「頼む。何かあれば、すぐに呼ぶから。」
「……理由は?」
「フェアじゃない。」
「……フェアだって?」
ネルが、眉を寄せる。
「あぁ。ネルは、少なくとも俺を生かそうとしてるだろ?」
「……否定は、しない。」
「カイラとサヤもだ。二人がいたら、エミリがちゃんと選べないかもしれないだろ?」
「……ジュディ。」
カイラとサヤを、見る。
「二人をさ。信用してないとかじゃねぇよ?」
「うん。」
「だからこそ、さ。」
「……。」
「俺とエミリのことだ。二人で決めてから、みんなに相談させてくれないか?」
「……。」
誰も、答えない。
俺は、そのまま頭を下げた。
「……頼む。」
長い沈黙のあと。
ネルが、小さく息を吐いた。
「わか……った。」
「ありがとう。」
そのまま、カイラも、サヤも。
何も言わず、部屋を出ていく。
最後にネルが、一度だけ俺を見る。
それから、静かに扉が閉まった。
部屋に残ったのは、俺とエミリだけ。
「「……。」」
少しだけ、沈黙が落ちた後。
静かに、エミリが口を開いた。
「……ジュディ。」
「ん?」
「ごめんなさ——」
「いいって、そんなのは。」
言い終わる前に、遮った。
エミリが謝る必要なんて、どこにもない。
「とりあえず、さ。」
「……。」
「話をしようぜ?」
無理やり、エミリに笑いかけた。
少しでも、こいつが喋りやすくなればいい。
そう思って。
「……優しすぎますね。ジュディは。」
「はは。違ぇよ。」
椅子へ近づき、エミリの前へ座った。
「俺は、決めることに臆病だから。エミリに頼ってるだけだ。」
「……なら。カイラや、サヤに聞けば良かったのでは?」
「俺は、エミリがどうしたいのか聞きたいんだよ。」
「……。」
エミリが、少しだけ笑う。
「えへへ。やっぱり、優しすぎますね。」
「……そうかぁ?」
「……そうですよ。」
次の瞬間。
エミリが、俺の胸へ頭を押し付けた。
「……エミリ?」
小さな手が、俺の服を、ぎゅっと掴む。
……震えていた。
「わがままを、言います。」
「うん。」
少しだけ、間が空いた。
「私は、みんなと生きたいです。」
「……。」
胸が、詰まった。
「ジュディと。カイラと。サヤと。」
「……。」
「……ロイドと。ついでに、ネルも。」
「なんで、ネルだけついで?」
「……なんとなくです。」
「なんとなくで、ついでにすんなよ。結構助けてもらったろ?」
「えへ。」
……少しだけ。
本当に少しだけ。
エミリが、今日初めて笑った。
「……みんなでプリンを、食べたいんです。」
「エミリ、それは——」
「分かってます。」
胸元から、小さな声が聞こえる。
「無理なんですよね。分かってます。」
「……。」
「でも、言いたかったんです。」
「……。」
「わ、私の夢を。言いたかった……。」
エミリの声が、震える。
絞りだすような声が、俺の胸に響いた。
「……なん、で。」
「……エミリ。」
「なんで私は、兵器なんだろう。」
「……違う。エミリは——」
「なんで私は、人を殺さなきゃいけないんだろう。」
「殺さなくて、いいんだよ。」
「なんで。」
服を掴む手が、強くなる。
震えは、肩まで広がっていた。
「わ、私は……。」
息を吸う音。
「わ、私……は、あ、あうぅぅ……。」
「エミリは、好きに生きていいんだって。」
「うわぁぁぁぁ。あぁぁぁぁぁ。」
泣き声が、部屋に響いた。
「あぁああああぁぁぁぁぁぁ。」
俺には、何も言えなかった。
大丈夫とも。俺が何とかするとも。
……言えなかった。
ただ、エミリの震える肩を抱きしめる。
それしか、できなかった。
—
どれだけ、時間がたったのか。
泣き声は、いつの間にか止んでいた。
「……。」
まだ、小さな体が。
胸の中で、震えている。
……なんだ?
何か、違和感が。
「……エミリ?」
「……っ。」
肩が、震えている。
先ほどよりも、細かく。何度も。
「……。」
……違う。泣いているんじゃない。
これは——。
「エミリ!!!!」
体を離し、肩を支える。
「……っ、ぁ……。」
焦点が、合っていない。
小さな体が、細かく痙攣している。
「エミリ!!エミリ!!!」
「……。」
返事は、ない。
——始まった。
エミリの発作が、始まってしまった。
第百九十九話、お読みいただきありがとうございます!
選択肢が狭まった前回と打って変わって。
今回は、めちゃめちゃ選択肢が増えましたね。
……いや。増えすぎ……。
しかも、どの選択肢も。
みんなでプリンは食べられません。
次回もよろしくお願いします!
ブクマやコメントをいただけると、エミリの発作が少しだけ楽になります。




