第百九十八話「狭まり、狭まり、苦しむ」
「……っ。」
目を開けた。
白い天井が、視界に入る。
……白い。
一瞬まだ、あの空間にいるのかと思った。
「……ジュディ!!」
声と同時に、視界へカイラの顔が飛び込んできた。
「……カイラ?」
「ジュディ!ジュディ!!分かる!?私、分かる!?」
「わ、分かる。分かるから……近い。近い。」
頬を両手で、挟まれていた。
目の前で、カイラが今にも泣きそうな顔をしている。
「おはよ。ボンクラ。」
「……サヤ。」
「はぁ〜〜。寝過ぎだって。」
「……悪ぃ。」
「あんま、さ。心配させんなよ。」
「……うん。」
少し離れたところで、サヤが壁に背を預けている。
その顔には、いつもの余裕がなかった。
「……はぁ〜。とりあえず、よかった……んですよね?」
エミリもいた。
椅子へ座ったまま、俺をじっと見ている。
そして。
「……ジュディ。」
ベッドの横に、ネルが立っていた。
目の下には、薄く隈が浮かんでいる。
髪も、いつもより少し乱れていた。
「ネル。」
「……うん。私だ。まだ、認識できるみたいだね。」
「?」
体を、起こそうとする。
カイラが背中へ手を添えてくれた。
頭は、妙に冴えていた。
体も、今すぐどうにかなりそうな感覚はない。
だからこそ。
さっきまでいた白い空間と。
そこで交わした言葉だけが、やけに鮮明に残っていた。
——今のお前は、何を選ぶ?
……わかってる。わかってるさ。
ネルが、椅子へと座った。
そのまま、俺と目線を合わせる。
「ジュディ。早速だけど、落ち着いて聞いてほしい。」
「何日だ?」
「え?」
ネルが、目を見開いた。
「ネル。俺は、あと何日生きられる?」
部屋が、静かになった。
カイラの手が、背中に触れたまま止まっている。
サヤも、壁から体を起こした。
ネルは、しばらく俺を見ていた。
「……なるほど。アルトと、話したんだね?」
「あぁ。多分、時間がないことも分かってる。」
ネルが、目を伏せる。
それから一度、大きく息を吐いた。
「ジュディ。君は、丸一日眠っていた。」
「あぁ。」
「……簡易的な観測では、君とエミリの残り時間は、おそらく僅差だ。」
「……僅差。ってことは、つまり。」
ネルの口が、止まる。
ほんの数秒、それだけの時間が異様に長く感じた。
「……一日だ。」
カイラとサヤが、小さく息を呑む音がした。
「一日……。」
俺は、思わずエミリを見る。
「……っ。」
エミリは、何も言わなかった。
ただ、膝の上に置いていた手を、少しだけ握った。
「これは、仮説だが。今日どこかのタイミングで最後の発作が来る。」
「……最後の発作?」
「あぁ。発作が始まると、人格の入れ替わりが不定期に、短時間で、何度も行われる。」
「……。」
「……数回、それを繰り返した後。」
ネルが、言葉を切った。
「同一化。もとい、上書きは完全に完了する。」
……今日、一日。
この二十四時間の間に。
俺は、アルトになる……らしい。
昨日まで、十二日あった。
あったはずだ。
上手く行かなかった時のために。
俺なりに次のアクションも考えていた。
……結局は、時間がない。
時間があると、勝手にそう思っていただけだ。
実際は、アルトが自分を削って。
勝手に、せき止めていただけ。
「……クソ野郎め。」
思わず、声が漏れた。
「ジュディ?」
「いや。なんでもねぇ。」
アルトの野郎。
マジで、最後まで余計なことしかしねぇじゃねーか。
……いや、違う。
今は、そんな事を考えてる場合じゃない。
「……ネル。」
「なに?」
「……俺は、エミリと僅差だって言ったよな?なら、エミリも発作とか来たのか?」
「いや、来ていない。でも、君と状況は変わらないよ。」
「……それ、何か変じゃねーか?」
混乱する俺をよそに、ネルは続けた。
「さぁね。詳細な誤差までは測れないし、分からない。ただ少なくとも、今日中に何らかの処置を行わなければならない。それは、二人とも同じだよ。」
……二人とも。
その言葉が、妙に耳に残った。
俺と、エミリ。
二人で、生き残る。
二人で、カルディアで。
そう誓った。
「……分かった。とにかく、進もう。」
布団を捲り、床へ足を下ろした。
「ジュディ!?まだ寝てた方が——」
「そうしてぇけど。寝てる時間、あんまなさそうだ。」
カイラに、無理やり笑いかけた。
ちょっとでも、不安そうな顔が消えればいい。
「帰ったら、もう爆睡だろうなぁ。これ。」
「……バカ。バカジュディ。」
カイラが、唇を噛んだ。
……失敗だな。
俺は、立ち上がる。
少しだけ、足元がふらついた。
「……。」
ネルの顔が、歪んだ。
……まずい。変な心配させたか?
「ネル。そんな顔すんなって。ふらついただけだよ。」
「……。」
「……ネル?」
「……もう、限界だ。」
「ん?」
ネルが、俺の腕を掴んだ。
「カイラ。早急に、装置の準備を。」
「え?」
「最終確認。魔力供給経路と、地脈への接続。全部もう一度見て。」
「……分かった。」
「サヤ。周辺の偵察を頼む。外部から何か近づいていないか確認して。」
「ん。了解。」
「エミリは、そのまま安静にしていてくれ。今は少しでも発作を誘発したくない。」
ネルの声に、迷いがない。
いつもの、間延びした話し方でもない。
ふざけた声でもない。
短く必要なことだけを、次々に指示していく。
「ジュディは、私と来て。」
「ネ、ネル?」
「いいから。来て。お願い。」
「ちょ、ちょっと待てって。」
「……。」
腕を掴まれたまま、引かれる。
俺は、その場から一歩踏み出した。
「さっきの発作は、運が良かっただけだ。」
「わかったから、離してくんないか?」
「嫌だ。離さない。今の優先度は、どう考えてもジュディだ。」
「ネル。」
「……。」
「ネル!!」
足を、無理やり止めた。
掴まれていた手を、ゆっくりと外す。
「……何。」
ネルが、こちらを見た。
その顔を見て、やっぱり思う。
「……。」
——おかしい。
ネルが、焦っている。
それは、分かる。
俺もエミリも、残り一日。
焦らない方がおかしい。
でも、それだけじゃない。
何かを決めている顔だった。
「なぁ。ネル。」
「……だから、何。」
「俺に、隠してることないか?」
「……っ。」
ネルの肩が、僅かに動いた。
「なんで。ジュディにそんなこと分かるの?」
「分かるよ。ずっとさ。一緒にいたろ?」
ネルが、目を逸らす。
「俺さ。お前のこと、結構もう知ってるぜ?」
「……。」
「多分さ。俺のためだよな?」
「……。」
返事は、ない。
でも、それで十分だった。
「ネル。」
肩に、手を置く。
そのまま少し腰を落として、目線を合わせる。
ネルは、それでも俺を見ようとしなかった。
「ネルが、何を隠してんのかは分からない。でもさ……。」
「……。」
「俺は、全部知った上で決めたい。」
ネルが、唇を結ぶ。
俺は、選ばなきゃいけない。
自分で、納得できる間違いを。
だったら。
知らないまま、選択するわけにはいかない。
「ネル。頼むよ。」
ネルが、俺を見る。
「私は、君が生きられるなら、君に嫌われてもいい。今なら、そう思える。」
「……もう、嫌いになれるほど他人じゃねぇだろ。」
「……っ。」
ネルの目が、揺れた。
「……そうなの?」
「そうだろ?普通に。」
「……普通に。」
「……あぁ。だからさ。言ってくれよ。」
「……。」
「ネル。俺は、選びたい。」
長い息を、ネルが吐いた。
それから俺の手を、自分の肩からそっと外す。
「……レガシーコードは、世界のルールへ接続した瞬間から崩壊が始まる。」
「崩壊?」
「術式そのものの情報が、世界から切り取られていく。二度目を起動できるほど長くは残らない。」
頭の中で、言葉を整理する。
一度、世界のルールに触れると。
その瞬間から、術式そのものが消えていく。
「……そうか。そういう、ことか。」
ネルは、何も言わなかった。
俺の目を見る。
それだけで、答えは分かった。
「レガシーコードが使えるのは、一回だけ。……そうだな?ネル。」
「……うん。」
静かだった。
誰も、何も言わなかった。
後ろを見る。
カイラが、その場に立ち尽くしている。
サヤも、珍しく驚いた様子で、こちらを見ていた。
エミリは、椅子へ座ったまま俯いている。
黒いパーカーの裾を小さな手で、ぎゅっと握っていた。
「……ネル。いつから、気付いてた。」
「このタワー・オルタナティヴに着いて、レガシーコードとの接続を試そうとした時。」
「……そう、か。」
「慌てたよ。接続を進めた途端、魔法式の記述が消え始めたんだ。すぐに止めた。」
「……。」
「レガシーコードの希少性から考えれば、予想できたはずなのに。」
……一回。
俺か、エミリか。
そのどちらかしか、生き残れない。
「……だから、俺を連れて行こうとしたのか。」
「……。」
「先に、俺へ使うつもりだった。」
「そうだ。」
ネルは、否定しなかった。
「エミリには、言わずに?」
「そうだ。」
「俺にも。」
「……そうだ。」
胸の奥に、何かが引っ掛かった。
怒るべきなのかもしれない。
勝手に決めんなって。
さっきアルトに怒鳴ったみたいに。
でも、ネルがどれだけ苦しんでその結論を出したのか。
もう、分かった気がした。
「……ありがとな。ネル。」
「……え?」
ネルが、目を見開く。
「俺を、生かそうとしてくれたんだろ?」
「ジュディ。私は——」
「でも。ごめん。」
一度、目を閉じた。
すぐ近くに、エミリがいる。
声を出さない。何も言わない。
だからこそ、余計に苦しかった。
「俺とエミリが、決める。」
ネルは、何も答えなかった。
二人で生き残ると、誓った。
それは、少し前まで叶うと思っていた。
でも今、残された時間は、一日。
使えるレガシーコードは、一回。
この場で救えるのは、一人だけ。
「……ふざけんなよ。」
——今のお前は、何を選ぶ?
アルトの声が、頭の中で蘇る。
——喧嘩は、それからだ。キムラ・ジュディ。
「くそったれ……。」
拳を、握る。
俺。
俺は——
——ピピピ。
突然、静かな部屋に電子音が響いた。
「……ん?」
俺の端末だった。
ポケットから取り出し、画面を見る。
「通話の、着信?」
脳内通信を使っている俺に、端末への着信は珍しい。
表示された名前に、息が止まった。
「……。」
アーヴィン・ロックウェル。
あの男からの、着信だった。
第百九十八話、お読みいただきありがとうございます!
十二日あったはずなのに。
起きたら、一日になっていました。
しかも、レガシーコードは、一回だけ。
どんどん選択肢が狭まっていきます。
ちなみに、ネルさん。
しれっとジュディに使おうとしていました。
愛を知った結果がこれです。だいぶ重い。
アーヴィンは絶対余計なことしか言いませんね。
次回もよろしくお願いします!
ブクマやコメントをいただけると、ジュディの残り時間が三分くらい増えるかもしれません。




