第百九十七話「邂逅・対話・選択」
「よぉ。久々じゃねーか?」
アルトが、笑った。
人を小馬鹿にするような。
いつもの、ふてぶてしい笑い方。
でも今の姿じゃ、何一つ笑えなかった。
「……お前。」
アルトへ、近づく。
白い何かに、縫い付けられた両腕。
地面に溶けるように、消えかけている足。
近くで見れば、もっと酷かった。
体の輪郭そのものが、白い空間へ滲んでいる。
「なんだよ。その体。」
「見りゃあ分かんだろ。あ、別に趣味じゃねーぞ?」
「ふざけてる場合じゃねぇだろ!!!」
声が、白い空間に響いた。
アルトが、眉を上げる。
「お前……それ、消えかけてんだよな?」
「あぁ。お前にとっちゃ都合いいだろ?」
「んな話してねぇだろ!!こんなもんすぐに——」
歩み寄り、腕の拘束を外そうとする。
——触れられない。
俺の手が、アルトの腕をすり抜けた。
「……は?」
もう一度、今度は肩へ手を伸ばす。
……同じだった。
そこにいるのに。
確かに、見えているのに。
俺の手は、空を切るばかりだった。
「……アルト。」
「んな顔すんなよ。別に今更だろ?俺はとっくに死んでる。」
「なら良かったねですまねーだろ!!説明しろっつってんだ!!」
「そう声を荒げんなよ。思春期か?」
こんな時まで、軽口が止まらない。
マジでふざけんなよ。こいつ。
アルトは、少しだけ目を細めた。
「テメェ。最近、俺の声聞こえてなかっただろ?」
「……あぁ。」
それは、俺も気になっていた。
アッシュタウンに向かった頃を皮切りに。
あれだけ頭の中で、好き勝手喋っていたアルトの声。
それが、唐突に聞こえなくなった。
「それと、何か関係があんのか?」
「関係なきゃ、ここで話題に出さねぇよ。」
「……お前は、いつも回りくでぇんだよ。さっさと言え。」
「俺なりの、対処法をやってるだけだ。」
「……対処法?」
「ネルから聞いただろ。テメェは世界の矯正ってやつで、俺に置き換わってる。」
「あぁ。だから俺は、今の今まで駆けずり回ってる。」
「はは。そうだな。……ならよ。」
アルトが、消えかけた右手を持ち上げようとする。
白い何かに縫い付けられて、ほとんど動かなかった。
「この世界に、そもそもアルト・フェルンがいなかった事になれば。どうなると思う?」
「……は?」
……いなかった事になれば?
そんな、そんなの。
アルトが、いなければ、俺は……。
「……まさか。」
「その、まさかだ。」
アルトが、笑う。
「俺自身が、アルト・フェルンって存在を否定する。世界がテメェを俺に直そうとしてんなら、直す先を消してやりゃあいい。」
「お前……。」
「んなもん無理な話だがな。少なくとも、上書きは遅れると思った。」
「……その結果が、それかよ?」
「あぁ。見ての通りだ。正直、無駄だったな。」
「……。」
「テメェの世界で言うなら、『骨折り損のくたびれ儲け』ってやつか?」
軽く、言いやがった。
本当に、何でもないことみたいに。
俺がこれまで、必死にしがみついていた物に。
こいつは、平気な面で……。
自分を否定し、自分を消す。
ただでさえ死んでいる自分を。
残っている意識すら、削って。
俺が、ジュディのままでいられるように。
「……なんでだよ。」
「あ?」
「なんで、んなことしてんだよ。」
喉が、震えた。
アルトは、ただ静かに俺を見つめていた。
「んなこと!!頼んでねーだろ!!!!」
「は、ははは!!いい顔だぜ?ジュディ?」
「はぁ?」
アルトは、口元を歪めて笑っていた。
何、笑ってんだよ。
……ふざけんじゃねぇ。
「テメェに対する嫌がらせは、ひとまず成功だな?」
「……嫌がらせだと?」
「あぁ、嫌がらせだ。人のために生きる、キムラ・ジュディ。その存在が、俺に助けられてちゃあ世話ねーよな?」
胸の奥が、熱くなる。
「俺は、テメェを否定するために。俺を、否定してただけだ。」
「……ふざけんな。」
「は?」
「ふざけてんじゃねーぞ!!てめぇ!!!」
思い切り、怒鳴った。
手を伸ばすが、やはり掴めない。
それが、余計に腹が立った。
こいつの顔を、一発ぶん殴りたい。
今までで、一番そう思った。
「何、勝手に消えようとしてんだよ!!何の断りも、相談もしねぇで!!」
「はっはは!その言葉、そっくりそのまま返してやるよ!」
「俺は!!消えようとしたことなんざ、一回もねぇ!!!」
「……いんや?同じようなもんだ。」
「どこが!!同じだってんだよ!!」
「テメェ自身を蔑ろにするところがだよ。」
「……っ。」
「お前は、いつだって自分のことは後回しだ。……昔からな。」
アルトの笑いが、消えた。
真っ直ぐ、俺を見る。
「お前が、この世界に来た頃を思い出してみろよ。」
「……あぁ?」
「『僕』なんて、下手に出る一人称使ってよ。最初は物腰柔らかく。ってか?」
その言葉に、思わず顔をしかめた。
「何かありゃ謝る。相手の顔色見て、自分が引きゃ丸く収まるなら、さっさと引く。」
「……。」
「お前の根っこは、こうだ。」
アルトが、鼻で笑う。
「私は、あなたに危害を加えません。だから、危害を加えないで下さい。」
「……っ。」
「下っ端根性が沁みついてる。人殺さねぇことを前提に成り立ってた、お前の世界を見りゃあ無理もねぇがな。」
「……うるせぇ。」
「元の世界の時から、お前は仲間外れが怖かっただけだ。何やったって、人の先に行けるのによ。」
「……うるせぇって、言ってんだ。」
「お手々繋いで、一等賞どころじゃねぇ。一番あげるから、仲間に入れてね。ってか?」
「——黙れ!!!!」
……否定したかった。
でも、できなかった。
昔の俺が、頭に浮かぶ。
何をやっても、人より優れていた。
だからこそ、人と『出来ない』ことを前提とした理解ができない。
俺は、引いた。出来ないふりをした。
それで済むなら、その方が楽だった。
そのおかげで、明里にだって出会えたんだから。
そのおかげで、俺は人間みたいに、なれたんだから。
「……いい顔じゃねぇか。最近は、ちったぁマシになったな。」
「お前、さっきから何なんだよ。」
「あ?お前の記憶を見て、気に入らねぇところを言ってるだけだぜ?」
「……。」
「お前も、多分見たんだよな?俺の記憶をよ。」
アルトが、俺を見る。
俺は、思わず目を逸らしてしまった。
「……あぁ。胸糞悪ぃことにな。」
「ははは。そりゃお互い様だ。お前も、言いてぇことがあるなら言えよ。」
「……ねぇよ。んなもん。」
「ねぇってことは、ねぇだろ?」
「ねぇよ。何言ったって、お前には響かねぇ。」
「……響く、響かねぇの問題じゃ、ねぇんだけどな。」
……そういう問題なんだよ。
お互いが、お互いの過去を見た。
だからこそ。
こいつが持っていて、俺が持っていないものを。
嫌でも、突きつけられる。
——納得できる間違い。
その選択と、この男の生き様が。
俺には、目を背けたくなるほど、眩しかった。
「そんなに卑下することも、ねぇんじゃねぇか?」
「……。」
アルトが、少しだけ顎を上げた。
「お前は、変わったじゃねぇか。」
「……は?」
「今のテメェは、随分違う。」
声が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
「嫌なら嫌だって言う。腹が立ちゃ怒鳴る。殺す時は、殺す。」
「……そうしなきゃ、この世界じゃ生きられなかっただけだ。」
「それでも。変わらねぇ奴よりは幾分マシだ。欲しいもんだって、自分から欲しいって言うようになった。」
「……俺が、何を欲しがったってんだ?」
「お前は、生きてぇと言った。」
「……っ。」
息が、止まる。
カルディアの高台で、エミリに聞かれて。
俺は、言った。
——俺は、生きたいよ。
あの言葉を、こいつも聞いていたのか。
「環境のせいでも、それは確かにテメェの中にあったもんだ。」
「……。」
「一人称や、口調みてぇな表面的なもんじゃねぇ。思考が、変わったんだよ。」
「違う!!!」
思わず、また叫んだ。
俺が変わっている。
それを今だけは、認めたくなかった。
「俺は、俺のままだ!!」
「っは!!この世界に最初に来た頃のテメェを思い出してみろ。随分、変わったぜ。」
「……っ。」
アルトが、笑った。
「お前は、お前が思ってる以上に。俺に似てんだよ。」
「……最悪だな。」
「はは!まぁ、そうだろうな。」
……クソ。
本当に、こいつには腹が立つ。
自分の触れられたくない溝に、容赦なく手を突っ込んで来やがる。
「……じゃあ、お前はこう言いてぇのか?」
「あ?」
「お前は、もう俺に寄ってる。だから、諦めろ。」
「おいおいおい。んなこと言ってねぇだろ。」
「人殺して。女と寝まくって。気に食わねぇ奴殴って。好き勝手やる。それが、自分らしく生きるってことか?」
「だから、んなこと言ってねぇだろ。俺は俺で、大概クソだ。」
「……自覚あんのかよ。」
「あるに決まってんだろ。分かってることを、いちいち聞くなよ。」
そうだ。
もう、こいつのことは嫌ってほど分かってる。
最低で。勝手で。自由で。
最後には、自分から不自由を選んだ。
「俺だって、間違えた。いや。間違えてばっかだったな。」
アルトが、自分の消えかけた腕を見る。
「エルナの、手ぇ取ったのも。あいつと暮らし続けたのも。最後に庇って死んだのも。」
「……。」
「全部、間違いだった。」
「……それでも、お前は。」
口から、言葉が出た。
「納得は、してた。」
「あぁ。そうだ。俺は、納得して死んだ。」
アルトが、先ほどとは違う顔で、笑う。
今までで一番、穏やかな顔に見えた。
「正解なんざ、知らねぇよ。エルナの事に関しちゃぁ、結構効いた。」
「……何を。」
「まさかよ。俺を復活させるために、お前を作るなんて思わねぇだろ。」
「……。」
「それでも。最後には、エルナなりの間違いを選んだ。」
「……くそ。」
「ジュディ。改めて言うぞ。」
「くそ。くそ。くそ。」
「お前も選べ。テメェが、納得できる間違いをな。」
「分かってんだよ!!!んなことはぁ!!!!」
沈黙が、落ちた。
白い空間には。
俺と、アルトしかいない。
そのはずなのに。
俺の選んだもの。その結果で失ったもの。
色んな顔が、頭の中に浮かんでは消える。
……吐きそうだ。
分かってる。分かってるんだ。
こいつは、さっきから同じことしか言っていない。
俺は、どう生きたいのか。
俺の、選択は、何なのか。
この長い問答の果ては、結局これでしかない。
「……なぁ。アルト。」
「あ?」
「結局、お前は何がしてぇんだよ。」
「……この期に及んで、逃げるのか。テメェは。」
「うるせぇ!!!いいから答えろよ!!!」
アルトが、眉を上げる。
「お前の目的は、なんなんだよ?」
「……言ったはずだぜ。エルナを、生き返らせる。」
「だったら!!!」
拳を、握る。
声が、震えた。
「今のお前は、矛盾してんだろ!!!」
「どこが、矛盾してるってんだ?」
「決まってんだろ!!俺を消さないために、踏ん張ってる現状がだよ!!!」
「……。」
アルトは、何も言わなかった。
しばらく、俺を見つめていた。
やがて、静かに口を開く。
「エルナが。」
「……エルナ?」
「お前と生きることを、望んでるからだ。」
「……は?」
「お前も、そうだろ?」
「おい。待て。止めろ。言うな。」
「いんや?待たねぇ。」
「止めろ。」
理解が、追いつかなかった。
いや。理解から、俺は全力で逃げていた。
「俺と、お前。今はお互いの記憶を知ってる。もちろん、感情もな。」
「止めろ。」
「元々、妻と娘がいた。それで、自分の気持ちにブレーキ掛けてるようだが。」
「止めろ。止めろ。止めろ。」
耳を、塞ぐ。
ダメだ。それを聞くわけにはいかない。
その感情は、裏切りだ。
過去、俺を想ってくれた人への。
今、俺を想ってくれる人への。
裏切り以外の、何だって言うんだ。
「テメェは。木村樹莉は——」
「止めろって言ってんだろ。」
「エルナを、愛してただろ。」
「止めろおおぉぉぉぉぉ!!!!」
叫んだ。
その言葉を、かき消すように。
ただ、叫んだ。
その言葉だけは。
誰かに、言葉にされたくなかった。
「うるせぇよ!!!童貞が、喚いてんじゃねぇ!!」
「……娘が、生まれてんだよ。」
「なら、人の親として。認めろよ。」
「人の親だから!!認めるわけにはいかねぇんだろ!!」
息が、乱れる。
その場に、膝をついた。
……本当に、最悪だ。
いや、違う。最低だ。
俺は、最低だ。
こいつ以上に、最低な人間だ。
「お前とエルナは、互いを愛してる。」
「……止めろって言ってんだ。」
「お前らは、相思相愛だ。」
「アルト……。頼むから……。」
「事実だろ?」
睨みつける。
アルトは、目を逸らさなかった。
「少なくとも俺はよ。」
一度、目を閉じる。
「お前ら二人が生きる未来には、価値があると思ってる。俺が生きる以上の価値が。」
「……なら。」
喉が、乾く。
唾も出ていないのに、喉を鳴らした。
「なら、テメェの望みは。」
「あぁ。お前と、エルナを生かす。」
その言葉に、迷いはなかった。
「それが、俺の選ぶ間違いだ。」
アルトが、はっきりと言い切った。
「……くそ。」
胸の中が、ぐちゃぐちゃだった。
「くそったれ……。」
嬉しいとか。悲しいとか。腹が立つとか。
どんな言葉でも、説明できない。
——エルナを、愛していた。
その言葉を、頭の中で反芻する。
違うだろ?違うよな?違うって。
「……。」
……いや、違わないだろ?
キムラ・ジュディ。
お前は、人を失った時。
人と居なければ、悲しめなかった。
クロウに。ライアスに。ミカに。セラムに。
ルイに。ダンに。
あれだけの人間を失っても、お前は一人で泣くことはなかった。
ただ一人だけ。
エルナを失った時。
エルナのいない、世界を見つめた時。
お前は、初めて、自分で泣いていただろう?
……分かっていた。
ずっと、分からないふりをしていただけだ。
「……クソ野郎。」
「あ?」
「本当に。お前は、クソ野郎だ。」
「……はは。知ってるよ。」
アルトが、笑った。
その時。
——ピシ。
小さな音がした。
アルトの右腕が、また少し白い空間へ溶けた。
「……っち。まだ答えは聞けてねぇんだが。時間が来ちまった。」
「は?」
「ジュディ。正直、俺のしていたことは無駄だった。」
「どういう、意味だよ。」
「俺がせき止めてた分が、溢れた。」
「じゃあ、俺は——」
「ここから先は、俺にも分からねぇ。」
アルトが、遮った。
「起きたら、ネルに聞け。時間が、どうなったのか。」
「ネル?」
「あぁ。あのチビ眼鏡なら、少なくとも今のテメェがどうなってるかくらいは分かるだろ。」
アルトが、右腕を見る。
それから、もう一度、俺を見た。
「ジュディ。答えは、行動で示せ。」
白い空間が、揺れる。
俺の体が、少しずつ遠ざかっていくような感覚がした。
もうすぐ、目が覚める。
そんな確信があった。
「ジュディ。」
「……なんだよ。」
「あー。色々、ごちゃごちゃ言ったがな。」
アルトが、笑った。
「今、生きてんのはテメェだ。」
「……。」
「今のお前は、何を選ぶ?」
答えは、出なかった。
出るはずも、なかった。
アルトも、それ以上は聞かなかった。
ただ、いつものように口元を歪ませる。
「喧嘩は、それからだ。キムラ・ジュディ。」
白い光が、視界を埋め尽くした。
第百九十七話、お読みいただきありがとうございます!
今回は、超久しぶりの。
ジュディとアルト、二人のお話でした。
色々ごちゃごちゃ言ってましたが、ヘタレジュディに選択を迫るだけのアルトです。
分かりやすく例えると。
晩飯どうする?ってアルトが聞いて、答えられないジュディ。
お前、中華好きだったよな?
止めろぉぉぉ!!!
みたいな感じです。
では、今のジュディは何を選ぶのか。
次回もよろしくお願いします!
ブクマやコメントをいただけると、ジュディがアルトを一発くらい殴れるかもしれません。




