第百八十八話「彼と彼らの事情」
エルドの意識は、静かに覚醒した。
白い天井が見える。
低い駆動音と、誰かが話す声。
身体には、いくつもの計測端子が繋がっていた。
「……意識、戻りました。」
白衣を着た研究者が、声を上げる。
周囲にいた数人が、一斉に端末へ視線を落とした。
「数値は、どうだい?」
「安定しています。異常ありません。」
「そうか。ありがとう。」
聞き覚えのある声。
エルドは、隣へ視線を移した。
アーヴィン・ロックウェルが、少し離れた場所に立っていた。
「おはよう。エルド坊ちゃん。」
「……坊ちゃんは、止めてくれといっただろう?」
身体を、起こす。
少し頭が重い程度で、他に違和感はなかった。
「処置は、無事に終わったよ。」
「……そうか。」
「安心したかい?」
「いや。三英雄の一人だ。不安になる方が難しい。」
「ははは。嫌な信頼だね。」
アーヴィンが、近くにあった端末へ目を落とす。
表示されている数値を確認しながら、小さく息を吐いた。
「しかし、驚いたよ。」
「……何がだ?」
「ゼノが、そこまでの領域に達しているとはね。」
エルドは、黙った。
「私も、長く研究を続けてきた。しかし、あの男は未だに底が見えないね。」
「……あぁ。私自身も、それに気付いたのは一年前だ。」
身体に繋がっていた、最後の端子が外される。
エルドは、自分の手を見る。
握りこみ、再び開く。
何も、変わらない。
「しかし、私の唯一の懸念もなくなった。」
顔を上げ、アーヴィンを見つめる。
「感謝するよ。アーヴィン。」
「いいさ。こちらも貴重なデータが取れた。」
アーヴィンが、笑う。
「それに。感謝が必要かどうかは、この後の条件次第だ。」
「……そうだな。」
アーヴィンが、研究者たちを見る。
「記録は、まとめておいてくれ。」
「承知いたしました。」
研究者たちが端末を持ち、部屋から出ていく。
扉が、閉まった。
アーヴィンは、空いた椅子をエルドの前へ引いた。
そのまま、腰を下ろす。
「さて、条件についてだが。今回、我々にもメリットはあった。」
「……そうだろうな。」
「正直、かなり特殊なケースだ。キムラ・ジュディやエミリよりも、君は稀有な存在だよ。」
「……。」
「おかげで、かなり珍しいデータが取れた。元々、法外な対価を要求するつもりはないよ。」
一度、言葉を切る。
「まあ。こちらも無傷では済まなかったがね。」
「……ショーン・プライドか?」
「あぁ。左半身は、もう動かないそうだよ。」
「……何?」
「おや、意外かい?」
「相対していたのは、ネルだったのだろう?」
「あぁ。命が残っただけ、幸運だろうね。」
「……あの、ネルが。」
アーヴィンの声は、変わらない。
エルドは、何も言わなかった。
ライアスの最期は、自分も見ていた。
少しの沈黙が落ちる。
「さて、エルド。時間もなかったので処置を優先しておこなったが、改めて聞こうか。」
「……あぁ。」
「君が他に、対価として差し出せるものはあるかい?」
エルドは、アーヴィンを見る。
「……エミリの所在を、リークしよう。」
アーヴィンの眉が、わずかに動いた。
「……いいのかい?」
「あぁ。」
「君も、随分と思い切ったね。」
「この決断をしていた時から、覚悟の上だ。」
アーヴィンは、しばらくエルドを見る。
やがて、小さく笑った。
「ははは。もう、坊ちゃんとは呼べないな。」
「……。」
「立派に、なったものだ。」
エルドは、何も返さなかった。
アーヴィンが、背もたれへ身体を預ける。
「……君のことだ。それに対する手も考えているんだろう?」
「……まさか。」
「我々にリークするという情報も、ジュディ達へ伝えるつもりだっただろう?」
「……っ。」
言葉が、止まった。
アーヴィンは、それ以上追及しなかった。
「いいよ。」
「……?」
「そもそも、その情報は必要がない。」
エルドが、眉を寄せる。
「……エミリの所在が、か?」
「あぁ。」
「何故だ?」
「たとえ居場所が分かったところで、アルカナ本社に籠城されては打つ手がない。」
アーヴィンが、肩を竦める。
「私も、アルカナ本社へ正面から喧嘩を売るほど若くはないよ。」
「……。」
それは、そうだ。
アルカナとアッシュガードが正面から衝突すれば、都市同士の問題では済まない。
「だから、君の提案は有難いが。残念ながら、そこまで価値のある情報ではない。」
「……そうか。いい手だと思ったのだがな。」
エルドは、少し考える。
「……しかし。それでは、エミリを諦めるのか?」
「まさか。」
アーヴィンが笑いながら、短く答えた。
「それは、杞憂だよ。エルド。」
「……杞憂?」
「あぁ。」
アーヴィンが、足を組む。
「レガシーコードには、重大な欠陥がある。」
「欠陥……だと?」
「厳密に言えば、条件かな。」
アーヴィンは、指を一本立てた。
「レガシーコードはね。魔法と違って不完全な代物さ。」
「……。」
「世界のルールへの干渉。そんなことが、ただのコードだけで可能なら、魔法使いはここまで畏怖されていないよ。」
エルドの表情が、僅かに変わる。
「それを、ジュディ達がどこまで気付いているのかは知らないがね。」
「……その条件で、居場所は分かると?」
「あぁ。」
アーヴィンは、迷いなく頷いた。
「調べるまでもないさ。」
沈黙が、落ちた。
エルドは、ようやく理解する。
アーヴィンが、追わなかった理由を。
エミリを、奪われた。
ライアスに、裏切られた。
それでも、この男は何も諦めていなかった。
「だから。」
アーヴィンが、口を開く。
「君への要望は、これだけだ。」
「なんだ。」
「貸しを、一つ。」
「……。」
エルドは、僅かに顔を歪めた。
「それは、怖いな。」
「あぁ。」
アーヴィンが、楽しそうに笑う。
「君は、アルカナの役員だ。これ以上ない報酬だよ。」
「……いいだろう。」
「交渉成立だね。」
アーヴィンが、立ち上がる。
「アーヴィン。」
エルドが、声を掛けた。
「……なんだい?」
「本当に、追わないのか?」
「あぁ。追う必要がない。」
アーヴィンは、扉へ向かって歩き出す。
「彼らは、来る。」
足を止める。
「それに、ね。」
僅かに、振り返った。
「彼が何を選ぶのか。私は、それにも興味がある。」
「……ジュディが?」
「あぁ。」
それだけ答え、再び歩き出す。
扉の前で、アーヴィンはもう一度だけ足を止めた。
振り返らないまま、続ける。
「まぁ。エミリは、取り戻すがね。」
「……エミリ?」
「あぁ。彼が言うには——」
アーヴィンが、小さく笑った。
「そうしなければ、私の名が廃るそうだから。」
第百八十八話、お読みいただきありがとうございます!
第五章の最後に接触していた。
アーヴィンとエルドのお話でした。
無事にエミリを連れて、逃げ切ったジュディたち。
なんで追ってこないのかが、なんとなく分かりましたね。
まぁ、向こうから来るっしょ。みたいな感じです。
嫌ですね。
そんで、エルドは一体、アーヴィンに何をしてもらったのでしょうか。
その辺りは、まだ先のお話。※本当に結構先だよ笑
次回からは、ジュディたちへ戻ります。
エミリも、ようやく普通の生活へ。
次回もよろしくお願いします!
ブクマやコメントをいただけると、アーヴィンが『貸しはなし』で済ませてくれるかもしれません。
よろしくお願いします!




