第百八十五話「親を張る男」
「はぁ。はぁ。はぁ。」
エミリを抱えたまま、通路を走る。
アッシュガード本部。
地下から、一階へ。
ネルを置いてきたのは、気になる。
でも今は、エミリを連れて出る。
それが、俺の役目だ。
「……ジュディ。」
「ん?」
「息が、荒いですね。」
「重いから、な。」
「あ、どうしよう。この人嫌いかも。」
……いや、まぁ。
今のは、俺が悪いか?
「ジュディ。」
「今度は、なんだよ?」
「ネルさんは……。」
「大丈夫だよ。」
即答した。
あいつなら、大丈夫だ。
なんせ、天才だしな。
今は、そう信じるしかない。
「それより、もうすぐ外だ。」
階段を、駆け上がる。
少し先に、外へ続く扉が見えた。
「……っち。」
その前に。
一人の男が、立っていた。
「……。」
スーツ姿に、見覚えのある顔。
今は、仮面を外していた。
「……やっぱ、いるよなぁ。」
「あぁ。いるな。」
ライアスが、静かに答えた。
「命令のお陰でな。自然にここまで来れた。」
「……流石に、表立っては庇えねぇか?」
「……。」
「じゃあ、やるか?」
エミリを、抱き直す。
魔力を、両足へと溜める。
「……。」
ライアスは、俺を見た。
それから、首を振る。
「そう、身構えるな。」
「……なんだよ。」
「俺は表立って、お前達を逃がす。」
「……は?」
ライアスが、踵を返した。
「……こっちだ。」
「いや、待て待て待て!!全然分かんねーよ!」
「車を、用意してある。」
「……。」
「護送車まで送る。早くしろ。」
そのまま、こちらを振り向かず。
ライアスは歩いていく。
「……。」
本当に、なんなんだよ。
腕の中のエミリが、俺を見つめていた。
「……ジュディ?」
「……大丈夫だ。行こう。」
考えてる時間もない。
ライアスの後を、追った。
—
車が、街中を走る。
道路は舗装されておらず、乗り心地はいいとは言えなかった。
運転席には、ライアス。
後部座席には俺と、エミリ。
窓の外を、復興途中の街が流れていく。
陽はいつの間にか、とっくに沈んでいた。
「……ライアス。」
「なんだ。」
「あんた、いいのかよ?」
「……何がだ?」
「とぼけんな。」
俺は、運転席を見る。
「あんた。今やってるこれって……。」
「あぁ。そうだな。」
ライアスは、前を向いたまま答えた。
「俺は、死ぬだろうな。間違いなく。」
「……今すぐ、降ろせ。」
「今更だな。」
「んなことねーだろ。」
「後の祭りだ。お前が車に乗った時点で、リスクは変わらない。」
「……クソっ。」
エミリが、俺とライアスを交互に見る。
「……。」
何も言わない。
言えるわけ、ないよな。
「……カイラとは、話せたんだよな?」
「いや?」
「は?あんた、今日の接見にはいたんだろ?」
思わず、身を乗り出した。
「あぁ。向こうは、気付いてはいたみたいだな。」
「んだよ。結局、会ってんのか、会ってねぇのか。どっちなんだよ?」
「……俺が誰なのかは明かしていない。言葉を置いただけだ。」
「会えよ。絶対にだ。」
「この状況でか?」
「こんな状況だからこそだろ。」
ライアスが、バックミラー越しに俺を見る。
「あんたまで、俺と同じ間違いを犯すなよ。」
「……ははは。」
「笑ってんじゃねーよ。」
「どちらが年上なのか、分からないな。」
「茶化すなよ。」
声が、思ったより低くなった。
ライアスが、黙る。
「……俺は、もう嫌なんだ。」
「らしくないな。折れたのか?」
「あぁ。とっくに、折れてるよ。」
即答だった。
窓の外を見る。
壊れた街が、横へと滑っていく。
「今だって、虚勢張って。目の前のことだけ見て、動いてるだけだ。」
「……そうか。」
「誰かが、俺のために死ぬのも。俺が何かして、誰かを傷付けるのも。」
言葉が、止まる。
それでも、口を開いた。
「俺は、もう耐えられない。だから……。」
「だから?」
「……。」
「だから、なんだ?」
「……いや。」
「言え。ジュディ。」
……うるせぇな。
自分でも、分かってるよ。
痛いほど、分かってる。
「……俺は、もう。俺のために、選択することが出来ない。」
拳に、力が籠る。
ライアスは、何も言わなかった。
「人に選んでもらって。それを守る。今の俺に出来るのは、それくらいだ。」
「……。」
「そんだけだよ。俺なんて。」
「……いいじゃないか。」
「……あ?」
思わず、景色から目を外した。
運転席を、見る。
「恐怖で、足が竦んでいるんだろう?」
「……あぁ。ただ、ビビってる。」
「なら、いい恐怖だ。」
「なんなんだよ、それ。」
「出会った頃のお前より、ずっといい目をしてる。」
ライアスが、少し笑った。
「あの時のお前は、決意の目だった。譲れないものがあって、そのためなら何だってやる目だ。」
「……ただ、帰りたかっただけだよ。」
「あぁ。その時は、驚いたものさ。若造が、できる面構えじゃなかった。」
車が、右へ曲がる。
小さく、揺れた。
俺は、自分の両手に視線を落とした。
何も、守れない。
無能な、両手。
「今のお前は、揺れているな。」
「……。」
「何が譲れないのか。何を大事にしたいのか。分からないまま藻掻いてる。」
「……だから、何だよ。」
「恐怖のない選択なんて、軽いものさ。皆、その恐怖を呑み込んで選んでいる。」
「……なら、俺は。そんな普通の奴らが当たり前に出来ることすら——」
「当たり前じゃないさ。ジュディ。」
「……。」
「足が竦んで、動けない奴もいる。それも普通だよ。」
「なんなんだよ……。」
「俺だって、そうだ。」
一瞬。
ライアスの声が、遠く聞こえた。
「俺は、正しさの通し方を間違えた。」
「……。」
「それでも正しいと思いたかった。だから、他人に。カイラに、自分の正しさを見出した。」
「……でも、あんたは守ったじゃないか。」
「立派なものじゃないさ。」
即答だった。
しかし、その声に後悔の念は感じられない。
「カイラに理想を押し付けて。お前に託して、死ぬことを選択した。」
「……。」
「本来なら、俺が立つべきだった。正しくなくても。間違えても。それでも、どう生きるのか。あいつに、カイラに背中で見せるべきだった。」
「……そんなこと。今からでも、遅くねぇだろ?」
ライアスが、笑った。
「あぁ。そうだな。遅くない。」
ライアスは、前を見ていた。
道の先を、真っすぐに。
「だからこそ。カイラの望む未来と、俺が信じた未来のために。」
「……。」
「俺は、親を張るんだ。」
「……親を?」
「あぁ。親だよ。」
少しだけ、声が柔らかくなった。
「お前はもう知ってるだろうが。俺はカイラの実父じゃない。」
「……あぁ。」
「それでも、俺は親を張る。あいつの親を、やるんだよ。」
「……。」
何も、言えなかった。
この男は、一度死んだ。
俺が、殺した。
それでも、今。またここにいる。
「ジュディ。」
「……なんだよ。」
「お前に、俺に出来なかったことを頼みたい。」
「……。」
「ははは。そう嫌そうな顔をするな。」
「聞くだけ、聞くよ。」
ライアスが、バックミラー越しに俺を見た。
お互いの視線が、交錯する。
「お前は、『それでも』と言い続けろ。」
「……それでも?」
「あぁ。」
ライアスは、それ以上すぐには続けなかった。
「お前は、また間違える。誰かを不幸にすることだってある。」
「……。」
「それでも、だ。」
車が、走り続ける。
バックミラー越しの目は、逸れなかった。
「間違えた後も。怖くなった後も。」
「……。」
「それでも、お前は何かを選び続けるんだ。」
……重い。
今の俺にとっては、尚更。
なんなんだよ、こいつ。
本当に。
「……重いか?」
「……あぁ。また折れそうなくらいにはな。あんたの言葉は、いちいち重てぇんだよ。」
「ははは。背負え、背負え。若者の努めだ。」
「だから、俺はあんたが嫌いなんだ。」
ライアスが、楽しそうに笑った。
—
——ドンッ!!!
「っ!?」
突如。
車体が、大きく跳ねた。
「きゃっ!!」
「エミリ!」
「不覚!『きゃ』とか言っちゃった!」
「喋んな!舌噛むぞ!!!」
抱き寄せる。
身体を覆うように、エミリを庇った。
「くそっ……!なんなんだ!?」
前を、見る。
……何もない。
何もないはずなのに。
車の前部が、何かにぶつかったみたいに大きく潰れていた。
「ジュディ!!!」
「……あ?」
「エミリを抱えて、出ろ!!!」
ライアスが、叫ぶ。
迷ってる場合じゃない。
扉を蹴り開けた。
エミリを抱え、そのまま外へ飛ぶ。
地面を転がる。
「ちぃ……!」
エミリを庇いながら、身体を起こす。
「大丈夫か!?」
「ぶ、無事です!!」
次の瞬間。
——バギン!!!
車体が、真ん中から歪んだ。
空間ごと、捻じ曲げられたみたいに。
金属があり得ない方向へ潰れていく。
「ライアス!」
運転席の扉が開く。
ライアスが、転がるように外へ出た。
瞬間。
——ドォン!!!
車が、炎に包まれた。
「……ったく。」
炎の向こうを見る。
男が、立っていた。
白髪に、伸びた背筋。
アーヴィン・ロックウェル。
「……どうやって、追いついた?」
俺は、エミリを抱えたまま立ち上がる。
「こっち、車なんだけど?」
「魔法使いに対する、認識が甘いね。」
「……あ?」
「君が知っている者だけを、基準にしない方がいい。」
「……随分と、自信あんだな。」
「事実を、言っただけさ。一応、私は三英雄の一人だよ?」
「……あー、嫌だ嫌だ。過去の実績ひけらかす爺さんほど、面倒な人はいないぜ?」
「盗人に、言われたくはないね。」
「その盗人に、大事な者を盗まれた三英雄ってか。名が廃ったな?」
「ははは。やっぱり、面白いね。君は。」
アーヴィンは笑いながら、一歩ずつ近づいてくる。
俺は、エミリを抱き直した。
「……さて。」
アーヴィンの目が、エミリへ向く。
「エミリを、返してもらおうか。」
「……嫌だね。消すんだろ?」
「無論だ。」
空気が、変わった。
アーヴィンが、片手を上げる。
その前へ。
ライアスが、立った。
「……ライアス。」
「アーヴィン。」
二人が、向き合う。
「退いてくれるかい?」
「無理だな。」
「……そうか。」
アーヴィンの表情は、変わらなかった。
ただ、その声だけが、少し低くなった。
「ジュディ。」
「……なんだよ。」
「行け。」
「……いや、ここは——」
「早くしろ。」
……動けない。
ライアスが、背中越しに俺を見た。
「娘は、お前と生きたいと願っている。」
「……。」
「キムラ・ジュディ。娘を、頼んだ。」
「……嫌だね。」
ライアスが、目を細める。
「前と、同じ答えだな。」
「あぁ。何度聞かれても、変わらねぇよ。」
エミリを抱えたまま、ライアスを見る。
「あんたの娘は。カイラは、人に頼らなきゃいけないほど弱くない。」
「……。」
「だから、一緒に。」
息を吐く。
「俺は、カイラと一緒に苦しむ。」
「……。」
ライアスが、笑った。
「はは。ダサいな、お前は。」
「……うるさいよ。」
「しかし。いい答えだ。」
ライアスが、アーヴィンに視線を戻した。
アーヴィンが、一歩進む。
ライアスは、退かなかった。
「行け。ジュディ。」
「……。」
「お前は、今。エミリを、選んだんだろう?」
「……あぁ。」
「なら、まずは。それを通せ。」
……くそっ。
本当に、嫌いだ。
理由が少しだけ、分かった。
こいつは、俺に、似ている。
それが、どうしようもなく、癪だった。
「……死ぬなよ。ライアス。」
「善処しよう。」
嘘つけ。
それだけは、分かった。
「エミリ。」
「……はい。」
「行くぞ。」
「……でも——」
「喋んなよ。舌、噛むぞ。」
俺は、ライアスに背を向けた。
両足に電撃を纏い、走る。
……振り返らなかった。
今、振り返ったら。
多分、止まる。
だから、俺は走った。
—
ジュディの姿が消えた。
目で追えないほどの速度で、遠ざかっていく。
……速いな。
本当に。
昔は、片腕を失って。
フラフラになりながら、走ってきたガキが。
今は、過去を千切れるほどの速度で。
走り抜けていく。
「……行ったか。」
小さく、呟く。
「あぁ。行ったね。」
アーヴィンが、答えた。
二人だけになった。
燃える車の音が、やけに大きく聞こえる。
「……ライアス。」
「あぁ。」
「君が、こうするんじゃないかとは思っていたよ。」
「分かっていたなら、止めればよかっただろう?」
「……そうだね。」
アーヴィンは、小さく息を吐いた。
「少し、希望を持ってしまった。」
「……。」
「君とは、長い付き合いだからね。」
「……あぁ。そうだな。」
本当に、長かった。
戦争が終わって。
何もなくなった、この街で。
瓦礫を退かして、人を集めて。
俺は、アーヴィンの指示の下で暗殺者として活動した。
何度も、何度も。
この街を、立て直そうとした。
「アッシュタウンの再建のために、よく尽力してくれていた。」
「あぁ。あなたの理想を支えることで、この街が幸せになると信じてたよ。」
「……ならば。」
アーヴィンの眉間に、僅かに皺が寄った。
「なぜなんだ。ライアス。」
「……。」
考えるほどでもない。
答えなど、ずっと前から決まっていた。
「娘の『想い』の方が、大切だった。」
「……。」
「それだけさ。」
「……そうか。」
アーヴィンが、静かに目を閉じる。
しばらくして、ゆっくり口を開いた。
「ライアス。こうしよう。」
「……なんだ。」
「君は、これから我々の捕虜となる。」
「……。」
「反逆者として拘束する。その上で、カイラ君との契約を有利に進める材料にする。」
「それを、俺が容認すると思うのか?」
「……ならば、こういうのは——」
「アーヴィン。」
「……。」
「分かっているだろう?」
俺は、笑った。
「もう、俺は選んだ。」
「……そうか。」
アーヴィンが、俺を見る。
その瞳が、揺れていた。
「アーヴィン。」
「……なんだい。」
「震えているぞ。」
僅かに、上げられた指先が揺れていた。
「……はは。痩せ我慢すら、ままならない。」
「そんな顔を、するなよ。」
「……。」
「このままでは、示しがつかないだろう?長として。」
「……そうだね。」
「裏切り者を、生かす訳にはいかない。今アッシュタウンは大切な時期だ。」
「ならば!!!なら、何故君は——」
「アーヴィン。」
「……っ。」
「すまない。」
一度、頭を下げた。
「また一つ、責任を乗っけることになる。」
「……覚悟はしていたけどね。」
アーヴィンが、空を見る。
「やはり、慣れないよ。人殺しは。」
「……あぁ。」
風が、吹いた。
アッシュタウンの、匂いがした。
埃と。鉄と。人。
まだ、少しだけ焦げた匂い。
昔は、もっと。
もっと、花の香りがしたものだ。
……その匂いを、この街でまた嗅ぎたかった。
それも俺にとっては、本当のことだった。
「……この道は、泥沼だ。」
アーヴィンが、呟いた。
「進めば進むほど、足は沈む。身体まで、地面へ引きずり込まれる。」
「その泥沼に、付き合うと決めていたんだがな。」
「……付き合ってくれよ。それに、娘にも会いたいだろう?」
一瞬だけ。
金髪の女の顔が浮かんだ。
泣いて。笑って。へこたれない。
俺の腕にしがみ付いて。
俺を、お父さんと呼んだ。
「……いいさ。言葉は、置いてきた。」
「そうか。」
もう、十分だ。
一度、ちゃんと別れた。
今度は、言葉じゃなくていい。
背中で、残す。
「ライアス。」
「あぁ。」
「……そちらに行くのは、少し遅れそうだよ。」
「ははは。」
思わず、笑った。
いつだって、俺の最後は穏やからしい。
「いいさ。俺は、人を待たせることの方が多かった。」
「……。」
「今度は、俺の番だろう。」
「理想の果てで、君とまた会えることを願う。」
「……あぁ。」
アーヴィンを見る。
「じゃあな。アーヴィン。」
「……あぁ。」
アーヴィンが、右手を上げた。
指先が、俺の胸へ向く。
心臓の代わりに。
今も動き続けている、ストーンウェア。
——キィン。
胸の周囲。
空間そのものが、固まった。
「……っ。」
駆動していたストーンウェアが。
一瞬で、動きを止める。
身体から、力が抜けていく。
倒れる前に、空を見る。
アッシュタウンの空。
昔、何も守れなかった場所。
この空の下の、どこかで。
一人の子供を、拾った。
——カイラ。
俺の娘。
彼女が笑う未来を願って。
俺の心臓は、止まった。
—
「……。」
アーヴィンは、動かなくなったライアスを見下ろしていた。
ゆっくりと、その場に膝をつく。
ライアスの瞼を、閉じた。
「……馬鹿な男だ。」
返事はない。
「馬鹿だよ。本当に。君は……。」
立ち上がった、その時。
「アーヴィン。」
声が、した。
振り返ると、少し離れた場所にエルドが立っていた。
「……見ていたのかい?」
「あぁ。少し、な。」
「……悪趣味だな。」
「すまない。見るつもりは、なかったんだ。」
エルドは、アーヴィンを見る。
「取引がしたい。個人的にな。」
「……。」
アーヴィンは、もう一度だけ。
足元の男を見た。
それから。
「……聞こうか。」
そう、答えた。
第百八十五話、お読みいただきありがとうございました!
ライアスのお話でした。
一度死んで、戻ってきて。
最後に、自分で親を張る話でした。
そして、ジュディへ残した言葉。
ジュディは、どう受け取るんでしょうか。
次回も20:10、更新予定です!
ブクマやコメントをいただけると、ライアスが、今度こそ安らかに眠ります。
よろしくお願いします!




