第百七十八話「どうしよう」
……どうすれば、いいんだろう。
端末に表示された資料を、上から下まで眺める。
数字を変えて。文章を消して。また、書き直す。
「……違う。これじゃ結局……。」
全部、消した。
また最初から、やり直す。
転送装置を導入した場合の、輸送効率。
必要な設備に、導入までの期間。
それに、運用に必要な人員。
考えれば、考えるほど。
昨日作った資料よりは、ずっと具体的になっていく。
でも、具体的になることで、より犠牲も鮮明になっていった。
「……。」
指が、止まる。
違う。そうじゃない。
アーヴィンさんに言われたことは、そんなことじゃない。
——今、幸せになろうとしている人物から。奪う覚悟があるかい?
そう。これは覚悟の話だ。
私の理想の前提を崩してでも、現実を受け入れる覚悟があるのか。
アーヴィンさんは始めから、それだけを私に突きつけてきた。
「……。」
できない。できるわけがない。
私は、みんなを幸せにする理想を、捨てられない。
何も、変わってない。
少しだけ立ち上がったつもりだった。
考えるって、決めた。
でも、その先へ。
どうしても、足が動かなかった。
—
部屋の扉が、開いた。
「……ただいま。」
「……。」
ジュディだった。
私は、思わず顔を上げた。
少しだけ、嬉しくて。
無事に帰ってきた。
それだけで、胸の奥が少しだけ軽くなる。
「ん?カイラ。起きてたのか?」
「……うん。」
「……ネルは?」
「寝てるよ。慣れないことして疲れたって。」
「……あぁ。今日散々歩いたからなぁ。」
ジュディが、寝室へ繋がる扉を見る。
「……今度、なんか甘いもんでも買ってやるか。」
「……うん。」
ジュディは、口元だけを上げて不器用に笑った。
いつも、ジュディの表情はあんまり変わらない。
口では、ふざけたことも言うし、雰囲気も変わる。
でも、表情だけは、いつもぎこちなく動いていた。
その表情が、私は好きだ。
なんだか。一生懸命で。
……可愛い、なんて。思っちゃう。
「……ふぅ。」
ジュディは、上着を掛けてソファに腰を下ろした。
大分、ジュディも疲れたんだね。
エルドさんは、まだ帰ってきていない。
今この部屋には、私とジュディだけだった。
「……ジュディ。」
「ん~?」
「さっきまで、何してたの?」
「……え?」
ジュディが、少しだけ止まった。
「いや。アーヴィンとの交渉は、俺もダメだったからさ。」
「……うん。」
「エミリの場所を、探してたんだよ。それで——」
「嘘だよね?」
「……本当だよ。」
「ついでじゃ、なかった?」
「……何が?」
「自分のこと。」
「……そんなことないよ。」
「じゃあ、最初に何したの?」
「……。」
ジュディが、少しだけ黙った。
「もちろん。エミリの——」
「ジュディ。」
「……。」
「何、したの?」
「……アッシュタウンの物流を、もっと細かく調べようとしてた。」
「……なんで?」
「なんでって。」
ジュディが、首を傾げる。
本当に、分かってない顔だった。
……いつもの、不器用な顔。
「カイラも、失敗したんだろ?お互いに情報は必要だろ。」
「……。」
「カイラ?」
「ジュディ。」
「ん?」
「もう、やめてよ。」
「……何がだよ。」
「もう。」
喉が、少し詰まる。
「私のために生きるの。やめてよ。」
「……。」
ジュディが、また、黙った。
「……。」
何も、言わない。
やっぱり、そうなんだ。
この人は、『それ』を止められないんだ。
「……カイラは、平気なのか?」
「今、私の話はしてないよ。」
「いや。カイラと、俺の話だろ?」
「……平気って、何のこと?」
「……。」
「はっきり、言ってよ。」
「……。」
「ねぇ。ジュディ。」
ジュディは、俯いたまま。
小さく、呟いた。
「……カイラの理想は、無理だ。」
「……。」
「みんなを幸せになんて、できない。」
「……そんなの、分かんないじゃん。」
「認められない時点で、分かってんだろ?」
「……ジュディまで、言うの?」
「……。」
「私が、綺麗なままだって。」
ジュディが、目を逸らした。
そのまま、少し間を置いて、口を開いた。
「カイラは、自分も幸せになるって言ってたよな?」
「……うん。言った。」
「矛盾してんだよ。」
「……矛盾?」
「みんなを幸せにすることが不可能な時点で。その理想を持ったカイラは、幸せになれない。」
「……。」
「だから、さ。」
ジュディが、私を見る。
「カイラは、見えない必要がある。」
「……なに、それ。」
「誰かの不幸が見えないことが、カイラの理想を叶える方法なんだよ。」
「……。」
何、それ。
なんなの、それ。
じゃあ、最初からジュディは……。
「……ずっと、そう思ってたの?」
「……。」
「ねぇ。ジュディ。」
「……。」
「ずっと。ずっと、そうやって私のこと見てたの?」
「……あぁ。見てた、よ。」
その言葉で。
胸の奥が、一気に熱くなった。
「カイラが大切だからこそ。全てを見ないで生きることが、幸せなんだと思った。」
「……っ。」
「……。」
「——バカに、すんな!!!!」
私は、叫んでいた。
ジュディの肩が、跳ねた。
「……カイラ。」
「バカにすんな!バカにすんな!!バカに、すんなよ!!!」
立ち上がる。
椅子が、後ろへ倒れた。
「わ、私がどう思うかを。」
「……。」
「私の幸せを、勝手に決めんな!!!」
「……ごめん。」
「ごめんじゃない!!もう、何回目だ!!!」
「……。」
——あぁ。
違う。こんなことが、言いたいんじゃない。
私は、ただ、ジュディに。ジュディを——
「ずっと、ジュディはそうだ!!」
息が、苦しい。
それでも、止まらなかった。
「か、勝手に私を決めて!!私を、勝手に守って!!」
「……っ。」
「そんなこと!私は、一度だって——」
「当たり前だろ!!」
ジュディも、声を荒げた。
「守るのなんて、当たり前だ!!」
「……。」
「俺が、カイラに、どれだけ救われたと思ってる!!」
「……っ。」
「エルナを失って!!帰る場所まで失って!!最初から、俺は何者でもなくて!!」
「……そんなこと!」
「お、俺が。」
ジュディの声が、震えた。
「俺がこれ以上、何かを失ったら……。」
「……ジュディ。」
「怖いんだよ。カイラ。」
「……。」
「俺は、怖いんだ。」
さっきまで、怒鳴っていた声が。
急に、小さくなった。
「……うん。」
「俺は。」
ジュディが、自分の胸元を握った。
エルナの宝石が、服の隙間から、見える。
「俺を証明してくれた人たちを失うことが。俺自身が消えることよりも、怖いんだ。」
「……。」
言葉が、出なかった。
ジュディが、そんな顔をするなんて。
初めて見た、不器用じゃない、顔。
「……それってさ。」
「……あぁ。」
「結局。」
ジュディを、見る。
「自分のためだったってことだよね?」
「……。」
「私を守りたいんじゃなくて。私を失ったら、自分が壊れるから。」
「……それは。」
「違う?」
「……。」
ジュディが、歯を食いしばった。
「それは、カイラにも言えるだろ?」
「……何が。」
「誰が。」
「……。」
「誰が、カイラに幸せにしてほしいなんて頼んだんだよ?」
「……っ。」
「カイラだって!!」
ジュディが、立ち上がった。
「自分が壊れないために、そうやって立ってるだけだろう!!!」
「……っこの!!!」
——バン!!!
寝室の扉が、勢いよく開いた。
「うるせぇーーーーー!!!!!!」
「「……。」」
ネルが、部屋の入口に立っていた。
いつもの、ネルの姿だった。
髪はぐちゃぐちゃ。
目は、半分くらいしか開いていない。
「何時だと思ってんだ!!!お前ら、今何時だと思ってんだ!!!!」
「……いや。」
ジュディが、視界の時計を見る。
「まだ二十一時——」
「うるっさい!!口答えすんな!!バラすぞ!!!」
「バラすって……。」
「人が寝てんの知ってんなら、ボリューム落とせや!!!」
「……はい。」
ジュディが、小さくなった。
「二人とも!!!」
ネルが、私とジュディを順番に指差す。
「今日は、会話禁止!!!」
「え。」
「感情的になってて、全然生産性ない!!!」
「……えっと。」
「うるさい!!!寝ろ!!!バカどもが!!!死ね!!!」
「し、死ねって……。」
「死ね!!!」
——バタン!!!
扉が、閉まった。
「「……。」」
急に、静かになった。
さっきまで、あんなに怒鳴っていたのに。
急に、何も言えなくなった。
ジュディを見る。
ジュディも、こっちを見ていた。
「……。」
「……。」
「……シャワー。」
「……ん?」
「浴びてくるわ。」
「あ。う、うん。」
ジュディが、私の横を通る。
そのまま、その日は。
ジュディとは、話さなかった。
—
翌朝。
三人で、朝ご飯を食べていた。
「……。」
「……。」
「……。」
き、気まずい。
すごく、気まずい。
ジュディは、パンを食べている。
私は、スープを飲んでいる。
ネルは……。
「……あ゛ー。くっそ。」
……眠そうだった。
「とりあえずさぁ。」
「……。」
「……。」
ネルが、私とジュディを見る。
「お互い、謝ればぁ?」
「……。」
「……。」
ジュディと、目が合った。
逸らした。
向こうも逸らした。
「……ネル。」
「なぁに。」
「それで解決するなら、たぶん昨日やってる。」
「めんどくさぁ~~。」
「……。」
「……。」
ネルが、パンを齧る。
「じゃあさぁ。」
「ん?」
「二人とも、とりあえず好きにすればぁ?」
「……好きに?」
「そぉ。」
ネルが、大きく欠伸をした。
「ジュディは、ジュディのやりたいこと。」
「……。」
「カイラは、カイラのやりたいこと。」
「……。」
「今、相手のこと考えても。どーせ、また喧嘩するでしょぉ?」
「……。」
何も、言い返せなかった。
「だからぁ。」
ネルが、スープを飲む。
「一回、自分のことだけ考えればぁ?」
「……自分の。」
「そぉ。」
私の、やりたいこと。
みんなを、幸せにしたい。
でも、誰かを不幸にするかもしれない。
だったら、私は、どうしたい?
「……。」
……分からない。
隣を見る。
ジュディも、何かを考えていた。
「……ジュディ。」
「ん?」
思わず、名前を呼んだ。
「……。」
「何?」
「……なんでもない。」
「そっか。」
また、沈黙が落ちた。
何も、解決していない。
ジュディが言ったことも。
私が言ったことも。
たぶん、どっちも本当だった。
だからこそ。
余計に、どうすればいいのか分からなかった。
「……どうしよう。」
小さく、呟いた。
答えは、まだ出なかった。
第百七十八話、お読みいただきありがとうございました!
喧嘩しましたね。
ジュディとカイラ。
お互い優しい性格だから、真正面からぶつかったことなかったんですよね。
お互い気まずそうなの、まじウケる。
そして、今回犠牲になったのはネルの睡眠時間でした。
次回も20:10、更新予定です!
ブクマやコメントをいただけると、二人がもう少し静かに喧嘩します。
よろしくお願いします!




