第百六十五話「二人の境界線」
アルカナ本社。
第七研究室。
俺は、ネルと向かい合って昼食を共にしていた。
目の前に置かれた、紙製の容器を見る。
「……。」
赤いスープに、細い麺。
その上に、見たことのない葉っぱが大量に浮いていた。
「……ネル。」
「ん~?」
「これ、なんだ?」
「トムヤムクン味?らしいよ。」
「……へぇ。」
ネルは、向かいに座ったまま。
自分の麺を、ずるずると啜っている。
「ん?ジュディ、食べないの?」
「いや、食うよ。うん、食う。」
「あっは。何その顔。」
研究のついでに。
こうやってネルと昼飯を食べることも、最近は増えていた。
今日は、ネルが買ってきたカップ麺みたいなもの。
俺は、恐る恐る麺を口へ運んだ。
「……。」
酸っぱくて、辛い。
なんか、めちゃくちゃ草の味がする。
「……ふぁっ。」
思わず、すげぇ顔になった。
ネルが俺を見て、一瞬だけ固まった。
「……っんは。」
「……。」
「あっははははは!!!何その顔!!!」
「……いや、なんか。風味が、独特じゃないか?これ?」
「んっくくく!いや、それ結構人気のやつだよ?」
「この草、多分パクチーだよな?苦手なんだよ、俺……。」
「へぇ~。ジュディ苦手なものあるんだぁ~?」
「いや、そりゃあるよ。普通に。」
酸味や辛みは、全然美味いと思う。
でも、パクチーだけは、なんていうか風味がなぁ。
手元の紙製の容器に目を落とす。
食えないこともないんだけどな……。
ネルは、相変わらず腹を抱えて笑っていた。
「……ネル。それ、何味?」
「ん~?普通の醤油味だよ。」
「……交換してくんね?」
「いいけどぉ。結構食べちゃったよぉ?」
「あー、平気平気。ネルがいいならさ、頼むよ。」
「あっは!しょうがないなぁ~。」
俺は、箸を突っ込んだままの容器をネルに差し出した。
ネルが、俺のを受け取りながら自分の容器をこちらへ渡す。
「あー、馴染む匂いだな……。」
一口、食べる。
「……うめぇ~。醤油がやっぱ王道だよな。」
「ジュディは大袈裟だなぁ~。」
ネルも、俺が食べていた麺を啜った。
「ん!普通に、美味しいじゃん?」
「……そりゃ~よかった。俺はどうも苦手なんだよな~。」
「ふ~ん?……味覚改造してあげよっか?」
「止めてね?」
俺は、もう一口食べる。
うん。美味い。
「……。」
ふと、手元の箸に目がいった。
そういえば、さっきまでネルが使ってた箸だよな。
ネルを見る。
ネルも、俺が使っていた箸で普通に食べていた。
「……まぁ、いっか。」
ここで変に言う方が、あれだよな。
別に俺は潔癖症ってわけじゃないし、ネルが気にしてないならいいだろう。
「……ん~?何?」
「いや、なんでもないよ。」
「……あ。」
「ん?」
「……っ。」
ネルが、少しだけ顔を逸らした。
……なんか、顔赤くね?
そんなこんなで、二人で麺を啜っていた。
—
昼飯を食べ終えた後。
ネルが空になった容器を重ねた。
「さて、と。」
眼鏡を押し上げながら、俺を見る。
「ジュディ。なんか色々、派手に動き回ったみたいだねぇ?」
「……まぁ、な。かなり反省してるよ。」
「ジュディが、反省ぃ~~?意味あるの?それ。」
「うるさいよ。ちゃんと収穫もあったんだぜ?」
俺は、懐から端末を取り出し机の上へ置いた。
「ほら、これだ。」
「……あぁ~。なるほどねぇ。ハピレスの使ってた端末かなぁ?」
「ご名答。ハピレスの頭、ミゼラ・ノックスの端末だ。」
「ハピレスを潰した報告は、頭デッカチからもらってたしぃ~。まぁ、妥当な報酬かなぁ?」
「……頭デッカチって?」
「ジャス・サインだよぉ?」
「……っくく。」
思わず、笑ってしまった。
言い得て妙だな。ピッタリだ。
「……それでぇ?この端末を使ってアッシュガードと連絡してたって感じかなぁ。」
「ネルとの会話は、なんかすげー楽だな。」
「あっは!じゃあ——」
「それは嫌だ。」
「まだぁ、何も言ってないけどぉ?」
「嫌だ。」
「ちえぇ~。」
ネルが、ぶー垂れながら端末を手に取る。
画面を起動すると、ホーム画面が普通に表示された。
ただ、問題はここからだ。
そこから先へ進もうとすると。
——認証失敗。
赤い文字が表示される。
「はぁ~。なるほどねぇ。生体認証かなぁ?」
「あぁ。これ外せるか?」
「まぁ、なんとかなると思うよぉ。幸い、ミゼラの遺体もカルディア政府が持ってるしねぇ。」
「……。」
「殺さなきゃ、もっと楽だったのにねぇ?ジュディ。」
「……悪かった。本当に、反省してるよ。」
「お、おぉ?そんなに暗くなるなよぉ?」
ネルは、わたわたと両手を動かしている。
やがて、端末を自分の机へ置いた。
「とはいえ、ちょっと時間はかかるよぉ?」
「頼む。今のところ手がかりはこいつだけだしな。」
「……まぁ。別軸でエルドも調査してるみたいだし。大丈夫でしょ~。」
「ん?そうなの?」
「そうだよぉ?ゼノ社長の指示でねぇ~。」
ネルの目が、少しだけ細くなる。
「とはいえ。通信記録が残ってれば、色々見えることがあるかもねぇ。」
「あぁ。」
これで。
エミリの場所へ、もう少し近づけるかもしれない。
「じゃ。頼んだわ。」
俺は、椅子から立ち上がった。
この後、ゼノと約束がある。
「ちょいちょい!」
ネルの声が飛んできた。
「……ん?」
「座ってぇ~。」
「……まだ、なんか話あるか?」
「診察ぅ~。」
「え、今から?」
「今からだよぉ。色々黙ってても、筒抜けだからなぁ?」
……有無を言わせない顔だった。
—
いつもの診察用の椅子へ座った。
ネルが、俺の右腕へ端末をかざす。
続けて、額。
首元。
いくつかの数値が。
ネルの前にあるモニターへ流れていく。
「ん~。赤、また使ったでしょ?」
「……。」
「答えはもう分かってるけど、しっかり言いなさいな?」
「使……った。」
「よろしい。」
ネルが、端末を操作する。
以前の診察結果を、横へ並べているみたいだ。
「……っ。やっぱり、か。」
ネルの指が、止まった。
「ん?何かあったか?」
「……。」
「お、おい。ネル?」
モニターを見る。
数字ばかりで、何一つ分からない。
「上書きが、加速度的に進んでる。」
「……。」
「しかも、上書きに際して混じってるね。」
「混じってる?」
ネルが、画面を指さした。
「前はね。ジュディとアルトは、もっとはっきり分かれてた。」
「……。」
「二つの意識があって。境界があって。赤を使えば、その境界を越えてアルトが前に出る。」
「……あぁ。」
「でも今は、その境界自体が薄くなってる。境界を超えるという線引きじゃ、ちょっと説明できなくなって来てるね。」
ネルが、俺を見る。
「……ジュディ。」
「何だよ?」
「最近、何かアルトとの間で変わったことはあったか?」
「変わったことぉ~?」
ネルの言葉に、首を傾げる。
「あいつの声は相変わらず聞こえるし。特に変わったことはねぇかな?」
「……。」
「混じってるって言うのが、どういうことかはわかんねぇけど……。」
「自覚症状はなし、か。もっと、よく考えてみて?」
「……考えてみてって、言われてもなぁ~。」
思わず、前髪を掻き上げる。
額に、冷たい空気が触れた。
……気持ちいいな、これ。
「……あ。」
一つだけ、あった。
俺は、前髪から手を離す。
「この前、命拾いしたことがある。」
「……ん?」
ネルが、こちらを見る。
目が鋭い。
変に誤魔化せるような空気じゃないな……。
「ジュディ。それ、詳しく話せる?」
「あ、あぁ。」
ミゼラとの戦いを思い出す。
ガレスを撃たれ、銃口を向けられた。
その時の『俺』は、何もできなかった。
「赤を使ってない状態で、アルトが魔術使ったんだよ。」
「……それは、アルトが表層に出てきたってこと?ジュディの意識は?」
「俺の意識はあったな。体も俺が動かしてたし。」
「……それで?」
「俺に使えない魔術があんだけどさ。それをアルトが使ってた。俺の意識があったまま、な。」
「……。」
ネルの顔から。
少しずつ、表情が消えていった。
「……最悪だね。」
「え、そんなにやばいの?」
「そんなにだよ。」
モニターを、もう一度確認する。
「これで、辻褄が合った。」
「……何が?」
「今のアルトは、交代しなくても。ある程度ジュディに干渉できる。いや、干渉ではないのかも。同一化と言ったほうが近いのかな?」
……同一化。
それは、ロイドとエミリが使っていた言葉だ。
思考する俺を横目に、ネルは言葉を続ける。
「思考、感覚、魔術。多分これから、色々と曖昧になってくと思う。」
俺は、自分の右手を見る。
——動かす。
俺の意思で、普通に動く。
「……でも。俺は俺だぜ?」
「今はね。」
ネルが、すぐに答えた。
その言葉だけは、少し引っかかった。
「まぁ。でもよ。」
「……何?」
「実際、そん時は助かった。今もこうして普通に動けてる。」
「……。」
「最近、発作も減ったように思うんだよな。」
「……重症だね。」
ネルが、小さく呟いた。
そのまま、俺に手を突き出してきた。
「ジュディ。赤、出して。」
「……ん?」
「持ってる赤。全部。」
「……なんでだよ?」
「いいから。」
「いやいや。ちょっと待てって。」
「全部。早く。」
声が、低い。
俺は渋々、懐から赤いアンプルを取り出した。
そのまま、全ての赤をネルへと手渡す。
「……これで全部か?」
「あ、あぁ。全部のはずだ。」
「没収。」
「あ、おい!一本くらいいいだろ?保険は必要だって!」
「ダメ。絶対返さない。」
「万が一発作がきて、動けなくなったらヤバいだろ?」
「それでも、ダメ。」
「でも、次また——」
「次なんてないよ。」
ネルが、俺を睨んでいた。
「今の状態で赤を使うのは、危険すぎる。」
「……なんで。」
「ジュディの状態が、本人の自覚なしにアルトへ寄ってる。使うことに抵抗もなくなってるよね?」
「そんなことないって!また、誰かに何かあったら——」
「ジュディ。」
ネルの静かな声が。
俺の言葉を、止めた。
「これは、私の個人的な意見だ。」
「……なんだよ。」
「私は、君に生きていてほしいんだ。」
ネルが、自分の服の裾を握っていた。
力いっぱいに。
「研究とか、被験者とか。そういう枠組みの話じゃない。」
「……。」
「私。ネル・クライス個人が、ジュディに生きていてほしいと願っている。」
「……それは、なんでだ?」
ネルが、一瞬だけ。
目を逸らした。
「それは。私にも、分からない。」
「いや、分かんねーのかよ……。」
「あぁ。分からないよ。」
ネルが、僅かに笑った。
「そういうことに、しておいてくれよ。」
「……。」
……なるほど。
全然、分かってはいないけど。
多分、全く分かっていないわけでも、なかった。
「……分かった。そういうことに、しとくよ。」
「……うん。」
「……。」
「ジュディ。ありがとう。」
ネルの手から、少しだけ力が抜けた。
ネルの顔は、見たこともない優しい表情だった。
—
ネルは、もう一度。
俺の検査結果を見た。
「それと。もう一つだけ、伝えなきゃいけない。」
「……まだ、あんのかよ。」
「うん。」
ネルが、少し黙った。
「ジュディ。」
「ん?」
「多分君に残された時間は、もう残り少ない。」
「……具体的に、どのくらいなんだ?」
「明確には、言えない。けれど……。」
しばらく、沈黙が落ちた。
ネルが、俺を見る。
「少なくとも、ひと月はないと思う。」
「……。」
——ひと月。
自分で思ったよりも。
随分と、短かった。
「……ちなみにさ。ネル。」
「何?」
「医者って、短めの余命を伝えるって聞いたことがあんだけど……。」
「私は、医者じゃない。研究者だ。」
「……。」
「希望的観測も含めて、長めに伝えてるよ。」
「……そうか。」
それ以上。
聞くことは、なかった。
あと、ひと月もない。
その間に。
エミリを助け、レガシーコードの装置を完成させる。
どこまでやれるかは、分からない。
でも、消えるのを指をくわえて見てるわけにもいかない。
「ジュディ。」
「ん?」
「無駄かもしれないけど、言っておくよ?」
「……何だよ?」
「無理は、しないでくれよ?」
「……善処します。」
ネルが、ため息を吐いた。
少しだけ、いつもの空気に戻った気がした。
「はぁ~~。信用ならないなぁ~。」
「……失礼じゃない?」
「失礼じゃないよ。」
ネルの言葉を尻目に、診察用の椅子から立ち上がる。
「よ~っし。とりあえず、端末は頼んだわ。」
「うん~。開けたら連絡するよぉ。」
「あぁ。頼りにしてるぜ?」
「あっは!天才に任せとけぇ?」
「はは。自分で言っちゃうのが、ネルだよなぁ。」
机に置いていた紙袋を、手に取った。
「……ジュディ。それ、なぁにぃ~?」
ネルが、紙袋を見る。
「ん?フルーツ大福。」
「……なんでぇ?」
「この後さ、ゼノんところ行くんだよ。」
「それは知ってるけどぉ。なんで大福ぅ?」
「なんとなく。好きそうじゃね?」
ネルが、溜息をついた。
大げさに肩をすくめている。
「ジュディって、そういうとこマメだよねぇ。」
「……何が?」
「いんやぁ。何でもない~。」
紙袋を持ち上げ、ネルを見た。
ネルは椅子に座ったままこちらを見上げている。
「んじゃ。行ってくるわ。」
「ん~。」
「ネル。」
「何だよぉ?」
「……ありがとな。」
ネルが、僅かに目を細めた。
「いいから、さっさと行けよぉ。バ~~カ。」
「へいへい。」
フルーツ大福の入った紙袋を片手に。
俺は、ゼノのところへ向かった。
第百六十五話、お読みいただきありがとうございました!
ジュディとアルトの境界がかなり薄くなっているみたいです。
どこからがジュディで、どこからがアルトなのか……。
そして残された時間は、ひと月もない。
動じていないジュディに、僕が動揺してます。
もうちょっとさぁ。焦るとかしろよ?
フルーツ大福を土産に持って行ってる場合ちゃうぞ。
次回も20:10、更新予定です。
ブクマやコメントをいただけると、ネルがパクチー入りのカップ麺を買ってきます。
よろしくお願いします!




